迷宮都市
新章開始です。
皆を連れてギルドまで戻ったはいいが、いざ入るとなればやはり躊躇われてしまう。俺のことを皆が嫌っているのではないか、もうここに居場所が無いのではないかという不安が胸を苦しくさせる。半ば逃げるように帰っていった者を本当に受け入れてくれるのかどうか全く分からない。
「大丈夫、ロックの居場所は無くなってないから。いつもみたいに堂々としてればいいのよ」
「……ああ」
ミューリィに背中を押されてそっとギルドの扉を開ければ、そこは閑散として活気のない受付。客用のソファではリルが憔悴しきったような顔で身体を投げ出していた。他のメンバーの姿は見えない。
「……ごめんなさい、今休業中……ロック!?」
入ってきた俺たちをギルドに来た客かと思っていたらしいリルは、力なく断りの言葉を伝えようとして固まった。まさかこんなにすぐに俺が戻ってくるなんて思っていなかったんだろう。よく見れば髪も手入れがされていないようで、化粧の乗りも悪そうだ。目の下の隈がそれを雄弁に物語っている。
「ミューリィも一緒なの!? 色々聞きたいこともあるんだけど、それより今はアイラとセラのことよ! 二人がペトローザの屋敷から戻ってこないのよ! 今日もロニー達が探しに行ってるんだけど、屋敷はもぬけの殻で誰もいないって……」
「あの屋敷には地下に続く扉があっただろ? そこにいるんじゃないのか?」
以前腕試しをさせられた地下のダンジョン、死んだ迷宮なんて言っていたが何のことは無い。そもそも死んでおらず、リーゼロッテの手で一時的に眠らされていただけのこと。ダンジョンマスターなら機能の一部だけを生かすことくらい造作もないはずだ。
「それがね、扉はあるんだけどどうやっても開かないのよ。ロニーもディノ様も破壊しようとしたんだけど、どれだけやっても傷一つつかないって……」
「あの二人でも?」
うちのギルドで最も攻撃力の高い二人でも傷一つつかないだと? だとしたら手詰まりじゃないのか?
「ちょっと待って、私たちの知ってる情報の通りだとすれば、破壊するのは不可能に近いと思うわ」
「どういうこと、ミューリィ? それに情報って……」
「リーゼロッテが魔王でダンジョンが屋敷でマスターなのよ」
「は? 何言ってるの? 意味が分からないんだけど」
自信たっぷりの顔で言うから冷静なんだと思っていたが、実は動揺していたらしい。真剣な表情をしていたので大したものだと感心したこちらが馬鹿みたいだ。
「大丈夫か、お前?」
「ごめん、私もちょっと混乱してた。その辺りはロックから説明してくれる?」
「ああ、実はな……」
「まさかゲンが……」
「ああ、師匠の手紙によればリーゼロッテは魔王としてダンジョンマスターの任についていたらしい。そしてそれは今も変わっていないそうだ。なら彼女が守護するダンジョンはどこにある? ダンジョンマスターがダンジョンから離れることはまずあり得ないんだろう? そしてこの街の別名は何だ?」
「ま、まさかこの街そのものが?」
「ああ、俺がかつてペトローザの屋敷の地下で見たダンジョン、リーゼロッテは死んだ迷宮なんて言っていたが、とんだ食わせ者だな。死んだんじゃなくて、自分の力で死んだように見せかけていたんだからな」
師匠の手紙の内容を掻い摘んで話すと、リルは思考が追いついていないようだった。いきなり見知った相手が魔王でダンジョンマスターだと言われて信じろというほうが馬鹿げている。リルの反応は至極当然と言えるだろう。だがこれは師匠が遺してくれたメッセージ、少なくとも俺に嘘偽りを教える意味はないと考えている。
そして屋敷の扉が破壊出来ない理由、それはペトローザの屋敷がダンジョンの一部じゃないかということだ。ダンジョンそのものを破壊することは出来ないという前提であれば、屋敷がダンジョンとなっていればマスターの許可が無ければ扉は破壊できない。
「だとしたらロニー達も危ないんじゃ……」
「その可能性は低いと思うわ。リーゼロッテの目的がロックならそれは悪手でしかないはずよ? 仲間を殺されたロックが向こうに戻ってそのままっていう可能性もあるわけだし、逆効果でしかないわ。だからアイラとセラも危険な目には遭ってないはず」
