まさかの効果です
前半と後半で視点が変わります。
ご注意ください。
(ミューリィ視点)
「何やってるのよ! 私は!」
私は『水弾』を放ちながら、自分の考えの無さに嫌気がさす。私はロックを絶対に守らなければならないのに、あんな小娘に任せてしまうなんて。
聞けば彼女は結界すら使えないらしい。結界すら使えない新人に任せること自体が大きな間違いだったんだ!
『アイラ! 行くぞ!』
ロックの声が聞こえる。あの新人が魔力切れで気絶した。ロックはそいつを助けるためにアイラと蜘蛛に立ち向かう。
何やってんの? そんなの放っとけばいいじゃない! 大事なのは自分でしょ? そいつが喰われてる間に鍵開けに専念できる! ダンジョンに潜る以上、そのくらいの覚悟は出来てるはず!
彼は異世界、私達の仲間だったゲン=ミナヅキのいた世界から連れてこられた鍵師で、ゲンの弟子。
ゲンが召されてから、メルディアは弱体化してしまったわ。その後、フリーの鍵師を引き入れたこともあったけど、皆、ゲンには遠く及ばなかった。
それこそ狐人族のアイラにも及ばない。アイラはゲンから色々学んでいた。そのおかげで、弟子でありながら、その実力は同業者仲間では知られていた。
そのアイラが全く歯がたたずに負けたらしい。最初は信じられなかった。アイラを鍵開けで負かす鍵師…いったいどれほどの腕前なのよ…
でも、ディノの見立てだから間違いないわ。しかもスカウトできたって! これでメルディアも再起できる!
初めて会ったのは、デル(リスタ男爵夫人の愛称)から緊急の依頼を受けたところだった。アイラに頼もうとギルドに来たら、彼がいた。
その時は結構呑んでて、良く覚えていなかったけど…。
でも、酔っててもその腕は凄いってわかったわ。初めて見る鍵でもあっという間に開けちゃうんだから! ゲンの弟子っていうのも頷けた。
魔法の属性適応力が無いって判ったときの落込み様は凄かった。それ以上に、私達にとってもショックだった。属性適応が無いところもゲンと同じだったから…
ロックは魔法…というか魔力という概念すら存在しない世界の出身だから、魔力の扱い方を知らないみたい。それに属性なし…こちらじゃ絶対に存在しないとされている存在。
ロックがウィクルで見せた無属性魔法は、あれから一度も発動していない。魔力操作を毎日訓練しているのに、上達してるのかどうかすらわからない。
よく心が折れないと感心する。
その代わりという訳じゃないけど、彼にはそれを補う知識と経験、そしてそれを十二分に使いこなす腕がある。ロックは何とも思ってないみたいだけど、それって実はすごいことなのよ?
ロックが一度自分の世界に戻ったとき、主要メンバーで話し合って決めたの。ロックは何としても私達が守るって。なのに…なのに!
今、ロックは蜘蛛の餌食になろうとしてる。たくさんの蜘蛛がロックたちに向かってる。
これだけの数に襲われたら、骨も残らないかもしれない。
そんなのは………嫌だ。
だから………躊躇わない。
ダレスには悪いけど、あなた達を見殺しにさせてもらう。ロックを失うことのほうが、あなた達への違約金なんかよりもはるかに重大な問題だから。
『…我が祈りを聞き届け給え…風の王よ…』
私は無差別殺傷用の広域精霊魔術の詠唱を始めた途端、それは起こった。
私の視界が、真っ白に塗りつぶされた。
(ミューリィ視点 終了)
蜘蛛に噛まれるってのはどんな感じなんだろう。いや、あの大きさだと噛まれるというよりも齧られるというべきか?
