あり得ない訪問者
遅れて申し訳ありません
「私が行く! 私がロックを連れてくる!」
既に日も暮れてかなり経つメルディアの建物の一室、会議室のような広い部屋にアイラの声が響く。いつもならばそれに呼応するように誰かの突っ込みが入るのだが、今はそれすら無い。同席している面々にはそんなアイラにかける言葉が無いのだ。
「おぬしが行っても何の解決にもならん」
「そんなことない! 私が行けば……」
涙を浮かべて主張するアイラだが、ディノがそれを静かに否定する。その理由はここにいる皆が理解している。アイラも理解はしているが納得していない様子で、なおも主張を続けようとしていた。
ここにいるのはロックを除いたギルドの面々、いや、ただ一人ミューリィだけがこの場にいなかった。そして話の内容はもちろんロックのことだ。アイラはロックを連れてくると言って聞かず、皆がその対応に困っていたのだ。
「アイラ……それはとても難しいわ」
「セラ! セラだってロックがいないのは嫌でしょ!」
「それはそうだけど……」
「アイラ、あなたはロックに何て言うつもりなの?」
興奮するアイラに冷静な声がかけられる。その声の主はギルドマスターのフランのものだった。アイラはフランを睨み付けて口を開く。
「フランだってロックがいたほうがいいでしょ! ロックがいればガイドの仕事だって……」
「じゃああなたはこう言うの?『死ぬかもしれないけどダンジョンで仕事して? 私たちは治癒魔法で治るけど、ロックには効かないけどいいよね?』って?」
「そ、それは……」
「私たちには治癒魔法がある。怪我をしても、最悪死んだとしても蘇生の可能性は十分あるわ。でもロックにはそれが無い。わたしたちだけ命の危険がない状況で、ロックにだけ命をかけさせる。そんな理不尽を誰が受け入れると言うの?」
フランはややきつい言い方でアイラを窘める。フランが言ったことはこの場にいる全員が思っていることだ。それがロックを再びこちらに招くことに二の足を踏ませている原因でもある。
ロック一人だけ治癒魔法が効かない。そんな不利な条件を受け入れるようなお人よしがいるとは到底思えない。ロック一人だけ、常に命の危険をすぐそばに感じながら仕事をさせようとしている。その負い目が皆の口を固く閉ざしている。
今はギルドも何とか回っているが、それも今だけだ。いずれ中級、上級のダンジョンに入ることになればアイラやセラだけでは荷が重い。その為にはロックの力が不可欠なのだが、果たして今の状況でロックが招聘に応じてくれるかどうかはかなり怪しい。というより誰もがロックがこちらに来ることは無いだろうと思っていた。おそらくアイラも心の奥底では難しいことを理解しているのだろう。だがそれでも何とかしたいという思いも痛いほどわかるからこそ、だれもが言葉を出すことができなかったのだ。
だが誰もが動けない中、たった一人だけ動こうとしている者がいた。その人物は誰もが想像もしない方法でロックの元へとたどり着こうとしていた……
**********
また無意味な一日が始まる。
もういつ寝入ったのか、そもそも今が本当に朝なのかどうかすら疑わしい。閉め切られたカーテンから差し込む光の強さで今が昼過ぎであろうことがわかるが、正直それがどうしたと言われればどうでもいいことではある。
「くだらない……」
つけっぱなしのテレビは興味を引く内容のものはなく、雑音と映像を垂れ流すだけの機械へと成り下がっていた。床に転がる酒瓶は両手で抱えてもまだ余るほどで、我ながらよく飲んだものだと感心してしまう。
酒瓶を片付けて作業場のほうへと足を踏み入れると、七宝から酒が届けられていた。その中から一本を無造作に抜き出して封を開けると、一気に喉の奥へと流しこむ。
「……今頃あいつらは……いや、こんなこと考えても意味がないな」
思わず頭に浮かんだのは弟子たちのこと。だが今更どうなることでもない。まるで洗い流すかのように酒をあおり、何も考えずテレビ画面を眺めている。こうでもしていないとあちらでの楽しかった日々が思い出されてしまうからだ。もう二度と戻ってこない日々の記憶が。
これが逃げだということはわかっている。わかっているがどう対処すればいいのか。出来ることなら誰か助けてほしいが、果たしてこんな俺を誰が助けてくれるというのか。このままじゃいけないのは分かっているはずなのに……
師匠が今の俺を見たらどう思うだろうか。情けない姿を見せるなと尻を蹴るだろうか。師匠は向こうで亡くなったが、命を落とす危険性とどう折り合いをつけていたのだろうか。せめてそれを教えてから逝ってほしかったが、それは俺の我儘というものだろうか。頼むから誰か教えてくれ……
