白亜の城①
先週はお休みして申し訳ありませんでした。新章突入です。
俺はその光景に圧倒されていた。それは目の前にそびえ立つ建物から受ける様々な印象が絡み合ったもので、上手く表現することが難しい。ここに来た当初はこんな状況を全く想定していなかったからというのも原因の一つだろう。
遠くから見たその建物は、地味な石造りの建物が大部分を占める街並みとは対照的な存在だった。例えるなら茶色や黒の羽色の水鳥の大群の中にいる一羽の白鳥のよう。それほどまでに対照的な存在感だった。
まさに【白亜の城】と表現するのが相応しい建物だ。
「あの建物がこの国を象徴しているわ。国民の大多数は平民で、王族や一部の貴族が富を独占してる。それに追従しない者は貧しい暮らしをしているの」
「その貴族達はどこに住んでいるんだ?」
「王城のすぐそばに屋敷を構えているわ。でもそれも一握りの貴族達だけ。爵位の低い貴族は平民と同等の生活をしているか、属国へと移っているの。おかげで上層部の腐敗がいつまで経っても無くならない……」
タニアがその表情に悔しさを滲ませる。俺達がいるのはユーフェリアの王都ユフィリース、その街の外れの小高い丘から街並みを見ていた時の印象は、地味な街並みの中にくっきりと浮かび上がる白亜の城はまるで絵画のようにも見えた。
ユーフェリアという国をほんの聞きかじりでしか理解していない俺には内情を測り知ることはできない。ただ、遠くにてその存在を強く主張する王城はとても綺麗に見えた。
遠くから見る限り、だが。
その違和感に気付いたのは、下町っぽい雰囲気の街並みを進んでいるときだった。明らかに王城から発せられる空気のようなものがおかしい。いくつかのダンジョンをこなしたから理解できるようになったんだろうか、王城から感じるものがダンジョンから感じるものと近いように思えて仕方が無い。
「タニアの言ってたことは本当みたいだな」
「そうね、ここまでくればはっきりと認識できる。でも街の人たちはどうして平気なのかしら?」
思わずこぼした一言に隣のミューリィも同様の印象を抱いたらしい。
ミューリィも感じた通り、街の人たちはまるで何事もないかのように普段通りの生活をしているように見える。道を行き交う人々はその表情に何の陰りも見受けられない。馬車が通り、子供達が路地を走りぬける。道端の露店では店の主人が威勢のいい声で通行人を呼び込んでいる。こちらの世界でよく見かける庶民の街での一風景だ。
「あの方も元々は国民を愛する方だった。あいつらに唆されたりしなかったら今頃は……」
「タニア……」
相変わらずだがタニアの表情は硬い。彼女は元々リルに仕えていた諜報員のようなものだったらしく、リルの安否が不明であることを心配しているんだろう。
「だ、大丈夫よ。あの方はリル様とはとても仲がよかったから、危険な目には遭っていないと思う」
「いや、お前の方が大丈夫じゃなさそうだが……」
いつもは名前を呼び捨てにしてるのに、ここにきて【様】付けにしてるあたりが心の動揺を隠しきれていない表れじゃないか。特にそのことを咎めるつもりは毛頭ないが、あまり思い詰めると普段通りの動きができなくなる。彼女には大事な役割があるから、大怪我でもされてしまっては困る。
「と、とにかく王城へ急ぎましょう」
「あ、ああ」
動揺を誤魔化すように作り笑顔を浮かべながら、俺達を王城へと促すタニア。その笑顔が明らかにぎこちないものであるということが、余計に不安を高めてくれる。だが今ここでそれを問い詰めても仕方が無い。タニアの不安を取り除くには、王城に閉じ込められたリルを救い出す以外に解決方法が無いのだから。
そう自分に言い聞かせながら、庶民街の雑踏に逆らうように王城を目指して歩く。もちろん四駆は街に入る前にしまってある。さすがにここはアウェイの地、何かあっても後ろ盾を期待できない以上、目立つわけにはいかないからな。
**********
「これは……全く予想していなかったな」
「そうね……ここまでのものは私も見たことがないわ」
庶民街を抜けて貴族街に入ったところで、より一層違和感が大きくなった。王城と同じような白い壁の大きな屋敷が建ち並ぶのは、プルカの貴族街でも見たことがある。規模はこちらのほうがはるかに大きいが。
しかし、俺が見たことがある光景が再現されている屋敷はどこにもなかった。
大概の貴族屋敷には、入り口に門番が立っている。それに、屋敷を管理している使用人たちが忙しそうに動き回る光景がどこでも見受けられるんだが、それがどこにも見当たらない。まるで誰もいなくなったかのように、物音ひとつしない。
「これ、結界が張ってあります。たぶん住人は……封じ込められているのかもしれません」
「封じ込められて? 何のために?」
セラが近くの屋敷の門に近づき、何かに気付いた。おそらく魔力的な何かを感じ取ったんだと思うが、その意味が理解できない。そもそも屋敷の住人を封じ込めて何の意味があるんだろうか?
