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日が昇り終えると空がみるみる青色に変わっていった。
「今日はいい天気になりそう」
うーん、と青く澄んだ空に向かって両手を伸ばす。
それから大きく深呼吸。
心地よい風が私を包み込んだ。
すーっと空気を吸い込むと体中が新鮮な空気で満たされていくのがわかる。そよそよと吹く風に木の葉が揺れてこすれる音に、鳥たちの歌声が聞こえてくる。まだ誰も起きてこないような朝の早い時間。ここは空気の澄んだ静かな高原……だったらいいのだけれど。
私は現在、第3護衛騎士団詰所の中庭にて、大量の洗濯物を干している。
なが~い物干し竿にずらりと並んでいるのは団員たちの白いシャツ。汚れは全てきれいに落としたのでシミひとつない真っ白さ。
やっと30枚ぐらい干し終わったけれど、カゴにはまだ同じような白いシャツがたくさん残っている。他にもバスタオルや靴下、男物のパンツなどなど……。
私の朝は、大量の洗濯から始まる。
「やっぱり青空を見ると元気になるなー」
最近はずっと雨の日が続いていた。外に洗濯物を干すことができなくて、室内で干していたのだけれど生乾きでなんだかスッキリしなかった。
こんなときのために『大型の洗濯乾燥機を買ってください!』と団長にいつもお願いしているのだけれど、そのたびに『いらん』の一言で片づけられてしまう。それでもしつこく洗濯乾燥機の必要性を訴え過ぎてしまったせいか、この前はとうとう団長の逆鱗に触れてしまったようで、『しつこい』と頭をごつかれた。団長は私のようなか弱い女の子にも容赦はしない。
それなのにモテるなんておかしい!絶対おかしい!
と、私は常日頃から思っている。
団長の顔はまぁかっこいいと思う。はっきりと年齢を教えてもらったことはないけれど、たぶん30代だとは思う。体もがっしりとしているし、身長も高い。私も初めてみたときは男らしくてかっこいい、と少しだけときめいたのを覚えている。まぁそれはすぐに崩れ去ったけれど…。
騎士としての実力ももちろん団長を任されているくらいだからすごい人なんだろうと思う。ただのお手伝いの私には騎士世界のことはよくわからないけれど。
騎士という職業はどうやら街の女性たちからはかなり人気らしい。そういえばスクールに通っていたときも同級生の女子が騎士と付き合いたいと目の中にハートを浮かべて話していたような気がする。
騎士の中でもやっぱり団長人気はずば抜けていて、街の女性たちから「団長様」なんてもてはやされているのを私はたびたび目にしている。女なんて選り取り見取り!なはずの団長だけれど特定の女性はいないと思う。というか、団長が女性と会話をしているのを見たことがない気がする。あれだけモテるのに、結婚もまだだし…。
やはりその性格に問題があるのだろうと私は思う。
って、団長のことはどうでもいい。
今はこの大量の洗濯物に集中しないと!
今日は久しぶりの晴れ。気温も上がっていきそうだし洗濯物がよく乾く。
「よし、残りも早く干そう!」
私は白いシャツをハンガーにかけると少し背伸びをして物干し竿に吊るした。
―――アリスちゃん。
シャツをハンガーにかけて物干し竿につるす。
―――アリスちゃん。おはよう。
あれ、このシャツ小さな穴がある。縫えばまだ着られるかな。でもそこまでして着なくてもいいか。よし、捨てよう。
―――アリスちゃん。おはよう。
シャツをハンガーにかけて物干し竿につるす。また、シャツをハンガーにかけて物干し竿につるす。途中、少し腰が痛くなってきてトントンと叩いた。そしてまた、シャツをハンガーにかけて物干し竿につるす。また、
「アリスちゃーーーーん」
「うおわっ!」
突然、耳元で大きな声で名前を呼ばれた。振り向くとそこにはタモン君がいて。今日もまた寝癖がぴょこんとはねている。
「さっきから何度も呼んでいるのに気づかないんだもん」
「わわ、ごめんね」
つい洗濯物を干すことに夢中になってしまった。一つのことに集中すると他のことが見えなくなってしまうのは私の悪いクセだ―――と、前に団長に怒られたっけ。
「ごめんね、タモン君」
両手を顔の前に合わせて謝罪すると、タモン君は「仕方ないなぁ」と呆れながらも笑ってくれた。
「もしこれが団長だったらアリスちゃんまた説教されてるよ」
「あはは~、そうだね」
前にも一度、たしかあのときは中庭の草むしりに夢中になっていて、後ろから声をかけてきた団長にまったく気が付くことができなかった。何回か呼ばれてやっと気づいたのだけれど、時すでに遅し。
『お前の(ここ)についている(これ)はちゃんと使えてるのか』
って、団長に両耳をひっぱられた。
あれは、痛かった……。
そもそも団長がいけないのだ。団長が中庭の草むしりを午前中に全て終わらせろなんて無理難題をつきつけたから。
中庭がどれだけ広いと思っている!
