専門分野
大変ご無沙汰でしたが更新です。
耳障りな剣戟の音、鼓膜をつんざくような爆音、通常ではありえない効果音が背後で展開される。しかし今の俺にとってはただの雑音でしかない。俺に求められているのはもっともっと小さな音、芥子粒くらいの金具が奏でる勝利への調べだ。
「こんなことになると判っていたら聴診器を持ってきたんだが……」
そんな愚痴がつい口から零れるが、それは自分の考えが及ばなかったので仕方がない。こんな場所で無い物ねだりをしたところで何が変わるでもない。無いなら無いで対処する方法を見つけ出せばいいだけのこと、そして俺には対処する方法が残っている。原始的だが、最も基本的な方法が。
扉の表面を素手で触れば、石のような金属のような不思議な感触が返ってくる。今まで触ってきたどんな金庫にも無かった感触は、ここが日本ではないことを再認識させてくれる。師匠が辿った道を俺が進み、こうして別の世界で金庫開けをする、これが奇縁と呼ばずに何と呼ぶのか。
こんな切迫した場面でありながら、ふと脳裏に浮かぶのは十年以上前のこと。孤児として施設で育った俺は、三流テレビドラマのシナリオの如く、周囲に不満をぶつけていた。所謂不良少年というやつだ。中学を卒業して師匠のもとに弟子入りという形で就職したが、口より先に手が出る師匠が大嫌いだった。毎日のように逃げ出すことを考えていたくらいだ。
そんな師匠のことを初めて尊敬したのが、金庫開けの緊急出動の現場だった。子供が捨てられた金庫に入って遊んでいるうちに閉じ込められたという、一刻を争う場面。子供に危険が及ぶためにガスバーナーでの切断が出来ず、レスキューもお手上げの状況で、師匠は金庫を開けて見せた。人の命がかかる場面でも決して平常心を失わなかった師匠に、心の底から震えた。恥ずかしいのでそれをまともに伝えたことは無かったが。
しかし師匠がこの世界で何度も危険な場面を潜り抜けてきたと知り、合点がいった。そして改めて師匠の凄さを今ここで思い知らされている。こんな状況で、平常心を保つことがどれだけ難しいか。果たして師匠はどんな気持ちであの時金庫を開けたのか。今は剣戟の音や爆音、あの時は保護者の泣き叫ぶ声と無責任な野次馬たちの怒号。心を搔き乱す雑音の中、師匠は金庫のダイヤル錠の金具の音と、もう一つの音を聞いていた。
それは子供の息遣い、今にも消え入りそうな子供の泣き声。果たして今の俺がその境地に達しているかと聞かれれば、答えは否だ。だから俺は仲間たちと共にここにいる。信頼する者に自分の命を預ける勇気を自分のものにするために。
「……振動で探るには周囲の雑音が邪魔になるな、直接聴いたほうが確実だな」
ダイヤルを試しに少し回してみれば、確かに指先に伝わってくる感覚がある。しかし周囲の音と振動に紛れて不明な時があり、確実とはいえない。となれば直接耳で聴く以外にないだろう。
扉に耳をつけて内部機構の音を聴いてみれば、周囲の音とは違うものを耳で拾えた。多少不自然な恰好ではあるが、このままやるしかない。ダイヤルの感じからすれば、長丁場になる予感がひしひしとしてくるが、かといって焦ってはいけない。俺の集中力をどこまで持続させられるか、仲間たちがずっと凌いでくれるか、そういった不安を強引に心の奥底へと押し込めて、改めてダイヤルを回す。
一目盛ずつ確実にダイヤルを動かし、金具が嵌る位置を調べる。決して省略することが許されない地道な作業、だが今出来得る最も確実かつ、唯一の方法。一体どのくらい時間がかかるのか、俺にもまだ把握できていない。それでもやるしかない、俺が師匠の背中を追いかけていくために必要だと信じ、身に付けた技術を駆使して……
**********
戦況は決して楽観視できるものではない、ディノはそう感じていた。戦力としては現状メルディアが用意できる最高戦力だろう、今までこれだけの高戦力でダンジョン探索したことは幾度もあるが、ここまで安心できない探索はなかった。その最たる原因はやはりロックのことだ。
ロックは扉のギミックの解除に専念している。元々ロックには戦力として期待してはいない。そもそもロックは鍵師、戦いは完全に専門外だが、それはゲンが存命だった頃も同じだった。それ故に今の戦力を用意したのだが、今までの如何なる探索とも違う何かがディノの心から安堵という言葉を奪い取っていた。
今までに見たことのない扉のギミック、ロックはそれを知っていたようだが、となれば他の誰もが介入できない。自分たちはその背中を護り続けることしかない。それも全力で。
魔法の余波にロックを巻き込まないように注意しながらも、確実に敵を仕留めなければならない。だが敵は際限なく産み出されるゴーレム、常人を軽く凌駕する魔力量を誇るディノでも長時間戦い続けることは難しい。それに……ロックが扉を解除したとしても、そこで終わる確証などないのだ。
