安息のひととき
お待たせいたしました。年末年始はこのうえなく多忙だったもので……
「あー、独りでこんなにお酒飲んでる! ずるい!」
散乱した酒瓶を見て羨ましそうに声を上げるエルフの姿に思考が混乱する。何故こいつがここにいるのか、こいつはこちらに来ることは出来ないはずじゃなかったのか。一体何がどうなっているのか、まったく見当がつかない。
これまでの悪酔いが一気に覚めた。想定外の事が起きると人間というものは極度のパニック状態に陥り、さらには冷静になっていくのだと初めて知った。今ここでそれを知りたいとは全く思っていなかったが。
「あ、これまだ開いてない! これ飲んでいいでしょ? ね? ね?」
「あ、ああ、そこにグラスがある」
これから開けようとしていた純米大吟醸を目聡く見つけたミューリィは一升瓶にほおずりしながら懇願するように見上げてくる。色々と聞きたいことはあるが、こうなったミューリィを止める手段を俺は知らない。だがダンジョン探索期間は禁酒しているんじゃなかったのか?
「おい、酒飲んでいいのか?」
「いいのいいの、もう目的は達成したも同然だからね。それより私に一人酒させるつもりじゃないでしょうね? ほら、ロックも付き合って!」
「……ああ、わかったよ。ほら、こんなツマミしかないが勘弁してくれ」
ちょっと気になる部分はあったが、正直なところ一人で飲むのも苦しくなってきていた。まさか外に飲みに行って異世界の話をする訳にもいかない。少なくともミューリィ相手なら話が合わないということもないだろう。あたりめやナッツ類などのツマミを渡すと喜んで受け取った。大吟醸のアテには少々チープすぎるかもしれないが、今はこれしかないので勘弁してほしい。
少し前までは別な世界の話なんてのはおとぎ話だと思っていたものだが、今はそちらの話のことしか頭にない。それほどに居心地がよかった場所から離れて寂しくないはずがない。ここにいることがあり得ない相手とはいえ、こいつがここにいるおかげで薄汚れた作業場兼車庫兼倉庫兼自宅が僅かばかり居心地のいい場所になった。
「それじゃ、カンパーイ!」
「飲みすぎるなよ?」
「今のロックに言われたくなーい!」
ミューリィの勢いに流されるように、なみなみと注がれた日本酒を飲む。こいつがここにいる、ただそれだけで全く味気なかった酒が鮮烈な旨さを伝えてきた。ただ酔って何も考えないようにするだけの道具に成り下がっていた液体が本来の姿を取り戻したようだ。
「これ美味しい! ずるいよ、こんな美味しいお酒を独りで飲むなんて!」
「はいはい、俺が悪かった。だから思い切り飲んでいいぞ」
「やったー! ロック大好き!」
一口飲んでその味に驚き、頬を膨らませて怒るミューリィ。向こうで飲んでいたら何を馬鹿なこと言ってるんだと軽くあしらうところだが、今の俺にはそんな気は起きなかった。理由はどうあれ、再び居心地のいい雰囲気で酒を飲めるのだから、感謝の気持ちもこめてしっかり怒られてやろう。
「とりあえず今は初級メインにしてるわね。幸いにも中級以上を攻略できる探索者がプルカから離れているから」
「初級ならあの二人でもコンビを組めば対処できるだろう。ミシェルのサポートもあればより確実だな。ところで探索者が離れているってどういうことだ?」
酒を飲みながら向こうの近況を聞くと、少々気になる情報が入ってきた。プルカはその名の通り多数の迷宮を周囲に抱える街であり、中級や上級の迷宮もその管理地域に存在する。そのために探索者が集まるのだが、何故そこから離れる者が出てくる?
