フォレストキャッスル ?階 その2
『ふふん、まさかもうお手上げなの?』
「そんなわけないだろう! これは鍵開け以前の問題だ。そのあたりを理解してるんだろうな?」
『……その言葉、本気で言ってるの?』
途端に周囲の温度が数度下がったような気がした。少女を見ると、口元は大きく笑みを浮かべているが、目元は一切笑っていない。流石はダンジョンマスターということか。だが、こっちも鍵屋としての矜持がある。こんなものを見せられて、開けられない方が悪いなんてふざけ過ぎにも程があるだろう。
「本気も本気だ。こんな馬鹿げたものにこれ以上付き合うつもりはない。さっさと帰らせてくれ」
『どこまで私を愚弄するの?』
「愚弄? それはこっちの台詞だ。こんな手抜き管理しやがって、これじゃ鍵開け失敗して死んだ連中が浮かばれないだろう。というか無駄死にだ。どう責任とってくれるんだ?」
ダンジョンっていうのは、ほんの僅かでも踏破できる可能性があるから挑むって以前ディノに聞いたことがある。だが、これは百パーセント無理だ。正式な鍵でも開かないなんてどんな酷いことしてるかを理解していない。絶対攻略不可能なゲームみたいなものだ。そんなのただのクソゲーだろう? それに巻き込まれて命を落とした連中が哀れすぎる。
『ならば諦めて早々に逃げればいいじゃない!』
「逃がしてくれるのならな。だが今の状況を見ても、逃がすつもりはないんだろう?」
この部屋にはあのメイドの転移魔法で飛ばされてきた。となれば、ここから出る方法がすぐに見つかるかどうかもわからない。色々と逃げ道を探しているうちに食人鬼と吸血メイドの餌食だ。
あまりの無理難題に、段々と腹がたってきた。
「つべこべ言わずにとっとと降りてこい! お前の持ってる合鍵を試してみろ! どっちが正しいかすぐに分かる!」
『ええ、望むところよ!』
気がつけば周囲では戦闘が中断されており、俺とダンジョンマスターとのやりとりを呆気に取られたような様子で見ている。
それもそうだろう、いきなり俺が怒鳴り出して、それにダンジョンマスターが応戦するなんて、俺の戦闘力の低さから見てもありえない。
だが、それ以上にこのダンジョンマスターの行動はもっとありえない。どれだけ【鍵】というものを軽視しているのかが十分理解できてしまった。それだけは絶対に許せない。少なくとも【鍵開け】させることが前提となっているのなら、それを考慮してくれてもいいはずだ。なのにそれが全く考えられてない。
「ロック……大丈夫なの? そんなに大口叩いて……」
「心配するな、あの錠は絶対に開かない。合鍵があっても無理だ」
「ロックさんがそう言うのなら信じますけど……」
アイラもセラもどこか不安な表情だが、こういう状況も起こりうるということを知らなければ、不安になるのも当然だ。だが俺はこれまでに何度もこういう状況に遭遇したことがある。当然ながら、鍵屋としての対処法もいくつか持っている。
だが、それをここで使うつもりはない。何故ならこれは俺達開ける側の人間が責任を持つことじゃない。この錠を管理している者が責任を負うべきだからだ。
『ふふふ、そこまで私に大口を叩いた報いは受けてもらうわよ』
「いいからさっさと開けろ」
少女は優雅な足どりでその身をバルコニーから投げ出す。まるで薄い絹布がそよ風に舞うかのように、ドレスの裾を小さく波打たせながら、俺達の前へと舞い降りた。紅く光る瞳には、俺の言葉に対する絶対の自信が窺える。
ふふん、と小さく鼻で笑うと、少女は胸元から一本の鍵を取り出す。如何にもなウォード錠向けの鍵だ。……なるほど、ここから見てもその違いはわからないが、すぐに真実は明らかになるだろう。
『さて、貴方達にはどういう最期を……』
【かつん……】
少女の言葉が最後まで続くことはなかった。言葉の途中で小さく聞こえた金属音。やや鈍く、それでいて籠った音は、鍵屋にとっては明らかなトラブル発生の音だ。しかしこいつがそれに気付くかどうかは怪しいが。
『あれ? あれ? どうして入らないの?』
【かつっ、かつっ、かつっ】
鍵を何度も差し込むが、その度に小さな金属音が聞こえる。それは全く変わることなく、同じ音を出し続けている。
『う、うう……どうして……どうして鍵が入らないのよ……』
俺からは後ろ姿しか見えないが、そのうなじと耳の裏側は真っ赤に染まっている。あれほど大口叩いた挙句に鍵が開かないという事実による猛烈な羞恥が彼女を襲っているに違いない。
『どうしてよぅ……なんで開かないのよぅ……』
次第に少女の声が小さくかすれ始める。そしてほんの僅かではあるが、声が震えている。やばい、少々追い詰めすぎたか?
