屋敷へ
お待たせして申し訳ありません
「ロック! 戻ってきたんだ!」
不意に聞こえた懐かしい仲間の声に振り返れば、ギルドの入口に立っていたのはロニー。その後ろにはガーラントとディノの姿も見える。皆一様に俺がここにいることに驚いているようだがそれも当然か、本来なら俺が今ここにいること自体あり得ないことなんだからな。
「一体どうやって……いや、それは言うまい。今は戻ってきてくれたことを素直に喜ぶべきじゃろうて」
「ディノ……」
いつもはディノの描いた転移魔法陣での移動だった、というかそれしか手段が無かったんだが、それを使わずに俺が戻ってきたことが気になっているんだろう。だが正直なところ俺にも全くわからない。術を使ったミューリィすら詳細がわからないのは、黒竜のようなこの世界の上位に君臨するモンスター特有の何かだからだろう。それを説明できる知識も語彙も圧倒的に足りない俺には説明など出来るはずがない。
まずはそれよりも情報の共有をしよう。ディノ達はペトローザの屋敷に行っていたはず、なのに全くの無傷……というかガーラントあたりは明らかに退屈そうな顔をしている。ということはつまり……
「そっちは……門前払いだったんだろ?」
「うむ、敷地内には入れるが、屋敷にはどうやっても入れなかったんじゃ。ガーラントとロニーに扉を破壊してもらおうとしたんじゃが、全く攻撃を受け付けなかったんじゃよ」
「ああ、いくらやっても傷一つつかねぇ。ありゃ扉っていうよりも……いや、そんなはず無ぇな、街中だぞ……」
ガーラントは信じられないといった表情で自分の手を見ている。おそらくその手に残っているのは探索者として数えきれないほど経験したであろう感触。本来なら街中の屋敷にあってはならない絶対不可侵の感触。
「まるでダンジョンの壁みたいだった……だろ?」
「ロック……何故それをお前さんが知っておるんじゃ……」
「その点についてはこっちのことも知ってもらってからにしたほうがいい。実はな……」
皆を建物の中へと招き入れ、戸締りを確認してから師匠の手紙のことを話し出す。戸締りを確認したのは、師匠の手紙の内容は他に流れてしまうのは非常に危険と感じたからだ。師匠が俺だけに手紙という限定された手段でしか伝えられなかった内容、下手をすればギルドのメンバーにも危険が及ぶと判断したが故のもので、本来ならばここで俺が話してしまうことではないのかもしれない。
だが俺が大迷宮に挑むとなれば、戦う力が無い俺が踏破できる可能性は限りなくゼロに近い。そのためには俺の背中を任せられるだけの実力を持った仲間が必要であり、背中を預ける以上信頼が絶対に必要だ。すべてを隠したままで信頼を得ようなんて虫が良すぎるだろう。
だが俺が堕ちた女神の息子だというところは伏せた。師匠の元相棒が皆の身代わりになって大迷宮に取り込まれて、師匠はその魂を解放しようとしていたということにした。何となくだが、今それを話してはいけないような気がしたからだ。いずれ皆がそれを知る時が来るだろうが、それは今じゃないと直感した。ミューリィを見れば、彼女も同じように思ったらしく小さく目くばせしてきた。
「まさかゲンが大迷宮を踏破したことがあるとはのう……そしてゲンの相棒か……」
「でもそんなことより、今はペトローザのほうが重要じゃないか? まさか彼女が魔王だなんて……しかもこの街の地下に広がる迷宮のダンジョンマスターだって? 色々ありすぎてよくわからないよ」
「言われてみれば、扉をぶっ叩いた時の感触はダンジョンの壁を殴った時に似てたな。ということはもうあの屋敷はダンジョンになっちまってるってことかよ」
「うむ、間違いないじゃろうて。おそらくロックでなければ入れんじゃろ、でなければアイラとセラを呼びだした理由がわからん。あの二人は人質として捕まっておるんじゃろうな」
内容が内容なだけに冗談の一つも出てこない。それもそうだろう、この世界でダンジョン探索を生業にする者なら誰もが憧れる大迷宮を踏破した男がかつての仲間であり、しかもつい今しがたまでその事実を全く知らなかったなんて笑い話にもなりはしない。だが……これだけは言っておかなきゃならない。
「師匠が皆にこのことを話せなかったことは許してやってくれ。下手をすれば国家レベルの争いに発展しかねない内容だ、そのことで皆を巻き込みたくなかったはずだ」
「わかっておるよ、もしこのことが悪だくみする連中に知られれば、ワシらだけじゃなくその関係者まで狙われかねん。ゲンはそのことを危惧しておったんじゃろうな……」
「そうだね、そして真っ先に狙われるのは間違いなく戦う力なんて持ってない子供たち。子供好きのゲンにとっては何より怖いことだったと思うよ」