「ペシュカに新たな中級ダンジョンが発見されてね、そこが解禁になったのよ。だから皆がこぞって挑んでいるの。まぁ離れたのもきっと最初だけだと思うから心配していないけどね」
「どうしてそんなことがわかる?」
新たなダンジョンはそのまま探索者の収入につながる重要なものだ。皆が集まるのは無理もないと思うが、何故最初だけだと分かるのだろうか。すべてを取りつくしたというのなら話はわかるが……
「ダンジョンって言うのはきちんと管理しなければ健全な状態を維持できないの。バランスが大事なのよ、ダンジョンと探索者とのバランスが。好き勝手に潜って探索者どうしの殺し合いなんてことだってある。お宝を狙った盗賊だって現れる。そういったイレギュラーな行動がどういう結果をもたらすか、ロックならわかるでしょ」
「ダンジョンマスターか……」
「そう、だから今だけなのよ。ペシュカはダンジョン管理を国が直接やってるから、すぐに国軍の管理下に置かれることになる。そうなれば勝手に入ることも出来ないし、色々と制限がつくわ。ま、今は人の目を盗んでお宝を漁ろうとする連中が集まってるってことよ。その程度の連中がダンジョンでどうなろうと知ったことじゃないけどね」
やっぱり真面目にやるのが一番なのよ、とグラスの酒を煽りながら話すミューリィ。それはともかく俺が気になっていることはまだ言及されていない。酒に夢中になっているのか、それともわざと触れないようにしているのか。
「……俺が戻らないことを……皆はどう思っているんだ?」
最も聞きたくない情報でもあり、最も聞きたい情報でもある。ここに引き籠っていては絶対に知ることのできない情報をミューリィは持っている。今この場においては周囲のことなど気にすることもない。半ば酒の勢いを借りながら、最も重要な情報を得ようと思い切って口にしてみた。
「え? 知らないわよ。ただ、フランはロックが戻らないことも仕方ないことと思っているわ。まぁアイラとセラについては聞かなくてもわかるわよね」
「他の皆は?」
「まぁそれぞれじゃないかしら。ただロックに対して何ができる訳でもないから様子見って感じかな。仕方のないことなんだけどね」
仕方のないことというのは、俺に治癒魔法が効かないという事実を覆す手段が未だ見つからないということだろう。思い返してみれば、よくそんな状態で危険なダンジョンに入っていたものだと自身の無知さに背筋が凍る。だがフランの名が一番に上がったのは意外だ。
「フランはギルドマスターよ。ギルドマスターはギルドメンバーの安全に細心の注意を払う義務があるのよ。そもそもメンバーの身を護ることをしないギルドを誰が信用して仕事を頼むと思う? 信用できないガイドほど危険なものはないわ」
確かに海外の治安のよくない地域ではガイドが旅行者を騙すことはよくある話だ。それを考えれば危険極まりないダンジョンで信頼できないガイドに自身の命運を預けることがどうしてできようか。
だが俺のことを非難する声が出てこないというのは少しほっとした。確かにほっとしたが、それ以上に心の片隅で俺が戻ってくると期待していることも知り、より精神的重圧が増してしまった。このままの状態ではどうすることもできないというのに。
「……お前はどう思っているんだ?」
「え? 私?」
一升瓶を空にして二本目を開けているミューリィは俺の問いに、酒を注ぐ手を止めて少し考え込んだ。いつもは飄々とした雰囲気のこいつが珍しく真剣に考え込んでいるように見えるが、そこに僅かばかりの違和感を感じた。だが考え込む姿にではない。うまく言葉で言い表すことができないが、はっきりとこれと言い切ることができない何かに違和感を感じている。いつものこいつではない何かがあるのだが、それがわからない。
「私は……よくわからない。何が正しくて何が正しくないかなんて私一人で決められることじゃないし。でも、ロックが死にそうになったあのとき、自分の無力さを痛感したわ。偉そうなことを言っておきながら、目の前で死の淵から落ちようとしている仲間をどうすることもできなかった。ゲンの時みたいに」
そして一旦言葉を切り、グラスになみなみと注がれた日本酒を一気に飲み干すと再び言葉をつづけた。
「私たちは……きっとずるいんだと思う。だって私たちは治癒がある。大怪我をしても命を落とすことは稀だし、死んでも蘇生の可能性だってある。だけどロックたちにはそれがない。安全なところにいる私たちが危険な場所にいるロックのことを理解なんてできるわけがない。なのにロックの力を必要としている。だからずるいのよ」
「だがそのかわりにこちらには様々な道具や知識があるだろう?」
「それはこの世界の先達たちのたくさんの努力が積み重なった上に成り立ったものよ。その重みは決して同等じゃない。それをこちらに来て身に染みてわかったわ」
いつになく真剣な口調のミューリィ。それを聞いている間も違和感を払拭できていない。飲む酒もいつものこいつの量ではなく、明らかに多い。アイラもセラもこちらではかなりの食欲だったが、あの二人を上回るかもしれない。
「……とにかく! 今はお酒を飲みましょ! それに色々とこちらのことも知りたいしね」
「外に出るつもりかよ。ならまずはその服を何とかしないとな」
ミューリィの服装はいつもの身体のラインがはっきりとわかるグリーンを基調とした服だ。民族衣装のようにも見えるのでそれで押し通すこともできるだろうが、あまりい目立つようなことはしたくない。
「色々と目に焼き付けておきたいからね……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何でもない。それより明日はしっかりとこの世界を案内してね。それじゃ今日は徹底的に飲みましょ!」
おそらくこいつは明日どうあっても外出して色々と見て回るつもりなのだろう。そちらのほうに気が向いていたせいか、どこか陰りのある表情を一瞬だけ見せたミューリィに気付くことなく、そのまま夜通しの酒盛りに突入してしまった。
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