「これも王城の異変と関係が……当然あるわね」
「……まずは王城か」
人の気配どころか小鳥のさえずりすら聞こえない無音の貴族街に細心の注意を払いながら王城へと進む。平民街の活気あふれる雰囲気からいきなりこの状況になったんだが、平民街の人たちはそれすらも違和感を感じていないようだった。それが不気味だ。
だが、それでも王城へと向かわなければならない。全ての元凶であると思われる王城に閉じ込められているリルを救出するために。
**********
それはまるで巨大な生き物のようにも見えた。遠くからでは分からなかった王城の細部は通常の建物ではありえない構造になっていた。
いや、元々俺の理解の範疇の構造だったんだろう。こうなってしまったからこそ、これまで見てきた状況が生まれているのかもしれない。
「これは……血管みたいだな」
漆喰のような純白の塗り仕上げの壁には、縦横無尽に覆いつくす管のようなものが浮かび上がっている。まるで肌に浮き出る血管のようにも見える。そのイメージが強いのは、その管のようなものが一定間隔で脈動しているからだろう。あたかも城そのものが生き物であるかのようだ。
「とりあえず……ディノたちを待つか。あまり近づきすぎても危険そうだから、少し離れて待つとしよう」
「そうね……」
これからの行動指針を決めるにはいかんせん情報が少なすぎる。ここは後から合流してくる仲間の情報を加味して行動を決めるべきだろう。タニアの話によれば、内部に侵入してすぐにダンジョンマスターが出てきたということだし、今の面子でこれ以上敷地内に留まるのは危険だ。皆を促して、ありえない変化を遂げた城壁から距離をとる。どのくらい距離をとればいいのかわからないので、とりあえず百メートルくらい離れて待つことにした。
今この場にいるメンバーは俺とミューリィ、アイラとセラ、それにアルバートだ。ディノとサーシャはユーフェリアの魔道士協会に寄って情報収集してから合流の予定になっている。そこで助っ人の確保もするそうだ。とはいってもロニーとガーラントに代わる人材なんてそうそう見つかるとは思えないが、さすがに前衛がいないチームで挑むなんて無茶が過ぎる。
「全く……あの戦闘馬鹿二人はいったいどこをほっつき歩いてるんだか・・・・・・『修行してきます』なんて書置き残して出て行くなんて!」
「でもその気持ち分かるよ・・・・・・あのときあたしら何もできなかったから。無力な自分があれほど悔しかったのは初めてだよ」
「ええ、あんな思いはもう味わいたくありません」
ミューリィが悪態をつくが、アイラがやや伏し目がちに自分の思いを吐露する。それに乗じるようにセラも自分の無力さを嘆く。あの時・・・…というのは俺がやられた時のことを言っているのだろうか。俺としては恥ずかしいのでいつまでも引き摺ってほしくないんだが。
「・・・・・・とにかく、今はディノ達を待ちましょう。この城から放たれる魔力に威圧感、それに城下街の違和感、これが生まれたてのダンジョンとは思えないわ」
「ああ、そろそろ桜花も戻ってくるころだろう」
今ここに桜花の姿はない。俺が休んでいた間、桜花はずっとそばにいたが、ある程度動き回れるようになってから、しばしば俺から離れることが多くなった。どうやら自分の能力を高めるために色々と試行錯誤してるようなんだが……
『新しい力に目覚めました』
