④章 大切な時間
「どこにいきたい?」
「う~ん、望と一緒ならどこでも!」
とりあえず、私達は郊外のデパートに行くことにした。
二人でこれから暫く『裏野ハイツ』で暮らすとなると、あゆみの生活用品やらが必要だし、彼女の服や靴なども必要だ。私の服やサンダルをこのまま使わせる訳にはいかない。
そもそも女子には必要なものが沢山ある。化粧品・化粧水・乳液・フェイスパック・バッグ・ヘアアイロン・ソファー・低反発枕・サンダル・ジェラピケ・カープグッズ・etc.
デパートの屋上にあるレストランでランチを食べてから、あゆみが必要だと言うものは全て買ってあげた。あまりに重いものは後日送って貰うようにしたが、それでも帰りの荷物はすごい量になった。
二人で笑いながら、ショッピングを楽しんだ。
最高だ。私は今満たされている……。
あゆみがいない世界を過していた昨日までの私の世界には『色』がなかった。今思えば全ての事がどうでもよくなり、白と黒だけの世界に見えていた。それもかなりぼんやりしたモノだろう。
私は――絶望していたのだ。あゆみがいない世界に……絶望していた。
だけど、今は違う! 世界が今までにないぐらいクリアで色鮮やかに見える! あゆみを失う体験をした私は、あゆみがいる今の現実をより幸せに感じられているのだろう。
「ねぇ、望! 夜何食べようか?」
デパートを出るともう日が暮れていた。両手に荷物を持つ私の手を触りあゆみはそう言った。
「そうだな、あゆみの手料理が食べたいけど……今日はもう食材を買って荷物を増やすのはごめんだから、手料理はまたにして、なにか食べて帰ろうよ」
私がそう提案するとあゆみはニコッと笑った。
「わかった。明日何でも作ってあげるね! じゃあ今日は望無職なのにお金いっぱい使ちゃったし、サイゼリアでドリアでも食べて帰ろうよ!」
「ハハハ、助かるよ……そのうちまた働くから今は――」
「君と一緒にいたい」
あゆみのキラキラした瞳を見つめ私はそう言った。あゆみは笑顔で頷いた。
今後、二人ならどんな困難も乗り越えられる気がした。
****
久しぶりのデート終え、裏野ハイツに戻った。
バスルームにあゆみを連れていき、浴槽に『ストームミックスジュース』が入っているから風呂蓋は決して開けないようにと説明した。
ここにいる限り湯船には入れない。シャワーだけの生活になるだろう……。最悪銭湯やスパに行く手もあるが、それはまだあゆみの体質をもっと理解してからじゃないと危険だ。
とにかく、あゆみの体質を改善する手を見つけないと、私達はいつまでもここに住まないといけないことになる。他の住人の人達の話を聞いて情報を得る必要があるし、嵐がきたらまた海水を汲みに行かないといけないから、改めてどういう住人がここにいるか知っておく必要がある。まだまだやることは山積みだ。
あゆみが先にシャワーを浴びた。その間に私は201号室の老婆の部屋へと向かった。
そこで老婆から色々な話を聞いた。
私が早速『ストームミックスジュース』を作ったと老婆に話すと、「筋がいい」と言われた。どうやら作り方はあっているみたいだった。ホッと、した。
101号室の50代の男性には寝たきりの妻がいるらしく、その妻が海に呑みこまれて『裏野ハイツ』に来て戻ってきたという。仕事と妻の看病で忙しいから興味本位で近づいてやるなと老婆は言う。
102号室の40代の男は自分自身が海から帰ってきた男だという。自分で『ストームミックスジュース』を作って、自分で飲んでいると老婆は言う。前は母親と住んでいたが、病気で母親が亡くなり、一人になったという。母親が『裏野ハイツ』に住みだして、男は帰ってこられたのだが、今はもう愛する母親はおらず一人だ。いつも部屋に籠っているが、年末に二日間だけは妹夫婦の家に行きここを離れていると老婆は言う。
103号室の30代の夫婦には子供がいるという、その子供は夫婦が『裏野ハイツ』に住んでから海から帰って来た子供だという。3歳ぐらいの静かでお利口な子だという。その子の為に夫婦は『ストームミックスジュース』を作っているという。基本的に普通の生活を送っていると老婆は言う。