「ああ、俺も同感だな。もし俺が目的なら、少なくとも俺と会うまでは人質は生きていないと意味がない。それに……手紙にはリーゼロッテを頼れとあった。果たして敵対するような奴を頼らせるか?」
「確かにそうなんだけど……とにかく皆の判断を仰ぎたいわ。もしリーゼロッテの目的がロックならこのまま向かうのは危険すぎる。たとえロックに危害を加える可能性が低いとしても、最重要人物であるロックをそのまま向かわせるなんて出来ないわ」
危害を加えられることは無いだろうと思っていても、すぐに助けに向かいたい。アイラとセラが帰ってこないのは俺が不甲斐ないからだ。俺がいつまでも引きずっていたから、リーゼロッテが痺れを切らした。二人は俺のせいで戻ってこれなくなった。自分に対する情けなさと怒りで身体が震える。
「ロック、落ち着いて。ロックが一人で行って、もしモンスターが出て来たらどうするの? リーゼロッテがロックを探してるのなら二人はまだ大丈夫よ。少なくともロックに求めてるものを判断できるまでは無事なはず。だから今は皆を待ちましょ、まさかロック単身で大迷宮に挑ませるはずもないし」
「しかし……」
「ダンジョン探索では常に冷静でいることが重要なのよ、どんな状況においても的確な判断が出来るようにね。今のロックは全然冷静じゃないわ、とてもじゃないけどダンジョンに挑ませるなんて出来ないのよ。それにね、リーゼロッテの狙いがロックの技術だったとして、作業中の背中は誰が護るの? 鍵開けってのは集中力を欠いた状態でも出来る簡単なものなの?」
「……すまん、冷静じゃなかった」
ミューリィの指摘に頭に上った血の気が引いていくのがわかる。俺の不甲斐なさがこの状況を招いてしまったのは確かだが、ここで自分を見失ってどうする。指摘されたことはまさしくその通りなので、反論の余地すらない。今は心強い仲間たちが戻ってくるのを待つのが良策だ、最新の情報をもとに行動方針を決めて向かうべきだ。
『急がなくていいの?』
「俺は無力だからな。戦う力が無い以上、それに代わる仲間を連れていきたい」
『……私が力を貸してもいいのよ? お母さまのお墨付きもあるし』
逸る心を何とか静めて一息つくと、ノワールが俺を見上げて問いかける。ノワールがいれば大概のモンスターは相手にならないだろう。もしかするとリーゼロッテともいい勝負をするかもしれない。金色の瞳が何かを見定めるかのように俺を射抜くが、ここで彼女の力を借りる訳にはいかないだろう。
「止めとくよ、ここでお前の力を当てにしたらまずい気がする。少なくとも大迷宮はそんな力を許さないだろうし、リーゼロッテの思惑が大迷宮にあるとしたら猶更だ。自分たちの力だけで臨まないと力を示したことにならんだろ」
『そう……わかったわ』
そう言い残すとノワールは奥に行ってしまった。怒らせたかもしれないが、もし俺が大迷宮の主なら安易に手に入る力を使わせたりしない。それは本人の実力じゃないからな。
果たしてリーゼロッテが現在どんな立ち位置にいるのかを判断するのは難しいが、少なくともランスの仲間ではないだろう。もし奴の仲間なら、最初に会った時にもっと違う形でアクションを起こしたに違いない。俺のことを知っててなおダンジョン探索することを容認していたのであれば、容認した真意はダンジョン探索のことを正しく認識させるという意味があるのかもしれない。
ただ、今までの俺の探索は完全に踏破したとは考えにくい。結局のところ最後まで探索したことはないというのが辛いところではある。諸々の事情があってのことなのは仕方ないが、それでもまだ初心者の域を出ないのは明白。ならば心強い仲間と一緒に挑むべきだ。
決してノワールが仲間じゃないとかそういう意味合いは無い。むしろこんな俺に力を貸してくれるという言葉が嬉しい。
『マスター、ノワール姉さまは怒っていませんよ』
ノワールの消えていった扉を見つめていると、不意に裾を引っ張られた。視線を落とせば桜花が俺を見上げながら口を開く。いつの間に桜花がノワールの姉になったのかじっくり聞きたいところだが、今はそれよりも大事なことがある。
「どうして怒ってないと分かるんだ?」
