ほころび滅び 第一章 妖気な人々 其の二 女泣かせのジョージ
丈二は、名前がイメージさせるほどバタ臭い顔立ちではない。むしろその逆で、目尻の切れ上がった一重瞼で、鼻は高く面長。平安時代の公家のような容貌をしている。世間がいうところのしょうゆ顔のイケメンだ。だからといって嫌味な感じがしないのは、彼の人なつっこい性格によるところが大きいだろう。取り立てて背が高いということもなく、ややがっしりした体育会系。優しい顔立ちと、肉食系の肉体のアンバランスさが、むしろ魅力となっている。自己顕示欲の強いタイプではないので、誰彼なく自分をアピールするようなことはしない。それなのに、社内でもとりわけ女子の間で評価が高い。
「ねぇ、ジョージ、ちょっと、お願いしてもいい?」
同じ課の女子社員が、甘えた声で頼んでくる。コピー機の不調を直すように上司から指示されたのだが、女の手ではどうしても出来ないようなのだ。なぁに、簡単なことだ。丈二は彼女に手を貸して、いとも簡単に直してしまう。
「あ、ジョージ、私もお願いしていーい?」
今度はなんだ? バッグの金具がおかしくなった? よしよし、貸してごらん。
「ジョージ、帰りにちょっとだけ付き合ってくれない?」
これで丈二はモテているわけでは決してない。何かと頼まれてしまうのだ。それをまた丈二も断らないし、断らないから、また頼まれる。丈二の人懐っこい性格が彼女たちにそうさせているのはもちろんだが、それ以上にジョージという名前にも原因がありそうだ。そう、気やすく、呼びやすいのだ。生粋の日本人でありながらジョージだなんて外人みたいな名前。それは素敵であると同時に、呼んでみたくなる語感だといえる。
「ジョージ、そんなに何でもかんでも女子に優しくしていていいの?」
女子社員の中でも最もしっかり者の優実にそう言われたことがある。
「女の子にそんなに優しくしていたら、肝心の彼女が出来たときに困るよ」
彼女は、丈二に思いを寄せてそう言ったのではない。友達として、親心で言ったまでだ。だが、時すでに遅し。丈二にはすでに美唯という名の彼女がいて、怒らせてしまったことが何度かあった。
「ジョージ、今日、仕事帰りにちょっと付き合ってくれない?」
社内の女子社員が、いつものように声をかけてきた。
「いいけど、何に?」
「あのね、彼氏のお誕生プレゼント探したいんだけど、どんなものがいいのかなって。私、男の人の趣味とか、よくわからないから、一緒に探して欲しいんだ」
その日丈二は、美唯とデートの約束があった。しかし、待ち合わせ時間は少し遅めだから、時間に間に合うようにさえすれば大丈夫だろうと思った。
「わかった。その、彼氏の好きなものとか、趣味とか教えて?」
一緒にプレゼントを探してと言った彼女、藤崎沙織は、丈二より五歳下の後輩だ。沙織の彼氏が好きなのはパソコンで、昔はゴルフもしていたけど、今はもう止めてしまっているという。
「それとね、彼ったら、服装とかお洒落には無頓着なの。いつもジーンズ姿で過ごしているの。仕事がウェブデザイナーだから、スーツとか着ないんだ」
「なぁんだ、そこまでわかってるのなら、自分で探せるじゃない」
「ううん、そこまではわかっているんだけどねー。男の人が欲しがるモノって難しいの。それに、出来れば彼のダサダサな格好をなんとかしたいなぁ」
沙織はそう言った。
「じゃ、とりあえず、駅前のファッションビルで、何か探すか」
丈二はそう言って、沙織と共に駅前のHEDSというファッションビルに向かった。ここなら、お洒落関係の店もあるし、PC系の雑貨を売っている店も入っているから、きっと何か彼氏にちょうどいいものが探せるに違いない。
丈二はまず、彼女を雑貨店に連れて行き、男が欲しがりそうなPC周りのガジェットを、いろいろ見繕ってみせた。USB接続で動く怪獣や、PC周りの小物整理が出来るカート型の収納ケース、モバイル端末の面白カバーなど、次々と目の前に現れる風変わりなものに、沙織は目をくるくると回して感心していたが、どれにも顔を縦には振らない。
「うーん、やっぱり、こういうのって、なんだか子供っぽくて。男の人って、こんな馬鹿みたいな玩具が好きなのよねぇ。でも、私、やっぱりこういうのを贈物にはしたくないな」
