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異世界でも鍵屋さん  作者: 黒六
第14章 だいじなもの
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戻らないという逃避

主人公視点→第三者視点へと変わります。ご注意ください。

 窓から差し込む陽光と、都会の喧騒に重たい瞼を開く。時折聞こえる、近所の保育園の庭で子供たちがはしゃぐ甲高い声が妙に耳が痛い。室内には嗅ぎなれた錠専用の潤滑オイルの匂いが溢れている。ただそれとも違う匂いも多分に混ざってはいるが。


「また寝入ってしまったか……」


 これで何日目だろうか、また同じことを繰り返している。昼も夜もなく、ただだらだらと時間だけを浪費している。あるモノに頼りながら。


「もう切れたか。また買いに行かないと……」


 周囲を見れば、そこかしこに転がる空の酒瓶、空き缶にツマミの袋。自分でも感心するほど酒浸りだった。そうでもしなければ正気を保っていられなかったからだ。




 日本での休養に戻ってきた俺は、早々に皆への土産を買いこんでいた。道具の準備も済ませていた。そして残った時間でのんびり身体を休めていた。再び向こうの世界に戻るため、しっかり英気を養わなければと思っていた。

 だが期日が近づくにつれ、心における不安の割合が次第に大きくなっていった。皆が待っている、しっかりしなければ。そう考えれば考えるほど不安は大きくなってゆく。どうすればこの不安を払拭できるのか、見当もつかなかった。

 以前好きだったテレビのバラエティ番組を見たり、映画のDVDをレンタルしてみたり、アダルトなDVDをレンタルしてみたりしたが、そのいずれも非常に無味乾燥したものに感じられた。ただ漠然とテレビの画面を眺める毎日、映像が終了したことにさえ気づかない。


「日本はこんなにうるさかったのか……」


 あちらでの生活に馴染んでいたせいか、日本の喧騒がとてもうるさく感じられた。夜は虫たちの大合唱、それにアクセントを加える獣たちの遠吠え、その音がとても懐かしく感じた。

騒音から逃れるために耳栓をし、避難するように久々に自室のベッドに入って毛布を頭からかぶったが、それでも広がる不安は留まることを知らなかった。


「軽く一杯やれば気分よく眠れるかもしれない」


 そんなことを考え、部屋の片隅に置いてあった缶ビールに手を伸ばしたのが始まりだった。常温だが、これから眠るというのに身体を冷やすわけにもいかないのでそのまま飲んだ。だがいつもの爽快感など微塵も感じられなかった。かろうじて味は感じられているが、とても薄い味に感じられた。なので立て続けに三本飲み干したが、一向に心地よい酔いは回ってこない。


「もう少しきつい酒のほうがいいかもな」


 ビールを諦めて秘蔵の焼酎を開ける。コップに注ぐのももどかしく感じたので、そのままラッパ飲みにした。だが結果は同じく、酔いは来ない。いや、酔ってはいるのだろうが、高揚感がまったく無いのだ。

そしてやはり味も感じられなかった。この焼酎はネット予約で半年待ってようやく手に入れた逸品、それなりに値の張る買い物だったのだが、期待していた感動などなかった。お徳用のペットボトル入りの焼酎と何ら変わらない。酒というものはこんなに味のしないものだったのだろうか。

 いや、向こうで飲んだ酒が美味すぎただけだ。どんな酒でもギルドの仲間たちと飲む酒は格別の味だった。それを思い返してより一層不安は大きくなった。不安を隠すように酒の量は増えてゆき、その味の無さに向こうを思い出し、さらに酒で抑え込もうと量が増えるという悪循環に陥っていった。

 こんな状態で召喚に応じられるはずがない。酒浸りのだらしない姿を見せたくない。

 いや、それは建前だ。本当は怖いだけだ。もし向こうに行って俺の居場所が無かったら、誰にも必要とされていないことを再認識してしまったら、そして……命を落としてしまうような事態に陥ってしまったら、そう考えると魔法陣に近づくこともできなかった。

 だがそれでも何とか勇気を振り絞って、皆に頼まれていた物資や土産類だけは魔法陣の中央に運び込んでおいた。せめてこれで溜飲を下げてほしいという詫びのつもりだが、こんなものでどうにかなるものではないと頭では理解している。理解はしているが、こんなことでもしなければ皆の期待を裏切ってしまうという罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。


「……すまない。俺はもうそっちに行ける状態じゃないんだ」


 約束の時間になり、次第に光を放ち始める魔法陣。それを傍から眺めている俺。いつもは自分が魔法陣の中にいるので、こうして発動している魔法陣を見るのは初めてだった。光が一際強くなった瞬間、魔法陣の中の品物が消えた。そのとき俺はなぜかほっと一息ついていた。根本的な問題が解決したわけでもなく、ただ先送りにしただけだということは理解できているはずなのに、今この時の精神の安定を図ることで自分自身を安心させていた。




「おや? 珍しいね、歩きだなんて」

「ああ、ちょっと昨日深酒してまだ抜けきってないんだ」


 酒が切れたので七宝に来たのはいいが、親父さんに怪訝な表情をされてしまった。いつもは四駆で乗り付けているので、歩きで来る俺に違和感を感じているのだろう。まだ酒臭い息を吐いているので、こんな状況で運転したいとは思わない。


