ほころび滅び 第一章 妖気な人々 其の五 木綿一太はビジュアル系?
木綿一太はひょろりと背が高く、グレンチェックのツータックパンツに黒のタイトシルエットのジャケットを合わせている。顧客のところに行くときだけ、白い綿シャツの胸元に濃い緑のレジメンタルタイを締める。ネクタイはあまり好きではないのだが、ビジネスシーンではそれが礼儀ということになっているので仕方なく締めている。だいたい、ロンドンのように霧深くもない日本でどうしてこんなものをつけなければならないのだと、一太は思っている。
一太は、ほんとうはファッション界で働きたかった。ファッション界というより、高校の頃に、服飾デザイナーになりたいと思っていたのだ。一太の父親はサラリーマンだし、母親も普通の専業主婦。家の中のどこにもファッション的な環境などないのだが、どういうわけか一太は子供の頃から服が大好きで、少ない小遣いでどうやってお洒落をしようかということばかり考えていた。
世の中はブランド流行りで、雑誌の中でモデルが着ているアイテムは、どう転んでも当時の一太が手を出せるような価格のものではなかった。もちろん、母親に買ってもらうとか、小遣いを貯め込んで買うとか、そうやって手に入れたブランド品もなくはないが、たいていは商店街の中によくある、コピー品を扱う路面店やフリーマーケットで気になる服を探し出すのだ。
そうやって苦労して手に入れた服は、組み合わせによって二倍にも三倍にも使いまわせる。白いTシャツひとつとっても、綿シャツの上に重ねるのと、色違いのタンクトップを重ねるのとでは、まったく違うものに見える。だがコーディネイトによるバリエーションにも飽きてきた一太は、古くなったジーンズに鋏みを入れたり、ジャケットの袖を外してしまったり、服飾デザイナーの真似事まではじめ始めるようになった。
一太が高校三年生になっていよいよ大学の選択を迫られたとき、服飾専門学校に行きたいのだと言って、両親から猛反対された。
「手に職をつけるというのも悪くはないがな、今は、やっぱり大学は出たほうがいいぞ、一太。学歴社会とも言われなくなったように見えるけど、社会はやっぱりその人間をブランドで判断するからな」
父親が言うこともよくわかる。それに、専門学校に行ったからといって、デザイナーに必ずなれるとも限らないしなぁ、そう自らに言い聞かせて、結局普通の大学に進学し、
いつしかファッションデザイナーになるという気持ちも薄れてしまった。大学を卒業した一太は資格を取って会計士になった。
このような経緯で、今の一太は、普段は会社員としてスーツかジャケットを着用し、休日にだけ自由なお洒落を楽しんでいる。むしろファッションを仕事にしなくて正解だったとすら思う。仕事にしてしまったら、もはやファッションは楽しむものではなくて、疲れるだけのものになったかもしれないからだ。今は金勘定の仕事をこなしながら、ファッションを自由に楽しんでいる。衣服って、本来はこうあるべきだったのだ。
三年後には三十路に到達してしまう一太だが、休日になると、そのルックスはえらく若く見える。はじめ初めて出会う人からは、大学生と間違われることも度々ある。そりゃぁそう
だろう。今どきの若者が着るようなスタイルばかりを好んで身につけるのだから。特にストリート系だとか、クラブ系だとか、自分のジャンルを決めているわけではなく、その日の気分で、ダボっとしたカーゴパンツを腰履きし、トレーナーをルーズにかぶることもある。スパッツの上にショートパンツを重ねて、チェックのシャツを羽織ることもある。
最近では、ちょっと綺麗系のファッションが気になり始めている。綺麗系というのは、まぁ、ちょっと女子寄りのスタイルっていうか、レースが入ったシャツだとか、背中が透けているジャケットだとか、そういう感じ。そう、ビジュアル系のバンドのミュージシャンみたいな、といえばわかりやすいかもしれない。ちょっと前からメンズスカートというのも現れていて、一太はそこまでの根性はなかったのだけど、一度試してみたいとは思っている。
