放課後の教室
11月に入り、肌寒く、校庭に咲く桜の木は少しずつ赤く染まっている。
俺はいつものように水泳部の部室とプールのある東棟への渡り廊下を歩いてる最中で気づいた。
島田のCDを入れた紙袋を、教室の机にかけっぱだったことを。
朝から忘れないよう、忘れないよう心掛けていたのに結局忘れてしまっていた。もう部室は目の先にまで来てるし、このまま部活に行きたいんだけど…。
2、3ヶ月以上も前に島田に、半ば押し付けられるような形で貸してもらったアイドルのCD達。ずーっと借りたことすら忘れ、1回も聞くことなく部屋の隅に追いやられていたのだが、一昨日急に島田に返せと言われた。
島田が言うには、そのアイドルが先日解散することになり、ガチオタの島田は卒業ライブに向けて1から全てのCDを聞き、予習したいのだという。
昨日も持って来ようとして、自宅に忘れてしまった。そのことで島田に部活の間中ずーっと非難され続けた。だから、もうこれ以上ぐじぐじ言われるのはごめんである。
借りっぱだったのも、忘れてきてしまうのも自分が悪いので取りに行くしかない、そう思い、来た道をそのまま戻ることにした。
******************
数学のテキストを取りに来た。
放課後の教室には、僕以外誰もいない。
僕は置き勉派なので、ときより宿題が出てもそのテキスト自体を教室のロッカーに忘れてしまう。今日も、そうだ。
「…あった。」
目的の数学のテキストを鞄に入れ、ロッカーに背を向け、帰ろうとする。
だけど、すぐ一歩進んで立ち止まる。
目の前には一つの机。
僕はなんだか胸のあたりがもやもや、むぎゅーてする。椅子を引いて、机に座る。
身体中が心臓になってしまったかみたいに、どくん…どくん…と波打つ。顔には熱が集まり、イケナイとわかりつつも机の上に右頬をつける。
いつも、彼が机に眠そうに突っ伏してるのと同じように…。そんないつもを思いかえして、少し息を吸う。
「……。」
視線のすぐ先には窓があり、空が広がってる。脈打つ僕の鼓動の先には、外で部活中の声がする。きっと彼も今頃…。
「……小林く、ん……。」
「はい。」
「……ぇ。うぇ?!!…っうわ!!」
「お、おい!西内っ!!」
声のした反対側に、さっと顔を上げるとそこには小林くんがいた。ど、どうして…?!!
僕はそんな疑問も声にすらならず、あまりの衝撃にさっきまで座り込んでいた椅子を立ち上がろうと、もしくはそのまま逃げ去ろうとした勢いのあまり椅子ごと後ろへと滑ってしまった。
「…いったぁあ……。」
「大丈夫か?盛大に転んだなぁ。」
そう言って、小林くんは屈んで手を差し伸べてくれた。
やばい、は、恥ずかしいいぃい!!!!!なんだ!?この状況?!!!さっきの絶対見られた?!!聞かれたよね!?しかも、盛大に転んで心配してもらってるし、色々やばい!!!!!!!!
《《《と、とにかく!!早くここを逃げ去りたい!!》》》
軽く羞恥心で、頭がパンクした僕にはもう正常な判断ができなかった。そして、とりあえず何とかこの場から逃げ去ることしか考えられなかった。
「だっ、大丈夫。1人で立てるから…。」
「そっか…。」
僕は立ち上がり、何事もなかったように椅子を直した。いま、僕の顔はこれ以上ないほど真っ赤なことだろう。
てか、どうする。立ち上がったのは良いけど、変な沈黙が流れている。まぁ、そりゃそうだろう。誰もいない教室で、話したこともないクラスメイトが自分の席に座って、顔を机に頬ずりし、うわ言のように自分の名前を呼んでる場面に立ち会ってしまったなら、そりゃあ、もう………。
このままではさっきのことについて、きっと聞かれる。どうにかして、はぐらかさなければ!!
「ど、ところで!?小林くん、どうしたの?!!あれ部活は?!!」
噛んだとか、どもりまくりとか、テンパってるとかもう正直気にしてられなかった。さっきの行動を言及されてしまったらそんなの痛まれない。話題をどうにかして、変えなければいけない、そう感じて、口から言葉が出た。
「え、ああ。俺はこれ。部活の友達に返すCD、机に忘れててさ。取りに来た…。」
小林くんは戸惑いつつも答えてくれ、机の横にかけてあった白い紙袋をとった。
「…てか、西内はどうしたの?」
《《《ぼ、ぼ、ぼくは馬鹿だぁああああああ!!!》》》
教室に来た理由を聞いたとしても、結局来たら今に至るわけなんだから、会話の流れとして当然何してたのか聞かれるに決まってるじゃんーーーー!!!!
何してたかとか色々正直に話せるわけない!!!そんなのしたら絶対に引かれるし、一年の後期に入って、ようやくクラスで少しずつポジション獲得できて来たのに……。
ど、どうしたら!??!どうしたらいいんだ?!!
あ、焦るな、僕!!
と、と、とりあえず冷静に何か答えるんだ。何でもいいからテキトーに!!
「ぁー、お、オレも忘れ物して……あっあー!!!オレも部活行かなきゃいけないんだったー!!」
「え、西内て、なんか部活入ってたの?」
「ぇ、ぁ、うん!!そう!そうそうそれね!!ご、ごめん、僕もう行くね!!先生に怒られちゃうやー!!またね、!!」
僕はそのまま教室を走っていった。
その時の僕の頭の中には、恥ずかしいという思いばかりが占めて、顔の熱はいつまでたっても消えなかった。
「西内て、たしか帰宅部だったよな…。」
教室に1人残された小林くんがそんなことを言ってたなんて僕は知らなかった。