罠の奥にあるもの
「お待ちしておりました」
恭しく一礼する老執事の姿に思わず気抜けしてしまう俺たち。だが俺はこの執事には見覚えがある。目の前にあるペトローザの屋敷にて使用人たちを束ねていた男だ。そいつが門の前で単身待ち構えるということは……
「リーゼロッテからの命令か?」
「はい、貴方様がいない場合は如何なる手段を用いても屋敷には入れるなと仰せですので、僅かばかりの結界を張らせていただきました。どうやらディノ様をも欺けた様子、私の腕もまだ錆ついてはいませんね」
「ロック、気を付けい。こやつ強いぞ」
「ご安心を、ロック様がご一緒であればお招きすべきお客様ですので。さあこちらへどうぞ」
老執事の言葉に従うように、門がゆっくりと開かれてゆく。そして外から見ていた時は誰一人いなかったはずの庭に、いつの間にかたくさんの使用人たちが働く姿が。もしかして……
「あんた以外の使用人は人間なのか?」
「はい、彼らは結界については何も知りません。そもそもこの街の住人ですから、当然人間です。何故人間を雇い入れているかは……私の口からは申し上げられませんので、後程お嬢様からお聞きになるのがよろしいかと」
「案内してくれるのか?」
「ええ、途中まで、ですが」
この老執事が強い力を持った存在だということは、リーゼロッテに付き従い使用人を束ねる立場を任されていることから容易に想像できることであり、そしてその実力が魔法でディノを欺くことが出来るレベルであるということも分かった。アイラとセラが戻ってこないという非常事態でなければディノも気づけたのかもしれないが、それでも今までのモンスターとは一線を画すだろう。
だが他の使用人たちが人間だとは思わなかった。危惧していたのは、この使用人すべてがモンスターであり、この老執事と同等かそれに次ぐ実力の持ち主ではないかということだ。庭を見渡す限り、十数人の使用人が忙しそうに働いているが、それが一斉に襲い掛かってくるという状況を考えたんだが、それを察した老執事がその考えを否定してくれた。何故この街の住人が魔王の屋敷で働いているのかまでは自分で訊けということか。
「ではこちらへどうぞ。お嬢様のお眼鏡に適う方であることを願っております」
「……俺のことは……」
「ええ、存じ上げております。そしてそれを他の皆さまに私の口からお伝えすることはありませんのでご安心ください。その役目はお嬢様にお任せしていますので」
先導する老執事に小さく耳打ちすれば、こちらの望む答えが返ってきた。何が起こるか分からない状況である以上、直接関係のない情報は入れないほうがいい。もしそれを聞くのであれば、アイラとセラの無事を確認し、二人を保護した時だ。
「本当にここにいるの? どう見ても普通の屋敷なんだけど」
すれ違うメイドに会釈され、そんな言葉を零すロニー。確かにこの状況では完全武装の俺たちのほうが異質であり、傍から見れば襲撃に来たと思われても仕方ない。だがさすがはペトローザの屋敷で働いている使用人、こちらの様子に動揺する素振りもなく平常運転している。
「ここには暴力を生業とする輩が乗り込んでくることもありますので、多少の荒事であれば彼らは意に介しません。そんな輩はお嬢様直属の者が対処しますので。この私のように」
「じゃあこのまま人気のないところで始末、ってこともあるんだね?」
「そんなことをすれば私が御嬢様から叱られてしまいます。ご安心ください、私の役目は皆さまをご案内することだけですので」
「ご案内された先に何があるのかまでは教えてくれないんだね」
「ええ、それをお教えしては此度の事の意味が無くなってしまいますから」
そう言いながら老執事が進む廊下には見覚えがある。以前来た時にリーゼロッテに案内された場所へと向かう道順、そして行き着いた所にある扉を開ければ、あの時に見たのと同じダンジョン。だが唯一違うのは、以前は空気も澱み、動くものの気配など全く感じられなかったはずが、今は全体に何らかの気配が感じられる。敵意のようなものは一切感じず、それどころか何かに畏怖するような感情が周囲に満ちている。たぶんそれは俺たちに対して、ということではないだろう。
老執事は尚も先導しながら進み、以前来た時にクリアした重量センサーらしき機能を使った大きなギミックの横を通り過ぎる。以前来た時にはここで通路が終わっていたが、今はまだ先がある。
「おい、こいつは使わないのか?」
「一度クリアしたものなど使ったところで意味が無いでしょう、それこそ貴方に対しての侮辱になります。それに御嬢様も早く自慢の仕掛けを見せたくて堪らないようですから」
会話しながらギミックの横を抜けると、ロニーやディノがそのギミックを見上げて唖然としている。まさかペトローザの屋敷の地下にこんなダンジョンがあるなどとこれまで一度も思っていなかったということもあるが、それよりも大きな理由があるようだった。
