書籍化&通算100話記念SS③ 第一歩
師匠と弟子の話です。一体誰なのかは……すぐにわかりますよね?
「またこんな簡単なところでミスりやがって! ちったぁしゃっきりしろ!」
「痛! いきなり蹴るんじゃねぇよ!」
小さな一戸建て、その一階部分の車庫のようなところで少年が壮年の男に尻を蹴られていた。やや大きなテーブルの上には大小さまざまな錠が置いてあった。新しいものから年代ものまで、簡素なものから複雑なものまで多岐にわたる。その中の一番端にあったものを弄っていた少年は、いきなり男に尻を蹴られて不満の声をあげる。
尻を蹴った男はそんな声に全く動じることなく、腕組みしたまま険しい表情で少年を睨む。
「どうしてテメエはそう簡単に進めようとするんだよ。もうちょっと慎重に出来ねぇのかよ!」
「んなこと言ったって、こんな地味な作業ばっかしてられっかよ!」
「んだとコラ、喧嘩売ってんのか?」
「……くそ」
ふてくされた表情で作業を再開する少年。それを見て男は少々困ったような顔をする。
「いいか、解錠ってのは簡単にいくこと自体がほとんど無ぇと思え。慎重に慎重を重ねて、尚且つ短時間で開けなきゃ仕事にならん。そのくらいは理解しろよ」
「うるせぇよ、こんな面倒なことやってられるかよ」
まだ幼さを残すその少年は、手に持った道具をテーブルに乱暴に置きながら、ぼさぼさの髪をかきむしりながら怒鳴る。やり場のない怒りをどこにぶつけていいのかわからなくなっているようにも見える。
「あのな……今のご時世、中卒のテメエがまともな職に就けると思ってんのか? 自分の立場を考えろ、それが嫌ならもう一度高校に行け」
「……わかったよ」
よく見れば少年の髪の毛にはいくばくかの脱色の形跡があった。それにこれまでの言動を見る限り、少なくとも真面目な学生生活を送ってきたということはなさそうだ。とりあえず大人しくなった少年を見て、男は小さく溜息を吐く。
(こいつも根っから悪いわけじゃねぇんだよな。子供の面倒見はすごくいいしな。もうちょっと真剣にこの仕事を覚えてもらわなきゃ困るんだが……さて、どうしたもんか)
男は自分の仕事に誇り以上のものを持っている。それをこの少年に理解させ、自分の技術を受け継いでもらわなければならない。だが、無理矢理教えても身に付くというものではない。もし強制的に教えたのであれば、必ず途中で挫折してしまうだろう。
この仕事を極めたい、そう自発的に思ってくれなければダメなのだ。それでこそ、いずれ自分を超える存在にはならない。だが、意識をその方向に向けることが難しい。
「あ! いたいた! 大変だよ! 一大事だよ!」
「おう、どうした? 店番はいいのか?」
二人の雰囲気が険悪になりそうなところに駆け込んできたのは、最近自分の店を持ったばかりの同業者だった。男とはかなり親しい間柄のように見えた同業者は、息を切らしながら衝撃の内容を口にした。
「近所の子供が廃棄予定の金庫に閉じ込められちゃったんだよ!」
「何だと? もう手配はしてるんだろうな?」
男の顔が険しいものに変わる。それは事態がかなり深刻であることを表していた。しかし、その同業者が続けた話はもっと重いものだった。
「そ、それが、誰も捕まらなくて……子供が閉じ込められたって聞いたら皆尻込みしちゃってさ……もう他に頼れるところは……」
「……ちっ! おい! 奥から赤い道具入れ持ってこい! 緊急の仕事だ! テメエも来い!」
「あ、ああ、わかったよ」
豹変した男の雰囲気に呑まれた少年は、言われた通りに赤い道具入れを持って男の元に向かう。男は荷台に幌を付けた軽トラックに乗り込むと、少年が荷台に道具を積み込んだのを確認してエンジンをかける。
「ほら、さっさと乗れ! 向こうさんは待っててくれねぇんだからよ!」
少年と同業者の男が乗り込むやいなや、アクセルを全開にして軽トラックは走り出した。
現地に着くと、状況は混迷を極めていた。おそらく閉じ込められた子供の母親であろう女性が泣き叫んでいて、既にレスキュー隊が来ているようで、数人が金庫のまわりに集まっていた。
金庫は小学校低学年が何とか入るくらいの大きさで、それもかなり体を押し込まなければ入らないサイズだ。聞けば、遊んでいるうちにふざけて外からダイヤルを回してしまったらしい。軽トラックから降りた男は、レスキュー隊員が持っている道具を見て血相を変えて走り出す。
「馬鹿野郎! そんな道具使ったら中の子供がどうなるかわかってんのか!」
「だ、誰ですか、あなたは!」
「俺は鍵屋だ! そんなもん使ってんじゃねぇ! 少しは頭使え!」
いきなりの剣幕に少々鼻白んだ隊員だったが、相手が鍵屋ということで少々冷静になった。
「しかし、一刻も早く救出しないと……」
「だからってあんな道具持ち出すやついるか! 子供だけじゃねぇ! 脱酸素剤があるかもしれねぇんだぞ!」
それを聞き、顔を青褪めさせる隊員達。隊員達が用意したものは大型の電動ヤスリだった。扉部分を削って切断するつもりだったのかもしれないが、それは非常に危険な選択だった。
