仮定
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カーテンの隙間から差し込む朝陽はいつものように眩しく俺のまどろみを邪魔してくる。ここ数日の俺ならばそれを鬱陶しく、それどころか親の仇の如く憎らしく思っていた。だが今朝はそんな思いを抱くことは無かった。
左隣を見れば安らかな寝息をたてている金髪の女性がいる。俺の左腕にしがみつき、身体を寄せて眠っている姿からは昨日のあの騒動が嘘だったのではないかとさえ思い抱くなる。だがあれはまぎれもない事実だった。
「あの身体の冷たさ……忘れられるはずもない……」
左腕から伝わってくる温かさはまぎれもなく命ある人間のもつ体温、だが俺の手には、身体には昨夜のあの冷たさがはっきりと残っている。徐々に冷たさが増していく身体を抱くなどという、常軌を逸しているとしか表現できない行為、たとえそれが彼女の最期の願いだとしても、二度と味わいたいものではない。
「まったく……もうあんなことはさせないでくれよ?」
「うにゃ……まだまだ飲めるわよ……」
「幸せそうな夢見やがって……」
起こさないように気を配りながらその頭を撫でてやると、おめでたい夢を見ているであろう彼女が身じろぎをする。柔らかな金糸のような髪がこぼれ落ち、新雪の如き白い肌を彩るとともに朝陽を反射してきらめいている。その特徴的な耳も相まって、非常に幻想的な印象を与えてくれる。
そう、隣で寝ているのは昨日あれほど衰弱していたはずのミューリィだった。だが今はその名残りなど微塵も感じられないほど落ち着いている……というよりも幸せそうだ。
気づいたのは夜明けに近い頃だったと思う。正直なところ、最後どうなったのか全く憶えていない。ミューリィの無茶、というか無謀な【お願い】に応えるという気持ちで一杯だったということもあり、無我夢中だったのだ。まさか眠ってしまっていたとは思わなかったが。
暗い部屋の中、目を覚ました俺は灯りをつけることに躊躇した。それもそうだろう、懇願されたこととはいえ、それが彼女の命の灯を消してしまうことになったのかもしれないのだから。
だが動揺する俺を落ち着かせたのは、左腕に纏わりついている温かい何かだった。その温かさは焦る俺の心に優しく染み込み、落ち着かせてゆく。人の命の証でもあるその温かさはまぎれもなく彼女の存命のしるし、そして奇跡が起こったことの証でもあった。
良かった、と胸を撫でおろした途端、その温かい何かがよりその存在を俺の身体に向けて強調させてきた。鼻をくすぐる馨しい香りは彼女が好んで使っている香水のもの、さらに規則的に聞こえる小さな寝息、そこに確かにいつもの存在を感じた俺は、気のゆるみにも後押しされたおかげか、そのまま再び眠りに落ちていったのだ。
俺は彼女を救ったのだろうか? だが俺にはそんな自覚などあるはずがなく、どちらかと言えば色々とスッキリさせて貰った立場だ。特にあれだけモヤモヤしていた気分だったここ数日では考えられないくらいに穏やかな朝を迎えている。
「……お前に救われたのは俺のほうだ」
ついそんな独り言がこぼれ落ちる。傍から見れば結果論だと一笑に付されそうだが、こいつが自分の命の危険を十分に理解し、あちらの世界ではほとんど無縁と言っても過言ではないだろう【死の恐怖】に直面する覚悟を決め、尚且つ死の領域に片足を踏み込むまでに至った。そう、こいつは自分がこちらの世界で命を落とす可能性が高い、というか間違いなく死ぬとわかって敢えて来たのだ。俺に会うために、俺があちらで経験し、トラウマを抱えるに至った恐怖をその身をもって経験するために。
その真剣さが俺の心の奥底の何かを呼び起こしたのだろうか、でなければ瀕死のこいつの頼みとはいえあんなことを出来るはずがない。そもそも俺が救う手段など知っているはずがない。こいつが助かったのは自分の力で奇跡を手繰り寄せたからに違いない。俺はただ得体の知れない何かに突き動かされていただけだ。
「……う……ん……」
「……起こしてしまったか?」
「……おはよう、ロック」
差し込む朝陽の眩しさにようやく目を覚ましたミューリィが恥ずかしそうに小さな声で朝の挨拶を返してくる。左腕にしがみついたまま掛けられた毛布から目から上だけを出し、上目遣いで見てくるその顔はほんのり赤く染まっている。いつもの飄々とした姿からは想像もできない可愛らしい姿に思わずドキリとしてしまう。
「昨日はどうなることかと思ったぞ」
「そっか……一か八かの賭けだったけど、うまくいったみたいね」
「どういうことだ?」
「実はね……ちょっとした可能性に賭けたってことなんだけど……」
毛布から半分だけ顔を出したままの状態で俺のことを見上げながら、少しずつ事の詳細を話し始めた。だがその内容は途轍もなく衝撃的なものだった。