自身の経験則から言えば、あんなに複雑なギミックの先にまだ先が続くということはない。しかし相手は魔王、それもこの迷宮都市を統治している存在、油断することは許されない。
「ディノ、私は全力でいくわよ」
「ミューリィ……」
隣に並んだミューリィの身体からは猛烈な魔力が漏れ出ている。いつもの精霊魔法を使う時とは比べ物にならない魔力の量と質、全力という表現に恥じない彼女の様子に、ディノは彼女が何をしたのかを即座に理解する。
「ミューリィ、おぬし……」
「一時的にだけど大精霊と契約したわ。本来なら氏族長じゃないと出来ないんだけど、今回は特別に裏技を使わせてもらったわ」
「そうか……深くは聞くまい……」
大精霊との契約など生半可なことでは出来るはずがないのは、妻であるサフィールから聞き及んでいる。エルフの中でもほんの一握り、古くからの血脈に連なる氏族でも長老クラスの者でなければ大精霊が契約を結ぶことを認めない。ミューリィはエルフなのでそれなりの年齢ではあるが、氏族の中では若輩だ。そんな彼女が大精霊と契約を一時的にでも結べたということは、何か大きな理由があると察したディノだが、敢えてその理由を聞かないことにした。
自らの分を弁えずに契約を結ぼうとする者を大精霊は許さない。自分の命と引き換えにしても契約できない者もいるほどで、それはつまりミューリィもその覚悟を以て臨んでいるということだ。ならば今はこの場を切り抜けることを優先すべきであり、そのためには自分も全力を出さなければならない。
「それならワシも本気を出そうかの」
「ロックの護りは私に任せて」
改めてディノは魔力を高める。最高戦力などと評しておきながら、自分自身が手を抜いてどうするのかと自嘲の笑みを浮かべる。相手は魔王、決して余力を残して戦っていい相手じゃない。そしてリーゼロッテもまた全力を出さないディノを望んでなどいないだろう。ロックと行動を共にする以上、ロックが鍵開けをする間に敵を殲滅できるだけの実力を示すことが必要なのだ。
(やれやれ、ワシも年をとったということかのう)
若かりし頃のディノはもっと血気盛んだった。いつ頃からか、自分の相手が出来る人間がほとんどいないことを知り、全力を出せる場を求めてダンジョン探索に傾倒していった。未知なるものを発見しては胸を躍らせ、強力なモンスターを相手に死闘を演じることを好んだ。その結果、いつしか責任ある立場になってしまい、自由に動けなくなっていた。魔法の研究はその鬱憤晴らしのようなものだった。その成果として、別世界への転移魔法を編み出してゲンと知り合うことになったのはまさに奇縁だろう。
「よかろう、ワシの全力を見せてやろう」
ディノが杖を振りかざすと、周囲に無数の光の玉が生まれる。その一つ一つが恐るべき破壊力を持つ攻撃魔法であることは、魔法に疎い者でも理解できるだろう空気を纏っていた。周囲の光球に照らされたディノの顔には獰猛な獣のような笑みが浮かんでいた。それは現在のディノしか知らない者にとっては初めて見る表情だろう、しかしディノと共にダンジョン探索をした経験のある者のうち幾人かはこの表情を知っている。ディノが全力を出すとき、いや全力を出せると知った時に見せる歓喜の表情だということを。
「行け」
短い号令とともに、光球が一斉に加速する。そしてその全ては標的を違えることなく、迫りくるゴーレムへと降り注いだ。
**********
「ディノがようやく本気になったみたいだね」
「ああ、あのツラを見るのは久しぶりだな」
迫りくるゴーレムを容易く両断したロニーが普段と変わりない口調で言えば、同じく迫りくるゴーレムを巨大な戦斧で砕きながら応えるガーラント。岩石が基となっているはずのゴーレムを容易く岩塊に変える二人は、ディノの豹変にも全く動じていない。それどころか……
「ったく、火が付くのが遅えんだよ」
「ま、最近のディノは面倒くさい役職についてたからね」
まるで待ち望んでいたかのような口ぶり、それは彼らがディノのあの姿を見知っているからだ。ダンジョンで強力なモンスターを薙ぎ払う姿を何度も見たことがあるからだ。
「しかしよ、こいつらいつまで出てくるんだ?」
「さあて、いつまでだろうね。材料はそこいらじゅうにあるし、当分品切れにはなりそうもないと思うけど」
今までゴーレムだった岩塊は、ダンジョンの床や壁に吸収されて消え、そして新たなゴーレムが再び壁や床から生成されてくる。しかも獣タイプのモンスターと違い、多少のダメージで動きが鈍ることもない。いや、そもそもダメージなど感じていないのかもしれない。終わりの見えない戦いに、並みの探索者ならば途中で戦意を失ってしまうかもしれない。二人もそう思ってしまったかもしれない、本当に終わりが見えなかったならば。
