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そのあとはなんだかずっとふわふわしていた。
朝食の後片付けをしているときも洗っていたお皿を何枚も割ってしまった。部屋の掃除をしているときもうっかりバケツの水をこぼして絨毯を濡らしてしまった。
団長にバレたらまた怒られるに違いない。
団長の顔を思い浮かべるだけで、心臓がどきどきとうるさくなる。
すれ違う団員たちからの視線をたびたび感じた。あのとき食堂にいた全員が団長と私のアレを見てしまっている。気まずい…。
「アリスちゃんと団長ってそういう関係なの?」
これから街の見まわりに行くというタモン君と廊下でばったり会ってそう聞かれた。ので、私は首を横に大きく振って否定した。
「違う違う違う違う!ぜんぜん違う!」
振り過ぎて首がもげるかと思った。そんな私を見てタモン君は笑う。
「アリスちゃん必死になり過ぎ」
「だって、信じてよ!私と団長はそういう関係じゃないから」
「じゃあなんで団長はアリスちゃんにキスしたの?」
「キ…キ…」
キス。
と、改めて言われて顔から火が出るほど恥ずかしかった。
言葉にして言わないでほしい。
「あれはその……挨拶…かな?」
なんでだろう?
なんで団長はあんなことしたんだろう。
答えられないでいると、ふとタモン君が自分の顔を私に近づけてきた。
「キスが挨拶なら、僕もしていい?」
そう言われて、思わず後ろに飛び退いた。そしてとっさに自分の口を手で覆う。
「からかわないでよタモン君」
「ははは、冗談だよ」
笑いながらタモン君は私に近づけていた顔をそっと離して元の距離に戻した。
「じゃ、僕は見まわりに行ってくるよ」
「はい。気を付けて」
背を向けて歩いていくタモン君の背中を見つめるていると、
「よっ、アリス!」
後ろから肩をおもいきり叩かれた。振り向くとエルオさんがいた。その顔は気持ちが悪いほどニヤニヤとしていた。
「聞いたぞ。みんなの前で団長とキスしたんだってな」
そういえばエルオさんはあの場にいなかった。きっと私と団長のアレは今頃、団員たちの間で噂になって広まっているのだろう。
「いくらなんでも大胆すぎるだろ。やるなら二人きりのときにしないとな」
そう言って、エルオさんは豪快に笑いながら私の背中をバシバシと叩いた。私はエルオさんに言ってやった。
「二人きりのときでもあんなことしません」
「なんで?付き合ってるんだろ?」
「違います!」
「じゃあ何でキスしたんだよ」
「あれは団長が勝手にしただけです」
顔をプイとそむけて私はため息をついた。
****
それからもどこを歩いても何をしていても団員たちからの視線が気になった。聞きたいけれど聞けない。そんなオーラがひしひしと伝わってきて、詰所内にとても居づらい。
私は中庭へ出ることにした。今日は誰も剣の稽古をしていないから、お昼の時間までここで草むしりをしようと思ったのだ。
ジリジリと照り付ける太陽。つばの大きな帽子を被って日焼け対策はばっちりだ。
しばらく一人でもくもくと草を抜いていたのだが、
「アリスちゃん、発見!」
テオさんに見つかってしまった。
「テオさん、仕事はいいんですか?」
「うん。今日は午後から本部へ行けばいいから午前は休み」
「…テオさんだましたんですね」
「何のこと?」
「団長、今日は非番じゃないですか」
「ごめんね。忘れてた」
絶対にわざとだ。テオさんみたいなしっかり者が団長のスケジュールを忘れるはずがない。私にウソをついてわざと団長を起こしに行かせたんだ。
「あのとき団長、アリスちゃんが告白されているところずっと見てたんだよ」
テオさんも草むしりを手伝ってくれている。
「アリスちゃんが団長を起こしに行って戻ってきたのに、団長がなかなか来ないから今度は俺が呼びにいったんだ」
「だったら最初からテオさんが団長を呼びに行けばよかったじゃないですか」
ブチブチと草を抜きながら私は言う。
「でも、団長はアリスちゃんに起こしてもらいたいのかなぁと思って」
「からかわないでください」
アハハ、とテオさんは笑う。
「団長と一緒に食堂へ戻ればアリスちゃんを囲んだグループが見えてさ。部屋には入らないでその前で隠れて少し様子を見てたんだ。会話は聞こえなかったけど、まぁ雰囲気から察するに告白でもされているのかなぁと思ったよ」
「すごいですね、その勘」
「大人だからね」
テオさんは草を抜く手を止めて、あぐらをかいて座りなおした。
「で、彼への返事はどうするの?」
「断りますよ。好きでもないし」
ブチブチブチブチと私はものすごい勢いで草を抜き続ける。隣には抜かれた草がこんもりと重なっていた。
「そっちの返事は断るとして、もう一つの返事は?」
「もう一つ?」
草を抜くのをやめて、私はテオさんを振り返った。
「もう一つの返事って何ですか?」
「あー、やっぱり気付かなかった?」
「なんのことですか?」
「団長に告白されたでしょ」
「…………は?」
いつ?
テオさんは何を言い出すんだろう。
炎天下の下で頭がおかしくなってしまったのだろうか。
「ディックは不器用なやつだからね。ハッキリ言わないけど、あれはあいつなりの告白だったと思うよ」
「な…何を言っているんですか、テオさん」
戸惑う私にテオさんは小さく笑う。
「アリスちゃんもなかなかの鈍感だね」
そう言って、テオさんは私に向かい合うようにして座りなおした。
「ディックが二回も君にキスをした理由、考えてごらんよ」
両手をそっと頬にあてると、ほんのりと熱く感じた。そんな私を見てテオさんは優しく微笑む。そして私の頭にポンと手を置いた。
「返事、用意しておくんだよ」
どうしよう。
頭の中がパンクしそうだ。
心臓がドキドキとうるさい。
団長が私を?
ふと、視線を上にあげる。
そこには団長の仕事部屋があって。
開け放たれた窓からカーテンがひらひらと揺れている様子が見えた。
非番の団長は今日は仕事はせずに一日部屋で寝ているそうだ。
またソファで眠っているのかな。
お昼には起きてきてくれるかな。
起きてこなかったら私が起こしに行くのかな。
またキスされたらどうしよう…。
でも、それを嫌じゃないと思う自分もいて。
恋なんてしたことがなかった。
これが恋の始まり――なのだろうか。
おしまいです。
最後までお読みいただきありがとうございました!