第45話 欠員
少しずつ雨足が弱まり、視界もましになってきたが、今までの雨で手は凍りそうに冷たかった。
「各自、準備はいいか。」
『風・風運』でヴォルフガングの声が流れてくる。なんて返せばいいのかわからず、黙っていると続けざまにレイウスの声が流れてきた。
「心配するな。お前たちならやれる。」
それが誰に向けて言われたものなのかはわからない。だが、その落ち着いた声は少しだけ高ぶった胸の鼓動を鎮めてくれた。
ふと前を見つめると、こちらを見るミリシアと目が合った。勇者部隊として隠密行動に入ってから一度も声を交わせていない彼女。俺たち4人のことを心配してはいるものの、気が付けばクローカーに先を越されてしまって、話す機会がないと嘆いていたことをリクトから聞いた。だが、結局話せぬままここまで来てしまっていた。
「ミリシアさん。よろしくお願いします。」
『任せてくれ。君たちに傷一つ付けさせない。それから』
思い切ってミリシアに『風・風運』で話しかけてみると、魔道具を使ったのだろう、すぐに返事が返ってきた。
『今まで話しかけられなくてすまなかったな。本部に戻ったら君の元の世界の話も聞かせてくれ。』
「はい!」
そう締めくくると、心なしか視線の先のミリシアが笑ったような気がした。それも一瞬のことで、すぐに彼女は前を向き、手元の剣を抜いた。白銀の刃が雨の中で光る。
ミリシアとの一連の会話が終わると同時に、ヴォルフガングが作戦開始の指示を出す。
雨すら打ち返すような大きな鬨の声とともに、前方に立つ兵士たちが一斉に駆けだした。それを追うように俺たちも走り出す。足で跳ね上げられた泥が容赦なく顔や身体に打ち付けられていく。予想以上に足元のぬかるみはひどく、気を抜くとバランスを崩してしまいそうだった。
暫く走り続けると、前の方から何者かの叫び声とともに何かと何かがぶつかる音がする。
「みんな気を付けて。あの先が魔物軍だよ。気を抜かないようにね。」
後ろからリクトが声をかける。その声に俺は深呼吸し、気持ちを整えた。
「ダレス様。1時の方向に敵です。」
「了解!ありがとう!」
カイルの代わりに護衛に立った騎士とともに、ダレスは死に物狂いで戦っていた。もうすでに部隊の半分の消息はわからない。
魔物はだいぶ数を減らしたものの、数的不利な状況は変わっていなかった。本部の指示なのか自らの意志なのかはわからないが、先ほどまで空を舞っていた神龍はどこかへ行ってしまって、残っているのは龍のみ。その龍も雨のせいで火が使えない以上は、この状況を完全に打開する力はないとダレスは考えていた。
(となると狂神が打倒されるまでひたすら耐えないといけないというわけか...)
事前に見た地図によれば、この戦場は南北およそ9キロ、東西およそ5キロ。この距離では『風・風運』も魔石も使えず、念話機に頼るしかない。その念話機も安全のために退避させているため、実質的に突入部隊の情報はほとんど入ってこないに等しい。
「終わりの見えない戦いってことか...。」
思わず口に出してしまう。士気の低下を気にして横目で騎士の様子を確認するも聞こえてない様子で、目の前のコボルトを叩き切っていた。ダレスは少しだけ安心し、前にいる敵に向かって魔法を放つ。だが、その魔力もいつまで持つかわからない。ダレスは祈るような気持ちで戦い続けていた。
すると突然どこからか風切り音がして、次の瞬間、腹部に鋭い痛みが走った。
驚いたダレスの目に飛び込んできたのは、自分の腹部を貫く水の槍だった。薄れゆく意識の中で周りを見渡したダレスは、不気味な笑みを浮かべてこちらを見つめるゴブリンメイジを見つけた。思わず反射的にその焦げ茶色の目を睨みつける。それも一瞬で、すぐに攻撃を回避できなかった後悔と、部隊の兵士への申し訳なさが募った。
「ダレス様?!」
騎士の驚いたような声を最後に、ダレスの意識は飛んだ。
ダレスが戦闘不能になったという知らせは一瞬のうちに本部に送られた。それを聞いたアストリアはその場に立ち尽くした。
「ダレスが!やられたか...。」
「ダレス様は幸いにも生きてはおられますが、意識はなく、なおかつ腹部に攻撃を受けているため予断を許さない状況とのことです。」
「わかった。ありがとう。」
カイザックはそう言うと知らせを持ってきた兵士を下げた。部屋を重苦しい空気が覆う。窓に打ち付ける雨の音がより一層空気を重くした。
「ミリシアをダレスの代わりに投入せよ。」
「ミリシアを?!しかしそれでは突入部隊の安全が...。」
「リクト、レイウス、ヴォルフガング。ミリシアがいなくても戦力は十分ではないか?」
「そうですが...。」
カイザックの決断に不服そうなアストリアに、なおもたたみかける
。
「この作戦は北部の誘因と南部の突入の両方がうまく行って初めて成功する、そうだろう?それにこのままでは北部の兵士の士気は下がる一方だ。状況を打開する一手が必要なはずだ。」
その言葉にアストリアは渋々ながら頷き、部屋を出ていった。
あとに残されたカイザックはため息をつくと、戦場の地図に置かれた「王立」と書かれた旗を見つめた。離れたところにぽつんと置かれたその旗は、どこか寂しそうに窓からの光に照らされていた。