ほころび滅び 第一章 妖気な人々 其の八 禿親父はクールに宣う
金田一耕は、金田太郎の父親だ。一耕と描いてかずのりと読むのだが、なかなかそうは読んでもらえない。いつも、金田一が苗字で耕が名前だと思われるのだ。従って、探偵か刑事かと思われるのだ。名前が何かに似ているというのは、実に困ったものである。
金田一耕は民俗学者である。小さい頃から日本の民話や伝説が好きで、そういう本を読んでいるうちに、彼の有名な柳田先生の著作に出会った。そこで民俗学なる学問を知り、どんどんその方面にはまっていった。とりわけ、伝奇物語や悪魔話、不思議な話に心を奪われ、そういう偏った方面ばかり研究するので、学会の主流派からはいつしか異端児扱いされるようになった。まぁ、もともと変わった人間だったので、みんなから爪弾きにされてもどこ吹く風としか考えないような人物であった。
大学で民俗学の講義を担当している一耕は、恩師である学長の好意に甘えて教鞭を続けていられるのだが、本人はそういうことをあまり意識していない。単純に実力で教鞭を執っているのだと信じている。一耕の講師としての態度は、勤勉実直で真面目なのだが、いかんせん、偏った興味の方向に流れるその講義内容は、人によっては眉をしかめるようなものであることが多い。西洋と日本の悪魔の違いだとか、地方に出没する妖怪だとか、天国と地獄の間にある世界の話だとか、限りなくオカルトに近い話が多いからだ。だが、オカルト話やスピリチュアル話が好きな一部の学生の間では大人気で、それがまた一耕を喜ばせ、このままの授業内容でいいのだと思い、その中味を助長させるのだ。
一耕が地方に伝わる伝奇の資料を調べていると、禿山を一夜にして豊かな森林に変えるという呪文を発見した。その頃、一耕の頭は薄くなりかけていて、様々な育毛剤を試していたのだが、一向に濃くなる気配がない。服装だとか、家の中のことには一切関心のない一耕であるのだが、頭の薄さだけは、とても気にしていた。まだまだ薄毛になるような年齢ではないと考えていたのだ。ところが、学生のひとりから、「先生、ずいぶん涼しい頭になってきましたね」なんて言われてしまってから、苦労して二つの鏡を合せ鏡にし、無理な姿勢で、なんとか頭頂を調べてみたところ、学生の言葉が真実であることを知って、それからとても気にするようになったのだ。薄毛が気になる一耕は、溺れる者は藁をも掴むのことわざ通り、育毛剤でもなんでもなく、この森林を豊かにする呪文が自分の頭にも効果を発揮するのではないかと思ってしまった。資料から呪文の言葉を写し取り、自宅に持って帰った。家に帰るや、洗面台に直行し、資料に書いてあるとおりに呪文を唱え始めめた。
「森の神、土の神、大地の神よ、頭の森に豊かな恵を与えぇ……うむぬあまりしそそたいむくにみたそやいはなはらみくつのもるぎやはだあにむたいつよ……」
冷静に考えれば、こんないい加減なやり方で、森に働く呪文で髪の毛を生やせるわけがない。生えるどころか、こんな妖しい呪文を唱えてまともに過ごせる訳がない。まだ若輩であった一耕はそのようなことにすら考えが及ばなかったのだろう。無茶な呪文を唱えたその夜、何事もなく就寝したのだが、朝目覚めて驚いた。枕にべったりと髪の毛が貼り付いている。いや、貼り付いているのではない。こぼれ落ちているのだ。一耕の髪は、すべて抜け落ちて、枕に毛の山が出来ていた。そう、呪文は、枕に山を作る方向に働いてしまったのだ。かくして、一耕はこの日を境に、まるきりの禿頭になってしまった。その日、帽子で頭を隠して大学に出勤し、講義を始めるにあたっていつもの癖で帽子を脱いだとたん、学生から“禿親父”のあだ名を付けられてしまった。それまでは影で妖怪親父などと言われていたらしいのだが、禿親父は面と向かって言われる、また、生涯ついてまわる一耕のあだ名となった。
さぁ、これで役者がそろったわけで、物語はいよいよ佳境に入っていくのです。




