一話
第壱話
——現在
「はぁ、はぁ…。」
夜の道をただひたすらに走り続ける少年。殺意と狂気に満ちたライトグリーンの瞳が夜の街に反射し、ギラリと光る。
何故、自分は今こんなにも彼を殺めたいのか分からない。
センタボルタという都市。
洒落た建物が並んでいる。
この街の住宅街では、息を切らしながら走る少年の他に、帰宅途中の大人がちらほらいる程度。
あかりの灯った店の前に来ると、少年は足を止める。
——正義。
ゆっくりと少年は店に入る。そして広い店内の人のいない方へと向かう。
目の前に売っているこの店の中で最も高価な切れ味の良さそうなパッケージに入った包丁を手に取ると、周りを不自然にキョロキョロと見回し始めた。
その顔には、大変焦ったように冷や汗がにじみ出ていた。
店員はここからは死角にあるカウンターに一名のみ。
真夜中の閉店間際の調理器具屋に客などほとんど居ない。
店内にあるランプの灯が揺れる。
少年の隣には、なにやら棚に沢山置いてある刃物らを真剣に見ている者が一人居るが、特に少年を気にすることも無く、きっと視界にも入っていない。
今なら——
そう思った少年は、肩から下げていた鞄をそっと開き、包丁をそのまま鞄に入れようとする。
と、その時、鞄に入る直前で少年の手が止まる。
「……ッ!?」
(——手が、動かない。)
どんなに力を入れても、パッケージに入った包丁を鞄に入れる直前で持っている右手が動かない。
精神的に恐怖で動かない、という訳では無い。そう、物理的に動かないのだ。
恐る恐る右手を見る。
(——手…?)
少年の右手には、その手首を握る、黒い手袋を填めた手。
少しずつ少年は首を右に動かす。
一番上の釦を開けた、黒い襟飾を着けたワイシャツ。
またその上に足首より五センチ程上の所まで伸びた黒い長外套スーツを釦を止めずにしっかりと腕を通して着こなしている。
先程と同じく商品の包丁やナイフを閲覧している彼は、まるで少年のことなど見ていない様。
けれども左手は確かに少年の手首を掴んでいる。
右手は名探偵がやっていそうな、顎に手を当てている素振りで商品を見ている。
全く少年の手首を掴む手に力を入れているようには、少年の手首を掴んでいる左手からすら感じられないが、よわい十五の少年が全身の力を使っても全く動じない。
彼の左手には相当な力が加わっている。
「あの、手を離してください。」
必死に手を引き剥がそうとしながら少年が言った。
「断る。」
しかし彼は少年の方を見向きもせずに言う。
少年より身長が高く、焦って顔は見えていないが二十代後半位だろう。
そんな大人が子供の様な口調で言うものだから、少年は少し苛立つ。
「離せッ……手を離せよ!」
先程より声を荒らげて少年が言う。
しかしやる気の無い店員は気にも止めて居ないようだ。
「嫌だから断ると言って……」
少年の言葉に彼は溜息をつきながらこちらへ振り返る。
「いいから離——ッ!?」
そう言いかけ彼の顔を見た少年の言葉が途切れる。
整った顔にこちらを見据える左の瞳、そして少し蓬髪ぎみではあるのに何故か整って見える髪型。
まるで紳士のような、どこか軍人のような佇まいだ。
そう、ここまでは良いのだ。
ここまでは。
問題はその左の茶色い瞳の反対。右目に巻いている包帯……。
「……ん?どうしたのか急に黙り込んで」
手ははなさず、彼はそう言う。
「いや、えっと……。大怪我でも……?」
右手を掴まれていること以前につい訊いてしまう。
「ん?これ?怪我なんかしていない。実に——ファッション。」
(——ファッション!?)
「厨二病……?」
思わず引いてしまう少年。
「ー?初対面でそれは酷くないかい!?」
包帯野郎、厨二病と言う言葉、少し、否、若干傷ついた。
「手、手を離せよ。」
子供のように意地ける彼の事を気にせず少年が言う。
こんなことをしていないで、一刻も早くこの場から逃げなければ。
「はあ。」
そうため息を放ち彼が手を離す。
(——よし、早く逃げよう。)
少年は鞄に、先程の包丁を入れようとする。
「……!?」
(包丁が……無い!?)
「あ、それと、これは回収だ。欲しいなら買いなさい。」
恐る恐る彼の方を見ると、先程とで少年が持っていたはずの包丁の入ったパッケージの端を指先でつかみ、棚に戻そうとしている。
「いつの間に!?」
「学生かは知らないが夜の街は安全が保障出来ないから早くかえ————!?」
少年の方を振り向くと、下を向き不気味な気配を纏っていた。先程とは逆転したような、人が違うような、真新しい別の気配。
(……殺気?)
