帰還
これで本章は終わります。エピローグ的なもので……
「戻るにしても……二人分の召喚に必要な魔力は溜まってるのか?」
「うーん……まだ一人分もないみたい」
「……急ぎたいところだが……仕方ないか」
ミューリィの答えに湧き上がる内心の苛立ちを抑えるように言う。今の彼女には俺を含めた二人分の転移魔法陣を起動させることは難しい。そもそも俺の魔力を分け与えているとはいえ、それも一時的なものでしかない。慣れない場所で初めて使う方法、上手くいったとしても効率が悪いのは当然だ。かといって……これ以上魔力を分け与えるには……色々と負担が大きすぎる。
「多分二人に危険が及ぶことは無いとは思うが……」
師匠の手紙ではリーゼロッテは協力者だと書いてあった。それは師匠の目的とリーゼロッテの魔王としての利害が一致したからだと思う。そして彼女が俺を探しているとなれば、敢えて俺の反感を買うことはしないはずだ。何の目的があって二人を連れていったのかは直接聞いてみないことにはわからないが。
「……一応こういう時のための保険は用意してあるけど」
「そんなものがあるのか」
「ちょっと反則かもしれないけど……たぶんうまくいくはず」
ミューリィはそう言いながら、腰に付けたポーチから小さな瓶を取り出した。大きさは弁当についている魚の形の醤油入れくらいの大きさで、中には漆黒の液体が詰められている。どう見ても醤油には見えない怪しい液体だ。ミューリィは早速蓋をあけようとするので慌てて止めた。
「おい、いきなりそんな得体の知れないものを使おうとするな」
「大丈夫よ、ちょっと力を借りるだけだから」
そう言うと蓋を開け、転移魔法陣の描かれた場所に撒き始める。魔法陣に付着した液体はうっすらと発光しはじめ、やがてその光は魔法陣全体に広がってゆく。だがその光り方はディノやセラが使う時とは異なる印象を与えるものだった。魔法陣そのものは光っているが、そこから漏れた光が黒く変色してゆく。黒い光と表現したほうがしっくりくるその光景、見た目だけで言えばどう見ても危険物だが、なぜか俺にはそれが危険なものだと思えなかった。
「ほら準備して、もうすぐ発動するから」
「あ、ああ、わかった」
急いで身支度を整え、道具を四駆に積み込んで乗り込むと、次いでミューリィが助手席に滑り込む。ドアを閉めるのとほぼ同時に黒い光は作業場じゅうにあふれ出し、瞬く間に視界を奪う。質量を伴う闇とでも言うべきか、黒い光は四駆に纏わりつくように揺蕩う。
「……ねぇロック、手を繋いでもいい?」
「……ああ」
言うよりも早く俺の手を握りしめるミューリイだが、その手は小さく震えてじっとりと汗ばんでいる。その理由はきっと……これから使う保険というものを彼女が一度として使ったことがないのだろう。もし過去に使ったことがあるのなら、ここまで緊張することはないだろうからな。
「大丈夫だ、自分を信じろ」
「……うん、ありがと」
より力強く握られる俺の左手。そして周囲の闇が一層深くなった瞬間、猛烈な違和感が俺を襲った。
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違和感は長く続くことはなく、闇は次第に意思を持った生命体のように四駆から離れてゆく。次第に目が慣れてくると、俺たちがいる場所がどこであるかがはっきりと理解できた。だがそれは周囲の風景で、というよりも高みから俺たちを見下ろす存在によって、だが。
『久しいですね、ロック。そしてエルフの娘、どうやらあなたは賭けに勝ったようですね』
以前出会った時に比べれば圧倒的に増した威圧感、おそらく普通の人間であれば立っていることすら至難の業であることは、俺に肩を借りてようやく立つことが出来ているミューリィを見れば明らかだ。探索者としては上級者の実力を持つであろう彼女がこのような状態になる存在は、その視線を俺に固定している。
『ロック、その様子ではゲンの手紙を読みましたね』
「ああ、あんたも師匠の協力者の一人だったって訳か」
見上げる先には金色の双眸。しかし敵意はなく、どこか優しさすら感じる輝き。全身を覆うのは漆黒を体現したかのような竜鱗。どうやら療養は順調だったようだ。
「もう身体のほうはいいのか?」
『ええ、おかげで術を行使できるくらいには回復したわ』
改めて周囲を見回せばかつて見たことのある岩壁。忘れるはずがない、圧倒的強者の風格を持つ存在。さらには見慣れた黒を基調にしたワンピース状の衣服を着た少女と……
『おかえりなさい……マスター……』
「どうしてこんなところに……ああ、そうか、ミューリィが連れてきてたんだな」
大きな赤い瞳に溢れんばかりの涙を溜めている桜花。ただいきなり飛びついてこないのはどういうことだろうか。
『桜花はあなたがこの世界を嫌ってしまったんじゃないかと心配してるのよ』