『姉さまの気配が優しいです。マスターがいないときも優しかったですけど、戻ってきてからはもっと優しいです。姉さまも嬉しいんだと思います』
「そうなのか? よく分らんが」
『そうですよ、だって姉さまはマスターの……』
そこまで言ったところで桜花が一点を見据えて固まった。桜花の見ている場所を見てみれば、扉の陰から顔だけ出しているノワールがいた。どことなくその顔が若干赤いようにも見えるが、正直なところ黒竜の顔色がどれが正解なのかわからない。
『そこまでにしておきなさい、桜花』
『は、はい、姉さま……』
「おい、顔が赤いぞ。どこか具合が悪いんじゃないのか?」
『そ、そんなことないわ!』
俺がいない間に桜花の面倒を見てくれていたらしいし、もしかするとそれが原因で体調を崩してしまったのかと思ったが、あの様子なら大丈夫かもしれない。そんな俺を桜花は残念そうな顔で、そしてミューリィはどこか勝ち誇ったような顔で見ている。ミューリィのはいつものドヤ顔なので放置するが、桜花にそんな顔で見られるのはショックだ。自分の娘に疎まれる父親の話を聞いたことがあるが、桜花もそのうちに反抗期を迎えるのだろうか。俺の服を一緒に洗濯したら嫌がられる時が来るのだろうか。もしそうなったら俺は耐えきれるだろうか。
「こんなに人が少ないのか?」
「ええ、アイラとセラが連れていかれる少し前、ペトローザが突然ダンジョンの情報を公開したの、それも大量に。しかも罠や鍵の種類まで丁寧に解説された地図まで付けて」
「そんなことされたら俺たちの仕事が無くなるじゃないか」
「そうなのよ、おかげでうちにガイドを依頼するパーティがいなくなったわ」
ロニー達が戻ってくるまで時間がかかりそうなので、リルに促されてプルカの街の様子を見て回った。まず最初に気付いたのは閑散とした街の様子、いつもなら探索者たちで騒々しいくらいに賑わう街も探索者たちの姿はまばらで、酒場も空席が目立つ。営業をしていない店もある。
「ふーん、流石『魔王』ね、やることがえげつないわ。何が何でも自分のところに来させたいみたい」
「ここまでやるか? 街が寂れたらどうするつもりなんだ?」
「これも一時的なものでしょ? 探索を終えたら皆戻ってくるし、お宝で懐も温かいからお金も落とすしね」
確かに長い目で見れば街は再び活気が戻るだろうが、もし俺が戻ってこなかった場合はどうするつもりだったのか。いずれ探索者たちは街に戻ってくるはずだ。
「もし俺が日本にいたままだったら……どうなったんだ?」
「たぶん今みたいに情報を公開するか……最悪の場合、ダンジョンに閉じ込められるかもしれないわ」
俺の疑問に答えるうちに恐ろしい結論に思い至って顔色を悪くするミューリィ。だがこの街そのものを支配していると言ってもいいリーゼロッテならばそれすら容易に出来るということだ。この街の地下に広がる上級ダンジョンの主ならば、この周囲に数多く存在する中級以下のダンジョンを統率できる。自分の意思のままにダンジョンを変化させることも可能だ。言わばこの街のすべてを人質に取られたということになる。
「リーゼロッテにとってはこの街と引き換えにしても構わないくらいロックが必要ってことよね」
「それだけ俺とランスを会わせたくないのか」
師匠の手紙にもあったランスという男。何を求め、何を目的にしているのか分からない。そのために多くの人を巻き込み、その命を奪った男。あの勇者たちもランスの思惑により人生を狂わされた被害者だ。ただ一つだけ分かっているのは、奴もまた大迷宮を狙っているということ。
最奥に囚われているであろう俺の父親の魂、そして未だ解放されない父の魂に寄り添うのは母親でもある女神リーン。日本で育った俺に何が出来るのか、今は全く分からない。だがここまで俺を中心にして動き始めている以上、俺の持つ何かが必要とされているのは間違いない。リーゼロッテもそれを見極めるために行動を起こしたのなら、俺は彼女に会わなくてはならない。そこにどんな困難があろうとも、仲間たちと共に……
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