書籍化&通算100話記念SS② 伝える思い
アラクネさんが復活するときの話です。
何故自分はここにいるんだろう?
いつ、どうやってここに来たんだろう?
わからない……思い出せない……
自分は何の力もないただの蜘蛛だったはず。ただ食べ物を探し歩き、獲物を見つければ襲って喰らう……そんな毎日だったはず。
でもどうして自分はあんな場所にいたのか。気がつけばダンジョンマスターとなり、これまで出会えば死を覚悟した上位種を駒のように使役していた。
そうだ、私は……死んだ。
だがそれは仕方のないことだ。私の認識が間違っていた。あの人間達だけが特別だったのだ。後から現れたあの子供達にそれを求めたのがいけなかった。
たくさん傷つけられ、たくさん苦しんだ。だがそれも仕方のないこと。あの人間達を愚かな子供達と同じに考えてしまった私への天罰だったのだろう。
あのとき感じた不思議な温かさ、それをあの子供達に求めてしまった自分が悪いのだ。あの温かさを汚してしまったのだから。
ああ、これでは……私は消えてしまうのだろう。女神様の元へ召されることもできないだろう。せめてもう一度、あの温かさを味わいたかった……
『さあ、こちらへいらっしゃい』
ふとどこからか優しい声が響いてくる。その響きは柔らかに自分の奥底まで響いてくる。不思議と抗うことを思い起こさせないその声に、逆らうことができない。
『辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? でももう心配いりませんよ』
自分の意識がどこかに引き寄せられる感覚。だがそれも不安に感じない。もしかすると……
――――― 女神……様? ―――――
『……そう呼ばれていた頃もありましたね』
人間や他の種族が言う女神とは違う存在。モンスターと呼ばれる我々にも分け隔てなく加護を下さる女神様。そのせいで他の女神達から追放されたと言われている女神様。
『今の私は忌み嫌われる存在です』
――――― そんなこと……ありません ―――――
『いいえ、それは事実です。ですが、私はそれでもあなたたちを見捨てることができなかったんです』
――――― どうして私を? ―――――
『……あなたは……新たな生を望みますか?』
いつのまにか真っ白な部屋にいた。私の体は一匹の小さな蜘蛛に戻っていた。
新たな生……出来ることなら望みたい。けど、もしモンスターとしての新たな生を受けるのなら……
――――― いいえ ―――――
『どうしてですか?』
どうしてだろう? 自然と否定の言葉を思い浮べた。女神様の問いにしばしの間考えを巡らせる。
ああ、そうか。そうだ、そうに違いない。
――――ー あの人間と……戦いたくありません ―――――
もし、モンスターとして生まれ変わって、そうしてあの人間とまた戦うようなことになったら……そう思うと心がかき乱される。そんなのはいやだ。
――――― 人間に……なりたいです ―――――
同じ人間に生まれ変われれば、戦わなくてすむかもしれない。一緒にいることだってできるかもしれない。そうだ、それがいい。だから女神様にお願いしてみた。
『……今の私にはその力はありません』
――――― それなら、望みません ―――――
女神様の声が小さくなった。それなら……このままでいい。消えてなくなったほうがいい。
『何故そこまで?』
――――― あの人間を、傷つけたくありません ―――――
『……ふふふ、やはりあなたを選んでよかった』
女神様が小さく笑う。選ぶ? 何を?
『あなたは、かの者と生きたいのでしょう?』
そうだ、私はあの人間とともに生きてみたい。だがそれはモンスターの身では決して適わない。あの温かさを感じることはできない。むしろ傷つけてしまうくらいなら……
『ならば、かの者とともに歩む道があるとしたら?』
――――― そんなものが、あるのですか? ―――――
『ええ、あります』
もう一度会えるのなら、ともに生きることができるのなら、この不思議な気持ちがわかるかもしれない。そう考えると、もういてもたってもいられない。
――――― 望みます。あの人間とともに生きる道を ―――――
何の力にもなれないかもしれない。でも、それでも共にいたい。あの温かさに触れていたい。
『わかりました。そこで私からあなたに頼みがあります』
――――― なんでしょうか? ―――――
今の私には何の力もない。けど、これを聞かないと新たな生は望めないのかもしれない。
『かの者は力を持ちません。あなたが護ってください』
護る……そうだ、護ればいいんだ。護り続ければずっと一緒だ。あの温かさにずっと触れていられる……そうなればどんなに心地いいだろう。私に拒絶するという選択肢はない。
――――― わかりました ―――――
『それでは、新たな生を……あなたに我が加護を……』
女神様の声とともに、どこかに引っ張られるような感覚。それに身を任せていると、女神様の声が微かに聞こえた。
『お願い……護って……甚六を』
……誰だろう、ジンロクって……
私は見えない何かに引っ張られている。その先には眩い光。たぶんあの先が新しい生なのだろう。
私の体が変化していくのがわかる。でも、どう変化しているのかは確認できない。ただ、蜘蛛のままでは嫌われてしまうかもしれない。嫌われるのはいやだ。
光がどんどん近づいてくると同時にあの温かさが強くなってくる。
間違いない、あの人間だ。なんて心地いいんだろう、これをなんとしても護らなければ。
そうだ、再会したらどうやって話そう。でも何から話したらいいのかわからない。
ならまずはこの気持ちを伝えよう。この奇跡のような再会を望んだ気持ちを……
光が一段と強くなる。次第に意識が薄れてゆく。これが新たな生を得るということなのだろうか。既に再会の言葉は考えてある。まずは一番最初にこの思いを伝えよう。
――――― 会いたかったです ――――― と。
アラクネさん、実はかなり知性がありました。ただ、喋る能力が低かっただけです。