●退魔師
ライフスタイルの変化や大型店の出店で客足が衰え、夕食時にもかかわらず買い物をする人も片手で数えられる程度しか居ないその商店街は半分以上の店舗がシャッターを下ろしたままとなっている。それでも何件かは趣向を凝らして頑張っているようだが、それもこの人通りを見る限りでは成果としてはあまり良くなさそうだ。
そんな寂れた商店街、その歩道を《《男二人が走っていた》》。しかしその速力たるやランニングなどと生易しいものでは無い。全力疾走と呼ぶにふさわしい走りでだ。
商店街を全力疾走する男が、しかも二人もいた場合、さて周囲の人々はどうするか?
普通であれば何事かと驚きや怪訝さに注目する、或いは近寄らないように避けることだろう。
人によっては事件や喧嘩の類を連想するかも知れない。或いは何かの撮影かと勘繰る者も居るだろう。ただ間違いなく非日常的な光景であり、無関心でいることは出来ないということだ。
だがどういう訳かこの走る男性二人に目を向けるものはこの場では《《皆無》》だった。
まばらとは言え全く人が居ないわけではない。少ないからこそより目立っているくらいだ。
だが誰も彼らを見るどころか気にすらしていない。
更にそれは通行人だけではない。
ここは主要幹線道路から一本外れた道路で、地元人からは抜け道として重宝されているせいか車の交通量は比較的多い。
その多くの車両に乗る者もまた彼らに注目することはなかった。
運転手だけならまだ分かるが、助手席の者も後部座席で暇を持て余し外を眺める子供でさえも、誰も彼らを見ていない。
その光景は不自然としか言えない。
走る男たちの対面から母娘が近づいてきた。
買物帰りなのか母親の左手にはいっぱいに詰まったエコバック、右手は子供と繋いでいる。楽しそうに子供と手を振り歩く母娘。古い街道は歩道部分が狭い。このまま進めば間違いなく男たちとぶつかるだろう。
しかしやはりと言うべきかこの母娘も向かいから迫る男たちを気にする様子がない
男らと母娘が交差する。
だが普通にすれ違った訳では無い。母娘が道を譲って脇に寄ったわけでもない。
ぶつかるその直前、走る男たちが《《ジャンプし母娘の頭上を通過した》》のだ。
かなりのスピードで頭上を抜ける男二人、その風圧が母親の髪を流す。
だがそれだけ。
母親は乱れた前髪を気にしただけで何事も無かったかのように歩いていった。
「さすがは『芦屋』の『陰陽術』ですな。『御庭番衆』にも引けを取らない《《隠密力》》。確か《《認識を逸らす術》》でしたか」
そう口にしたのは母娘を尻目に後ろを走る男だ。
四十代前半くらいで無精髭を生やしている。来ているのは作務衣のような衣装。脚は地下足袋とブーツの中間のような見たことのない形をしている。なんとも時代錯誤のチグハグとした格好だが、何より一番目を引くのは男が手に持っている長物だろう。
それは日本人であれば、いや今となっては世界中の人が一目見れば口々にこう呼ぶだろう。
『刀』、と。
そう、男が手にしていたのは納刀された日本刀。
布や袋に入れられていない鞘に収められ素の状態。普通であればまずありえないことだ。だと言うのに男の感心する言葉の通り、奇妙で不審な出で立ちであるはずの男に誰も興味すら示さない。それは異常と言うほか無い。
「俺には《人を騙す術》しか上手く出来ないんですけどね」
そんな時代錯誤の男の感嘆の言葉に、前を走る若い男が苦笑いを浮かべる。
若い男の格好は普通で、ジーンズに無地のシャツとさっぱりとしたスタイルだ。ただ腰元にくくりつけられたポーチだけはおしゃれというよりは実用的なものに見える。
「そう謙遜なさるな。これは立派な隠形ですぞ。こうして間近でも気付かれない気配の隠匿などそう易易とは出来るものではありませぬ」
「そう言ってもらえるとありがたいですね・・・・と」
刀の男の偽りのない賛辞に、若い男は思わずほんのりと口端を持ち上げる。
が、それも僅かな時間のこと。
若い男の表情は直ぐに真剣味を帯び、そして緊張の籠もった声を発する。
「近い、ですね」