「…あれ? 何だこれ?」
衝撃に耐えるべく、きつく両目を瞑って歯を食いしばっていたが、いつまで経っても衝撃が訪れない。思わず目を開けて周囲を確認すると、それは異常な光景だった。
目の前が白で埋め尽くされている。
「これは………煙か? でも、誰も煙幕なんて使ってなかったはず………。そうだ! アイラ達は無事か?」
自分のことは後回しにして、アイラとコーリンを確認すると、コーリンは未だ絶賛気絶中で、アイラはまだ目を瞑って震えている。ぺたんと寝た狐耳が可愛い………いかん、こんなことを考えている場合じゃなかった。
「アイラ! よく見てみろ! 蜘蛛が襲ってこない! きっとミューリィが何とかしてくれたんだ!」
「…本当だ…助かったんだ!」
すぐ傍には、俺達を喰おうとしていた蜘蛛が仰向けになってぴくぴくと痙攣している。
ミューリィはやっぱり凄いんだな………酒さえ飲まなきゃ。
「ロック! どこ! 死んでたら返事して!」
ミューリィの声がする………死んでたら返事できないだろ…
「おーい! 俺達は無事だ! そっちは大丈夫か?」
「こっちは大丈夫よ! かすり傷程度!」
良かった…とりあえず皆無事だな…
漸くミューリィが俺達に合流した。
「ところで、この魔法すごいな…あれだけいた蜘蛛を…」
「何言ってんの? 私、こんな魔法知らないわ。ロックの無属性魔法じゃないの? この煙? には魔力が無いからよくわからないけど」
「…俺はそんなことしてないぞ? …それじゃ誰がやったんだ?」
俺は可能性のありそうな奴を探すが、この場においてはアイラしかいない。コーリンは未だに気絶中だからな。
アイラを見ると、ぶんぶんと首を横に振っている。
「アイラではないわね…鍵解除の魔法と生活魔法くらいしか使えないから…コーリンは…この有様だから除外ね」
「じゃあ誰だよ。ダレス達は魔法なんて使えないだろ?」
ミューリィがさっきからジト目で俺を見ている。
「またまた謙遜しちゃって。こんな凄い魔法隠してたなんて、ロックも人が悪いわよ」
「は? 俺が魔法使えないのはお前が一番理解してるだろ?」
「え? これ、無属性魔法じゃないの?」
「あのな、ウィクルの時はノワールがサポートしてくれたから出来たんだぞ? 一人でなんてまだ出来る訳ないだろう?」
「ピンチになったから変な力が目覚めた! とかじゃないの?」
「変な力って何だよ! そんな都合のいい話があるか!」
全く…あの時はノワールが魔力の流れを誘導してくれたからうまくいっただけだ。未だに一人じゃ形すらつくれないものを本番で使うわけないだろ。しっかり練習して、自信がつけば使うかもしれないが…
「ねーねー、ロック。道具入れから煙が出てるよ、燃えてるの?」
作業着の袖を引っ張りながら、アイラが様子を窺っている。その言葉に従い、蜘蛛の群れの中に落ちたはずの道具入れを見ると………確かに煙が出ていた。
蜘蛛の牙が貫通した道具入れから、白い煙が噴出している。牙の主の蜘蛛は完全に絶命しているようだ。
俺は恐る恐る牙から道具入れを抜き取り、煙の正体を確かめる。
「…あー、そういえばこんなの買ったんだ…すっかり忘れてたよ…」
そこにあった物を見て、俺は納得した。作業場にノミやらダニやらがいたらしいので、駆除しようと思って日本で買っておいたんだった。
水で発煙する燻蒸剤を…
きっと蜘蛛が牙で包装を破ったんだろう。そしてこれだけの水だ、あとはいうまでもない。
「きっとこれが原因だ。これは水を使う虫殺しだ、水を使うとこの煙が出る。これは強力だから、蜘蛛ならひとたまりもないだろうな」
意外と蜘蛛は殺虫剤に弱い。蜘蛛に限らず、虫を捕食する虫(蜘蛛は虫じゃないけど)は殺虫剤に弱い。スズメバチも硫黄の煙で大人しくなるし…
まだ煙を吐き出しているソレを足の爪先でつつく。
どうやら薬が切れそうなようで、煙が小さくなっていく。それを見計らい、ダレス達がやってきた。
「…どうやら助かったみたいだな…しかしこれは凄い魔法だな…」
「「 ……… 」」
未だに青褪めた表情のダレス達。アルスとビルは言葉も出ない。つい先ほどまで、死が目の前にあったんだから無理もないか…
「そ、そうよ、これはエルフの里に伝わる秘術なの! 私でも使えるかどうか判らない魔法だったんだけど、うまくいってよかったわ」
ミューリィが何とか理由をでっち上げる。蚊取り線香くらいならばれてもいいが、これは知られるとまずいと思ったんだろう。確かに蚊取り線香は、こっちの材料でも実現できそうだが、燻蒸剤は化学薬品だからな。
「そうか…俺達の為に秘術まで…エルフは自分達の技術を他の種族の前で使うのを嫌うと聞いている。ありがとう、助かったよ」
ダレス達が頭を下げる。…凄く心苦しい、でも、持ってることすら忘れていた道具のおかげとはもう言い出せないから、ここはミューリィの話に乗っかろう!