とかいきなり言い出して、その力を披露してくれた。俺としてはその能力は使わないで欲しかったんだが、他の皆はその能力をかなり認めていたので仕方なく許可した。と、そのときに足元から小さくカサカサ・・・・・・と何か小さな生き物が草をかきわける音がした。
小さな生き物、といっても小動物の類が発する音じゃない。小さく、そして軽い音だ。それが次第に数を増やしていく。その光景を直視したいとは思わない。だが、俺はこれを見る必要がある。というよりも見る義務があると言ったほうがいいだろう。
「うわ……」
やはり見るべきじゃなかった。そこには既に中型犬くらいの大きさになったパステルカラーの小さな何かの塊があった。それは次第に個々の形を崩し始め、一つの歪な塊へと変化した。塊はさらに別のものへと形を変えていく。そして塊は見慣れたフォルムを形成していく。
『外周部にはモンスターはいなかったです』
「あ、ああ、ごくろうさん、桜花」
何とか労いの言葉をかけた俺だったが、これはかなり精神的にダメージが大きい。これが桜花の新しい能力で、自分の体を多数の小さな蜘蛛へと変えることができる。意識はコアとなる一匹が持ち、他の蜘蛛は分体のようなものらしい。
だが、分体化するときの、人の姿が崩れていくところやさっきのように再び人の姿になるときは……正直なところ直視したくない。だが、その能力を使わせて偵察させたんだから、マスターとしては受け入れる努力をするべきだと思ってる。
「これなら探索の危険を未然に防げるわね」
『はい! がんばるです!』
ミューリィがにっこり笑って頭を撫でると嬉しそうに笑顔を見せる桜花。だがな、こちらとしてはあの光景はできるだけ見たくないんだよ。
ご褒美にとあげたクッキーを両手で持って齧る姿を見ながら複雑な気分に陥っていると、タニアがそばに寄ってきた。
「……ありがとう、ロック。あんな大怪我の後なのに……」
「気にするな、リルは大事な仲間だ。仲間の危機には駆けつけるものだろう?」
複雑な表情を見られたかもしれないという照れ隠しから、幾分素気ない返事になってしまったことを言った後で後悔したが、タニアは小さく首を横に振った。
「リル様が放逐されたとき、ほんとに何も持たずに放り出されたの。私はそれを知ったデリック副団長と一緒に半ば強引に辞めて後を追ったわ。そしてプルカの現地諜報員だったキールを頼って旅をしていたの。そしてようやく辿り着いたプルカでゲンと出会ってギルドで働くことになったのよ」
タニアが俺の知らない話をしてきた。……それでキールとリルが仲が良かったのか。まさか諜報員だったとは思わなかったが。
「副団長なんて当時は家の決めた許婚がいたのよ? それを完全無視して飛び出してきたものだから勘当されちゃったのよ?」
一生懸命過去の話を聞かせてくれるタニアだが、その目は今にも壊れてしまいそうな精神状態を必死に繋ぎとめているようにしか見えなかった。こうして誰かに話しかけてでもいなかったら、不安と悔しさで押し潰されてしまうかもしれないのを自分でもわかっているんだろう。
「心配するな、そのための仲間だろ?」
「……うん、ありがとう」
ついいつもアイラ達にやるように、タニアの頭を撫でてしまった。だが、頑張っているタニアが落ち込んでいる姿を見るとつい手が出てしまった。【銀の羽亭】の看板娘にはいつもの笑顔を忘れてほしくないからな。タニアはその目に滲んだ涙を手の甲で拭うと、小さく微笑んだ。
いよいよユーフェリアでのダンジョン探索が始まります。