若い男は脚を止めると集中するように目を閉じた。刀の男はその様子を黙ってみている。
「・・・・あそこにいます!」
数秒ほどして目を開けると、若い男は一つの建物を指さした。それは閉店した店舗だった。
建物には看板があった。そこには薄れた字で『三橋金物店』と書かれてある。
閉店して大分経つのか、降ろされたままのシャッターは塗装が剥がれ錆が目立っている。
「どうしますか?」
「それならば私が上から先に突入しましょう。『直樹』殿は周囲に《《結界》》を」
「分かりました」
刀の男の提案に『直樹』と呼ばれた若い男が頷く。それから「参る」と刀の男が走り出す。そのスピードはそれまでのが這っていたかのように思えるほどに速い。道路を走る車を置き去りにする様は到底人の筋力で出せる速度とは思えない。
刀の男が元金物屋の前まで来ると軽く踏み込んだ。そして跳び上がると軽々と建物の二階までその身を跳ばす。
二階の窓はガラスが割れたのかブルーシートが貼られている。
刀の男、『歩奴馬周栄』はビニールシートを押しのけるとするりと建物の内部へと侵入していった。
残された若い男、『芦屋直樹』は、周栄が建物内に侵入したのを見送ると慎重に建物へと近づいた。
「さて、俺も役目を果たしますか」
そう言うと腰元のポーチから一枚の紙を引き出す。
短冊のような長方形の紙には文字のような紋様が描かれていた。
直樹は取り出した紙を指で挟んだ。
そして再び複雑に指を折り編む。
『印』を編みながら直樹は『呪文』を口にした。
「・・・・・・火行陰術『方位転幻陣』!」
最後に『発動句』を宣言すると、直樹は紙、『符』をシャッターへと貼り付ける。
するとどうだ。建物が蜃気楼のような一瞬揺らめいた。
「うっし、これで一般人には《《ここは無いもの》》となった。後はどうやって入るかだけど」
直樹は額に浮き出た汗を拭うと自分も中に侵入すべく入口を探す。
正面は閉じられたシャッターだけ。押し上げてみたが鍵が確りとかかっていて上がりそうにない。
どうやら正面で入れるのは周栄が入っていった二階の窓だけのようだ。
「・・・・あれで同じ人間ってのが信じらんねぇ」
二階を仰ぎ見た直樹がごちる。
先に突入した周栄のような身のこなしは直樹には出来ない。
「さすがは『斬の一族』ってことか」
ため息を吐いた直樹は建物の裏手へと向かう。だが都合よく鍵が空いている場所は一つもなかった。
「悪いな」
仕方無しと直樹は勝手口横の窓ガラスを肘で割る。
大きな音がしても『方位転幻陣』により通行人が気付くことはない。
中へと入る。
誰も住まなくなってそれなりに経つのか建物内は埃っぽい。
裏手から入って直ぐの場所は工房だったのかそれなりに広かった。
店には商売道具の工具が雑然と並べられ、中央の大きな木製の台には研磨するための機械が据え付けらている。
直樹は身をかがめ注意深く暗い室内を見渡す。
「っ!?」
その時、《《広げていた『霊力』》》に反応があった。
直樹は咄嗟に上半身を逸らす。
ヒュっと寒気のする音が耳に入る。
直ぐ目の前を通り過ぎる影。
感じる悪寒に従うように直樹は地面に転がりその場から離れる。
すると突如壁に穴が複数空いた。
その位置はさっきまで直樹の体があった場所。
「直樹殿、下がってくだされ!」
「っ!?」
周栄の声に直樹は条件反射的に飛び退くと、貫高な金属の衝突音が室内に響いた。
そして初めて直樹を襲った正体をその目にする。
それは暗闇よりも黒い何か。粘質高めな屁泥のような影。
上半分は人のようにも見える。
頭部があり両腕がある。
だがその片方の腕は異様に長く、そして先端が尖っている。
例えるなら西洋で使われた刺突用のランスだろうか。三角錐の形をした腕は身の丈ほどありバランスが悪い。
だがそれ以上に異形な場所がある。
それは下半身に当たる部分。
上半身は辛うじて人とも見えるシルエットをしているが下半分はどう見ても別種である。
なぜなら下半分が《《四本脚》》だったからだ。
犬や狼のような前足と後ろ足の形状。本来頭部に当たる場所から槍を持つ上半身が生えている。
