第56話 大切なもの
「まさ、いや、リクだ。」
(正弘にしなかったのは、後々の説明が楽になるからだ。龍を呼んだのも進化属性で狂神と戦ったのも。)
「リク、聞いたことがあるな。人族で英雄とされていたやつか。ふむ」
正弘をすっと一瞥する。その目は赤く染まっている。血かはたまたそういう色なのか。
「にしては若いな。まあ、いい。それなら相手にとって不足はないな。おまえを倒せば、苦しみ泣き叫び頭を抱え絶望するやつがたくさんいそうだ。ははっ」
いつまでも狂っている。彼の身体に2つの穴が開いている。心臓があったところだろう。そして3つ目の心臓は透けて見えている。身体の大きさは変わらないが、身体は全体的に少し透明になり、赤黒い線が体中に模様のように見える。角までもにその赤い線は入っている。
「本気でお前を殺す。お前も本気で来い。」
「俺はずっと本気だ。」
そう言いながら正弘は、落ちていた剣を拾い狂神に切りかかった。相手の攻撃を避け地面を破壊し回復を繰り返しているうちに、最初に剣が吹き飛ばされた場所まできていたようだった。
何かで防がれる。火花が散る。剣から飛び出る黒炎が、どこからか現れた、水でできた龍とぶつかり合い霧散する。
一度距離をとる。狂神をもう一度視認すると、彼は死神が持つような黒い巨大鎌の柄を地面に突き刺していた。
「それは・・・」
「これか?俺の角から作った鎌だ。これでお前の首を刈り取ってやる。」
「そんなことさせるかっ」
もう一度斬りかかる。
身体能力を倍増させ、もう一度。もう一度。もう一度。
狂神の、鎌を振るう様子は見えない。だがその度に火花が散り、向かう魔法は見えない何かに当たって霧散する。ふと無数の何かが向かってくる。『予見』ではその攻撃を受け流すことしかできない。狂神が何かをしているようには見えない。彼が動かなくとも攻撃は続く。
正弘は考えていた。
(この攻撃はおそらく『無数の棘』か何かしらで見えなくしているのだろう。この魔法は俺の魔力を認識しているのか、それとも俺の姿を認識しているのか。どちらにせよ今は何もできないし試してみる価値はありそうだな。)
その思いから正弘は、無数に連続するこの攻撃を一度だけ守る魔法を繰り出し、そして。
「『風・ミラージュ』」
「それを待っていた。」
そんな声が聞こえた気がした。辺りを薄い霧の膜が包む。
その薄い霧を先ほどまでなくなっていた非常に濃い瘴気が覆う。
「それは人には」
「効かないが、俺の魔法を伝えることはできる。『幻惑』」
「ううっ」
正弘をさらに濃い紫の靄が包む。剣が落ちる音がした。膝をつき、正弘はその場に倒れた。
意識の端で狂神の口角が上がった気がした。
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いい匂いがする。耳から、野菜でも切ってるのだろう小気味のいい音が入ってくる。
「あれ、ここは?」
知・・・ってる天井だ。窓からは木漏れ日が射しており、心地よく暖かい空気が流れていた。ここは、英雄の森。カナティアと居を構えている小屋だ。
(ああ、夢だったのか。狂神なんて。リク、そう俺はリクだ。)
「寝ぼけてるの?今ご飯作ってるところだからもう少し待ってて。」
「あ、ありがとう。」
あくびが出る。目をこする。目の前では、ぼやけたカナティアが料理をしている後姿が見える。どこの歌ともわからない鼻歌も聞こえてくる。肉の焼ける香ばしい匂いにお腹が鳴る。
俺は身体を起こし、カナティアの背中に声をかける。
「今日のご飯は?俺も手伝おうか?」
「うーん、まだ教えないわ。だから椅子に座って待ってて。」
「そうか。楽しみにしとくよ。」
カナティアの返答に少し微笑しながら、俺は椅子に座り大人しく待つことにした。なぜか小屋の雰囲気が気になる。いつもと変わらないはずなのに、外で響いている人ならざる声にも違和感を感じる。
窓から見える外の光景に物思いにふける内に、彼女の楽しそうな声が聞こえてきた。
「はい、かんせーい!」
色とりどりの料理が目の前に運ばれてくる。
「今日のメインは、ワイバーン肉の照り焼きよ!どうよ!」
天井からほのかに射した光がワイバーン肉にかかるソースを輝かせる。うっすらと立ち上る煙が甘旨い香りを漂わせる。住み始めた最初の手料理に比べると、見た目も香りもよりおいしくなっている気がした。
「うわぁ、すっげぇいい匂いだ!おいしそう!じゃあ、手を合わせて」
「「いただきます」」
「お、すっかりこの挨拶にも慣れたね。」
「リク、毎回するんだもの。意味も知ったし、やらなきゃね。」
料理を少量乗せたスプーンを持ち上げる。視線を感じる。
「カナティアも早く食べなよ。」
「ふふ。いいでしょ。リクこそ冷めちゃうわよ。」
「そう、わかってるよ。」
口に入れた途端、匂いはあるのに味は何も感じ取れなかった。変な気分だった。
「ん!んー?あれ?え、なんでだろ、味がない・・・。」
「え、そんなことはないんだけどなぁ。」
焦っていた。感じ取れるのは歯ごたえと匂いだけ。そこから染み出るはずの濃厚な味わいも香ばしい香りもそこにはなかった。湯気が出ていたはずなのに、温かさも感じない。
カナティアも慌てて自分の皿によそって、口に運ぶ。
「ん、いや、おいしいけど。熱でもある?」
そう言って彼女は俺のおでこに手を伸ばす。自分とは違う体温が肌に触れた。
「うーん、なさそうね。」
おかしげな表情をしている彼女の顔に見とれているうちに、なぜか笑い声がこみ上げてきた。
「ど、どうしたのよ。」
「やっぱり最高だな。ご飯は温かく感じないけどなんか暖かい。ずっと笑い合ってたい。」
「き、急にどうしたのよ。」
その返事でつい口に出ていたことが分かった。自分の顔がにこやかなのがわかる。
だが目の前のカナティアは、まだ複雑そうな表情をしていた。
「ねえ、私は心配してるのよ?リクのこと。それに、他の3人のことも王国のことも。」
盲点を突かれた気がした。決心を固めたような表情を目の前の彼女はしていた。
「リク、いや正弘。ほんとはわかってるんでしょう?私はもうあなたの隣にいられないし、あなたはまだ戦いの途中だってことを。でも、大丈夫。戦いが終われば、きっとあなたはまたおいしい料理を食べられるし、幸せだと思える。だから、早く終わらせちゃいなさい!」
目の前には、「がんばれ」とエールを送るように微笑む彼女の顔があった。口に運んだ料理が少ししょっぱい気がした。
その言葉に、その味に、頭の中にかかっていたもやが消え去り、それと同時にカナティアの姿は消えかかっていく。
「カナティア。俺は幸せ者だ。君に出会えて、君と冒険できて、君を好きになって、君とともに生きられて俺は幸せだ。ほんとにありがとう。」
目の前が白く染まる。その向こうで消えゆくカナティアの口が『ありがとう』と動いた気がした。
俺はゆるがない決意を手に入れた。
「俺の思い出は、大切なものは絶対に奪わせない。」
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