金庫ぎりぎりに子供がいた場合、子供を傷つけるかもしれない。だが、それよりも恐いのは中に脱酸素剤が入っている場合だ。
古い金庫の場合、火事で中の書類などが焼けるのを防ぐため、周囲の酸素を一瞬で消し去る薬品が入っていることがある。それが破裂することで周囲の燃焼を防ぐものだが、もし金庫の中でそれが破裂したら子供がどうなるかなど誰にも理解できるだろう。
「幸い、扉には少し隙間があるから窒息まではいかねぇだろ。いいからここは専門家に任せろ。おい、道具持ってついてこい」
「あ、ああ」
男は少年に指示すると、金庫に近寄る。すると、扉の隙間から子供の泣き声が聞こえた。どうやら男の子のようだ。
「心配すんな、もうすぐ助けてやるからよ」
「……うん」
鼻をすすりながら、小さく返事がするのを確認した男は、赤い道具入れから聴診器を取り出して装着すると、先端をダイヤル付近に当てながら、慎重にダイヤルを回した。
「おい、よく見ておけよ。俺達の仕事には命がかかってることもある」
視線はダイヤルに固定したまま、背後の少年に語りかける男。その手つきは精密極まりない動きでダイヤルの目盛を一つずつ動かしていく。少年はただその光景を目に焼き付けることしかできなかった。
まるで精密機械のような手の動き。ミリ単位の大きさの目盛を、寸分違わずずらしていく姿に見蕩れていた。
少年は思う。子供の命がかかっているこの状況で、どうしてこんなに正確無比な動きができるのか、そもそも、どうしたらここまで精緻な動作が可能なのか。少年は理解できないはるか高みを見せ付けられているように感じていた。
「……よし、開いた。おい、慎重に扉を開けろ」
レスキュー隊員がゆっくり扉を開けると、そこには体を小さく折り曲げた姿勢の男の子がいた。見る限りでは衰弱してはいるが、命に別状はないようだった。
助け出された当初は意識があったが、すぐに寝息を立て始めた。この年齢で生命の危機に晒されたのだ、その精神疲労は生半可なものではなかっただろう。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「俺のことはいいから、子供に付き添ってやんな」
男は母親とおぼしき女性が泣きついてくるのを何とか引き剥がすと、未だ呆然と立ち尽くしている少年のところに歩いてきた。その顔は一仕事終えた職人の顔そのものだった。
「……どうしてだよ」
「あ? どうしたんだよ、いきなり」
「どうしてこんな状況で冷静なんだよ、あの子が死ぬかもしれないのに」
見れば少年の足は小さく震えている。それを見て男はなるほど、と思う。
少年はそれなりにヤンチャをしていたんだろうが、そこに生命の危険などなかったのだろう。いや、もしあったとしても、それに気付くことがなかったのかもしれない。
だが、今ここで起こったことは生命が失われるかもしれないという【現実】の出来事だ。それを目の前で見せ付けられたのだから、未熟なこの少年のこの状態は決して恥じることではない。
「どうして? そんなもん決まってんだろ、数え切れねぇほど失敗してんだよ」
「……失敗? アンタが?」
少年にとってこの答えは信じられないものだった。これほどの技術を持つ目の前の男が臆面もなく言い放ったのだ。【失敗した】と。
「いいか、実戦で失敗しないためには練習で思い切り失敗しろ。失敗から学べ。そして体に刻み付けろ、絶対に忘れないようにな。たくさん失敗すればするほど、もし実戦で失敗しても最小限で抑えられる。そこから挽回すればいいんだ」
「……俺でもアンタみたいになれるのか?」
「ああ、俺が出来るようにしてやる、絶対にな。ほら、仕事は終りだ、さっさと帰るぞ」
「ご協力ありがとうございます、水無月さん」
レスキュー隊員からの労いの言葉を軽く受け流すと、水無月と呼ばれた男は少年と同業者を促し軽トラックに乗り込んで自宅へと急いだ。その車中、少年は何かを考えているのか、終始無言を貫いていた。
数日後、男の自宅ではつい先日と同じような光景が繰り広げられていた。ただ、明らかに違うところがあった。それは少年の容姿だ。
ぼさぼさだった髪は短く刈り揃えられ、所々に見られた脱色の形跡もなかった。
「これでよし……それから……あ!」
「どうしてそこで失敗するんだよ!」
水無月と呼ばれた男は即座に尻に蹴りを入れる。足を打ちつける鈍い音とともに、少年は痛みに顔を顰める。道具をテーブルに置き、怒りをこめた目で男を睨む。
「痛ってぇ……何すんだよ、師匠!」
「同じ失敗を繰り返すからだろ? いい加減に覚えろよ、甚六」
呆れたような顔で腕組みして見下ろす水無月。それを憎らしげに見上げる甚六。
「くそ、いつか追い抜いてみせるからな」
「おう、その時を待ってるぜ」
鍵師の師匠、水無月厳とその弟子紀伊甚六。二人の師弟関係はここから始まる。そしてロックが自らの意思で鍵師の道の第一歩を踏み出した瞬間だった。