そんな黙り込んだ少年に彼が手を伸ばし肩に触れようとする。
しかし、少年に触れる直前でその手を止める。
(この少年の纏った殺気。近づくことの出来ない殺気。まるで自分を守り他人を殺す——針鼠のよう。)
不思議なあの気配と感覚に、彼は思考を巡らせる。
すると、下を向いていた少年が、殺気と狂気に満ちたあ《﹅》の目で彼の方を見る。
「嗚呼、そういう事。」
その目を見、彼は納得に行ったような顔をし少年の方へ一歩ずつゆっくりと近づく。
「俺は今、急いでるんだッ!」
そう言い少年は右手、右足を後ろへとまわし、拳を低く構える。
何が起きたのかと二人の周りに人が控えめな距離を保ち、集まり出す。
彼はまるで煽るかのように少年の近距離に止まり、ポケットに手を入れ笑みを浮かべる。
「うあぁぁぁぁぁあ!!!」
そんな彼に向かって少年は叫びながら拳を振り上げる。
少年の拳からは強い殺気が、そして微かな炎をまとっていた。
しかしその拳を彼は片手で受け止めた。
「……!?」
少年は目を見開き、直後、自分の形勢不利な状況に気が付き慌てて後ろへと後ずさる。
(止められた…………!?)
対する目の前の彼はこちらを嘲笑うかのような瞳で見ていた。
「もう一発……!」
少年は構うものかともう一度拳を振り上げる。
しかし拳は宙を舞い、棚を掠める。
一瞬の熱風に吹かれた棚に並んでいた包丁がカツンと音を立て床に落ちた。
「クソッ次は……!」
そう言い彼へとまた振り返った少年が拳を用意する間もなくまるで操り人形の糸がちぎれたかのように地面へと崩れ落ちる。
彼の拳が先に少年の腹へと入ったのだ。
彼はそんな崩れた少年が地面へと到達する前に片腕で少年の腹をホールドする。
「……!?」
(動け……ない……)
「少年……。あまり大事にはしたくなかったのだが……」
「……え?」
そう言いながら彼は棚の反対側に視線だけを向ける。
少年がそちらを向くと、そこには何が起きたのかとざわざわと見に来ている店員と客が、そして近所の通りすがりの野次馬が集まりこちらを見ている。
「大人が、情けないわ。」「救急を───」「何だ?何があったんだ?」「よく見えねぇよ。」「なんだー?酔っ払いかー?」
と、それぞれ言いたい放題だ。
サイレンの音もした。
きっと誰かが通報でもしたんだろう。
「まるで私が悪いみたいではないか。このクソガキが。」
「……は?」
彼はちっと、今度は格好の悪い大人の顔でそう言い、まだ理解の追いついていな少年を軽々と持ち上げる。
「は?え?は?え!?」
「暴れなぁーい暴れない。」
すると今度は背後から呑気な別の男の声が聞こえた。
突然の事に驚き降りようと足掻く少年に向けてそう言い、彼は走り出す。
少年は内心で子供扱いし過ぎだと苛立ったが今はもう何がなんだかわからない。
人だらけで塞がってる出口まで来ると、そのまま人集りをサッと抜け、パトカーの前を通り暗闇の路地へと二人は姿を消した。
「えー……あれ、大佐では……?」
通報を受けて駆けつけた軍人の無線への状況報告にはハテナばかり浮かんでいそうな疑問形。
その付近では突然の出来事にざわついていた。
。
「ここまでは、軍も追っては来ないんじゃないかな。」
先程は以後から聞こえた呑気な声の持ち主がそういう。
「ここからは我々の管轄ではない。あとは任せた。」
そう言い彼は少年を下ろす。
そしてその足音はカツカツと暗闇の中へと消えていった。
人気の全くない路地。
今夜は月も出ていない真っ暗な新月の夜。
唯一の灯りの灯った点滅を続けている街灯には蛾や小バエなどの虫が集まって時々光を遮っている。