最後に202号室の男の話を聞いた。だが、昔から『ストームミックスジュース』に使う静かな犬を売っているという事以外は何も教えてくれなかった。
男の正体や目的は老婆から聞くことはできなかった。犬をどうやって仕入れているのか、教育しているのか、犬を売り上げたお金をどうしているのかも、謎のままだ。
別に私も野暮な事を聞くつもりはなかったので、追及しなかった。
「男は嵐の前の人嵐の日にしか部屋にいないから、犬を買うなら嵐の前の日に買いに行くといい」と、老婆は言った。普段202号室は人がいる気配を感じないが、人がいる気配を感じたら男が居る時だという、その次の日は決まって嵐が来ると老婆は話した。
それに老婆は自分自身の事はここに住んで20年経つという事以外は、何一つ話してはくれなかった……。
ただ、話している老婆はボロボロの写真を握っていた。
若い男が写っている写真だったが、私はそれに関心を持たないようにした。
「また、嵐の夜にきます」と、老婆に残して私は自分の部屋へと戻った。
部屋の中は静寂が支配していた……。
あゆみが居る筈なのに何かおかしい……。
老婆の部屋に長居したつもりはなかったが、もしかしたらあゆみは先に寝てしまっているのか?
そう思って寝室に入ると、そこにあゆみの姿があった――。
「望……助けて……」
そう声を漏らしたあゆみの
右脚が――。
左脚が――。
右腕が――。
左腕が――。
溶けて、水になっていた。昨晩と同じく、四肢をなくし、ダルマになっていた。
「わああああああああああああああああああああ!!」
****
今日持ち歩いていて結局外では使わなかった水筒の蓋をすぐに開けて、中に入っている『ストームミックスジュース』をあゆみの口へと流し込んだ。
水筒1本丸々の量で丁度あゆみの身体は元通りに復元した。
身体に元に戻ったあゆみは、冷蔵庫から水を取り出して、がぶがぶ飲んだ。
「だ、大丈夫か? あゆみぃ……」
「うん……ありがとう望……今日は先にもう寝るね……なんか、気分が最悪だ」
「わかった。おやすみ、なんかあれば何でも言ってくれよ……」
「うん、頼りにしているね……おやすみ」
あゆみは先に寝室に戻り、布団に入った。
驚いた……。だが、分かっていたことだ。これからはこういう状況になれないといけない……。
『ストームミックスジュース』を飲むあゆみの姿は、とても苦しそうだった……。
可愛そうだが、今は飲んでもらうしかない……。でないとあゆみは溶けて消えてしまう……。
こんなことがあったからか、はたまた夏だからなのか……汗がかなり出てきて服も身体もベタベタだ。
私もシャワーを浴びて今日は休もう。
バスルームに行きシャワーを浴びた。
「いてっ!」
シャワー浴びて出ようとした時、腕を小さく蚊に刺された。
ペシッと、蚊はそのまま潰すことに成功した。すると、潰れた蚊から『ストームミックスジュース』らしき真黒な液体と、臭いが出てきた。
なんか、やばい気がしたが、あゆみは『ストームミックスジュース』を飲んでいるのだし、あまり気にするのもよくないと思い、深く考えるのはやめた。
刺されたところをよく洗い直して、消毒をして処置してから、寝室に行き、そのまま眠りに着いた。
朝目が覚め、昨日蚊に刺されたところを見てみると、刺された部分が真黒に壊死していた――。
どうやら、溶けだしている者以外の体内に『ストームミックスジュース』が入ると危険なのだと、後で201号室の老婆に聞いた。
これからは気をつけなければいけない。溶けていない状態のあゆみも同様だ。
だから、蚊に刺されたのがあゆみじゃなくて私で良かったと、心から思った――。
****
それから毎日、夜になるとあゆみは溶け始めた。そして私はあゆみが溶け始めると透かさず『ストームミックスジュース』をあゆみに飲ませた。
毎日朝から夕方まで、あゆみと外に出かけてデートを楽しんだ。時々は家の中、二人でアナログゲームをプレイする時もあったが、殆ど外に出かけてこの夏――沢山の思い出を作った。