そのシルエットは見ているだけで不快感が湧いてくる。
「『妖魔』」
直樹が吐き捨てる。
そこには隠さない嫌悪があった。
周栄は手にした刀で妖魔の槍と鍔迫り合いをしていた。
壁を穿ったのはその槍のもの。
「っ!? 《《現界化》》!」
直樹はその事実に思い至ると表情を強張らせる。
そんな中、周栄と妖魔の争いは激しさをましていく。
周栄の刀は大太刀と呼ばれる日本刀。狭い屋内で巧みに刀身を振るう。その剣速は音もろとも空を斬り裂かんばかり。
それを迎え撃つ妖魔の槍。
まるで大きさによる重さを感じさせない動きは気持ち悪ささえ感じるほど。
幾度も斬り結ぶ両者の刃。その度に火花で明滅する室内。
直樹は互いの刃が打つかり合う様に驚愕で目を見開く。
「まだ生成、実体は体の一部だけ。ですが直樹殿、お気をつけを。現状の此奴でも位階は『白』に相当しますぞ」
激しくせめぎ合う周栄の言葉に直樹は気を持ち直す。
「ふぅ、すみません」
大きく息を吐き出した直樹の瞳は先程までの狼狽は消え決意の光を宿す。
(そうだ、よく見れば《《実体を持っているのは槍の部分だけでそれ以外は影のまま》》、《《力を存分には使えない》》はず。だがそれで階位『白』だとしたら、《《完全限界化》》すれば『黃』どころか『紅』まで届く恐れがある。そうなればどれだけの一般人が犠牲になるか・・・・なんとしても今のうちに討ち滅ぼす!)
「周栄さん、サポートします!」
「頼みますぞ!」
直樹が身構え周栄の剣圧が増す。
振るわれる一閃は音すらも置き去りに縦横無尽に軌跡を描く。だが相手は《《『白』に階位が上がった妖魔》》、そう簡単には刃が届かない。《《物質化した槍》》で周栄の刀を全て弾き返していく。
それでも押しているのは周栄だ。
『斬の一族』である周栄は謂わば近接戦闘のスペシャリストである。《特別な能力》》による膂力もさることながら剣技に於いても超人の域の周栄は、刃を交える毎に鋭さをまし、《《淡く光る刀身》》は残光を引きずりながら妖魔の《《実体無き体を刻んでいく》》。
徐々に徐々に妖魔を追い詰める。
だと言うのに周栄は苦々しく葉を食いしばる。
額からは大粒の汗が流れ息も荒い。
明らかな疲れが周栄には見える。
(《『気力』がこの調子では突きてしまう。長引いて不利なのはこちら)
周栄にも余裕は無かった。持てる力を出しきらねば階位『白』を抑えるのは難しかった。
故に周栄の《《力の消費》》は激しく、長時間の戦闘は困難だった。
周栄の様子に直樹も気づいていた。
直樹は周栄のサポートをすべくポーチから新たな『符』を一枚取り出す。
(複雑な術は要らない。切っ掛けさえあれば)
『印』も『呪文』も無くただ『霊力』だけを符に流し込む。
「周栄さん、目を!」
周栄と妖魔が離れたその一瞬、直樹は妖魔に向かって符を飛ばす。
意思を持ったかのように飛ぶ符は妖魔の顔付近で激しい光を放った。
光、いや霊力にあてられた妖魔が僅かに怯む。
直樹の合図に身構えていた周栄は空かさず妖魔へと斬りかかる。
美しく鋭い垂直の一閃。
妖魔の音にならない悲鳴が空気を震わせた。
まるで吹き出る血のように影が飛び散る。
だが周栄の顔に浮かんだのは喜びではなく悔しさだった。
(っ!? 躱された・・・いや、間合いをずらされた!)
影を撒き散らしながらも確りと立つ妖魔。
仕留めた、そう思える完璧な周栄のタイミングであったが、妖魔は自らの槍を地面に叩きつけることで僅かに間合いを取っていたのだ。
空かさず周栄が二撃目に刀を跳ね上げる。
だがその斬撃は意外な妖魔の反撃で弾かれてしまう。
槍を突き刺した床が突如爆発した。
破片と余波が周栄を襲う。逆に視界が塞がれた。
その僅かな間に妖魔後方へと飛び退くと、躊躇無く直樹が入ってきた窓から奥外へと飛び出す。
「まずっ!」
「追いますぞ!」
周栄が即座に駆け出す。
直樹も遅れながらも建物から外へ出る。
外は普段と変わらない静かさだった。
悲鳴は聞こえない。車の走行音だけがやけに耳に付く。
「っ、どこだ?」
直樹は表側に回り周囲に目を凝らす。
(いた、上!?)