たった一つの街灯以外に何も無いため、先程の場所と比べるとかなり暗い。
「おーい、少年、生きてるー?」
先程の痛みに堪え、下ろされたまま建物によっかかり座る少年に呑気な声の男がもしもーしと声をかける。
少年はゆっくり目を開ける。
今度は先程の紳士的な男とは違い、蓬髪で遊び人のような、酒の香りが漂う若い男だった。
「今度はなんだってんだ……っ」
少し警戒したように少年が言う。
「まあまあ、そんなに警戒しなくてもいいのだよ。僕のの名は月宮コウ。君は?」
「……俺は、伊座ナミ セトだ。」
「ふむ。セト君……君が暴走しているって言う例の……。よし、うどん屋行くよ。」
唐突にそう言う、月宮が歩き出す。
「えっ!?ちょっ、どういう?うどん屋……?」
「え?なんでって、だって君——」
月宮がそう言いセトの方を見る。
ぐぅーと、セトの腹が鳴った。
「お腹すいてるでしょ?」
「……っ……!」
恥ずかしそうにしてセトは拗ねたように下を向く。
「それに、こんな暗い路地じゃあ怖いでしょ?何?それともセト君……怖いのが好きなのかい?」
慌てて着いてきたセトの方を立ち止まってもう一度見、揶揄うように月宮が言う。
「……怖かねえし!着いてってやるよ……」
ここに残されてもどうしようもないので仕方なくという感じに……というかうどんという言葉に引かれてセトはそう言った。
「そう。それでよし。」
。
うどん屋にて、無一文であるセトは、奢って貰えるとのことでらこの店の看板メニューである「おっちゃん特製ぶっかけうどん」を食べていた。
「……幸せそうに食べるねぇ……。ご飯食べてなかったの?三十二杯目だなんて……。」
少し引き気味に月宮が言うがそんな声が届いていないのかセトはお構えなしにどんどんおかわりをする。
「却説、腹も満たされてきたところで本題に入ろうか。」
そう言い、月宮は頬杖をつき身を少し乗り出す。
「ん?あ、ああ。」
うどんの入っていた器から顔を上げてセトは月宮を見る。
「セト君さ、一旦逮捕状が出てるんだけど、心当たりは?」
「は!えっと……」
(やべぇ……心当たりしかねえ……)
にっこにこの月宮にセトは慌てて目をそらす。
先程のだろうか、それとも変な影を倒した時に小屋を燃やしてしまった時のだろうか……。
冷や汗が止まらない。
「逮捕状とは言ってもどっちかっていうと、保護かな。」
「……?」
へ?と腑抜けた顔でセトが月宮を見る。
「なんでとは言わせないよ?」
「……なんで?」
そう言いニマッと笑みを浮かべる月宮に対し、セトは問いかける。
「だってほら、君はラズライトとしての能力を勝手に使って勝手に暴れてたでしょ?」
「ラズライト……?」
初めて聞くその言葉にセトが疑問符を浮かべた。
「やっぱり知らないのか……」
月宮はやれやれと溜息をつきながらも説明を続けた。
「君はさっき、拳に炎を纏っただろう?」
「ああ、これか?」
自分の拳に炎を微かに纏わせセトが言う。
「そうそう、それそれ」
満足気に頬杖を着きながら月宮が指を指した。
「なんか気づいたら使えるようになっててそれで……」
「それで?」
「俺だけしか使えないから、ヒーローにでもなれたのかと思った!」
少年らしいドヤ顔に月宮はがくっと頬杖から顔が外れる。
「う、うーん、そうだね。」
「それに使いこなせるようになってから家を抜け出してたときに偶然変な影が現れて人を襲ってくるそいつを倒して人を救って……——!?」
あ!とセトはピンと来たように立ち上がる。
「わかった?」
月宮がにこっと問いかける。
話が繋がる。
ラズライトとしての能力……ラズライトとはなにかは分からないが能力というのはこの拳に纏う炎のことだろうか?