「ずいぶん飲んだみたいだね、店の外からでも酒の匂いがしたよ」

「まぁ色々あって……」


 親父さんは俺がずっと飲んでいたことをすぐに看破した。それも当然か、俺が酒を覚えたのもこの店で買った酒だった。それ以来自宅飲みの酒はいつもこの店だ。


「あまり飲みすぎると仕事に支障が出るよ。こっちも商売だから強くは言えないけど、悪い飲み方してるみたいだからさ」

「ちょっと仕事で色々あって……」


 俺の状態からどんな飲み方をしているかまで看破されてしまった。いわばこの人は俺の酒の師匠とも言える人だ。言葉こそ柔らかいが、飲み方が悪いと必ず指摘してくれるありがたい存在だ。


「じゃあいつもの組み合わせで届けておけばいいかな?」

「何かお勧めのものがあればそれも頼む。作業場のシャッターの鍵はいつものところだから」

「はいよ、いくつか見繕って届けておくから」

「よろしく」


 親父さんが妙に店の奥、自宅部分にしきりに目をやっているが、何かあったのだろうか。奥さんと喧嘩でもしているのだろうか。だがそんなことは今の俺にはどうでもいいことだ。俺の悩みなんてこの世界の人間には理解してもらえるはずなど決して無いのだから。心配そうな目を向けてくる親父さんに声をかけると七宝を後にした。



**********



「どう思う、鈴花ちゃん。かなり弱ってきてるみたいだけど」

「まさかこんな事態になるとは思っていなかった。向こうの人間に今のロックの状態を理解しろと言うのが無理だろう」

「やっぱりあの一件が原因?」

「ああ、瀕死の状況に陥って、無意識のうちにその原因に近い状況を忌避するようになってしまったんだろう」

「どうにかできないの?」

「出来なくはないが、無理矢理精神を弄ることになる。それにロックみたいな存在に施した前例が無い。万が一にも精神が負荷に耐えられなくなってしまってはどうにもできない。月並みな言葉だが時間が解決するしかないかもしれん。もしあいつを支えてくれる者がいればいいんだが、少なくとも向こうの世界の人間では逆効果にしかならんだろう。いくらディノやあの娘たちでもな」

「それはどうして……ああ、そうか。そういうことであれば絶対に無理だね。ロックちゃんの抱えている恐怖を本当に理解していないんだから」

「そういうことだよ。だがこちらの人間ではロックが悩んでいる原因そのものが理解できないだろう。まさかダンジョンで死にかけたせいでダンジョンでの仕事が出来なくなったなんてな。そもそもこちらの世界にダンジョンなど存在しないんだからな」


 店の奥から出てきたのは流山鈴花、灰皿を片手に銜えタバコで顔を出したその顔には明らかな懸念の色が見えた。


「私がもっと早く助けていればこんなことにはならなかった! それ以前に奴らを始末してしまえば良かったんだ!」

「でもそれは仕方がないことなのは自分でも理解しているんでしょ? 今の鈴花ちゃんの力では過剰な干渉はできないって。向こうからの手助けがあって初めて干渉できるんだって。それにさ、日本人を手にかけたとロックちゃんが知ったとき、鈴花ちゃんはどんな顔でロックちゃんに会うの?」


 珍しく声を荒げる鈴花。咥えたタバコから灰が落ちるのも気にせずに己の心の内を吐き出す鈴花を親父さんが嗜める。ややきつい言葉ではあるが、それが当たっているからか鈴花は何も言えずに俯いてしまう。

 確かにもう少し早くロックを救っていればこんなことにならなかったのかもしれない。だがそうできなかった大きな理由が鈴花には存在したのだ。もしそれを無視したのなら、どのような事態になるかすらわからなかった。自分にとっても、ロックにとっても。


「なら私はどうすればいいんだよ……あいつは私の……」


 俯いたまま嗚咽を漏らす鈴花。親父さんはそれを黙ってみているだけだ。いや、その拳は固く握りしめられており、食い込んだ爪により手のひらが破れて出血していた。それほど彼にとっても今のロックの姿は痛々しくて見ていることが辛かった。ロックは大切な親友から託された大事な存在、そんな存在がここまで苦しんでいる。

 このまま日本にいれば命の危険はないだろう。だがロックはあちらの世界で大事なものを失ってしまったのだ。それは日本で取り戻すことはできない。再び手にするにはもう一度あちらに行かなくてはならない。だがロックの心と身体がそれを拒んでいる。命の危険を感じ、防衛本能を最大限に発揮してそれを止めている。


 一体誰がロックを救えるのか、彼らには皆目見当がつかなかった。代われるものなら代わってやりたかったが、今の自分たちでは自由に行動することができない。かつてはできたのだが、今はできなくなっていた。その理由は何となく理解しているが、自分たちではどうすることもできない。それもまた口惜しかった。


「あとは向こうでロックちゃんの抱える恐怖を理解できる存在が現れることに期待するしかないよ。ごくごく細い希望の糸だけど、それに縋るしかないんだよ。僕らにできることは、こっちで支えてあげることしかできないんだから。今はね」

「……ああ、わかったよ」


 鈴花は顔を上げて涙を拭う。その顔にはいつもの勝気な面影は微塵もなく、大切な人の無事を願う者の表情だった。


読んでいただいてありがとうございます。

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新作始めました。現代日本を舞台にしたローファンタジーです。片田舎で細々と農業を営む三十路男の前に現れたのは異界からの女冒険者、でもその姿は……。 よろしければ以下のリンクからどうぞ。 巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者
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