「向こうが決着つけば終わるんじゃない?」
「やっぱそういうことになるか」
ロニーが目線だけで指し示す先には、扉に耳をつけた恰好のロックの姿。おおよそ鍵開けの体勢ではないが、ロックの真剣な眼差しがその作業の難解さを表していた。ロックほどの鍵師が形振り構わないほどのギミック、果たして彼以外の鍵師が対処できるかと問われれば、二人は即座に否と答えるだろう。
ロックの腕前は何度も見ている。かつての仲間ゲンに負けずとも劣らない実力は、少なくとも彼らの知る限り比肩する者が思い当たらない。もし魔王リーゼロッテの目的がロックの力を見極めるためならば、この部屋はそのために用意されたものだろう。となれば自分たちに求められる役割はおのずと決まってくる。
「護りきれ、ってことか」
「僕たちにロックの仲間が務まるか、そこも見られてるってことだね」
「……よっしゃ、気合入れなおすか」
戦いの終わりがロックの鍵開け次第となれば、並みの探索者なら急かす一言を漏らしそうなものだが、二人は決してそんな言葉を漏らさない。何故なら既にロックは自分の領域に足を踏み入れており、そこに半歩すら踏み込めない彼らにはどうすることも出来ない。彼らが魔法の専門家であるディノやミューリィに敵わないように、鍵開けにおいてロックには全く敵わない。となれば彼らに出来ることはロックが鍵開けに専念できる環境を作り出すこと、即ち敵を近づけさせないことしかない。
己の専門が何であるのか、窮地においてそれを正確に認識できる彼らは己の責務を果たすべく動く。鈍い金属の輝きで軌跡を描き、ひたすら岩塊を作り出してゆく。終わりなき戦いなどなく、仲間の鍵師がその終わりを掴み取ってくれることを信じて……
**********
ロックを護る為にミューリィもディノも、ロニーもガーラントもそれぞれの戦いを繰り広げている。特にロックにはミューリィの張った風の結界があるが、相手は魔王の作り出すゴーレム、破壊されたとしてもその破片の残存魔力は健在であり、そのいくつかは結界をすり抜けていた。そもそも風の結界はある程度の大きさのものしか防げず、幼子の拳くらいの石には機能しない。だがミューリィが大見得を切った結果が果たしてこのようなものだろうか。
ロックに向かう小石の数々、しかしそれらは全てロックに当たる直前で空中に静止した。よく目を凝らして見れば、周囲で上がる紅い火柱によって細やかに煌めく何かが小石を受け止めていることがわかる。
『マスターの邪魔はさせません』
ロックが作業に専念するその背中を護るように立つのは桜花、その小さな身体で蜘蛛の糸を張り巡らし、降り注ぐ小石を防いでいた。ロックはちらりと桜花に視線を送り、目が合うと小さく頷いて作業に戻った。小石と侮るなかれ、ほんの微かな音と振動を探る精密な作業においては小石どころか砂粒ですら集中力を乱す要因となりうる。ロックと魔力リンクされている桜花はそれを理解し、自分の出来ることを全力で行っていた。
桜花は高位モンスターのアラクネではあるが、今はまだ幼体である。魔王リーゼロッテの作り出すゴーレム相手では力の差は明らかで、直接戦えば簡単に倒されてしまうだろう。しかし小石程度の破片であれば十分蜘蛛の糸で絡めとることができる。
それを指示したのはミューリィだった。彼女も強力なゴーレムを防ぐ風の結界が細かな破片に対応できないことは織り込み済みで、その対処を桜花に任せることで自身はゴーレムの破壊に専念することができる。桜花も自分の役割を得て表情に明るさがあった。
桜花とて魔王リーゼロッテの存在が恐ろしくないはずがない。そもそもモンスターとしての存在の格が違いすぎて、直面すれば間違いなく恐怖で体が竦んでしまうだろう。しかし今の桜花はロックの従魔であり、何より優先すべきなのはロックである。そのロックの作業を妨害する破片を止めることは重要な役割だった。今のロックにとって、集中力を乱すものは小石といえど敵だ。その敵の体当たり攻撃を防ぐこともまた、今の状況においては必要不可欠だった。
この場にいる誰もが、自分の分野での戦いに身を投じることが最も重要だと理解していた。ロックを護りきることがこの戦いにおいての勝利条件であり、それが出来なければ全滅である。その力を彼らが持ちうるか否か、見極めるのがリーゼロッテの思惑ではあるが、アイラとセラを人質として取られている以上、ロックたちは思惑に乗る以外の選択肢はない。
ゴーレムの数は次第に増えてゆき、戦闘はさらに激化していく中、ロックはたった一人で自分の領域に深く潜っていく。ほんの微かな音と振動を手掛かりとする、誰も辿り着けない領域へと……
ようやくこの章の締めが形になったので書き始めました。
更新に間が開くかもしれませんが、ぼちぼち書いていきますので……
読んでいただいてありがとうございます。