眠りに落ちて……
ちょっと閑話をはさみます。
ロックがダンジョンへと戻っていってからおよそ一時間ほど経過した頃、探索本部にてフラン達が今後の調査の進め方を検討していた。ダンジョンマスターとの邂逅という、予定にはない出来事によって、大幅に探索行程の変更を余儀なくされてしまったからだ。
だが、その表情にはさほど焦りは見えなかった。戻ってきたロックから聞いた話ではダンジョンマスターとの戦いはなんとか避けられたという。であれば、特に刺激しないように引き揚げることも視野に入れるようにとの伝言も頼んだ。メンバーはフランが考えうる限り最強だ。適切な判断をしてくれるのは間違いないと確信していた。
「あの……メルディアの方々にどうしても会いたいという者が現れたのですが……」
「え? 私達に?」
困惑の表情を露わにしながら天幕に入ってきた、リスタ男爵家から派遣されてきた兵士が伝える。メルディアに誰かが訪ねてくることは日常茶飯事なのだが、今は新しいダンジョンの調査探索中だ。それにギルドの主要メンバーが総出でここに来ているということは一部の親しい者にしか伝えていない。ということは、ここに来たのは関係者ということだろうか?
「どうしましょうか?」
「わかった、俺が行こう」
「頼むわ、デリック」
デリックが脇に立てかけてあった剣を掴み、天幕を出て行く。もし関係者だった場合、誰かに脅されてここまで来たという可能性もある。となればその場で狼藉者を取り押さえるだけの実力を持つ者が対応するのは当然であり、今この場においてはデリックが最も適任だった。
「……タニアじゃないか、どうしたんだ、こんなところまで来て」
見慣れた看板娘の姿を見たデリックは緊張の糸を解きかけたが、タニアの表情が普段のそれとは全く異なっていることを視認する。まるで昔に戻ったかのような表情に、起こっている事態がかなり深刻なものであると判断したデリックは剣柄にそっと手を添えながらタニアの話を待つ。
「デリック副団長、奴が……奴が現れました!」
「少し落ち着け。それからもうその肩書きで呼ぶなと言っただろう。今の俺はメルディアの経理担当だ。お前も今は宿の看板娘だろう?」
「そんなこと言っている場合じゃありません! 奴が……ランス=バロールが……現れました。それも……四名の少年少女と共に……」
「なんだと! 奴は死ぬまで監視下に置かれているはずじゃなかったのか?」
「それが……恩赦を与えてもらったと……」
「馬鹿な! それでは何のために殿下が放逐されたというのだ! あんな奴を二度と自由にさせないために、あんな惨劇を二度と繰り返さないためだろう!」
デリックの剣柄を握る手に力が入る。あまりにも強く握られたため、剣柄に一筋の赤い線が走る。どうやら手のひらから出血したようだが、彼はそんなことも気付かないほどに怒っていた。
「と、とにかく殿下に報告を!」
「……ああ、わかった。こっちだ、ついてこい」
デリックはタニアを伴って駆け出す。いつも冷静な彼らしくない行動だが、それほどまでに【ランス=バロール】という名前は彼に、いや、彼等に深く関わっている。それも最悪といっていい形で。そして今この場所には、もう一人深く関わっている人物がいる。今は一刻も早くその人物に報告しなければならない。その思いがデリックを急がせた。
一番大きな天幕の入り口を勢いよく開けて中に入ると、デリックは目的の人物の前に跪く。その人物は一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、すぐに普段の表情へと戻った。
「どうしたの、デリック? いきなりそんなことされても笑いはとれないわよ?」
「今はそれどころじゃ……」
「もしかして……疲れてるんじゃないの? フラン、悪いけどちょっとだけ誰も入れないようにしてほしいんだけど」
「……わかったわ、リル」
状況を理解したフランが天幕を出て行く。これからここで話される内容を誰にも聞かれないようにするためだ。フランが天幕の入り口に立つのを確認すると、デリックが跪いたままで話を続ける。
「タニア……いえ、アリタニアから報告がありました。……【ランス=バロール】が店に現れたそうです。しかも四名の少年少女を連れていたそうです」
「……あの男はもう出てこられないはずでしょ?」
「それが……恩赦をもらったとのことで……」
「恩赦……どうせお父様がまた良からぬ妄想に走ったのか、あの馬鹿妹が暴走しはじめたんでしょう。……それで、何か被害は?」
「はい、特にこれといったものはありませんが、少年達はかなり感情が不安定でした」
「あの方々はかつての惨劇をもうお忘れなのでしょうか? 殿下が王族の権利を剥奪されることで何とかその命をつないでいたというのに……これではあなたのなさったことは全くの無駄です、リルファニア王女殿下」
デリックがそう呼ぶと、リルは表情を曇らせる。その表情はかなり複雑なものになっていた。
「もうその名前は捨てたの、今の私はメルディアの受付の【リル=カルヒネン】よ。ランスの狙いはたぶん……」
どさり……
天幕の外で人が倒れるような音がした。その音のした場所にいたのはフランのはず、それを思い出したデリックは即座に剣を抜くとリルを庇うように立つ。タニアも懐から短剣を抜いて構える。
「ちっ」
デリックは思わず、いつもの彼にはそぐわない舌打ちをした。改めて周囲の気配を探ると、何事もなかったかのように静かだ。いや、静かすぎる。少なくとも人間一人が倒れたというのに、ここまで静かだろうか。もし表の音がフランのものだとすれば、誰かが騒ぎ出してもおかしくない。フランはこの場において陣頭指揮を執る立場だ。そんな人間が倒れて騒ぎにならないはずがない。