そして暴れている……
「もしかして、俺がこの力を使ってるのがやばかったのか!?」
「そうそう。やばかった。」
月宮がいえすと指を鳴らす。
「要は君は能力者で、その力を無闇矢鱈に使ってたらお国のお偉いさんから野放しにするなって指示が出た僕らが拾いに来たってわけだ。」
月宮がビールを一気に飲み干し続ける。
「君だけが授かったと思ってる人間離れした能力、それはちなみに違う能力ではあるけど使える人間は国に多少居るんだ。その能力者たちをこの国ではラズライトと呼んでいるわけ。」
「な、なるほど……」
自分だけじゃなかったことに少しガッカリするセト。
「ラズライト達は全て国が管理しているんだよ。そうじゃなければならない。」
その言葉にセトはなんでだ?と問う。
「反乱が起きた時にラズライトが国の対抗勢力になれば、国はばーんでさよなら。だから管理してる。まあラズライトになってしまったらもう、国の管轄下に入るしかないわけだ。」
と、いうことは。
月宮が立ち上がる。
「……ッ」
はっとセトが全てを悟り勢いよく立ち上がる。
机の上に乗っていた食器がかしゃんと大きく音を立てた。
そしてセトは出口へと走る。
「何処に帰るの?」
「!?」
しかし月宮がそんなセトに冷静に言い放つ。
店を出る直前でセトが足を止めた。
月宮がセトに向けた目は、これ以上無いくらいに冷たい目だった。そんなことしても無意味だと、セトの全てを否定したような目。
「君は家に帰るのかい?親を殺そうとしたところで君は今、何も凶器も持っていない。そして君の能力は不安定。家の扉を開けても即、暴力を振るわれチャンスは無くなる。」
「……ッ!?何故……それを……?」
セトは下を向き、ズボンをぐっと握る。まるで何かに怯えているみたいに。
「図星って訳か。見ればわかるよ。隠そうとしても隠しきれなかった君のその身体中の酷い怪我。君から感じる憎悪、殺意。そこからの僕の単なる想像だよ。」
セトは服の袖を引っ張り手の傷を隠す。
長袖長ズボン、そしてローブ。
傷のほとんどは隠しきれているはずだ。
それなのに……凄い洞察力だ。
それに想像だけでそこまで当てられるものなのか。
きっと心を読まれている。
「ッ俺にはやらなくちゃならないことがあるんだ!だからそんなところで足止めを食らっている訳には——」
「兄を探してるんだろう?」
「!」
ニマッと笑みを浮かべる月宮。
何故それを……とセトが目を見開く。
「ああ、これは正規情報。ルートは秘密。」
「正規情報?ルート?だって俺は誰にも——」
「そこで、僕から一つ提案があるのだけれど。これをのんでくれたら今度詳しく教えてあげるさ。」
急に明るく話を切り出す月宮にセトは思わず顔を上げる。
先程の月宮の冷たい目はいつの間にか消えていた。
「君は、ラズライト。これは紛れも無い事実ね。で、ラズライトの集う会社、組織の、『ヒルガオ社』に入らないかい?」
「……ヒルガオ社?聞いたことあるようなないような……」
「?ふぅん。ヒルガオ社も随分繁盛したもんだね。政府公認の民間組織。影憑特殊隊関連社。でも影を倒すってのが基本の仕事だ。」
「……ッさっきも言っただろ!俺はそんなことしてる暇は——」
「別にここから逃げ出してもいいけど、軍も黙っちゃいないよ。」
ふーんと、まるで他人事のように片手を机に着きながら月宮がセトの方を見た。
「そんなのかわしてやる!」
セトはキリッと月宮を睨む。
「さっきやられてたじゃないか。」
「ッ……」
「あれは軍の人間だよ。まあここは僕らヒルガオ社の管轄だから軍から仕事を譲り受けたわけで、ヒルガオの管轄を一歩でも出てしまえばすぐ捕まると思うな。そんな広くないし」
相変わらず腑抜けた声で月宮が淡々と告げる。
「そんなこと言ったって結局そのヒルガオ社ってところに行ったところで——」
「別に自由に行動してていいよ。軍じゃあるまいし」
「!自由にって……」
月宮の言葉にセトは疑いの目を向ける。
「情報も満遍なくあげるよ。軍じゃあるまいし」
「情報も……」
月宮が少しずつセトの方へと歩み寄る。
「騙されるかッ」
「騙してないし」
そして目の前まで来ると、反抗的なセトの顔に距離を詰め目を見た。
「……本当に、自由に行動していいんだな?情報も全部……」
「いいよ」
にっと月宮が笑みを浮かべた。
セトは上げかけていた拳を下ろす。
月宮が満足気に「おっちゃん!ご馳走様!」と厨房に向かって言う。厨房から「おう!また来いよ!」という元気な声を確認すると、セトの方を再び見た。
「じゃ、行こうか」
。
「ここが、ヒルガオ社。」
「ここが……?」
住宅街の端の海辺にある建物の前まで歩くとら月宮が言った。
その建物はセンタボルタの街並みに馴染んだ少しお洒落な西洋風の建物。
まだ半信半疑のままセトが考え込んでいると、月宮が扉を開け、中に入っていった。
慌ててセトも中に入る。