「ロック、おぬしこんな仕掛けをクリアしたのか?」
「ああ、幸いにも引っかかってくれた馬鹿がいたからな」
脳裏に浮かぶのは、ライバルギルドの鍵師のこと。周囲に気を配ることもせず、迂闊に仕掛けに相対した馬鹿ではあるが、今思えばそのおかげで糸口が掴めたといってもいい。まあそのために先手を譲ったんだが。
「やっぱりロックの知識と技術は凄いな、こんなギミック見たことないよ」
「ああ、こんなレベルのギミックが入ってすぐに出てくるなんざ、上級でも上の方だぞ?」
「リーゼロッテが魔王などと何かの冗談かと思ったんじゃが……これは信じざるを得んようじゃな」
やはり完全には俺の話を信じていなかったか。だがそれも当然だろう、ダンジョンの情報を管理し、場合によっては攻略情報も売る斡旋屋の代表がダンジョンマスターだったなんて、笑い話としても笑えない。今までリーゼロッテの掌の上で踊らされていたと言っても過言ではないのだから。
ギミックの横から伸びている通路を進むと、周囲は如何にもダンジョンらしい岩壁に変わる。ダンジョンマスターの嗜好が内部構造の表面に現れるらしいが、リーゼロッテは外見よりも質に重きを置いているらしい。相変わらず周囲には畏怖のような感情の視線が感じられる。
「この視線は何とかならないのか?」
「ここはもうモンスターの領域なので我慢していただけますか? 彼奴らも貴方たちを襲えば御嬢様の逆鱗に触れることを理解しておりますのでご安心を」
「あまりいい気分じゃないな」
周囲から感じる視線は数えきれないほどだ。もしこの数が一斉に襲い掛かってきたらと思うと背筋が凍る。ディノが魔法を全開で使えば対処できるだろうが、アイラとセラの所在がまだはっきりとわかっていない以上、強引な手段は控えたい。
「まだ貴方たちは御嬢様の招いた来賓です。来賓に襲い掛かるなど御嬢様の沽券にかかわることですので、もしもの時は我々が対処いたします」
老執事がそう言うや否や、俺たちを護るように数人のメイドが姿を現す。なるほど、こいつらもこの執事と同類ということか。となると先ほどからの畏怖の視線は俺たちやリーゼロッテに対してのものではなく、この執事とメイドたちに向けられたものかもしれない。
「皆様、到着いたしました。中にお入りください」
「拒否権は無いんだろ?」
「ここにいる貴方達以外全てが敵に回っても良いのならどうぞ。御嬢様の試練を受けるならともかく、逃げ出すような者はこの街にとっても不要ですので、遠慮なく始末させていただきます」
老執事が指さした先には、岩肌に明らかに不釣り合いな仰々しい扉。どう見ても罠としか思えないが、執事の口ぶりではここに入らないという選択肢はないらしい。仲間たちの顔を見れば一様に無言で頷くので、俺も執事に対して無言で頷く。
「では中へどうぞ。御武運をお祈りしております」
中に入った途端、扉が勢いよく閉じられた。こいつは確かモンスターハウスとかいう、部屋そのものが罠になったものだったか。
「みんな! ロックを護って!」
「「「 おう! 」」」
ミューリィの指示に俺を中心に陣形をとる。すると周囲の土が盛り上がり、ただの土くれが何かの形に変わってゆく。
「ふん、ゴーレムかよ。ぶん殴れるなら問題ねぇな」
「ディノ、念のために魔法の補助頼むね」
「任せい」
土くれは武骨な鎧の姿になり、こちらに向かって歩いてくる。周囲では次々と鎧が生み出され、その数を増やしていく。明らかに尋常ではない光景、だが俺の目は部屋の奥にある両開きの扉に釘付けになっていた。
もしこの世界のダンジョンの鍵が俺の父親の知識をもとに成り立っているのなら、いつかは出会うことになると思っていた。これもれっきとした鍵であり、その知識があって当然だ。外観に微妙な違いはあるとしても、俺の知るものとほぼ同じようなものだった。
「そうかよ……このくらい出来なきゃ挑ませられないってことか」
両開きの扉には左右に把手が一つずつ、そして円筒形のものも一つずつ。最近のものはデジタルタイプやICタイプが多いが、やはりこういう形のほうがしっくりくるだろう。漫画などでもこういう形状のものがよく描かれているしな。
「どうしたの、ロック……何これ、こんな鍵があるの?」
俺の視線が一点に縫い付けられていることを不思議に思ったのか、ミューリィが声をかけてくるが、視線の先にあるものを見て絶句する。確かにこんな形状のものは今まで遭遇していなかったからな。しかしリーゼロッテめ、こんなことをさせるとは……
「鍵師に金庫破りなんざさせるなよ……」
部屋の奥の扉、その姿は間違いなくダイヤル式金庫のそれと同じだった。
金庫破り開始です。
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