信じがたい現実
お待たせして申し訳ありません。
「うわーん、ミシェルがいじめるー!」
「うう……確かにミスした私たちが悪いですが……これはあんまりです……」
『何言ってるの? 中級以上のダンジョンでは即死トラップが当たり前のように出てくるのよ? これくらいで音を上げられたら困るわ』
宝箱姿のミシェルの呆れ声が響く。確かにきつめのお仕置きを頼んだのは俺だが、これはちょっとどうかと思う。その悲惨な光景に頼んだ俺すら若干引いてしまう。
目の前にはアイラとセラが座り込んでべそをかいている。そしてダンジョンの中だというのに、彼女らの全身は泥まみれになっている。この部屋には水など無いにもかかわらずだ。
「ほら、洗浄するからこっちに来なさい。ロックは覗いちゃ駄目よ?」
「ダンジョンの中でそんな気を起こすか!」
「それが意外といるのよ。場合によってはかなりの長期間潜っていることもあるし、そこに男女がいれば自然と……ね」
「まじか……」
いつモンスターが出てくるかわからないダンジョンで……信じられない話ではあるが、よくよく考えてみればあり得ないことではないのかもしれない。生物は危険な状況に陥ると子孫を残そうとするという本能があると誰かが言っていたような……。それに吊り橋効果だったか、共に危機感を感じた男女が恋愛関係になりやすいらしいし。
「私は……ロックなら……」
「アイラずるいです。私だって……」
「はいはい、そんな泥まみれの女の子に何かしたいなんて特殊な性癖をロックが持ってたらの話だけどね」
ミューリイが何故かもじもじし始めた二人を連れて部屋の隅のほうに向かう。確かに俺はそんな性癖を持ち合わせてはいないが、あいつの考えている特殊な性癖というものがどんなものか少々問いただしたい気分だ。だがそれよりも先に……
「ミシェル、あれはやりすぎじゃないのか?」
『あら、宝箱の解錠に失敗したらそれなりのペナルティがあるのはロックも知ってるでしょう?』
「だがまさか泥水が噴き出るなんて誰も思っていないだろう」
『想像できる範囲の罠じゃ対策取られるかもしれないでしょ? そもそも失敗しなければいいことだし』
「それを言われれば返す言葉も無いが……」
日々の訓練は大事だが、それが身に着くかどうかはどれだけ訓練に集中できるかにかかっている。そのためにここクランコまで足を運び、ミシェルに手伝ってもらっているんだが、いちいち失敗するたびに泥水まみれになるのではたまったものではない。
「もうすこし考えたものにしてくれ。これじゃ時間がいくらあっても足りない」
『そんなこと言ってもねぇ……そうだ、今度失敗したら私がロックと一晩……』
「「「それは却下!」」」
綺麗に泥を落として戻ってきた二人が声を揃えて反論する。だがどうしてミューリィがそこに混ざっているんだ? それにそのペナルティは俺が了承しなければ全くもって無意味じゃないか。
「ロックを宝箱に発情するような変態にはさせないわ!」
「そうだよ! ロックは私の尻尾に発情するんだよ!」
「いいえ、ロックさんは私に発情するんです!」
「お前らな……俺を何だと思ってるんだ?」
発情発情ってまるで動物みたいな言い方をしないでほしい。少なくとも俺は種馬のように誰彼構わずということはない。相手はきちんと選ぶことにしている。
「そもそもどうして失敗したかを理解しているか? どういう経緯でどんなミスにつながったか、それを把握しておかなければ同じミスを繰り返すぞ」
「だってセラが右だって言うから右に回したんだよ?」
「あれはアイラが回しすぎたんでしょう? 私は右に少しだけって言ったわ」
「つまりお前らの連携がうまくいってないということだな? お互いの長所を見習えといつも言ってるだろうが」
俺の叱責を受けてしゅんとなる二人。この二人を組ませているのはお互いにないものを持っているからだ。組んで作業することで自分にはないものを会得するというやり方は師匠が俺にしてくれたことを思い返して俺なりのアレンジを加えたつもりだ。
師匠に弟子入りしてから数年は道具すらまともに握らせてもらえなかった。いや、作業場での練習では道具を使わせてもらっていたが、実際に客先での仕事となると荷物持ちか準備・後片付けなどの雑用しかさせてもらえなかった。そして師匠の作業中は、ただひたすらに師匠の作業を見ていた。背後で、すぐ隣で、少し離れたところでと様々な角度で師匠の作業の一挙手一投足を目に、脳に焼き付けていた。一度だけデジカメを持って行って写真を撮ろうとしたこともあったが、客先だというのに師匠の蹴りを尻に受けることになった。
「テメエはその写真の全部を覚えられんのか? 作業中にわからねぇことがあったらその都度カメラ出すのか? そんな覚束ない奴に仕事を任せる莫迦がいると思ってんのか?」
いつもそうやって俺を蹴り飛ばす師匠のもとを逃げ出そうと思ったことなど数えきれないが、そこで本当に逃げ出してしまっては全てが終わってしまうような気がして実行に移すことができなかったが、今思い返してみれば師匠の言葉は理解できる。
自分にないものだからと否定してしまうのではなく、それを何かの糧にしようとすることで新たな何かを見つけてほしい。ここは日本ではなく魔法という未知の概念が存在する世界だ。俺にはできない二人独自の道というものがどこかにあるはずだ。今すぐにみつけることはできないだろうが、せめてその手がかり足がかりとなる何かだけでも掴んでほしいと思っている。
