心残り
ゲン視点の閑話です。
「ふぅ」
ようやくしたためることができた手紙を封筒に入れると、鎖でも巻きつけられたかのような重さの身体に鞭を打って何とか立ち上がる。ふらふらと覚束ない足取りで向かうのは部屋の隅、いつもの作業着と道具がまとめて置かれている場所だ。
「ここなら俺に何かあればすぐにわかるだろう」
道具入れの底のほうに封筒を忍ばせると、そっと工具類を上に置いて所在を隠す。あいつらは俺の道具に勝手に触るようなことはしないから、簡単に見つかることはないはず。たったこれだけのことをしただけなのに、かなり息を切らしている自分に気付いて気分が落ち込む。わかっていたこととはいえ、覚悟を決めていたとはいえ、いざ弱っていく自分を実感してしまうと心穏やかではいられない。
「ちょっとゲン! あんたはしっかりと身体休めなきゃダメだろ!」
「ああ、すまん。寝てばかりだと身体が鈍りそうなんでな」
気付けば食事の時間だったらしく、マリーンがいつものミールを持って部屋に入ってきた。その顔は心配そうに青褪めているから俺がどれだけ慕われているかを再認識した。こんな俺の面倒みてくれているんだから、こいつらを悲しい気持ちにはさせたくないんだが……こればかりは仕方がない。
「ハンナはどうした?」
「ギルドに斥候の指導に行ってるよ。アイラが筋がいいって褒めてたよ」
「そうか……まだあいつには基礎程度しか教えてないからな。アイラが帰ってきたらあここに来るように言ってくれ」
「何言ってんだよ、あんたはこんな状態なんだから寝てないとダメだ。全く、治癒魔法が効かないってのがこんなにもどかしいものだとは思わなかったよ。これは何かの呪いじゃないのかい?」
「さあな、俺はこの世界の人間じゃないし、何が起こってもおかしくない」
「まずはしっかりと食べて体を休めておくれ。後で食器を下げに来るからさ」
「ああ、頼むよ」
マリーンが静かに部屋を出て行く。あいつにも本当のことを言えないのが心苦しい。だが……言ったところでどうなるものでもない。どうすることもできないことが原因だからこそ、あいつらに責任を感じてほしくない。
食事を何とか胃に流し込んで、静かにベッドに横になる。普段の俺ならこんなところでじっと寝ているなんて考えられないが、今はこの硬いベッドですらありがたく思えてくる。
身体に異変が起こり始めたのはつい三月ほど前だったか、指先が思い通りに動かせなくなった。日常生活に支障は無かったが、鍵師として必要な細かい感覚が鈍り始めた。それだけならまだ良かったのかもしれないが、次第にそれは麻痺のような状態になって全身に広がり始めた。今では部屋の中を歩くのさえ億劫に感じられるほどだ。
「ついに来たか……」
ベッドに横になり、今頃になって訪れたこの状況を忌まわしく思う。結局俺がこの世界でしなければならないことは成し遂げられなかった。
そのためにこちらに再び足を踏み入れたというのに、アイツに辿り着くことすらできなかった。ディノの誘いは渡りに舟だと思ったんだが、世界は違っても世の中というのはそう簡単に事が運ばないようにできているらしい。
**********
あの時、俺達二人は仕事帰りに突然この世界に飛ばされた。俺と相棒、日本でコンビを組んで鍵の仕事をしていた。もっとも、腕前はアイツのほうが遥かに上だった。一度としてアイツを上回ったことなんて無かった。こういう言い方をするとアイツはいつも怒ったが、それでもアイツを表す言葉はこれしか思い浮かばない。
【天才】の二文字。
鍵開けの精度、確実さ、知識の量、そして真摯な姿勢、どれをとってもはるか高みにいた。アイツを追いかけ続けたおかげか、俺の腕もそこそこにまでなった。だがようやくあの頃のアイツの背中に追いつこうとした矢先にこの有様だ。
まさかあの頃はこんな結果が待ち受けてるなんて微塵も思わなかった。それも当然か、別の世界から迷い込むなんて俺の調べた限り過去にも無かった。この世界で生き抜く方法を手探りで探し出し、普通に暮らせるまでになった。もちろん、迷い込んだ当初に運良く心持ちの良い連中にめぐり合えたのも大きな理由だろう。
一番困ったのは、この世界には病院のようなものが無かったことだ。神殿に行けば治癒魔法を使ってくれるが、それは俺達には当てはまらなかった。この世界での治療方法である治癒魔法は俺達には効果がほとんど無かった。いや、効果が無いというのはちょっと意味合いが違うな。魔法を何度も何度も重ねてかけることによってそれなりに効果を期待することも出来るが、一人の治癒師の持つ魔力量では到底追いつかない。そんなことが必要な人間はこの世界にはほぼいない。