丈二が提示するグッズに「うわぁ」とか「へぇー」とか、結構面白がっていたくせに、結局、ファッション系がいいんじゃないか。
丈二と沙織は、階下のメンズフロアーに急いだ。モッズ系のブランド、クラブ系、ストリート系、そしてヤッピー系。メンズファッションのブランドは、それほど多くはない。最終的に沙織が気に入って購入したのは、ポールスミスの店で見つけたハンチング帽だった。たかが帽子と言うなかれ。こういうモノって案外値が張るのだ。
丈二がようやくお役目を完了した時には、すでに七時半を回っていた。約束の時間を少し過ぎている。しまったと思うと同時に携帯が鳴った。美唯からだった。
「ジョージ、いまどこ? 何してるのよ、遅いじゃない」
急いで待ち合わせ場所の喫茶店に駆けつけた丈二は、結局三十分近く待たせてしまった美唯に、事情を説明した。丈二の正直な説明に、一応美唯は納得して許したものの、だからねと、まだ話は終わらない。
「だいたい、ジョージは女の子に優し過ぎるのよ。もちろん、私はジョージのそんなところが好きなんだけど。でも、私よりも別の女の子を優先させるなんて、私は許したくないわ」
「いや、別に、優先させたわけじゃ……いつの間にか時間が過ぎてしまっていたわけで……」
「だから、そこの詰めが甘いっていうの! 私を大事に考えてくれているのなら……いや、仮にそうじゃないとしても、先に約束してるんだから、もうちょっと注意をして、きっちりと時間を守りなさいよ、そうよ」
その通りであるから、丈二には返す言葉もない。丈二は、一旦は許してもらえたと思った美唯に、さらにひたすら謝り続けた。
しかし、こんなことがあっても、美唯はやっぱり丈二のことが好きだ。文句は言うけれども、だからといって嫌いになんてなりはしない。こんなに優しい、人柄のいい、しかもルックスもいい男、ほかにはなかなかいないんだもん。美唯は、そう自分に言い聞かせる。何しろ、こんなこと、今回が初めてではないのだから。
これが浮気とかだったら、絶対に許さない。絶対に別れる。だけど、そうじゃない。丈二も美唯のことが好きなんだし、美唯を怒らそうと思ってしているわけでもなんでもない。だけど、元来の人のよさが故に女性たちから頼られ、頼まれ、そのしわ寄せが美唯にやってくる。いっそ、「もうそんな優しい男を演じ続けるのはやめて!」ってそう言ってやりたい。だけど、それを言ってはいけないような気がする。丈二のいちばんいいところを壊してはいけないって気がする美唯なのだ。
丈二は丈二で考えている。俺って、美唯が言うように女性に優しくし過ぎなの? でもさ、俺に出来ることだったら、女性に限らず、誰にだってしてやるさ。そうでなければ、なんか人間やっている意味がないような気がしてさ。彼女たちの方から頼んで来るんだもの。何も頼まれなかったら、わざわざ俺の方からおせっかいはしないんだけどなぁ。一度、ポーラ姉さんに相談してみようかなぁ。だけど、きっとポーラ姉さんはこう言うだろうな。女性に優しくするのはいいことよ。だけど、それ以上に美唯ちゃんにも優しくしてあげればそれでいいんじゃないのって。うん、きっとそんなことを言う。わかりきっているから、姉さんに相談する必要もないな。俺、美唯への優しさ、足りないのかなぁ。みんなに優しくする。美唯にはそれ以上に優しくする。また女性たちが俺に頼み事をする。俺は断らない。そして美唯にもっと優しくする。なんだかなぁ。だんだん重たくなってきたなぁ。
美唯は思う。丈二は理想の彼氏だと思う。だけど、優し過ぎるのがたまに傷。でも、そこがいちばんいいところ。そのうち私たち、結婚するのかしら。そうなっても、丈二は会社の女子たちに、いやいや、そうなったらご近所の奥様たちにも、いろいろ頼みごとされて、丈二も安請負して、また私がイラっとする。そんなことになるのなら……なんだかなぁ。丈二の優しさが、美唯にとっては次第に重たくのしかかってくるのだった。
それにもし、結婚することにでもなったら、私の苗字は、丈二と同じ粉木かぁ。粉木、変な名前。粉木ジョージと粉木美唯って……なんだかなぁ。
美唯は、猫のようにくりくりした目をさらにくるくるさせながら、目の前でしきりに頭を下げている丈二の顔を、愛しく見つめるのだった。