『実際にどこが間違ってたのかを見せてあげたほうがいいんじゃないの? そのくらいのヒントはあげようよ』
「そうだな、初見でノーヒントってのはレベルが高すぎるか」
ミシェルは錠の内部構成を自由に変えることができるらしい。もっとも彼女の知識の中に無いもの、知識だけはあっても理解できないものは構築できないそうだが。
『私の記憶の中に全く知らない知識があるの。たぶんモンスター化したときに流れ込んできたものだと思うんだけど、全然理解できないから再現できないのよ』
以前そういって再現を試みたミシェルだったが、現れたものは全く意味を為さないものだった。鍵穴もないただの金属の板、だがそこに何かの仕掛けがあるようには見えず、使い道も全くわからない。
『ね、こんな感じなのよ。とても大事な知識らしいことはわかってるんだけど、それをどうしたらいいのかがわからないから今は放置してるのよ。まぁいずれ解る時が来るでしょ』
確かにわからないことをそのままにしておくのは小骨が喉に刺さったままにしておくような嫌なものだと思うが、かといって今すぐに何かしなければならないということでなければ後回しにしてもいい。大事なことであればいずれ必ずそれが必要になる時がくる。その時に解明していけばいい。今わからないことでも色々と知識を積み重ねていけばわかる可能性も高い。今はまず二人に手本を見せてやることが大事だ。
『難易度はどうする?』
「任せる。しっかりと手本にできるようであれば何でもいい」
『了解、それじゃ上級ダンジョンの中階層あたりのものにするわ』
宝箱の姿のままミシェルが言うと、うっすらと淡い光が宝箱を包み込む。と、何やら金属がこすれあうような、何かが軋むような正体不明の音が十数秒続いた後に光が消えた。外見は先ほどと同じ宝箱のままだ。ということは錠だけが変わったのか?
『準備はいいわよ』
「よし、いくぞ」
『いやんっ! 変なところ触らないでよ、触るならベッドで……』
「ふざけたこと言ってるんじゃない。邪魔すると放置するぞ」
『ちょっとした冗談じゃない』
「冗談は時と場所を考えて言え」
空気を読まないミシェルの冗談を軽く流しつつ、腰の道具入れに手を伸ばす。いつもの解錠道具を取り出そうとするが、珍しく取り損ねて落としてしまった。
「ほら見ろ、お前がくだらない冗談を言ってるから落としただろ」
『それ私のせいなの?』
ミシェルには軽口を言ったが、何かが違う。この道具は俺が常に手入れをして最善の状態を保っている、俺の手に合う世界で唯一の道具だ。そんな大事な道具を取り落とすなんて今まで一度もなかった。まるで俺の手から逃げるように、指先をすり抜けていった。
(体調は悪くない、むしろ以前よりいいくらいだ。どうも嫌な予感がする)
改めて手を伸ばせば、今度は問題なくつかむことができた。きっと一時的な何かだろうと安易に結論を出して宝箱の鍵穴へと向き合う。鍵穴はウォード特有の形状、だが上級となれば一筋縄ではいかないはず。となれば内部構造が複雑なのか?
テグスに持ち替えて錠の内部を探ると、確かに上級と言われるだけのことはある。単純なウォード錠でありながら、内部の構造はこれまでに見たどの宝箱よりも複雑だった。だが仕組みさえわかれば問題ない、後は細部をしっかり把握しながら僅かずつ解錠すればいい。
再び解錠道具に持ち替えて鍵穴に挿そうとした時、明らかな異常に気付いた。あとほんの数センチというところで、突然胸に痛みが走った。そして強張る全身はセメントで固められたかのように動かない。だが皆が見ている、こんなところで無様な姿を見せる訳にはいかない。動かない体を必死に動かして、かろうじて鍵穴に解錠道具を挿しこむことに成功する。
しかし状況は悪くなる一方だ。痛みはじわじわと全身に広がってゆき、背中に嫌な汗が大量に流れる。視界はぼやけ、眩暈が襲う。腹部に猛烈な不快感が走り、吐き気がこみあげる。一体何が起こっているのかを考える余裕すらない。まるで俺の体が拒絶しているかのようだ。そしてついに腕が痙攣を始めた。
やばい。そう感じた時には時すでに遅し、痙攣は右腕に持ったままの解錠道具に意思とは全く異なる動きを伝えてしまった。
がちっ……
いつもの聞きなれた解錠音ではなく、歪な作動音がやけに耳に残る。解錠に失敗した者に制裁を加えるという、明らかにこちらを傷つけようとする意思さえ感じられるその音に全身の毛は逆立つ。すぐにでもこの場を離れなければと体に退避の意思を伝えるが、俺の体は他人の体であるかのように指示に従わない。
『え? 嘘? ちょっと待って?』
ゆっくりと開かれる宝箱の蓋。そして慌てた、というか茫然としたようなミシェルの声。蓋の隙間から見えるのは金属のような鈍い輝き。ほんの一瞬のはずなのに時間がやけにゆっくりと流れる。
「危ない!」
すぐそばで聞こえた声、そして首元に走る強い衝撃。その直後に目の前を通過してゆく二条の鈍い光。そして冷たい土の感触に思考かやや冷静さを取り戻すと、俺が地面に倒れているということだけは理解できた。そしてそれが信頼できる仲間の手で為されたことも。
「大丈夫だった? ロック」
「……すまん、ロニー」
今まで見たこともないような心配そうな表情のロニー。いつもの飄々とした様子はまったく見られないが、そんなことはどうでもよく思えるくらいに俺の思考はたった一つのことに囚われていた。
俺はこの世界に来て初めて解錠に失敗したという現実に。
読んでいただいてありがとうございます。