覚悟
ご無沙汰して申し訳ありません。
ちょっとオトナな展開に……
窓から差し込む朝陽がカーテンの隙間から光の帯を作り出している。ここ数日の俺なら鬱陶しいと感じる光だが、今朝はその明るさが妙に心地いい。それに酔いも残っていないようだ。こんなにスッキリした気分は本当に久しぶりだ。
その理由は……きっと向かいのソファで毛布に包まって寝息を立てている存在のせいだろう。この世界に存在するはずのない種族、精霊に愛され、精霊とともに生きる稀有な種族。
「う……ん……」
朝陽が顔に当たったのか、小さく声をあげて寝返りを打つミューリィの長い耳が小さく動く。その周囲に一升瓶やらウィスキーのボトルやらが転がっていなければとても絵になる光景だったが。
ふと時計を見れば既に昼過ぎ、久しぶりの楽しい酒に時間を忘れて飲んでしまったらしい。このままだらだらと惰眠を貪ってもいいのだが、こいつのことだからそんな無駄な時間の使い方をしたら後で何を言い出すかわからない。
「ほら起きろ、外出したいんじゃなかったのか?」
「うーん……あと少しだけ……」
「うわ! このバカ!」
うるさい騒音から逃れるように寝返りを打ったミューリイの雪のような肌の足が毛布からこぼれ落ちる。そしてその勢いのままにずり落ちた毛布の下から現れたのは一糸纏わぬミューリィの裸身。こいついつのまに脱いだ? いや、そんなこと考えてる場合じゃない。
「さっさと起きて服を着ろ!」
「……ん―……あー……おはよう、ロック」
「おはようじゃない! 何だその格好は!」
「だってこの部屋温かいからいいかなーって」
「良くない!」
「そんなこと言っちゃってー、どう? ぐっときた?」
などと言いつつ毛布で体を隠すミューリィ。まあこいつは見た目はいい、というかかなり高いレベルなのは間違いない。艶のある長い髪に雪のような白い肌、神秘的な印象を与える翡翠色の瞳。スレンダーな体型だが、全体的にみるととてもバランスが取れている。ぐっと来るかどうかは敢えて言葉を控えておきたいが、もし一緒に街を歩けば男どもの嫉妬に燃える視線を痛いほど感じるだろう。
「だから早く服を着ろって!」
「もう、照れちゃって。ほらほら、じっくり見てもいいのよ?」
「そんな露出嗜好のある女を連れて外出は出来ないな」
「あ、ウソウソ。ちゃんと服を着るから。ほらこれでいいでしょ」
ぐだぐだなやり取りに飽きたので、外出取りやめを匂わせるとあっという間に服を着た。いつもの探索者としての服装ではなく、若草色を基調とした民族衣装のような服装だ。ベトナムのアオザイのような感じだろうか、ミューリィの細身の身体にフィットしており、とても似合っている。
「なかなか似合ってるな」
「え、あ、ありがと……」
素直に感想を言っただけだが、いつもと違った反応に驚いた。いつもなら「もっと褒めていいのよ」とか言い出すところだが……まだ酔っているのか?
「これでいいわ、さ、行きましょ」
「行きましょって言われてもなぁ……どこに行くか」
「そうねぇ……特にこうしたいとかないんだけど、まずは外に出てみたいわ」
「ならこれを被っておけよ。その耳は目立つから」
「はーい」
前回セラが購入した帽子を忘れていったようで、麦わら帽子のようなものが置いてあったのでそれを手渡した。認識阻害という魔法を使ってもらうという手段もあったのだが、そこまで気を使わせるのも悪い気がした。
こちらの意図していることを理解してくれたらしく、うまく髪を利用して耳を隠して帽子をかぶっていた。
「どう、似合う?」
「ああ、別人みたいだ」
向こうでは探索者としてのイメージが先行していたが、改めて見るとその雰囲気に戸惑ってしまう。外国人モデルのようにも見えるが、はっきり言って各段上のように思える。まさに別人だ。
「ほら、ロックも準備してよ。まさかいつもの格好じゃないわよね」
「あ、ああ、もちろんだ」
実は作業着でもいいかと考えていたんだが、先に釘を刺されてしまった。だがよく考えてみれば、こんなモデルのような美女と一緒に歩く男が作業着だなんてミスマッチどころか怪しい男にしか見えない。
仕方なくジーンズにジャケットというラフなスタイルでまとめ、手早く無精髭を剃って身支度を整えた。こんな服を着たのはいつ以来だろうか。
「へぇ、イメージ変わるね」
「少し落ち着かないが」
「ロックはいつもあの服装だからね」
「まあな、じゃ、いくか」
「うん♪」
心なしかいつもよりはしゃいでいるように見えるミューリィ。俺でさえこいつは絶対にこちらに来ることが出来ないと思っていたので、本人がいつも以上に浮かれていても仕方ないだろう。むしろ俺としてはいつもと違う一面を見ることが出来て嬉しい限りだ。
**********
(うわぁ、きれいな人。モデルさんかな?)
(どこの国の人だろ?)
