メール
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今やケータイを持っていない人は見当たらないほど中高生の間では普及している。それは立花明にも例外ではなかった。明は都立の男子高校に通う三年生であった。彼が二年半在籍したサッカー部は学年で四十人を超すほどの人気の部であったので、各クラスにサッカー部員は五人ほどいる計算になるが、どういう訳か明のクラスには八人も在籍していた。その中には明の一番の親友というべき佐々木良樹もいた。もちろん、二年半苦楽をともにしてきたサッカー部員は誰一人として欠くことのできない大切な友達であり、彼のケータイのアドレス帳にはほぼ全員の名前が載っていた。しかし、そんな中でも良樹の存在は大きいところがあった。良樹は明と違って周りに気を配ることのできる人だと思っていた。サッカー部以外の友達も多くいて、明にはいわば理想の人物であった。明はというと、決して暗いわけではないが、人見知りが激しいため、誰か人と本気で話をするまでにかなりの時間が必要であった。だから登下校はもちろん、校内でもサッカー部の人たちといることがほとんどであった。だが、明はそれで満足だった。
二学期も終わりに近づいた頃だった。さすがの明も半年も同じクラスで過ごせば、クラスの人たちと話せるようになっていた。休み時間の十人程度の―もちろんそこに良樹は加わっていたが―談話が日常になっていた。いまではもう明は立派にこのクラスの一部分になっていた。
ある日の昼休み、明は所用を済ませクラスに戻るといつものグループが、何やら盛り上がっていた。傍に寄ってみると、中ではお互いのケータイを向かい合わせていた。彼らはアドレスを交換しているようであった。明もその輪の中に入ろうかと思ったが、彼らとメールのやりとりをするほど話題はないだろう、と後ろの方で傍観していた。良樹が明を促したが、そのように答えて断った。
明の心に突き刺さる光景が目に入った。明のクラスには明がもっと仲良くなれたら良い、と思っている多田隼斗という人がいた。いつものグループでの先生や生徒を揶揄する隼斗の話は明には新鮮で、とても面白く感じていた。そんな隼斗が皆のケータイに自分のそれを向き合わせていた。明は失敗した、と思ったがアドレスを交換したところでどうなるかと思った。隼斗は元音楽部で大の運動嫌い、明とは正反対の人物だった。話題を共有できるとすればやはり学校のことしかないだろう。それなら学校で話せば良いではないか、何もメールで話す必要はない。
しかし明の心は揺れた。ああ、あの空のように自分の心は晴れないものか。窓の外には何もない青空が広がっていた。明は突如として惨憺たる嵐の中に放り出された。「知っていても意味がない」と考えると少しの間嵐から解放されることに気づいた。明は強引に納得した。
その日の明はそれ以降口数が激減していたらしい。隼斗の声が聞こえる度に嵐の中に遭難した。良樹の「どうしたの?」という問いに「ちょっとね」と答えるのがやっとだった。明は嵐に訪れに怯えていた。
家に帰り、ケータイのアドレス帳を開いた。隼斗の名前がないことを明は何度も確認した。結果はやはり同じだった。明は考えた。今、隼斗のアドレスを知っても話題もないのに急にメールをしたら不自然ではないか。次の機会まで待とう。嵐はようやく去った。
次の日、いつものように昼休みには会話を楽しんだ。もう隼斗の声を聞いても普通でいられた。そして明は隼斗に積極的になった。よく考えれば、家族のことや趣味のことなどほとんどは隼斗について知らなかった。そして明は二人で話しているうちにチャンスが来るのではないか、と思った。二人は大きな輪の話題とははずれがちになった。そんなことが二、三日続くと、やはり明と隼斗の間には話題がないことに気づいた。三日目には二人はもう、元の大きな輪に入った。
その日の夜である。いつものようにベッドに入る直前に明はケータイを開いた。すると一通のメールが届いていた。明は一瞬のうちに、全身がカァっと熱くなるのを感じた。
「多田隼斗です 登録お願いします」
明は4一人の顔が浮かんだ。やっぱり、すごいなぁ、と思うと同時にこれまでになく感謝した。気がつくとメールを打つ手が震えていた。明の目は涙でいっぱいになった。
「ヨロシク」
たったこれだけを打つのにいつもの何倍もの時間を要した。おそらく今後、隼斗とはメールらしいメールをすることはないだろう。しかし明は自分のケータイに「多田隼斗」の名前があることに満足した。そして明はこういうのも友情なのだと感じた。隼斗やサッカー部員の名前と共に「佐々木良樹」の名前があることに安心した。
明は体の火照りを冷ますため、窓を開けた。冬の夜の風が明を取り巻いた。けれど、明はちっとも寒くなかった。ふと空を見上げると、雲ひとつない夜空を月が優しい光を放ちながら満喫していた。
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