「いや、こちらもデカブツを受け持ってもらって助かったよ。コーリンがまだ魔力切れから復帰してない。少しここで休んでからにするか?」
「そうね、多分次はマスターの部屋だから、しっかり準備してからがいいわね」
「ああ、それに、蜘蛛の素材も欲しいから、こちらとしてもありがたい」
そう言うと、ダレス達は蜘蛛をナイフで捌きはじめる。まだ室内は煙が充満してるが、完全に見えない程でもないので、残りの鍵を解除することにした。
――― かちり ―――
残った鍵を解除すると、小さな金属音がした。開いた扉の奥には小さなレバーがある。
「きっとこれが脱出扉を操作するレバーでしょ。でも、皆が復帰するまで操作はしないでおきましょう。さっきのモンスターハウスも初級ダンジョンにある仕掛けじゃないし、これだけ蜘蛛が出てくるとなるとダンジョンマスターも想像つくわ」
ミューリィが険しい表情を隠さない。
「おそらくアラクネよ、初級ダンジョンにいていいモンスターじゃないわ」
「アラクネだと! そんな化け物がなんでクランコにいるんだ!」
剥ぎ取りを終えて合流したダレスが顔面蒼白になりながら怒鳴る。漸く復帰したコーリンを含む新人達は呆然としている。
作業着が引っ張られたのでそちらに目をやると、アイラもがたがたと震えていた。
「なあ、アラクネって…そんなに強いのか?」
「馬鹿野郎! このメンバーじゃ死ににいくようなもんだ!」
「そうね、メルディアのベストメンバーならいけるでしょうけど、中級くらいのパーティでも何人かの犠牲者は出るでしょうね…」
「…なんでそんな奴がここにいるんだよ」
「そんなの知る訳ないでしょ! アラクネに聞きなさい!」
随分と無茶なことを言う…言葉が通じなかったらどうするんだ?
「それから、ここまで来たからには先に進むしかないのよ! 退路は断たれてるんだから、覚悟決めなさい! 入ってすぐに派手なの一発いれるから、すぐに突っ込まないで!」
簡単に次の部屋での対応を相談する。まだ煙のせいで見通しがよくないが、これは仕方ないだろう。
「そうしたらダレス達が突っ込んで本体に攻撃。コーリンは障壁で避難しつつ、補助と回復して。いいわね、行くわよ!」
「ああ、任せろ! ここまで来たらやるしかねえんだ!」
ダレス達の意志を確認したミューリィが俺に合図を送る。レバーを操作すると、壁が崩れて通路が出来る。その奥も大きな部屋らしく、こちらの部屋の空気が流れ始める。
………待てよ………空気が流れるってコトは………薬の成分も流れるってことで………
皆が緊張の面持ちで見つめる中、ミューリィの詠唱が始まる。だが、俺はそれどころじゃない。
………アラクネは蜘蛛のモンスター………ってことは………
――ー ズズゥン ―――
奥の部屋から、巨大な何かが倒れる音がした。
あー、やっぱりそうなるか………こういった薬の効き目って、しばらく残るのがほとんどだからな…
「え? なに? どうしたの?」
その音の大きさに、思わずミューリィも詠唱を止めてしまう。暫く様子を見ていたが、モンスターが出てくる気配もない。
「…いつまで待ってても埒があかないわ、中に入りましょう。モンスターの気配はあるけど、魔力は凄く弱まってるわ。でも、油断しないでね」
万が一の攻撃に備えて、結界を展開できるミューリィを先頭に部屋へ入る。そこで、俺達は全員息を呑んだ。
そこにいたのは巨大な蜘蛛。大きさは2トントラックくらいはあるだろうか。
そして目を引いたのは、蜘蛛の頭部に人間の女性の上半身がついている。 これがアラクネなんだろう、一目見ただけでも、そこらのモンスターとは格が違うのがわかる。
俺みたいな素人でもわかるんだから相当だ。
皆の目がアラクネに釘付けになる。
決して女性の部分の顔が綺麗だとか、形とサイズが素晴らしいその胸に見蕩れてたとか、そんな理由じゃない。
その光景は明らかに異常だった。
アラクネは確かにそこにいた。
しかし、その女性の頭…いや、顔は完全に蒼白で、目は白目を剥いてその口からは泡を吹いている。
蜘蛛の身体はその足を綺麗に折り畳んで小さくなっており、時折小さく痙攣している。
アラクネは、見事なまでに、殺虫剤にやられていた。
「………えっと…なんかゴメン」
俺は誰に向けるでもなく、謝った。
化学薬品に耐性がなければ、こうなりますよね…。
次回は5日の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。