フォレストキャッスル 3階その1
開いた扉を閉じないようにゴムのストッパーを床との間に挟んで固定する。
扉は石貼りだけあって、それなりの重さだ。
扉の内側は……ごく普通の木製みたいだが、感触が木製じゃない。石とも違うし金属でもない。流石ダンジョン、謎物質のようだ。
奥の通路は階段になっていた。壁面には今までとは違う感じの燭台があり、薄暗い空間を作り出している。
見た感じは普通の石貼りの壁だが、色の違う四角い模様が所々にある。どういうデザインかは理解不能だが、階段の両サイドにずっと続いてる。
「この先にモンスターの気配はないから進んでも大丈夫……」
数メートル先まで進んで気配を探っていたアイラが戻ってきた。火急な危険は無さそうだが、アイラの表情がどことなく暗い。
「どうした?何かあったのか?」
「うん……こんなに大きな通路があったのに、何で気付かなかったのかなって……。斥候なのに……」
「皆も気付かなかったんだから仕方ないだろう。俺だって自信持って言えなかったんだから。今は過ぎたことを悔やむより、これから先に引き摺らないようにすればいい」
「うん!頑張るよ!」
今は探索の真っ最中だ、過ぎたことを責めてる時間はない。むしろそれを引き摺ってもっと大きなミスをしてしまうことが怖い。
誰も危険な目に遭っていないのだから、広く見れば斥候としての最低限の仕事はしてるとも言える。何で気付かなかったのかは終わってからじっくりと検証すればいい。
「アイラもそう落ち込むでない。前衛チームは先に進むぞい」
「モンスターはしっかり排除しておくから、しっかりと探索頼むね」
ディノに続くように、ロニーが剣を担いで階段を昇っていく。階段の幅は大人が十分すれ違えるくらいある。アイラを先頭に横に拡がるような配置で昇っていった。
『マスター……嫌なにおいがします』
「……危険なのか?」
今まで大人しく周囲を眺めていた桜花が、俺の髪を軽く引っ張って話しかけてきた。
嫌な臭いという意味がよく解らないが、危険だというのなら前衛に伝えなきゃならない。
『危険じゃないです……臭いんです』
「……俺じゃないよな?」
以前のアレは俺にとってはかなりの衝撃だった。本気で香水をつけようかと思った程だ。だが、今回は俺じゃないらしい。
『マスターじゃないです。上のほうからします。でも、危険なにおいじゃないです。変なにおいです』
「危険じゃなくて変なにおい?おい、ミューリィ、何か判るか?」
「え?そうね……思いつくのはアンデッド系のモンスターかな?中には完全に腐ってるのもいるし」
「それに上のほうらしい」
『モンスターのにおいじゃないです』
「モンスターじゃないの?それはちょっと判らないわ。風精霊を飛ばすにも内部の構造が判らないから指示が出せないし」
「モンスターじゃないのなら大丈夫だろ。罠だとしてもにおいを出す罠なんて意味ないと思うし」
「そうね、罠なんて見つからないようにするのが普通だし、においを出すなんて意味わからない」
「案外、誰かが棄てたものが腐ってるのかもしれないぞ」
そもそもダンジョンの中って腐るのか?
よくゲームとかで、宝箱の中にポーションとか薬草とかがあって、それを平気で使ってるが、もし腐っていたらどうするんだろう?