「広い……」
民間と言っていたからもっと小さなものを想像していた。
「本当に会社か?ここ。」
受付のようなカウンターの隣には、制服を着た従業員のような人達が立っている。
そして広いロビーの真ん中には大きなグランドピアノ。
それを囲むようにしてソファや椅子、テーブル。
月宮について行くと、受付の横にあるエレベーターの前につき、月宮が上へと昇るボタンを押す。
「会社だよ。」
「!?」
セトの質問に対する応答は、目の前にいる月宮からではない。
恐る恐る後ろを見る。
そこには眼帯をした落ち着いた茶色の髪の毛を下の方でふたつに結んだ少女が無表情で立っていた。
チラッと横目でセトを見たが、視線は直ぐにエレベーターの扉の方に。
「あ、はい、これ。社長に渡しといて。」
月宮が何やら笑顔で封筒を渡す。
「……」
少女は何も言わずにはてなと封筒を受け取る。
それと同時にエレベーターの扉が開く。
少女が乗り、月宮が乗る。それに続いてセトも乗り、月宮が三階へのボタンを押す。
(……気まずい。)
三階に着き、エレベーターを降りる。
ちらりと少女のいた方を見てみるとそこにはもう少女はおらず、廊下を静かに歩き去っていった。
すると奥の部屋から背の高いスーツを着こなした男が出てくる。
よく見れば歩いていた少女が、その男を見上げ、先程の封筒を渡し、どこかへ行ってしまった。
社長……とやらだろうか。
その封筒を開けると、何やら男がこちらに向かって走ってきた。
その隣を月宮が呑気に通り過ぎようとする。
「——なあ月宮、お前これ、どういうことだ。」
封筒の中の書類を手に、男が月宮に向かって無表情で言う。
それを誤魔化すように月宮が吹けていない下手な口笛を吹く。
「不快なメロディを奏でるな!説明しろ。なんなんだこの、ぶっかけうどん三十二杯分、一万九千二百円分の請求書は。」
そう言い手に持っていた書物をバッと月宮の目の前に出す。
「いやいや、書類近すぎて見えないから。」
(うどん……真逆!?)
そのやり取りを見、セトはエレベーターの前で固まり立ち尽くす。
「まあまあ、そう怒らないで伊澄。新入社員の——入社祝いだよ。」
「……新入社員、だって?」
イズミと呼ばれた男が怒りを通り越した呆れたような表情で月宮を見る。
「そう。新入社員。伊座ナミ セトくん、これが戦闘部所属のイズミ。」
「これとか言うな!」
二人の目線がセトにそそがれる。
「えっと……。」
「ヒルガオ社の戦闘部所属のイズミだ。よろしく。」
「切り替え早っ!?」
イズミが愛想の無い感じに短く自己紹介のような事を言う。
「戦闘部……?」
「お前そんなことも聞いてないのか。」
そう言いイズミが月宮を横目で睨む。
ん?と、月宮は両手で耳を押え、聞こえないとでも言ってるかのようにさらにイズミを煽る。
そんな月宮を無視してイズミが続ける。
「この会社は部署が幾つかに分けられてる。依頼を受けて捜査、解決をしたりする探偵部、情報を管理する情報管理部、社で医療、研究を進める医療部、探偵部から溢れ出た戦闘を担当する戦闘部、そして事務員、まあ主になんのスキルも持たない一般の者の所属する事務部。事務部では主に社の清掃や受付、まあ少し雑務に近いがそれなりに給料もあり、かなり、否、若干ホワイトだ。なんのスキルも持たない一般人。少年、お前の部署がここだ。」
なんだかよく分からないがイズミの説明にセトはむっと二人を睨む。
「事務部だぁ?ただの雑務をするために来たわけじゃ——」
「あ、その事なんだけどイズミ、セト君戦闘部だよ。」
続け様にイズミが話そうとしていたところを月宮が遮る。
「何!?この少年が戦闘部!?どう見ても普通の少年だろう。」
「いいや、先程僕が拾ってきた手配中のあのラズライトだよ。」
「ラズライト……ん?先程拾ってきた、だと?月宮、お前の独自判断でか!?社長の許可は?そもそも社長に言ったのか?」
「まあまあ落ち着いて、だから手配中の——」
「このちんちくりんが!?暴れてたっていう例の——」
「誰がちんちくりんだ!」
イズミの言葉にセトが喧嘩腰に手を組みながら睨む。
「じゃ、そゆことで宜しく、セトくん。」
何やらぶつぶつと呟くセトに月宮が言う。
「よろしくったって約束通り俺は自由に動くぞ」
「自由に?約束?どういうことだ」
イズミが待て、と月宮に説明を求める。
「どういうことって、そのままだよ。セトくんはうちの手駒にはなったけど基本放置」
え?と月宮が手を広げこたえた。
「それは誰の判断で……」
「社長」
「社長の判断なら別にいいか。イザナミ、よろしく頼む。今日はひとまず仕事は無いから別棟の社員寮でゆっくり休め。」
イズミが開き直りセトに向けて言う。
「相変わらず切り替えが早い……」
「あ、ああ……」
こうしてセトという一人の手配中ラズライトは無事、ヒルガオという緩い組織に保護された。