詰所の中庭は団員たちが剣の稽古でも使用できるようにと広く作られているのに、そんな広範囲の草むしりを私一人だけで半日で終わるわけがないじゃないか。
それでも団長の命令は絶対なので、呼ばれても気が付かないくらい集中して必死になって草をむしっていたのに……。
―――そう説明したら、団長の怒りをさらにかってしまったようで。
『言い訳するな』
と、今度はほっぺたをつねられた。
あれも、痛かった……。
団長にくちごたえはいけない。
その場に座らされていつものように団長のぐちぐちとした説教の時間は続いた。けれど、あのときは幸いなことに遠征へ行く時間が近づいていたようで、団長を呼び来たタモン君によって助けられた。でも、団長の説教はたとえ短時間でも大ダメージをくらう……。
あのときの耳とほっぺたの痛みがふとよみがえり、思わず背筋がぞっとした。
「アリスちゃん。もしかして前のこと思い出してた?」
「え…。分かった?」
「うん。顔つきが変わったから」
分かりやすいよね~、とタモン君が笑いながら、カゴの中にある洗濯物へ手を伸ばした。
「手伝うよ。二人でやった方が早いでしょ」
「いや、悪いよ。これは私の仕事だし」
「いいの、いいの。洗濯に時間かけすぎて朝食の準備が遅れたらまた団長に叱られるよ」
そう言って、タモン君は素早い動きで洗濯物を干していく。いつも思うけど私よりテキパキとしていてスピードが早いんだよね。
「いつもごめんね。手伝ってもらって」
「ごめんね、って言われるよりも、ありがとう、って言われた方が嬉しいんだけどな」
タモン君は洗濯物を干す手をそのままに顔だけこちらを向けて笑った。
うう。なんて爽やかなんだ。
タモン君は私より一つ年下の18歳。去年、ここ第3騎護衛士団に入団した騎士見習いだ。細い茶色の髪の毛は光にあたるとキラキラと輝いている。肌も白いし、顔はまるで女の子みたいに可愛らしい。身長も私より少し高いくらいだから、たぶん団員たちの中では一番低いんじゃないかな。それでも剣の腕は一流みたいで、あの団長自らが稽古にあたるほどだ。
そんなタモン君は、非番の日にはこうしていつも洗濯物を干すのを手伝ってくれる。せっかくの休みなのだからゆっくり寝ていたいはずなのに。
でも、一人でやるよりもやっぱり二人でやった方が早く洗濯物を干し終えることができるからだいぶ助かる。
「ありがとう。タモン君」
「どういたしまして」
タモン君は私のオアシスだ。男ばかりのこのむさ苦しい詰所にて唯一キラキラと純粋に輝いている、私の癒しだ。
そんなことを考えていると、
「そういえば、最近の団長の様子おかしいと思わない?」
タモン君が思い出したように言った。
「団長が?」
私はシャツをパンパンと叩いて水気を取りそれをハンガーにかけた。タモン君も洗濯物を干す手を止めずに話を続ける。
「なんか最近、団長に剣の稽古をしてもらってもどこか上の空なんだよね。いつもの鋭さがないっていうか。それに、あっ、そうそう!この間、僕たちが稽古しているときアリスちゃんが飲み物を持ってきてくれたでしょ?」
「あー、うん。そうだね」
そのときのことを思い出す。
たしか一週間くらい前のことだ。その日は朝からぐんと気温が上がって、昼間には太陽がじりじりと照りつけてとても暑かった。炎天下の中で剣を振り回している団長とタモン君のことが心配になって、熱中症になったら大変だと砂糖水を持って行ったのだけれど……。
「それがどうかしたの?」
「あのときの団長、おかしくなかった?コップの水こぼしてたでしょ」
言われて思い出した。
そういえばそうだった。たしかあれは、コップを渡そうとした私の手とそれを受け取ろうとした団長の手が少し触れてしまって、団長がパッと手を離した拍子にコップが落下したのだが……。
「何をやっても完璧なあの団長がうっかり水をこぼすなんて初めてみたかも。アリスちゃん、おかしいと思わない?」
「そういえば、そうだね……」
私もあんな団長は初めて見たかもしれない。
と、同時に3か月くらい前の自分の失敗を思い出した。
私が団長の仕事部屋へ行き団長と副団長にコーヒーを出そうとしたときのことだ。おぼんの上で二つのマグカップが滑ってぶつかって団長のマグカップだけが床に落ちてしまった。マグカップはもちろん割れてしまったし、中に入っていたコーヒーも床に盛大にこぼれてしまった。
あのときも長々と団長の説教をうけた。
『お前はいつも注意力が足りない』と。
傍にいた副団長が、『まぁまぁその辺で、ね」と止めに入ってくれたのだけれど、あのときの団長の激怒ぶりはこわかった。思い出すだけで涙がでそうだ。思わずブルッと寒気がした。
「アリスちゃん、どうしたの?」
「あ、ごめんごめん。何でもない」
ハハハと笑ってごまかす。
あのときの団長はさんざん私のことを怒ったはずなのに、まさか私と同じようにコップを落として飲み物をこぼすなんてうっかりミスをするなんて。ここに来てもう4年が過ぎるけどそんな失敗をする団長を私は見たことがなかった。
「団長、疲れているのかな」
タモン君が呟く。
「休みの日も部屋にこもって本部へ提出する書類の整理をしているみたいだし、僕の稽古もつけてくれるし。あの人、いったいいつ休んでいるんだろう」
「でも、テオさんやエルオさんとよく飲みに行っているからそれでリフレッシュできているんじゃないかな」
「お酒か~。団長、ああ見えてお酒に弱いからいつもベロベロになって戻ってくるよね」
「そうそう!この間もすごく酔っぱらって帰って来てそのまま部屋で寝ちゃったみたいでね、朝食の時間にも起きてこなかったんだよ。だから私が起こしに行ったらね、団長が突然…………は!」
そこまで話して私は口を閉じた。
「突然、どうしたの?」
途中で話を止めて黙り込んだ私を不審に思ったのか、タモン君が見る。
「え……ううん、何でもない、気にしないで」
アハハと笑ってみせて私はごまかした。
この話はこれで終了。あぶないあぶない。うっかり話してしまいそうになった。いくら気の知れた仲であるタモン君といえども「あのこと」を話してはいけない。
団長は酔っていてきっと覚えていないだろうから、あれは私の中だけでとどめておかないと……ね。