すれ違う人のほとんどが振り返る。それも当然か、もし俺がミューリィのことを知らずに街で見かけたら、おそらく、いや間違いなく同じような反応を見せるはずだ。
「ね、みんな何て言ってるの?」
「ん? お前が綺麗だって」
「ふーん、なるほどなるほど」
特段隠すようなことでもないので、素直に皆の言葉を伝えてみる。するとミューリィはにまにまと満足気な笑みを浮かべると俺に身体をくっつけてきた。そして徐に左腕に腕を絡めてしがみついてきた。
「ロックは右利きだから左は問題ないわよね」
「何をするつもりだ?」
「どう? こんな美女と腕を組んで歩けるのよ? この幸せ者!」
周囲の男たちの嫉妬の籠った視線が俺に集中する。言われてみれば悪い気はしない。美女を侍らせる趣味はないが、それでも気分がいいものであることは間違いない。しがみつくように絡められた腕からはしっかりと体温のぬくもりが感じられて、妙に意識してしまう。
「まあたまにはこんな日もいいか」
「そうそう、いいこと言うじゃない。あ、あれ美味しそう!」
「それじゃ二人で食べるか」
人の多い通りを歩いているとクレープの屋台を目聡く見つけるミューリィ。甘い香りが風に乗って鼻をくすぐる。普段ならこういう食べものを外で食べるなんてことは絶対にしないが、今は二人ということで、気分が高揚しているようだ。傍から見たらどう思われているかなんて考えないようにしよう。
「こっちの世界って本当に繊細よね、食べ物ひとつとっても向こうとは味の複雑さが段違いだし」
「その分向こうは魔法があるだろう?」
「そうなんだけどね……」
不意に黙り込むミューリィ。一体どうしたというのだろうか。よく見れば先ほど買ったクレープを半分も食べていない。もしかして甘いものが苦手だったか? それとも生クリームが多すぎて胸やけしたか?
「ごめん、ロック。少し具合が……」
「おい! 顔色が悪いぞ……どうしてこんなに冷たいんだ?」
急に俺に身体を預けるようにしなだれかかってきたミューリィの顔色が悪い。色白とィ表現するにはあまりにも白すぎる。まさに顔面蒼白という表現が当てはまる。さらに驚いたのは、腕に伝わってくるミューリィの体温だ。
所謂人肌の体温とは思えないほど冷たかった。これが生きている人間の持つ温度なのかと疑いたくなるような冷たさだった。
「大丈夫……少し休憩すれば……」
「そんな訳ないだろう! 病院……はまずい、タクシー!」
急変した体調を隠そうとしているのか、苦しそうな顔で笑顔を作ろうとしている彼女の姿が痛々しい。いくら医療知識に疎い俺でもこの状況が良くないことだということは理解できる。それも最悪に近い部類に入るのではないかという懸念すらあった。だがエルフである彼女を病院に連れて行くわけにもいかない。とりあえず通りかかったタクシーを止め、自宅に帰ることにした。一向に容体が快方に向かう気配を見せないミューリイの肩を抱き、体温が失われるのを何とか防ごうとしながら。こんなことしか出来ない自分が恨めしい……
**********
日が暮れて暗くなった自宅に帰り、暑いくらいに暖房を効かせ、ベッドに寝かせて何枚も布団を掛けるが全く良くなる兆しがない。息を荒くし、脂汗が額に浮かんでいる。普段の彼女からは想像も出来ないような苦しそうな表情だった。
「ごめんね、ロック」
「しゃべるな、寝てろ」
身体を起こそうとしているのだが、力が入らなくて何とか首だけをこちらに向けて弱弱しく言葉を発するミューリィ。余計な体力を使わせないように制止しようとしたが、首を振って否定しながら言葉を続ける。
「いいの、こうなるのは分かってたから」
「何だって?」
「私はエルフ、精霊から魔力を分けてもらって生きる種族よ。でもこの世界では精霊の魔力そのものが希薄、ほとんど感じられないの。当然そうなれば私は……生きていけないの」
「じゃあどうして来たんだよ!」
こうなることが分かっていながら何故。全く理解が追いつかない。
「私思ったの。ロックのことを、ロックの苦しみを理解するためにはどうしたらいいのかって。ロックには治癒魔法が効かないのなら、綿が同様の苦しみや恐怖を味わうには精霊のいない世界に来るしか無いのかなって……召喚魔法陣自体は黒竜に開いてもらって、その後は自分の魔力で何とか来たけれど、予想以上に魔力を使いすぎたみたい……」
「セラやアイラみたいに食べ物で……」
「一番魔力が籠っているのがお酒だったんだけど、やっぱり駄目だった。でも……どうしてもロックに会いたかったから……どうしても渡さなきゃいけないものが……」
次第にミューリィの言葉が途切れ途切れになる。声も次第に小さくなっていく。なのに俺はただ見ていることしかできない。自分の無力さを今ほど感じたことはない。
「ねえ……ロック……」
「……」
ミューリィの縋るような瞳に思わず息を飲む。と同時に体の奥底からこみあげてくる感情。こんな時に一体俺は何を考えているのか?
「ねぇ……最期は……あなたを感じていたいの……」
「……」
誰かが俺の心の奥底から語り掛けてくる。まさか彼女の最期の願いを叶えてやれとでもいうのか。これほどまでに弱っている女性を……抱けと?
「ねぇ……お願い……」
「……」
弱弱しく布団を捲るミューリィ。いつのまにか彼女は一糸まとわぬ産まれたままの姿になっていた。駄目だ、もう自分の中にある何かから逃れることができない。一枚一枚服を脱いでいくと、それを見たミューリィが嬉しそうに目を細める。
「……ありがとう、嫌なお願い聞いてくれてくれて……」
「……」
ベッドに入りミューリィの細い身体を抱きしめる。抱き返す腕の力の弱さに愕然となるが、それでも俺の中の何かは一向におさまらない。その肌の冷たさを感じながら、その薄桃色の唇を奪う。もうこれが最期だというのなら、思う存分俺を感じてもらうためにも、もう言葉はいらない。そんな俺の想いを感じ取ったのか、ミューリィは身体の力を抜き、俺に委ねていた。
そして……気付けばいつの間にか夜は明けて柔らかな朝陽が差し込んでいた。
読んでいただいてありがとうございます。
新作を開始しました。鍵屋とも召喚士ともタイプの違う話ではありますが、ご一読いただければ幸いです。
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