「実はね、エルフの氏族でもウチみたいな古くから続く氏族に伝わる伝説……というかおとぎ話みたいなものがあってね、その内容がね……精霊や神と契約をしたエルフの話なの。そのおかげでエルフは精霊から力を貰えているっていう、言ってみれば『精霊様に感謝しましょう』っていう感じの、小さな子供向けのおとぎ話なんだけどね……実はその契約っていうのがね、お子様には言えない内容なの」
「お子様には言えないって……」
「……言葉通りの意味。契りを交わすってことなの。純潔を捧げて契約を結んで、その力を与えてもらうって内容なんだけど……正直誰もそんなことを信じてるエルフは誰もいないのが現状だけどね」
よくそんな眉唾のおとぎ話に賭けてみる気になったものだと感心してしまうが、その中にいくつか聞き捨てならない言葉が出てきたような……
「ちょっと待て、お前今純潔って……」
「そうよ、私の初めてをあげたんだから感謝してよ?」
いきなり跳ね起きて俺の顔をまじまじと見つめて言うが、その拍子に毛布がずり落ちてその肢体が露わになる。いつもは薄いとか棒みたいとか思っていたんだが、細身ながらもしっかりと女性らしいなだらかな身体のラインは綺麗という表現が最もしっくりくるだろう。慎ましやかな胸も全体的に見ればとてもバランスが取れており、こんなきれいな女性の純潔を穢してしまったという罪悪感すら沸いてくる。だが俺の複雑な表情を見たミューリィが慌てて言葉を付け加える。
「そりゃ最後の手段ってこともあったんだけど、だからって好きでもない男にこれまで守ってきた純潔を捧げたりしないわよ?」
「これまでって……エルフのお前だと何百年前から……」
「……死にたいの?」
「怒る前にまず身体を隠せ」
「……馬鹿」
突然低いトーンの声に変わったので、まずいと思った俺は咄嗟に話の矛先を変えようととした。一夜を共にし、肌を重ね合わせたとはいえ昨夜は暗い部屋の中、それもお互い余裕など欠片もない状況だったが今は違う。朝陽に照らされて白い肌はおろかその身体のイロイロまではっきりとわかってしまう。それを知ってか慌てて毛布を纏い小さく抗議の声をあげるミューリィ。
まぁ純潔の件は俺がきちんと責任もって対処しなければならないことではあるが、それよりも重要なのは、何故俺と契約したことで彼女の命を救うことになるのかということだ。
「それともう一つ、どうして俺と契ることで助かると思ったんだ? 俺はこちらの世界の人間なんだぞ?」
「それについては一つの仮説を立ててみた……の……」
毛布を巻いたままの姿で俺と向き合うミューリィ。だがそこでようやく気付いたらしい。今まで二人で寄り添って一枚の毛布を使っていた。だがそれを奪われれば当然俺は……
「……これでいいわよね」
「すまん、助かった」
俺の隣に移動してきたミューリィが俺にも毛布をかけてくれる。二人で一枚の毛布を羽織るような形になった。どうやら彼女も多少見られても仕方ないと覚悟を決めたらしい。
「それでさっきの話の続きなんだけど、ロックには他の人には無い部分があるのよ、それは魔力の質と量。ゲンも属性無しだったけど、ロックみたいに量は多くなかった。そしてロックに対してはっきりとした敵意や害意を持った高位モンスターはいなかった。黒竜やアラクネがその例にあたるわね。そして大迷宮から届いた【招待状】、どうして異世界人のロックに届いたのかが理解できなかったのよ。でもね、かなり突飛な仮定をしてみたら腑に落ちる部分が多かったのよ」
確かに俺の魔力量が尋常ではないことは知っている。ユーフェリアの勇者四人も大きな魔力を持っていたが、それは他の誰かの力を奪い取ったもの、純粋な個人としての量ではない。モンスターが敵意を見せないことは……奇妙な縁もあるものだとしか思っていなかった。
「ロックも知ってると思うけど、【大迷宮】には神がいるの。いえ、元・女神ね。世界で唯一どの属性にも属さない力、いえ、全ての属性の原初となる無垢なる力を持つ女神。【大迷宮】の崩壊を阻止するために敢えてダンジョンマスターとなってモンスター達を統べることになった女神が」
「……堕ちた女神」
「そう、世界に生きとし生けるもの、人間も動物も、モンスターにまでも分け隔てなく慈愛を授けるという言い伝えのある元・女神」
その名前は【大迷宮】の招待状が届いた時に皆から教えてもらった。世界そのものを崩壊させてしまうほどに広がりつつあった【大迷宮】の崩壊を阻止するために、女神の地位を捨ててモンスターとなった女神の話を。
「堕ちた女神リーン……ロック、もしかするとあなたは女神リーンに関わる者じゃないかと思うのよ」
ミューリィの立てた仮定は俺の想像の斜め上を遥かに行くものだった。おそらく数分間は唖然として口をあけた馬鹿面を晒していただろう。
活動報告にも書きましたが、現在極度の体調不良に陥っております。何とか少しずつではありますが執筆しておりますが……
他の作品もエタらせるつもりはありませんので、個人の事情で申し訳ありませんが気長に待っていただければ幸いです。
読んでいただいてありがとうございます。