白亜の城③
遅くなって申し訳ありません。リアルが超多忙なもので……
リルさんの話です。
そこは異様な空間だった。
一見すれば手入れの行き届いた庭園そのもので、そこかしこに色とりどりの花が咲き乱れている。花々からは芳しい香りが漂い、それに誘われるように極彩色の羽を持つ蝶が花の間を飛び交っている。
蝶たちの戯れを見守るかのように照らす太陽の光は柔らかく、思わずまどろんでしまうかのように暖かだった。
リルはその庭園の中央に設置されたテーブルセットへと案内されていた。普通に考えれば優雅な庭園でのティータイムなのだが、ここユーフェリア城のかつての住人であったリルは城内の構造を知り尽くしている。そんな彼女だからこそ、この幻想的な場所をどうしても受け入れることができなかった。あからさまな戸惑いの色をその顔に浮かべながら周囲を何度も見回す彼女に、対面して座る女性は柔らかな笑みを絶やさずに高価そうなカップを優雅な仕草で口へと運ぶ。
『お姉さま、この風景は覚えがありますよね? 幼い頃私に語り聞かせてくださった御伽話を再現したものですよ。とある国の姫君が王子様と出会う庭園のシーンです』
「え、ええ、懐かしいわ」
リルは自分のいる場所を信じることができなかった。城の構造を何度も思い返してみたのだが、自分の記憶が正しければこの場所にこの光景があることを受け入れることができない。
(ここにこんな光景があることがおかしい! だって私は案内されている間一度も外に出ていないのよ?)
リルは妹のシルファリアだったモノに案内されるままにこの場所へと連れてこられたのだが、自分の記憶が正しければ一度も建物から外へは出ていない。それどころか、今いる場所は城内でも最奥、謁見の間に近い場所のはずだった。何故そんな場所にこんな庭園があるのか、さらには陽光が差し込むなんてことがあるはずがない。
『お姉さま、今この城は私が支配するダンジョンと化しています。ダンジョンには常人の理解の及ばない力が作用しているんですよ?』
「理解の及ばない力?」
リルの表情を見るまでもなくその動揺を感じ取ったのか、瞳を閉じて茶の味と香りを楽しんでいたシルファリアはその瞼を上げることなくリルの疑問に答える。リルも今ではギルドの受付嬢であり、自らダンジョンを探索した経験は無いとしても基礎知識としてダンジョンのことは勉強していた。
ダンジョンには特殊な場所が存在する。それは通常では有り得ないような環境が展開されている場所だ。遺跡やジャングル、地下洞窟のような所謂【テンプレ】なダンジョンが大多数を占める中、ごく一握りだが上級でもさらに上位に分類されるダンジョンにはそのような場所が存在することも数少ないが報告されている。
曰く、マグマが流れ出る火山地帯があった。曰く、極寒の白銀世界だった。曰く、荒波打ち付ける海岸だった。曰く、何も無い空間だった。……などの情報が残っている。
全てに共通するもの、それは全てが強大な力を持つダンジョンマスターが支配するダンジョンということだ。
(シルファはそれほどまでに強力なダンジョンマスターになったというの?)
目の前の女性は醜く焼けた顔の左半分を仮面で隠していることを除けば、リルがかつて可愛がっていた妹のシルファリアそのものだった。彼女はリルと同腹の妹であり、シルファリアを産んですぐに母親は病死していた。それ故に幼いながらもリルは母親のかわりにシルファの面倒を見ていた。本来ならばそういったことは乳母や侍女の役目だったのだが、陰謀渦巻くこの王城ではそれすらも危険に思えたリルのささやかな抵抗だった。
『ミルファは私達を追い出して好き勝手していたようですね』
「……あの子は野心の塊のような子だったからね」
ミルファリアは第二王妃の娘であり、王位継承権は三位だった。第二王妃は野心家であり、なんとしても自分の生んだ娘を王位につけたかった。ユーフェリアには女王がいたことはあるが、しきたりとして王もしくは女王の配偶者が即位することは禁じられていた。つまり、国王が崩御すれば三人の娘の誰かが女王になることは確約されていた。だが、その第二王妃も自身の暗殺を恐れた国王により刺客を送られて命を落としている。
『でも、そのせいで罪もない命が数多く失われました。この国は変わらなければならない時に来ているんです。お母様が亡くなったのだって……』
「……お母様は病気で亡くなったのよ。それはあなたも理解していることでしょう?」
『……お姉さま……』
リル自身も母の死因について疑問はある。だがそれを追求していけば泥沼へと足を踏み入れることは確実と判断した彼女は、王族の意識を変えることが亡くなった母に報いることだと考えて国の上層部を内側から変えようとした。だがそれも志半ばで放逐されてしまったのだが……シルファリアの処刑という残酷な結末とともに。
『お姉さまは悔しくないんですか? 本来であればお姉さまがこの国を背負っていくべきなのに、あんな欲にまみれた連中のせいで市井の庶民に身を落として……』
「私は今の暮らしに満足しているわ。毎日がとても充実してるの」