罵詈雑言を浴びせられる覚悟もしていたが、幸いにも師匠のことは納得してもらえたようだ。元の世界でもそういった重要な情報については手段を選ばない輩も多い。防犯意識の高い元の世界ならまだしも、そういう意識が圧倒的に低いこの世界で大迷宮についての情報がどれだけ危険かを理解した師匠がとった苦渋の決断は正しいと理解してもらえたようだ。
「で、ペトローザのほうはどうすんだ? ロックが戻ってきたならもう一回殴りこむか?」
「待てガーラント、そんなことしてたら二人に危険が及ぶじゃろうが」
「ならどうしろってんだよ、このまま指咥えてろってのか?」
「そうは言ってないよ、ただ何の策も持たずに突っ込むのは危険だってことだよ。もしロックが戻ってなかったら、あの屋敷が危険な場所になっていたことだって分からなかったんだし」
やや苛ついた様子のガーラントをディノとロニーが窘める。確かに無策で突っ込むのは危険だが、実情を知っている側の俺としてはそこまで危険視していなかったりする。まだ今のうちは、だが。
リーゼロッテがアイラとセラを確保したのは、間違いなく俺が目当てだ。そしてその真意は俺が大迷宮に挑むに相応しい実力を持っているか否かのみ。その真意が俺の想像通りだとすれば、二人はまだ安全だ。そしてディノ達では二人を解放させることは不可能だろう。中に入ることができないんだからな。
「ペトローザの屋敷にはこれからすぐに向かう。相手はこの街そのものを支配下に置いてる魔王だぞ? 俺が戻ってきたことくらいとっくに察知してるさ。なら待たせすぎて癇癪おこされる前に行かないとな」
「……わかった、すぐに準備しようかの」
「久しぶりに暴れるか」
「僕も身体を動かしたくてうずうずしてたんだよね」
リーゼロッテの下へと向かうと告げると、三人は不敵な笑みを浮かべる。何を期待しているのかが容易に想像できるが、果たしてその期待通りに進むかどうかは怪しいところだ。実際に行ってみなければわからないが、きっとあの女傑のことだ、何かしらの手段で待ち受けていることだろう。
「で、メンバーはどうするの? もちろん私は確定よね?」
「ああ、それにこの三人の合わせて五人で行く。大勢で行ったところで追い出されたら意味が無いしな」
「……焦ってないのね」
「言っただろ、無事でいてこそ意味があるって。師匠の手紙の通り魔王リーゼロッテが協力者だというのなら、二人に手を出すのは悪手だってわかってるはずだ。師匠がそういう輩を毛嫌いしていたし、そんな師匠の協力者が態々師匠の嫌がる手段を取らないだろ」
「そっか……うん、わかった」
ミューリィは俺の心情を察したのか、それ以上言葉をかけてくることはなかった。今回のリーゼロッテの行動は間違いなく俺を試すものだ。もしこれがギルドそのものを試すのであれば、戦闘を担うメンバーが中に入れないということはないはずだ。ディノ達の戦力は既に把握しているので、もう必要ないと思われているのかもしれない。
「ロックの準備はいいの?」
「ああ、こいつがあればいい。いや、これだけあればいいってことか」
ミューリィがあまりにも軽装な俺を見て言うが、正直なところ俺はこれで良いと思っている。というかこれ以上は必要ないとまで言い切れる。リーゼロッテが見極めたいのはきっとそこにあるはずだから。ただ彼女がどういうギミックを用意してくるかが問題で、以前のように如何にもな大掛かりな仕掛けかもしれないし、もっと小さな解錠かもしれない。となれば今必要とされているのは決して武器を持つことでも防具に身を固めることでもなく、どんな状況にも対応できる柔軟性。そのためにどのような行動を取らなければならないかを理解しているかということを示さなければ、早々に見限られることだろう。
「大丈夫、俺が何のためにいるのか、それを証明すればいいだけだからな」
「うん……」
作業着の袖を掴みながら、やや潤んだ瞳で見上げるミューリィ。彼女が心配してくれているのは重々承知しているが、なぜか俺は今までにないほど気分が高揚しはじめていた。それもそのはず、魔王の二つ名を持つ者が持ち出してくるギミックが以前のようなものだとは思えない。ここまであからさまな行動を取るということは、向こうもそれなりの難易度のものを用意してくるはず。
楽しい。一体どんなものが出てくるのか、それを想像するだけでワクワクする。精神を研ぎ澄まし、極小の世界に入り込むあの感覚は心地よい陶酔感を味あわせてくれる。不謹慎かもしれないが、俺はそれでいいと思っている。だってそうだろう、決して力では到達できないあの世界こそ俺の居場所、戦闘では無力な俺が持つ技術を誇れる唯一の場所なのだから。
読んでいただいてありがとうございます。