毎日遊んだ分、夜は『ストームミックスジュース』を飲ませた後、夜更かしせずにしっかりと、あゆみには休んでもらった。
私は時々、202号室に人の気配を感じ、その都度、202号室に行き男に犬を売って貰った。
そして、男が来る次の日は必ず嵐の夜になり、他の住人たちと共に、海に海水を汲みに行った。
私はあゆみの命を繋ぐ『ストームミックスジュース』を作り続けた――。
一ヶ月ほど経ったある日の朝、103号室の夫婦と子供がうちの部屋を訪ねてきた。
『裏野ハイツ』に来てこちらから誰かに訪ねられるのは初めてだった。
「あの~、御神さん。お願いがあるのですが……これ……」
そう言って旦那さんが私に十万円の入った封筒を差し出した。
「え! な、なんですかいきなり……お願いって……」
いきなりの事で驚いた。とにかくそのお願いとやらを私は聞くことにした。
「実は浴槽の排水溝の栓が取れてしまい……蓄えていた『ストームミックスジュース』が全部流れてしまいまして……なんとか少しだけでも分けてもらいたく参りました」
と、夫は話私にお金を無言で渡した。
「そうでしたか……それは大変ですね……。少しだけでしたら分けられます。今持ってきますので、待っていてくださいね。あと、お金はいりませんよ。困った時はお互い様です」
私はそう言い、お金を夫婦に返し、『ストームミックスジュース』を分けてあげた。
夫婦は喜び、お礼を何度も言って頭を下げた。子供は静かに帰り際、私に頭をペコリと下げて帰った。
あまり沢山あげてしまうと、次の嵐の夜までにあゆみの分がなくなってしまったら、大変なので少量しか渡せなかったが、他の住人の家もこれから全てお願いをしに回ると言うので、恐らくなんとかなるだろう。
この日は今までにないくらい暑い日だった――。
どうか、あの夫婦の為に早く次の嵐の夜が来る事を私は願った。
あの夫婦はそれまで不安の日々を送る事になるだろうから――。
****
人があまりいない真夏の夕暮れの海岸を、ゆっくりとあゆみと歩いた。
今日はあゆみの誕生日である。だから、朝から一日お出掛けをしていた。朝ご飯は私が作り、食べ終わったらすぐに遊園地に行って遊んだ。そのあとショッピングモールに寄って買い物をした。
それから「海を見ながら散歩がしたい」と、あゆみが言い出したので裏野ハイツに一度戻り、私達は海岸を散歩する事にした。
夕焼けがとても綺麗だ――。
私はここしかないと思い、今日一日ズボンのポケットに入れていたリングを取り出した。
あゆみが消失した旅行で、本来なら渡してプロポーズしようと思っていたこの婚約指輪……これをようやく渡せる瞬間が来たのであった――。
「あゆみ、私と結婚しよう。必ずあゆみを幸せにする」
そう言って、あゆみの指にリングをはめた。
「ありがとう、嬉しい。私はこんな体質になってしまったから……これからも望を苦しめてしまうと思うけど、一緒に望と生きたい……愛しているから」
あゆみはそう言いながら、涙を一筋流し笑って、私のプロポーズを受け入れてくれた。
夕日に照らされた小さなあゆみはとても可愛いく、とても綺麗で輝いた涙を流していて、とても美しい笑顔をしている――。
私の最愛の嫁だ。
私は必ず、あゆみを幸せにしてみせる……。
ペアリングをつけた私達は手を繋いで、裏野ハイツへと帰った。
もうすぐ夜がやってくる。
いつも憂鬱な夜も、今日はシャンパンとチキンとケーキをあゆみの誕生日を祝う為に買ったので、きっと楽しい夜になるだろう。
帰ってすぐ、私は『ストームミックスジュース』を水筒に汲み、いつ楽しい夜の邪魔をされても対処できるように準備をした。
そう言えば最近嵐の夜を迎えていない……。前の嵐の夜から何日ぐらい経ったのだろうか?
私の家にある『ストームミックスジュース』のストックはあと十数日分しかない、そろそろ不安になってきた。これを切らす訳には絶対にいかない。あゆみの為にそろそろ恵みの嵐が欲しい――。