そもそも宝箱に入ってる薬草を食べろと言われても、俺は躊躇うと思う。拾い食いと大して変わらないような気がしてならない。せめて消費期限を書いておいてほしい。
ぐずる桜花の口に飴玉を放り込んでやると、ようやく大人しくなった。だがボリボリと噛み砕いてしまうのは勘弁してほしい。虫歯になっても知らんぞ、モンスターが虫歯になるかはわからんが。
階段は直線状に続いている。おそらく二階はあの大広間しかないはずだから、そのまま三階に向かうんだろう。
「この先に通路があるよ、左右に分かれてる」
先行するアイラの声がかろうじてここまで届く。周囲がやけに静かなのがちょっと気になる。
『前衛より中衛、後衛へ、通路が左右に分かれてます。ここで一時合流しましょう』
ルークの声がトランシーバーから聞こえる。そのまま進むと、真っ赤な絨毯が敷かれた通路に出た。相変わらず壁の模様が続いているが、本当に何なんだろうか。
通路の壁は白く塗られている。白漆喰のような質感で、装飾も華美すぎていない。そのせいか、四角い模様が目立っている。
このフロアの第一印象は、高級なホテルだった。絨毯は掃除が行き届いているのか、ゴミの欠片もない。
だが、前衛チームは少々困った顔をしていた。
「音がしないから、気配が読めないよ」
アイラの呟きに皆が同意する。どうも絨毯のせいでモンスターの足音が聴こえにくいらしい。
確かにそうだと思うが、ここのマスターに限ってはそれは無いんじゃないかと思う。
絨毯の感触はふかふかでかなり上質なものだ。手入れにも相当手間がかかるのは間違いない。
そんなところで戦闘なんてさせるとは思えない。汚したから弁償しろなんて言われても困る。
通路は左右どちらにも長く伸びており、その両側にずらっと扉が並んでいる。本当にホテルみたいだ。
「部屋の中から気配がする」
「鍵は……かかっておるのう」
どうやら早速の出番らしい。アイラとディノのやり取りは右に進んですぐの所で聞こえた。ずいぶん近いな。
「鍵開けが必要じゃ、ロック、頼めるか?」
「おう、任せとけ……ってこれ、おかしくないか?」
中に何かの気配があるってアイラが言っていた。それは別にいいんだが、どうしても気になることがあった。
その扉についていたのは、一見すれば古い南京錠形式の錠前だ。だが、それ自体は問題じゃない。
南京錠というのは、その使用方法から、室内から開けることができない。
内部に気配があるのに、どうして外から鍵をかける必要がある?
そういう使い方をするのは、牢や檻くらいなものだ。絶対に外に出さないという意思がすけて見える。となると、この室内にはここの主が外に出したくない奴がいるということなんだろう。
「ディノ、ここは開けないほうがいいと思う。間違いなく罠だ」
「何故そう思う?」
「中に気配があるとしたら、どうして外から鍵をかける?中にいるヤツは当然閉じ込められる。これじゃ外に出ることすらできないぞ?」
「何か危険なものがいるということじゃな?」
どういう気配があるのかまでは分からないらしいが、間違いなく中に何かいるそうだ。
恐らく何らかのモンスターがいるんだろう。鍵開けして開いた瞬間に襲われて終わり……えげつないことを考えやがる。
「見る限り、このフロアのほとんどが外側から施錠してある。間違いなく意図的に何かを閉じ込めてるはず」
俺はその南京錠を手に取り、続けて説明する。
「こうやって外側に錠前をつけておけば、内部からは絶対に手が出せないと思う。ということは、必然的に【動き回られると困る】ような奴がいるということだ。今回は調査なんだし、あまり危ない橋を渡る必要もないと思うが……」
「となれば、このフロアは長居をせんほうがいいかもしれんのう」
『くさいです』
桜花がまた顔をしかめている。どうやらこの中にいるヤツがニオイの原因らしい。その様子を見たディノがおよその見当をつけた。
「中に閉じ込めるようなヤツで腐ってるかもしれんとなると、食人鬼か動く死体かもしれん。面倒な奴等じゃから、手を出さんほうが賢明じゃ」
話を聞くと、単体では脅威ではないらしいが、群れになるとやばいらしい。ただ、某映画のように次々と感染していくようなことはないそうだが、死体なので筋力に制限がかかっていないのでその力はかなりのものらしい。
「食人鬼や動く死体に殺されるとその死体がアンデッド化しやすいってのはあるがの。燃やしてしまえば楽なんじゃが、流石に室内では巻き添えを喰らうのがオチじゃ。いちいち単体で処理せねばならんところが面倒なんじゃ」