仕方ない、ここでこれ以上追い詰めてもどうしようもないし、俺としても女の子を虐めて喜ぶような趣味嗜好は持ち合わせていない。
『貴方……一体お嬢様に何をしたんですか?』
「……別に何もしていない。元々あの扉の錠は誰も開けられなかったというだけだ」
いつのまにか俺のすぐ横に来ていたメイドが、全く抑揚を感じさせない、機械のような声で問いかける。一瞬たじろいでしまったが、今回のことは俺には何の落ち度もない。だからここは対等な立場でいくべきだ。
『何もしていないのに、どうして開かないんですか』
「そんなの決まってるだろう? あの鍵穴は既に詰まってる。当然ながら鍵が入らないんだから、どうやって開ける?」
『それは……何か道具を使えば開けられるのでは……』
「そんなの出来る訳ないだろう? 錠ってのは鍵穴に何も入っていない状態だから、道具で開けられるんだ。中に詰まったものを取りださなきゃ一切手出しできない」
道具を使って開けるためには、道具が鍵穴の内部である程度自由に動かせることが前提になる。道具が動くスペースが無ければ、何もすることができない。
「ねぇ、これってどういうこと?」
「鍵穴が詰まってるって……泥でも入ったんでしょうか?」
アイラとセラが不思議そうに聞いてくる。これがどういうものなのか、これから先に必ずこういう状況に出会うはずだから、今ここで教えておこう。
「これはな、【鍵折れ】っていう現象だ。意外と多いトラブルだから覚えておけよ?」
鍵というものは、きちんと形状が計算されたものであればかなり頑丈だ。特にメーカー純正品はそう簡単に破損しない。
だが、使い方が乱雑であったり、粗雑なコピーを掴まされたりすると、破損することがある。そしてよく見られるのがこの【鍵折れ】だ。
金属疲労で自然と折れることもあるが、それはかなりレアなケースだ。俺がこれまでの経験から感じたのは、複製技術の未熟な職人の作ったコピーキーに多く見られるということだ。
「ちょっとその鍵を貸してみろ?」
『う、うん……』
少女から鍵を借り受けてじっくりと観察してみる。なるほど、これじゃ折れても仕方ないな。
「差し金を当てるから、よく見てみろ。この鍵が歪んでいるのが判るだろ」
「本当だ」
「若干ですが、バランスが取れていません」
その鍵は明らかに真っ直ぐじゃなかった。鍵の中ほどで微妙に曲がっていた。差し金と比べてみるとその歪みがはっきりとわかる。
「こういう歪みが力の掛かり方を狂わせる。特にこの鍵は中心がぶれてる。特にこの【ウォードタイプ】の錠は鍵の先端への負荷がかなりかかる。何度も間違った力の掛けられ方をされているうちに、金属疲労で折れたんだろう」
とは言っても、日本で売ってるような精緻なバランスをこの世界に求めるのは酷だろう。メーカーメイドのマシンカットに対して、こちらでは全て手作りだ。むしろ、そんな技術で錠前を作りあげる技術を称賛すべきだろう。
『それはいいんですが、この状況をどうにか出来るんですか?』
「まぁな、そういうトラブルの対処を仕事にしてるからな」
『ではこの現象が起こった理由も解りますか?』
「ああ、メンテナンス不足と合鍵の作りが甘かったせいだ。不可抗力といえば不可抗力だが、放っておいたのも悪い。長い間使っていない錠というのは内部が固まってたりしてまともに動いてくれるほうが少ない。定期的にメンテナンスしておけばこうはならなかったはずだ」
特にこんな埃っぽいところではな、と付け加えておく。錠前には湿気はもちろんだが、乾燥による埃も大敵だ。
『では、改めてお願いします。このままではお嬢様の管理能力が問われてしまいますので、この扉を開けてください』
「それはいいが、まさか戦ってる中やらせるつもりか?」
『いえ、まさかそんなことはしません。……あなた達、下がりなさい』
メイドの一声に、一斉に壁際まで下がると一列に並ぶ。それどころか、テーブルや椅子の準備を始めたり、お茶の用意をする者までいる。
『これでいかがですか? これで心おきなく作業できますよ』
「……仕方ない、これを請ければ問題ないんだろ?」