「ねぇ、俺さ、スカートって似合うと思う?」
「お! いいんじゃない? 似合うと思うよ。着こなし次第だけどね」
友人ののばらは賛同してくれる。だが、彼女自身、結構エキセントリックな女だから、どこまで信じていいのかっていう疑問は残るが。
砂蔭のばらは、これまでに何度も会社を辞め続けている問題女子だ。何が気に入らないのか一太にはよくわからないが、就職しては、相手に砂を掛けるような言葉を置き土産にして辞職するということを繰り返しているので、砂かけのばら転じて、砂かけバーバラと呼ばれるようになった。のばらが五つ目に入社して半年で辞職したのが、今一太が勤めている会計事務所だ。そこで二人はお互いにお洒落が大好きだという点で意気投合し、彼女が去った後でもときどき会って遊ぶ。変わったもの同士でなんとなく気が合うのだ。
一太はとうとうスカートを手に入れた。濃紺のテロンとした生地のロングスカート。買ってはみたものの、着こなしに迷った。下手をすれば女装者みたいになるのではないかと思えたからだ。だが、スパッツの上にこれを重ね、トップスは普通にシャツとカットソーとベストを重ねる。これで結構いけそうだ。歩いてみると、下半身がフリーな感じでとても心地いい。のばらを呼び出して、街歩きを楽しむことにした。
翌週、仕事で訪れた客の一人が、一太の顔を見てニマニマしながら言った。
「木綿さん、こないだ駅前で見かけたぞ。なんかすごくお洒落して、ほら、スカートがよく似合ってて。ぼくさ、声を掛けそびれちゃったよ」
仕事でしか会ってないと思っていても、案外知らない所で見られているものだ。彼の言葉を褒め言葉と思った一太は、その後も違うスカートを手に入れたり、自分で作ってみたりして、お洒落を楽しんだ。ところが、半年ほど過ぎた頃、事務所の社長に個室へと呼ばれた。
「木綿くん、ちょっと妙な噂が耳に入ったのだが、何か困っていないかな?」
社長がいうには、ある得意先の人から、一太がゲイではないのかと聞かれたという。だからといって、何も仕事に支障はないのだけれども、客によっては、そういうことに敏感な人もいるので、経営者としては気をつけとかねばと、そう言った。
「冗談じゃない。ぼくは、そういうのにはちっとも興味ないですけど」
そう言い切ったものの、実はちょっとだけそうかもしれないなとも思った。一太は男性が好きだと思ったことは一度もないが、逆に女性に恋焦がれた経験もない。そのことを今まで疑問にも思わなかったが、ゲイなのかと問われれば、そういうのもゲイっていうのかしら? と、ふと思った。
ひょろりとスリムで背が高く、色白で目鼻立ちもくっきりしている一太は、お化粧をしたらきっと綺麗になるわよ、などとのばらにからかわれたことがある。だけど、ぼくにはそんな願望はないなぁ、一太はそう思う。だが、スカート姿を誰かに見られたから、そんな噂が立ってしまったのかな、ファッションって案外怖いものだな、そうも思った。
ファッションと、布モノが大好きな一太のあだ名は”一反もめん”。苗字は木綿と書いて”きわた”と読むのだが、みんな”もめん”と読む。”もめんいった”と呼ぶと、「何? 何も言ってないよ」とか「行ってないよ」とか、会話がちぐはぐになるので、前後逆転して”いったもめん”と呼ばれはじめ始め、やがてその呼び名は”いったんもめん”となった。のばらは”イっちゃん”とか”イッタン”と呼ぶ。
「イッタン、その話、おもしろいじゃない。この際、ゲイってことにしとけば? そうすれば女の子のおしゃれもどんどん取り入れて、お化粧もして、もっと楽しめるかもよ」
相変わらず砂影のばらは無責任だ。




