裏技
ミューリィがどうやって来たのかがわかります。
ギルドにてメルディアのメンバーが今後について思案していた頃、唯一そこに参加していなかったミューリィはダンジョン【ウィクル】の最深部を目指すべく進んでいた。しかしその顔にはいつもの彼女らしさの証である飄々とした様子は微塵も見られなかった。それは焦りだろうか、それとも苛立ちだろうか、だがそのいずれも普段の彼女が滅多に見せることのない表情であった。
「次! 次はどいつなの!」
愛用の細剣を振るい、最後のゴブリンを容易く屠った彼女は剣先にこびりついた血を拭うことも忘れて次の相手を探す。その口調は普段の彼女を知る者であれば別人だと思うだろう程、鬼気迫るものがあった。
『心配いらないわ、きっと勝手に入り込んだ野良モンスターだから。今はここのモンスター発生機能は停止している。気持ちはわかるけど少し落ち着きなさい』
「……わかってるわよ」
背後からかけられるノワールの半ば呆れたような声にも静かに応えることしかできない。焦る心を抑えることができなかった彼女は同行者すら置き去りにする勢いで進み。単独先行した結果、居着いたゴブリンの集団に遭遇したのだ。その数はおよそ三十。
だが探索者としてはベテランの領域に足を踏み入れている彼女がゴブリン如きに遅れをとることはない。それを証明するかのように、たった一人でその全てを殲滅していった。その剣技だけで。
『どうして魔法を使わないの?』
「魔力を無駄使いできないからよ」
『何故そこまでするの? どうしてあなたが?』
「このままじゃ私たちはただの卑怯者よ。私はそれが許せないの」
そう言いながらも歩みを止めることはない。そんな背中を眺めながら、ノワールは昨日のことを思い返していた。
「ノワール、あなたのお母さんに会わせて」
ロック不在の作業場でどこか居心地悪そうにしていたノワールに声をかけてきたミューリィ。だがその理由をいくら聞いても……
「その場に行ったら話すわ。ただ……今のままじゃいけないのはあなたも理解しているんでしょう?」
ただそう繰り返すだけだった。しかしその目は冗談を言っている様子は見られない。
ノワールも今の状況が好ましいとは思っていない。自分のお気に入りであるロックが戻ってこないということに不安を抱く。もう戻ってこないかもしれないというギルドメンバーたちの言葉を耳にする度に心がかき乱される。どうすればこの心の乱れが治まるのか皆目見当がつかない。もしかすると彼女の母親であれば解決策を知っているかもしれない、そう考えてノワールはミューリィを母親に会わせるという決断を下したのだ。
「さあ、先を急ぐわよ。大丈夫、ここは何度も潜っている庭のようなもの、道順はもちろん罠の場所まで全部覚えてるから」
ミューリィは振り返ると後続の者たちに声をかける。そう、今この場にいるのはミューリィとノワールだけではない。
『マスターに会いたいです……』
『大丈夫よ、ミューリィさんが何とかしてくれるから。さ、行きましょ』
彼女たちの後に続くのは桜花とミシェル、ロックの従魔となった二体のモンスターである。彼女たちとロックとの魔力リンクは未だ途切れておらず、そのこともノワールには懸念の一つであった。世界を隔てる壁というものは如何なるものも傷つけることすら敵わぬ強固なものであり、膨大な魔力量を持つとはいえ、違う世界の人間であるロック一人の魔力で壁を通り抜けてリンクを保ち続けることが本当に可能なのか、と。
おそらくノワールの母親は何かを知っている。それを確認する意味もあり、彼女はミューリィ達の同行を許可した。本来ならば他の誰かを連れていくなど、ロック以外ならばその場で殺されてしまうかもしれないのだ。しかし今のミューリィには自分の命すら顧みない覚悟を感じたのも確かだった。
『一体何があると言うの……』