まさかこんな場所で鍵折れの仕事をするとは思わなかった。だが、請けたからにはきっちりと終わらせるのが俺のやり方だ。
「まずは錠の状態からだが……先端部分がウォードを【噛んで】やがる。かなり力を入れないと外れそうもない」
「でも、どうやって?」
「この鍵は引っ掛かる部分が無いですよ?」
二人もこの鍵の特徴を見て判断したんだろう。ウォードタイプの鍵は軸の先端にブレードの付いたタイプだ。しかも、今回は軸の丸棒の部分で綺麗に折れていた。
道具を使って引っ掛けようにも、滑ってしまって力が入らないというのは容易に想像できる。だが、こういう時の為に色々と準備しておくのが鍵屋というものだ。
「心配するな。途中で折れているなら【継ぎ足せば】いいんだ」
魔法の鞄の中から、道具入れを取り出す。ちなみにこの道具入れはイレギュラーな状況の仕事の時によく使う、いわゆる【隠し玉】だ。
小さな布袋を取り出すと、その中身を道具入れの蓋の部分に拡げる。中に入っているのは、様々なサイズの【六角レンチ】だ。
合鍵と一つ一つ見比べながら、合鍵の軸よりも若干細めの六角レンチを探し出す。
「よし、これがかなり近いな」
選んだ一本は、L型に曲げられた六角レンチ。その先端を綺麗に布で磨いて汚れを取ると、さらに道具入れから小さなチューブ容器を取り出した。これはかなり強力なエポキシ系の接着剤で、金属どうしの接着にもかなりの強度を発揮する。
六角レンチの先端に小さく切った布を巻き付け、内部で折れた鍵の先端部分を丁寧に掃除する。
俺がやろうとしていること、それはこの六角レンチと内部に残った鍵をつなげて取りだすということだ。
六角の先端に団子をつくるように接着剤をつけると、周囲につけないようにそーっと差し込む。心も身体も冷静に、自分の身体が機械になったかのように、身体のブレを極力抑えて六角をさしこむ。
と、先端が何か固いものに触れた感触があった。そこで差し込むのを止めると、しばらくその状態で固着を待つ。そして待つこと数分……。
「よし、このくらいでいいだろう。……しっかりと接着できたな」
手を放すと、六角レンチはしっかりと接着できたようで、取れて落ちることはなかった。このまま鍵を回しても解錠出来るだろうが、万が一にも途中で外れるとまずい。なので保険として、潤滑スプレーにノズルを付けて差し込み、ウォード付近に噴射する。これでかなりスムーズに動くはずだ。
決して余計な方向に力を流さないように注意しながら、ゆっくりと六角レンチを回す。手元に伝わる感触から、ウォードの形と鍵の先端のブレードの形が合っていないのが理解できた。潤滑剤のおかげで何とか鍵は回るが、それでもガリガリと金属の摩擦する感触がじはっきりと伝わってくる。
と、急に手元に伝わる感触がなくなり、六角レンチが空回りした。接着部分が外れたのかとも思ったが、そうでもないようだ。ということは……
「よし、取れたぞ。……何だ、この鍵は。これじゃ折れて当然だろ? どういう状況で保管すればこうなるんだよ」
鍵穴から引き抜いた六角レンチの先には、折れたであろう鍵の先端部分がくっついていた。しかし、その鍵は無残にも完全に錆びており、恐らくは鍵としての機能はほとんど為していないようにも思えた。
「ここまで腐食させるなんて、ある意味すごいぞ。一体どうすればここまで錆びつくんだよ」
『原因は……この鍵だったんですね』
「ああ、しかも保管状態が悪くて錆びたところを、誰かが無理矢理回したから金属疲労が重なって折れたんだと思う。まったく、ダンジョンマスターなんだから、そのあたりの管理もきっちりやってくれないと探索してるこっちが困るっての」
でもまぁ、開けられて良かった。シリンダータイプの錠だったら、もう少し早く鍵が抜けたかもしれないが。
ちなみにダンジョンマスターの少女は俺の作業中ずっと泣きべそをかいていた。ここだけ見れば、俺はいたいけな少女を泣かした怪しい男だな。
何故ロックが怒ったのか、それは鍵折れを放置していたことと、そうなる前にメンテナンスしなかったことに対してです。
読んでいただいてありがとうございます。