やがて、静かに天幕の入り口が開かれる。ゆっくりと入ってきたその男の顔を見て、リルは露骨に顔を顰めた。まるで汚物でも見るかのような目だ。
「お久しぶりですね、リルファニア王女。だいぶ庶民的になられたようですが」
「……おかげさまで、誰かさんのおかげで国を追い出されたからね」
にやにやと不快感を与える笑みを崩さないまま、ランスはリルを軽くからかう。だが、リルはその言葉に感情的になることもなく、視線を切らさずに返す。デリックとタニアは構えたまま動くことが出来なかった。何故なら、ランスの腕には意識を失っているフランが抱えられていた。
「フランを返せ!」
「おや、デリックさんじゃないですか。いずれは騎士団長とまで言われていたお方がこんなところで燻っているなんて」
「ふん、あんな腐った連中に仕えるつもりはない。尤も、腐らせたのは貴様だろう?」
「私は彼等のために協力しただけですよ。ああ、この娘にどうこうするつもりはありません。本当なら全員始末したいところですが、あなたがたに手を出すとあの爺さんが激怒しそうですから。いくら勇者を四人手に入れたといってもまだ子供ですから、大事に使わないとね」
「……またアレをやったっていうの?」
「ええ、ですがちょっと代償が少なかったので四人だけですが」
「……そのためにどれだけの人間が犠牲に……」
「そんなのは知りません。召喚術を行ったのはミルファリア王女ですから」
リルの刺々しい視線を全く意に介さずに平然と言い放つランス。その様子をデリックとタニアが今にも飛び掛らんという姿勢で牽制する。
「……狙いは一体何なの?」
「決まっています、【招待状】ですよ。あれの価値を知らない鍵師に持たせておくには過分なものだと思いませんか?」
「……選ばれたのはロックよ、あなたじゃないわ」
「そんなもの、大迷宮に入ればどうとでもなりますよ。それに、手に入れる役目は彼等に任せていますから、私はのんびり待っていればいいだけですよ」
「そんなことさせると思ってるの?」
デリックとタニアが静かに距離を詰める。だが、ランスは一向に慌てる素振りを見せない。それどころか、不敵な笑みを浮かべる。
「まさか私が何の策も持たずにここに来るとでも思ってるんですか? ここにいるのは私だけじゃないんですよ?」
「それはどういう……ま、まさか?」
「ええ、そのまさかですよ。ここでの一連の騒動は全て【彼等】が起こしたということになりますから」
「……ど、どこまでも……命を……軽く……」
「当然でしょう? 私以外の人間の命など、何の価値があると?」
リルたちを襲う急激な睡魔。一見平然としているように見えたリルでさえ、内心はかなり動揺していた。そんな状態で、強力な【眠り】の魔法に耐えることなど出来るはずもなかった。
「殺されないだけ感謝してほしいものですね。今のあなたたちの後ろ盾はかなりのものですから、それに免じてこのくらいで許してあげますよ」
ランスの言葉を薄れゆく意識の片隅でおぼろげに聞きながら、リルたちは眠りについていった。
「ランスさん、こんなものでいいの?」
「ええ、十分すぎる結果です」
天幕から出たランスを迎えたのは青木だ。煌びやかな装飾をつけた黒のローブを纏い、先端にリンゴくらいの大きさの水晶をつけた杖を持っていた。
「協力者の二人もついでに眠らせちゃったけど、いいよね。それとも全員ここで始末する?」
「ちょっと! 青木さん!」
「白井先輩はうるさいなぁ。冗談でしょ」
「一応この者たちはそれなりの後ろ盾を持っています。下手に殺すと却ってこちらが追い詰められかねません。このまま寝かせておくのが無難です」
「えー、つまんない」
ランスの言葉にあからさまな不満を表す青木。赤沢と緑川も似たようなものだった。ただ、白井だけはどことなく安堵したような顔をしていた。
「さて、マーカーもうまく仕込めたようですし、【転移】でさっさと片付けてきてください」
「ダンジョンコアはどうするんだ?」
「そうですね、もし手に入れられるようならそれもお願いします」
「わかった、香苗、【転移】を頼む。またボス戦が楽しめそうだからな」
「違うでしょ、一番の目的は」
「【招待状】さえあれば、あとは自由でよくね?」
「…………」
「いいからいくわよ!【転移】!」
青木の詠唱とともに消える四人の姿を確認すると、ランスはロックの四駆の傍に座り込む。興味深そうに眺めていたが、あるものの姿を確認すると忌々しげに睨み付けてその場を後にした。
「あのくそ爺に鬱陶しいエルフか。ご丁寧に【護り】を施しているとは……」
運がよければ手に入れようとでも思っていたのか、四駆に施されているものに気付いたランスは仕方なくダンジョンの入り口で横たわって眠りこけている兵士の上に座ると退屈そうにあくびをした。
四駆には魔道技術に長けた者しか見えないレベルで高度な護りの魔法が施されていた。恐らくはディノかミューリィがこっそりかけたものだろうが、それが今ここで役に立ったようだ。
「あの四人じゃ、どうやってもあの面子には勝てないだろう。ま、鍵師を始末してくるくらいはしてくれると助かるんだがな。誰か一人でも【招待状】を持ち帰ってくればよしとするか」
ランスはそう呟くと、眠る兵士に腰掛けたまま居眠りを始めてしまった。そしてダンジョン前には誰一人として起きている者はいなくなってしまった。
書籍化作業は順調に進んでいるはず……
カバーイラストも公開されましたし……
読んでいただいてありがとうございます。