幼体とはいえこの世界では上位に属するモンスターであるノワールにすら理解の及ばない何ががある。そしてその一端を知ると思われる彼女の母。もしかすると何か巨大な流れに飲まれてしまうのではないか、そんな不安を抱えながら最深部を目指す一行だった。
現在、ウィクルのダンジョンはノワールの母である黒竜が療養しているため、本来の機能を停止している。そしてとある階層より下は黒竜の結界により立ち入りできない状態になっていた。外部から侵入した野良モンスターも、この階層までしか入り込んでいなかった。ノワールはその階層に着くと、静かに呼びかけた。
『お母さま、私です。今日はお願いがあって参りました』
と、不意に周囲の雰囲気が一変した。これまでの階層とは明らかに異なる強大なプレッシャーが皆を襲う。だがノワールだけは普段は変化に乏しいその顔を大きく綻ばせた。彼女にとっては懐かしい、自身を優しく包み込む力の波動。すなわち黒竜の力そのものである。
『この者たちをお母さまの元へと連れてゆくことをお許しください』
ノワールがそう言葉をかけるとミューリィたちにかかるプレッシャーが霧散した。ミューリィはかろうじて耐えていたが、桜花とミシェルは顔面蒼白になり座り込んでしまっていた。
『こ、怖いです……』
『こ、これが黒竜……』
「……先を急ぐわよ、こうしてる間にもロックは苦しんでいるはずだから」
何とか立ち上がった従魔たちを鼓舞するかのように言うミューリィ。だがその言葉はそのまま自身を叱咤するものでもあった。この世界でも上位のモンスターの圧力を改めてその身で感じたからだ。そんな存在にこれから無謀とも思えることを頼まねばならないのだ。まさにその命をかける覚悟を持って。
『久しぶりですね、ノワール。元気そうですね』
『はい、お母さま。今日はお願いがあって参りました』
『わかっています。そこのエルフの事ですね』
「黒竜様、私はミューレルの森を治めるエルフ氏族、リューテルが娘ミューリィです」
決して狭くはない最深部の部屋、通称ボス部屋に巨体を横たわらせ首だけを持ち上げている黒竜。その前に歩み出て畏まった口調で片膝をつき、恭しく一礼するミューリィ。右手を左胸に添えるのは彼女の氏族に古くから伝わる敵対の意志が無いことの証明である。以前、転移魔法でいきなり不意打ちを仕掛けられた黒竜に対しての配慮だろう。
『あなたはロックと共にいたエルフですね。この私に何用ですか?』
その声だけでも常人ならば卒倒してしまいそうな迫力があり、跪いたままミューリィは立ち上がることができない。圧倒的強者の持つ威圧に膝が笑っているためだ。つくづくロックはあの時とんでもないことをしていたのだと思い知らされた。こんな存在に真っ向から怒鳴りつけるなど、この世界に対する無知がそうさせたのだろう。
しかし今はそんな彼が苦しんでいる。そしてその結果を何の対処も出来ずに招き入れてしまった自分たちもまた苦しんでいる。こんな状況に陥ってしまったことを誰もが己を責め、前に進むことが出来なくなっている。
あれからミューリィは徹底的に調べた。何故ロックやゲンだけは治癒魔法が効かないのかを。ユーフェリアの子供勇者は他者の力を与えられただけだったが、それでもその力を失った後でも治癒魔法は効いていたらしい。だとすればその違いは一体何なのか。無知な子供には恩恵を与え、己の腕を磨き上げて高みに至った者にはこの仕打ちという理不尽はどうしてなのか。
そして至った結論、それは【分からない】ということ。この世界にいては、この命というものに対する概念があまりにも温い世界にいては分からないということ。ならば厳しい世界には何か手掛かりがあるのかもしれない。あちら側に行かなければ分からない何かが。
あちら側は自分にとっては非常に過酷な世界であることは十分理解している。なのでミューリィのやろうとしていることはギルドメンバー皆が止めるであろうことは容易に予想できる。だからここまでやってきた。今ここでこの程度の威圧に屈する程度の者が