確か【フレンドリーファイア】って言うんだったか。そういう意味では雑魚同然でも数の暴力でこられると厳しい。今回はそこまで本腰入れる訳じゃないし、改めて対策を講じてから挑戦してもいいとの判断なんだろう。
結局、このフロア右方向の通路はハズレで、ほぼ全ての部屋は外側から施錠されていた。2か所ほど、南京錠のついていない扉もあったが、そこは単なる物置と化していたようで、掃除用具やらメイド服やらが置いてあった。
ミューリィがそのメイド服を確保したようだが、一体何に使うつもりなんだろう。
「ああもう!どうして鍵を開けないのよ!開けたら最後、食人鬼達が襲いかかる手筈だったのに!」
ドレスを着た少女は椅子に座ったまま、手足をバタバタさせて不満を露わにした。
「何を言ってるんですか?あれを罠だと看破する判断力を称えるべきだと思いますが?」
傍に立つメイドがゴミでも見るかのような目で少女を見やる。だが少女はそんなこともお構いなしに続ける。
「何でこいつはこんなに判るのよ!このままじゃゆっくりと創作活動もできやしない!」
手に持っていた油絵具を撒き散らしながら、まるで癇癪を起した子供のように騒ぎ立てる。
「はぁ……お嬢様が気付いていないならそれもいいんですが、【あの方】から任されたことくらいは遂行するべきではないんですか?」
「もちろん分かってるわよ!『招待状』を渡せばいいんでしょ?」
胸を張ってドヤ顔で言う少女。だが、メイドは全く表情を変えずに言う。
「いくら『招待状』を渡したところで、対象が死んでしまっては意味が無いとは考えないのですか?死んだ人間がどうやって『大迷宮』に挑むんですか?お嬢様の頭の中には脳ではなく小人でもいるんじゃないですか?それともその脳はスライムにでも食べられてしまいましたか?」
「え?いや?あの……それは……」
「まさか【創作活動】に没頭しすぎて忘れてたなんて馬鹿丸出しの言い訳はしませんよね?それを【あの方】に知られたらどれほどお怒りになられるか……どうやら私は早々に暇を頂いて実家に帰る必要があるようですね」
「待って!そんなことをされたら私は……」
「ならきちんとお仕事してください」
「……はい」
半ば涙ぐみながら返事をする少女。傍らに浮かんでいる、妖しげな光を放つ珠をその手に取ると、何やら呟く。
珠はその光を一瞬だけ強めると、再び元の状態へと戻った。
「とりあえず食人鬼は消しておいたけど、通常のモンスターは配置するからね。いくら【あの方】でも、そのくらい回避できないようなパーティを招待するつもりはないでしょ」
「はい、そのくらいなら大丈夫だと思います」
「じゃ、私はまた【創作】にかかるから、後のことは任せるわ」
「畏まりました」
深々と一礼するとその場から掻き消えるメイド。少女は油絵具を弄りながら、久々に入ってきたまともな探索者達に思いを馳せる。
実はこのダンジョンが発見されてからすぐの頃は、抜け駆けしてお宝を漁ろうとする連中が入り込むことはしばしばあった。そういった連中は奴隷のような者達を大量に連れて入り、罠を実際に作動させては身代わりにさせて攻略していたのだが、そいつらは全てダンジョンの糧となってもらった。
あまりにも醜悪なその攻略に、思わず筆が止まってしまったほどだった。
確かにダンジョンというものは、弱者が立ち入る場所ではない。だが、それは自己の能力を正確に測ることもできない未熟な者達にのみ当て嵌まることで、無理矢理連れてこられた者達に適応していい論理ではない。少なくとも、この少女が治めるこの城では、そのようなことは許すつもりはなかった。
身代わりとなって命を散らされた者は全て、彼女の眷属として新たな命を与えられ、この城の管理を任されている。彼らはもう人間ではない。故郷に帰ることも、肉親に会うことも出来ない。ここが彼らの終の住処なのだ。そうさせてしまった元凶を作った者はもちろんそのまま消えてもらったが。
それを考えれば、今回の探索者達は非常に好感が持てた。【あの方】の御眼鏡に適ったという探索者、確かに一連の動きは探索のお手本とも言うべきものだ。
「でも、私もこの城を任されている以上、もう手を抜くつもりはないわ。【あの方】へと続く『招待状』を本当に受け取る資質があるのかどうか、しっかりと見極めてあげる。最後の扉は今まで誰も通れなかった難所よ?どう攻略するのか楽しみだわ」
少女の顔に笑みが浮かぶ。自信に満ちたその笑みは確固たる実績に基づいてのものだろう。
即ち、ダンジョンマスターまで到達したものが誰一人としていないという事実に……
読んでいただいてありがとうございます。