第44話 助け龍
『ダレス・アレイ・フェリックス。そなたが幼児の時以来だな。元気であったか。』
頭の中に響いてきた声に驚いて空を見上げると、美しい紺色の翼を広げた龍が空を舞っていた。
『王国との契約に従い、参上した。私も加勢しよう』
正弘によって「アエリス」と名付けられた神龍は、王国軍所属の龍を連れ、空を舞っては地上の敵に攻撃を与えていく。
思いがけない神龍の登場に周りにいた兵士たちの士気は上がり、疲労の色を隠せなかった顔にやる気が広がった。
(神龍が来るのならこの戦い、勝てるな)
ダレスは心の中でそっとつぶやくと再び戦いに意識を戻した。
「神龍が援護してくれるとは初耳でした。」
戦場からの報告にアストリアが興奮を隠せないといった表情でカイザックに話しかける。一方のカイザックは特に驚きもせずにいたって冷静だった。
「初代のリクの時代に結ばれた契約らしい。英雄の力とは恐ろしいものだ。」
「ええ。ですが神龍が来てもなお、自然は我らに勝機を与える気はないようですな。」
一瞬窓の外を見たアストリアは少し冷静な口調で続けた。
「ああ。アストリア。至急作戦の再考を命ずる。」
「はっ。」
カイザックはアストリアにそう命ずると椅子から立ち上がり、窓の外を眺める。遠くの空で一瞬何かが光った。
「これは来るな。」
彼の言葉が現実になるまで、そう時間は掛からなかった。
「あれ?雨?」
後ろを歩く海里がふと呟く。釣られて空を見上げた正弘の額に冷たい雫が落ちた。
「本当だな。」
「えー、傘ないのに...。」
有沙の呟きを聞き流しながら俺は嫌な予感がして一瞬足を止めた。
「リクト!」
前を歩いている彼の名前を呼ぶと、彼はわかっているといったように頷き、レイウスとミリシアの元へ駆け寄った。
彼ら二人も想いは同じだったのだろう。リクトが駆け寄ると同時に足を止めた。
「一旦休憩する。各自雨に濡れて体を冷やさないように何かしらの対策を講じてくれ。」
兵士たちはそれぞれ持っていた布や魔法などで雨に濡れないようにしてその場にうずくまった。俺たちはクローカーが展開してくれた『風・風壁』の中に入り、座った。
「どうしたんですか?」
急に兵士たちの間に漂った緊張感に理解が追いついていない海里がクローカーに問う。
「作戦内容を覚えていますか?」
「覚えてるぜ。先に魔物を引き寄せてから煉獄魔法と...あっ。」
神村が答える途中で気がついたように言葉を止めた。クローカーが正解だと言うように頷き、説明する。
「煉獄魔法は属性的には火です。そこに雨が降ってきた。つまり、属性不利な状況なんです。」
彼が話している間にも雨足は少しずつ強くなる。
「作戦の変更を余儀なくされると思います。どうなるかはカイザック様やアストリア様がどうお考えになるか、ですが...。」
クローカーの言葉が途切れると同時に重苦しい沈黙が訪れる。
どれくらいの時間が経ったかわからない。おそらくほんの数分だったのだろうが、戦場で終わりの見えない沈黙の時間はとても恐ろしかった。だから、レイウスからの『風・風運』が沈黙を破った時はどこか救われた心地がした。
「さっき本部から連絡が来た。」
レイウスが淡々と決定事項を伝えていく。
「俺たちは作戦通り、突入部隊と獣人部隊の護衛のもと、狂神への突入を決行する。ただし、分断作戦が期待通りの成果を出せない可能性が高い。」
そう言ってレイウスは一旦言葉を切った。雨が風壁を叩く音が大きく響く。
「敵の数は多いと想定される。かなり危険になる。おそらく無事では済まないだろう。」
『風・風運』の能力の限界なのか気遣いなのか、いくつにも区切って話される内容は残酷なものだった。だからこそ、レイウスの淡々とした言葉が余計に重くのしかかる。
「だが、それでも俺たちは戦わなければならない。守るものがあるから俺たちは兵士になった。そうだろう?」
レイウスの問いかけにつられるように隣の有沙を見た。一瞬目が合って、俺はその茶色の瞳にうなずいてみせた。
「行こう。王国を守るために。神のご加護のあらんことを。」
レイウスの言葉はそこで途切れた。
再び雨音が騒がしく俺たちの間に割り込んできた。
目線で頷きあい、立ち上がる。
『風・風壁』が解除され、雨が容赦なく身体をたたいていく。
クローカーに促されるままに俺たちはレイウスたちのいる場所に近づいた。足元の土がぬかるみ、歩くたびにいやな感触がする。
「陣形を変更する。勇者を中心とし、円状に展開してくれ。一番外側に魔術師が、そのすぐ内側に騎士が立つ。俺はミリシアさんと先頭を行く。魔術師は常に【探知】を展開し、魔物の反応があればすぐに魔道具なり風運なりで報告すること。それから、視界が悪いから絶対に同士討ちだけはするな。いいな。」
レイウスは全員が頷いたのを確認し、移動の指示を出した。俺たちは兵士が作った円の真ん中に立った。そのすぐとなりに騎士やクローカー、リクトたちが俺たちを囲む。
「君たちの護衛は任せてね。外が破られても君たちには指一本触れさせないから!」
そういって彼は片目を閉じて見せた。濡れて額に張り付いた髪の毛を伝って、閉じた目の上を水が滑り落ちていった。