何が出来るというのか。そのためにもここで自身の覚悟を見せる必要があると彼女は改めて決意する。そしてその決意はミューリィの身体に力を与える。足の震えを必死に抑えて立ち上がり、黒竜の黄金色の瞳をまっすぐに見つめ、彼女は言う。
「私はロックの世界に行きたい。そのためにもあなたの力を貸してほしい」
『その言葉の意味、理解しているのですか?』
「はい、理解しています」
どこか興味深げな口調の黒竜。言葉の意味などミューリィ自身は十分理解している。自分の力だけではどうにもならないことも。
「私の力はこの世界に存在する精霊たちの力を借りるもの。この世界とは異なる世界に向かうための力ではありません。なのであなたの力で転移魔法陣を繋いでほしい。そうすれば、魔法陣が繋がりさえすれば私の魔力でもなんとかできるはず」
『……そこまで理解しているのであれば私の危惧していることも了承済みということですね?』
どこか含みのある黒竜の言葉にその真意を理解したミューリィは敢えて口にはせずに首肯だけで意思表示した。少なくとも桜花やミシェルにはその内容は知られたくなかったからだ。
「ロックに覚悟を強いる以上、こちらもその覚悟を示す必要があると思っています。それには……きっと私が適任だと思います。違いますか?」
『……そうですね』
「おそらくあなたはこの世界の、ロックに対しての理不尽な仕打ちの原因が何かを知っているのではありませんか?」
一瞬、黒竜の返答に間が空いたことを不審に思ったミューリィは不意に思った。もしかすると黒竜ほどの上位の存在であれば何か知っていることがあるのでは、と。なのでつい口に出してしまった。
『……今のあなたが知っていいことではありません。ですが……もしあなたが目的を達成することが出来たのなら……その時再びここに来なさい。きっとその資格があるはずです』
「それは一体……いえ、今の私ではダメだということですね。わかりました、ロックを連れて再びここに来ます。その時に教えてください」
ミューリィは己の頭の中を巡っている様々なことを一旦忘れることにした。この世界のことなど今はどうでもいい、ロックを救うことが最優先なのだ。黒竜もそれを言っているのだ、まずはロックを救えと。それを成すことができないのならば語ることは無いと。
『その目、迷いは消えたようですね。いいでしょう、向こうの転移魔法陣にこちらから干渉して主導権を一時奪います。今は起動させて繋ぐところまでしか出来ませんが、そこまですれば後はあなたの魔力の力押しで行けるでしょう。まぁほんの少しだけ後押ししますが』
黒竜がそう言うとミューリィの足元に魔法陣が描かれる。だがそれはディノが使うものとは細かい部分が違うものだった。
『ひとつだけ教えておきましょう、人間たちが使っている転移魔法陣や転移能力、それは元々ダンジョンにしか存在しないものだったのです。何故それを人間たちが使えるようになったのか、それも含めて、あなたが無事戻ってくることが出来たのなら話しましょう。私の言える範囲内で、ですが』
「それは一体どういう……」
そう言いかけた瞬間、ミューリィの姿は闇に飲み込まれるように消えていった。
『お母さま、先ほどのお話はどういうことですか?』
『そうね、あなたにも知っておいてもらわなければいけないことね。ロックのこと、そしてこの世界の隠された真実を。もしあのエルフがロックをこちらに再び連れてくることが出来たのなら、世界は大きく動く。そのためにもあなたには知っておかなければならないことがあるわ。もちろんそちらの従魔たちもね』
ミューリィを送り出すと、ノワールが黒竜に問いかけた。その内容は彼女にとっても聞き流すことができない内容だったからだ。それを聞いた黒竜はノワールたちに静かに語り始めた。自分達上位のモンスターしか知りえないこの世界の真実を……
次回から再び主人公視点に戻ります。なお、黒竜の話の内容はもっと後になってから……
読んでいただいてありがとうございます。