シルファリアの言葉をきっぱりと否定したリルは出された茶を一口飲むと、目を閉じて思いにふける。確かに放逐された直後は自分でもどうしてよいのかわからずに自身を見失っていた。放逐直後は自分を事故に見せかけて殺そうとする王族の放った刺客に怯えて暮らしていたこともあり、精神的に極限まで消耗していた。
だが逃亡生活の末に流れ着いたプルカで偶然ディノと出会った。リルも国王主催の夜会に招待されていたディノの顔は知っていたこともあり、藁にもすがる思いで自分の状況を説明した。ちょうどそのころ、ディノはフランの両親とともにメルディアを立ち上げた直後で、隠れ蓑がわりにとギルドの受付の仕事をしてもらったのだ。ユーフェリア第一王女リルファニアではなく、ただのリルとして……
「もう今の私は王族とは何の関係もないの。……リルファニアは逃亡生活の末に死んだのよ。今の私はギルドの受付を担当する【リル】なの」
『……お姉さまは既に受け入れてしまっているようですが、私はそこまで割り切ることが出来ません。このままいけばこの国はいずれ腐敗の極致へと進んでいくことでしょう』
シルファリアのカップを持つ手がかすかに震えた。それは抑えきれない感情の顕れのようだとリルは判断した。王族として国民をより豊かな暮らしへと導く義務を遂行できなかった悔しさ、ミルファリアを始めとする腐った王族の思惑に乗り、多くの無垢な命を犠牲にしてしまったという自責、自らの処刑という罰を受けたにもかかわらず、同じ轍を進む馬鹿な親族への怒り、そういったものが彼女の心を支配しているのだろうと。
「ねぇ、城内にいた人たちはどうしたの? ……まさか!」
『私は既に人間ではありませんが、生前の誇りまで捨てた訳ではありません。彼等を殺したとしても、また同じような屑が湧き出てくるのが関の山でしょう。それに、そんなことをすればこれまで虐げられてきた属国の侵攻を受けるのは明らかです。そうなれば最も被害を被るのは……この国を必死に支えてくれている国民です。それはかつてこの国の王族だった者としては絶対に避けなければならないことです』
リルは意外な回答に戸惑った。正直なところ、リル自身もシルファリアが王族への復讐の念により復活したものと思っていた。だがシルファリアの言葉からはある程度の怒りの感情は感じられるが、国民への想いのほうが強いということにびっくりしていた。
『この件で国民への被害が出ることだけは絶対にできません。ですからこの城周辺、貴族街あたりまではこのダンジョンの結界にて隔絶しています。国民はこの異変を一切知らないでしょう。元々平民街の人間が貴族街に立ち入ることなど皆無だったこの国ですから、平民街の人たちがこの状況を知る由もありません』
「そこまでして、あなたは何をしようとしているの? それにいなくなった人たちは?」
『腐敗に関わっていない人たちは結界の外へと送りました。腐敗の当事者達は……今頃はダンジョン探索に忙しいでしょう。散々いたぶってから正式に各国の裁きを受けさせることがこの国を存続させる手段としては妥当と思っています。くだらない格式や権力に左右されることなく、実力でこの国の統治者に相応しいということを証明すればいいんです』
そう言って柔らかな微笑みを浮かべるシルファリア。リルは彼女の本心を探りあぐねていたが、少なからずダンジョンというものに関わってきたせいか、様々な手がかりからうっすらとだがシルファリアの目的が見えてきたような気がした。
「シルファ……あなたまさか」
『さすがはお姉さま、理解が早くて助かります』
シルファリアは立ち上がると、庭園の奥にある一枚の扉を指差した。その扉は重厚な木製の扉だったが、枠には薔薇のような植物が絡みついて無数の花を咲かせている。
リルはその扉にとても違和感を感じていた。何故ならその扉の横には、扉の構造としてあるはずの【壁】が無いのだ。ただ扉だけが植物を纏わりつかせながら庭園のオブジェのように佇んでいる。
『ここはダンジョンマスターの部屋です。あの扉の向こうには謁見の間、このダンジョンで言うところの最深部となります。この城にいる者には実力でそこを目指してもらうことになります。かなりの荒療治になるとは思いますが、このくらいのことをしなければこの国はいずれ滅びます。それを防ぐためなら、私は喜んで人の道を外れましょう』
シルファリアはゆっくりとリルへと向き直る。その瞳は明確な意志をもってリルを射抜く。死してなおこの国を憂う王女としての矜持のようなものがひしひしと感じられた。そして続けられた言葉はリルの想像していた通りのものだった。
『最深部にて私を屈服させた者にこの国の行末を委ねます』
自信たっぷりにそう言うシルファリアの表情は、仮面で半分隠されてはいるが風格を漂わせるほどに気品あふれていた。それがユーフェリア王族としての本来の資質によるものなのか、それともダンジョンマスターとなったことで手に入れたモンスターとしての力によるものなのか、それともその両方なのか、リルは判断することもできずに優雅に佇むシルファリアを見つめることしかできなかった。
読んでいただいてありがとうございます。