だから俺達は別の方法を見つけた。モンスターを倒したり、宝箱から見つかる【魔石】、それも高純度のものを砕いて服用するという方法だ。俺達はこの世界ではとても希少な【無属性】に分類されてしまう。そんな俺達に通用するのは同じ【無属性】であるモンスター由来の魔力だった。そのおかげで、他の仲間達と一緒にダンジョン探索を進めることができた。まさか大きな副作用があるとも知らずに……。
先にその兆候が現れたのはアイツのほうだった。
俺達のパーティは数々のダンジョンを踏破し、ついに【大迷宮】からの招待状を受け取った。もっとも、そのあて先はアイツだったが。
探索はかなりの時間を要した。【大迷宮】はその名に相応しく、巨大かつ複雑で、俺達二人の想像を遥かに超えたものだった。何せ途中の階層にはモンスターたちが暮らす町があり、人間達の町と変わらぬ営みがあったのには驚いた。結局俺達もそこに居を構え、探索の拠点にしていたが。
探索を始めてから三年ほど経った頃だろうか、アイツは【大迷宮】で知り合った相手と二人の子供を設けた。娘と息子で、二人を見る時のアイツはとても幸せそうだった。
そんな時、アイツが発症した。アイツの病状は今の俺よりも酷く、気付いた時にはもう手遅れだった。そしてアイツは決断した。
『子供達を連れて元の世界に戻れ』
そう俺に言い残して、アイツは嫁さんに看取られながら逝った。だが、その場所は【大迷宮】、すなわちダンジョンの中だ。ダンジョンにはとあるルールが存在する。ダンジョン内で死んだ者はダンジョンに取り込まれてしまうということ。アイツの亡骸もダンジョンに取り込まれていった。その魂も、そして積み上げてきた知識も。
だから俺達は最深部へと急いだ。アイツの鍵の知識をフルに活用されれば俺でも太刀打ちできなくなるとの俺の進言をパーティが受け入れてくれたからだ。
幸い、俺達は最深部へと到達し、その報酬として日本に戻った。アイツの二人の子供を連れて。
仲間の剣士と魔道士は早々に日本に順応した。商売を始めて順調らしい。魔力の無い世界で生きていけるのかと心配したが、そこは踏破の報酬として対処してもらったらしい。
「なぁ、甚六はもう俺を超えたぞ。筋の良さはオマエからしっかりと受け継いでる」
もう甚六には俺の指導は必要ないと思ったからこそ、オマエの魂を解放させてやろうと思ったんだが……やはり俺はオマエの域には到達していないんだな。今まで俺に招待状が来ることはなかった。
「俺が逝けばディノは再び鍵師を探す。そうなれば甚六に辿り着いてしまうかもしれん。いや、間違いなく辿り着く」
理由ははっきりしてる。オマエも甚六に会いたいんだろ?
娘のほうはオマエも把握できているようだが、甚六についてはその身体に封印をしてある。オマエの娘が施した封印だ、そう簡単には解けないし、その封印が無ければ俺達と同じ結末を辿るのは間違いない。娘のほうも極力この世界には関わらないようにしているようだが、あいつも弟のことになると箍が外れる傾向にあるからどうなるかはわからんが……
「オマエも甚六の晴れ姿を見たいだろ? ならオマエに挑戦するまでしっかり守ってやれ。俺はオマエの代わりに色々と面倒みてきたし、鍵の仕事も徹底的に叩き込んだ。これ以上のことを押し付けて引きこもってるんじゃねぇよ」
かつての相棒に憎まれ口を叩いてからゆっくりと瞼を下ろす。いずれは甚六もこの世界に来るだろう。それほどに【大迷宮】の力は強力だ。俺達が元の世界に戻ることすらできたんだから、その力の大きさは推して知るべしだ。
「すまないな、不甲斐ない師匠で。だが、俺もお前以外に頼むつもりもない。大事なことは書き残しておいたから、それを頼りにアイツを解放してやってくれ」
身体のだるさに負けると同時に睡魔が襲ってくる。あとどれほどこの命が残っているのかもわからないが、こんな大事なことを、アイツから預かった甚六に任せなきゃならないやるせなさが俺の心を痛めつける。この程度の苦しみで許してもらえるのなら、いくらでも味わうんだがな……
やや表現がおかしい部分があるのは、ゲンの意識が朦朧としているからです。ゲンの知る事実については後々明らかにしますので……