「そんなことあるはずないだろう。……まぁ一時的に忌避したことはあったがな。お前にも迷惑かけたみたいだな、ノワール」
『べ、べつにロックの為じゃないわ。ただ桜花たちがかわいそうだなって……』
少々顔を赤くしたノワールの後ろに隠れている桜花。そうか、ここでずっと待っていてくれたのか……
「心配かけてすまなかった。完全に大丈夫かと聞かれれば少々怪しいところがあるが、たぶん大丈夫だと思う」
『……ミューリィの匂いがする理由は聞かないでおくわ。おかげでロックが戻ってこれたんだし』
『……マスター?』
俺を見る二人の目が妙に厳しく感じるのは気のせいだろうか。その奥ではミシェルがにやけた顔でこちらを見ている。あれは不可抗力というものであってミューリィを救うためには仕方のないことなのだから多めに見てもらいたい。……まるで浮気がばれた時の言い訳みたいになってしまった。と、こんなことを考えている場合じゃない。
「黒竜、魔王がアイラとセラを呼びだしたそうだが何か聞いているか?」
『魔王リーゼロッテ……とうとう動き出すようですね。おそらく彼女なりに貴方をこちらに呼び戻そうとしていたのでしょう。危害が及ぶことはないとは思いますが、状況によってはわからないでしょう』
「状況によって、だと?」
『はい、貴方が大迷宮の最深部に挑むだけの資質を持っていなかった場合ですね。彼女はあのお方のことを慕っていましたから』
「……俺の母親か」
女神リーン、それが俺の母親の名前。リーゼロッテが魔王として仕えた存在。この世界の調和のために大迷宮に籠った堕ちた女神。未だに解放されない俺の親父の魂に付き添い続けているのか。
「つまり俺がリーゼロッテに証明すればいいんだな、大迷宮に挑むだけの資質があるってことを」
『ええ、彼女はそのために手荒な手段に出たのでしょう。一刻も早く貴方を見極めるために』
「どうしてそんなに急ぐんだ?」
そう、これが最も知りたいことだ。何故リーゼロッテが急いで事を進める必要がある? 大迷宮からの招待状を開封して読んだ訳ではないが、大迷宮に挑むことに期限は無いはずだ。
『ここに来た勇者たちを覚えていますか?』
「ああ、忘れるはずがない」
忘れろと言われても忘れられない。今でもそのことは俺の心の最奥でうずくような痛みを与えている。俺に重傷を負わせ、死の淵を彷徨わせた連中のことをどうして忘れることができようか。
『ではその背後にいた者は?』
「……ランス=バロール」
師匠の手紙にもあった要注意人物、勇者たちを召喚するために多くの人間を生贄にした大罪人。現在行方不明になっていると聞いたが……
『はい、そのランスが……大迷宮を狙っています』
「……なんだと?」
『ランスはかねてより大迷宮を手中に収めようとしていました。そのために虎視眈々と準備を整えていたのでしょうが、召喚した勇者は自滅に近い形になり姿をくらませていましたが……再び姿を見せたようです』
ランスが消えたことはディノから知らされていた。現在捜索中だという話だが、そのことについての新たな情報はなかったはずだ。もしかするとリーゼロッテは斡旋屋としての情報網を使って尻尾を掴んだのかもしれない。
『リーゼロッテは現在街を離れることができません。それは彼女が本来の責務を全うするためです。そしてそれは……貴方の資質を問うことにもつながっています』
黒竜の話を聞き、何となくだがリーゼロッテが担う本来の責務というものが理解できたような気がした。リーゼロッテの屋敷の地下にあった死んだ迷宮、だがどうして一部のギミックだけが動いていたのか。そしてリーゼロッテが斡旋屋を営む理由。もしリーゼロッテが大迷宮に挑む者を見極めようとしているのなら……
「なぁミューリィ、プルカが迷宮都市って言われるようになったのはいつ頃からだ?」
「えっと……確か……あれ? いつからだっけ? かなり昔からだったような……」
『……気が付いたようですね』
黒竜のその言葉で確信した。何故リーゼロッテの屋敷に誰もいないのか、かつて一部のギミックが生きていた理由。それはそうだろう、屋敷を含めたすべてを司る者がそう命じたのなら、その通りになるのは自明の理だ。
「プルカが何故迷宮都市と呼ばれているのか、それはプルカの街そのものが巨大なダンジョンの上にできた街だからだろう。そしてその入り口はペトローザの屋敷だ。そしてそのダンジョンを支配する存在といえば一人しかいない」
何故リーゼロッテが各ダンジョンの情報を細かく集めることができるのか。だがそれはダンジョンの特性から考えれば合点がいく。大迷宮を頂点として上級、中級、初級と権限があるのであれば、大迷宮の次に強い権限を持つのは上級ダンジョン。その権限を使えば情報を吸い上げることなど造作もないということか。
魔王リーゼロッテ、彼女は迷宮都市の地下に広がる上級ダンジョンのダンジョンマスターなのだから……
読んでいただいてありがとうございます。