気づけばカーテンの隙間から差し込む光は太陽の光から月の光へと変わっていた。どうやらまた酒を飲みながら眠ってしまったらしい。作業場のテーブルにはいつもの作業道具が並んでいる。誰かが入ってきて……いや、それは考えすぎか。たぶん酔って記憶が曖昧なままいつものように道具の手入れを始めてしまったのか。この様子だと途中で力尽きて眠ってしまったらしい。
「こんな状態でも身体に染みついたものは忘れないんだな」
テーブルに広げられたままの道具を片付けていると、手元から小さな部品がこぼれ落ちた。確かこれは師匠が大事に使っていた道具の一つ、俺が自前の道具を貰った際、新品ばかりの道具の中にこいつが入っていた。だが師匠は一度もこいつを使っているところを見せなかったが、常に手入れを欠かさずに綺麗に磨き上げていたことをよく覚えている。
「おい待て……くそ、四駆の下に入っちまった……」
そいつは俺の手から逃げるように落ちて四駆の下に入り込んだ。そのまま放置しても良かったんだが、師匠が俺に託した道具だ。無碍に扱うつもりは毛頭ない。
「まあちょっと動かすだけならいいだろ。室内だし」
まだかなり酒が残っているが、こんな状況だ。アクセルを踏まないように注意深くクラッチを離す。アクセルは決して踏み込まず、ファーストギアのままでとろとろと移動させる。
幸いなことにその道具はタイヤを避けるように転がったため、踏みつぶすことはなかった。改めてその道具をまじまじと見るが、磨き上げられてはいるが材質そのものはかなり時間の経過した真鍮のように見える。
「経験積めばこれが何のための道具かわかると思ったんだが……」
その道具は楊枝くらいの大きさの棒で、先端に小さな穴が空いている。縫い針のようにも見えるが、それにしては先端が鈍い。編み棒にしては小さすぎる。これが何のためのものか未だにわからない。
落ちた時についた埃を払い落としながら、腰道具のポーチにしまい込む。これは言わば師匠の形見だ、使わない道具と一緒に埃をかぶっていていいものじゃない。今の俺を師匠が見たら激怒して取り上げられそうだ。
作業場から戻るついでに酒を一本手に取り、その場で開封して飲みながら自室に戻る。行儀が悪いが今は咎める者もいない。こんなモヤモヤした気分を晴らすには自由にさせてもらうのが一番だと思う。ただそれに結果が伴っていないが。
枕元に置いたままの携帯電話は電源を切ったままだ。電源を入れれば相当数の着信履歴があるはずだが、それを確認する気にもならない。どうせ履歴はすべて非通知、非通知拒否にしているはずの携帯電話に非通知でかかるのはギルドの連中しかいない。
だが電源を入れないのにはもう一つ理由がある。もし電源を入れて着信履歴が一件も無かったら……電源を入れてもずっと着信が無かったら……そう考えると恐ろしくて携帯電話を操作する手が震えてまともに扱うことが出来なかったからだ。
俺はこんなに弱い人間だったのか。弱くて情けなくて惨めで、こんない小さい人間だったのか。改めてそう突き付けられた気がした。こんな小さい携帯電話ひとつにびくびくと怯えて酒に逃げて、辛い現実から目を背けて耳を塞いで、こんな小さな男が弟子を取るだと? 師匠の意志を継ぐだと? 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
と、自己嫌悪に陥っていた俺は異変に気付いた。四駆を動かした場所にあるのは召喚魔法陣。それがうっすらと光っている。だがそれはいつもの眩い光ではない。
うまく表現が出来ないが、敢えて言葉に表すとすればそれは黒い光。そう表現するしかない黒い何かが魔法陣を包み込んでいる。いや、これは起動させようとしている?
いつもとは違う状況に戸惑う俺を他所に、魔法陣に纏わりつく黒い何か。それは明らかに魔力だった。そしてこの魔力には覚えがある。だが彼女はこんなことをするだろうか。彼女はまだダンジョンの奥で療養中のはずだ。
魔法陣の黒い魔力は次第に濃密さを増していた。だが突然そこに大きな変化が訪れる。黒い魔力は霧散し、その場を席巻したのは新緑のような風。澱んだ空気を浄化する清涼なる一陣の風。そして次第にはっきりと姿を現す一人の特徴のある女性。
まるでモデルのようなスレンダーな身体に腰まである艶やかな髪。何より異質なのはその長く伸びた耳。この世界には決して存在しない種族。
なぜこいつがここにいる? こいつはこちらの世界では生存することができないはず。なのにどうして? 思考が混乱する。理解が追いつかない。この現実を受け入れられずに茫然としてしまう。だがそんな俺を小馬鹿にするように、こいつは笑みを浮かべながら魔法陣から一歩を踏み出した。
「てへ、来ちゃった」
「どうしてお前がここにいるんだよ、ミューリィ」
そう、本来ならこちらの世界に来ることが出来ないはずのエルフ、ミューリィ=ミューレルがこの場に現れた。
読んでいただいてありがとうございます。