すると屋根の上、商店街の建物の屋上を飛び交う二つの影が視えた。
直樹は後を追うため道路を走る。
息を切らした直樹がたどり着いたのは防波堤だった。
既に陽は落ち辺りは夜の帷が落ちようとしている。
「疾っ!」
テトラポッドの上で周栄と妖魔が既に互いの刃を交えていた。
両者とも暗さなど全く気にかからないような身のこなしで、足場の悪いテトラポッドの上とは思えない速さで動き回る。
直樹は加勢するため踏み出した・・・・・・脚を止めた。
周栄が妖魔の実体化していなかった方の腕を斬り落としたのだ。
この時点で無用な横槍は却って邪魔にしかならないだろう。
直樹は戦いの行く末を見守ることにした。
おそらく妖魔は屋内での一撃で既に弱っていたのだろう。周栄とて気力に余力があるわけではないが、両者の優劣はこの時点で確実なものとなっている。
逃げられたときには冷や汗を流したがどうやらそれは杞憂に終わりそうだと、直樹は安堵に気を僅かに緩めた。
だが《《運命の女神》》は時として悪戯をする。
勝敗が決する、そう思われた周栄の渾身の一振が放たれようとしたまさにその瞬間、海の沖に巨大な《《火柱》》が突如として舞い上がった。
気を張り詰めていたからこその反応。
周栄の剣筋に僅かな揺らぎが生じる。
その僅かなズレに妖魔の槍が割り込むと周栄の刀を弾く。
己の脆弱に奥歯を噛みしめる。
だが女神の悪戯はそれだけではなかった。
夜の闇が一気に振り払われた。黒に染まった海と空が一瞬で白に変わる。
それは火柱が立ち上った沖と同じ場所。そこから今度は目を開けていられないほどの光が放たれた。
(な、何が!?)
眩しさにたまらず顔を背けた直樹は事態の急変に戸惑う。
光は直ぐに収まった。
眩んだ目を凝らすと、洋上に《《淡い太陽》》が浮かんでいた。
だが異変はそれだけではなかった。
未だ困惑する直樹に襲いかかってきたのは、猛烈な霊力の暴威。それが突風となり体を叩きつける。
海面が大きくうねりを上げ停泊している船を木の葉のように揺らす。
車の防犯ブザーがいたるところから鳴り響き、水しぶきはまるで滝のように降り注いできた。
それはまるで爆発による衝撃波のように何度も押し寄せてくる。
気がつけば直樹と周栄、そして妖魔もがその場から吹き飛ばされていた。
アスファルトをゴロゴロと転がる直樹は軽トラックのタイヤにぶつかるとやっと止まった。
霊力の暴風は1分近くに及んだ。
ようやく波が収まると、辺りには様々な物が散乱した荒れ模様とかしていた。
直樹は痛む体もそのままに身を起こすと最大限の警戒を巡らせた。
空は既に元の暗さに戻っている。
余波はまだ残っているがさっきまでも強大な霊力はもう感じない・・・・どころか《《微塵もなくなってしまっている》》。
「し、周栄さん!」
直樹は慌てて周栄を探した。
だがその姿はどこにも見えない。
そして代わりに見つけた存在に息を飲む。
「っ、妖魔!」
それは槍の妖魔。
片腕はなくなり見るからに満身創痍の状態であるが防波堤の上に確りと立っていた。
直樹は妖魔と目があったように思えた。
実際には《《影でしか無い状態の妖魔》》に目はないのだが、ジッと見られているように感じた。
来るか、そう身構える直樹だったが、その警戒は的を外れ、妖魔は身を翻すとその場から逃げ出し始めた。
直樹は頭の中で迷った。
この異常事態にどう行動すべきかが全く分からなかった。
周囲には変わらず周栄の姿は見えない。
「逃がす・・・・わけには行かない!」
だが次ぐの瞬間には直樹は走り出していた。
妖魔の後を追い駆け出していた。
「プハッ・・・・待て、直樹殿!」
海面から周栄が顔を出した。
先程の霊力暴発に海に落とされていたのだ。
『気力』を使い果たし体を思うように動かせないのか、テトラポッドにしがみつき走る直樹の後ろ姿に呼びかける。だが先程ので辺りが騒然となっていてその声はかき消されてしまう。
次第に防波堤に様子を見に来た者や野次馬が集まりだした。
だがそんな者たちであっても誰も直樹たちを注目するものは一人も居なかった。




