第1節:地上の息吹
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朝霧がまだ村を包むころ、山間のリューネ村は目を覚ます。
屋根の苔が露を滴らせ、遠くの丘には白い羊の群れ。
鳥の声が重なり合い、木々の隙間から差し込む光が細い金糸のように地面を縫っていた。
ライルは小川のそばにしゃがみ込み、石を拾っては投げていた。
水面に映る自分の姿を、彼はほんの少しだけ嫌いだった。
――左側にしか生えていない角。
それは、彼が他の誰とも違うことを日々思い出させる印だった。
「また見てるの?」
後ろから声がして振り返ると、妹のミラエルが立っていた。
白金の髪を編み込み、腰まで流した長い髪の先を指でくるくるといじりながら、
少し呆れたように兄を見つめている。
「朝ごはん冷めちゃうよ。お母さん怒る」
「すぐ行く」
「どうせまた、角のこと考えてたんでしょ」
ミラエルは軽くため息をつくと、兄の横に腰を下ろした。
彼女の目は深い湖のような青。
兄妹といえど、その穏やかさは正反対だった。
「ねぇ、兄さま」
「ん?」
「村の人たち、兄さまの角のこと、そんなに気にしてないよ。もう慣れてる」
「……そうかな」
「うん。少なくとも、私は好きだよ。その形」
その言葉に、ライルはうっすらと笑った。
だが、その笑顔は長く続かない。
丘の向こうから、角笛の音が響いた。
春祭りの準備を告げる合図だ。
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リューネ村の春祭りは、
“星の門の加護”を祈る古い祭礼に由来している。
もっとも、今となっては誰もその「星の門」を本気で信じてはいない。
年に一度、収穫を感謝し、天に杯を掲げる――それが村にとってのすべてだった。
ただ、祭りの最中に「雷」が鳴ることだけは、
古い言い伝えとして不吉の兆しとされていた。
“雷の音は、封印の亀裂を呼ぶ。
その光に触れた者は、星の怒りを受けるだろう。”
子どもたちはその話を怖がり、
大人たちは、笑って否定しながらも、心のどこかでそれを恐れていた。
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「ライル、木材の運び出し、お願いできる?」
父の声が家の裏手から聞こえた。
彼は村の寄り役のひとりで、
頑固だが人望が厚い男だ。
「うん、すぐ行く!」
ライルは立ち上がり、
妹に手を振ると、作業場へと駆けだした。
道の途中で、村の子供たちが集まっていた。
同年代の少年、トゥレンがこちらを見てにやりと笑う。
「おい、ライル。お前も手伝いか?」
「ああ。お前たちは?」
「俺たちは飾りつけ。角があるんだから、てっぺんの紐結び、得意だろ?」
笑い声が弾ける。
からかい半分の冗談でも、胸の奥に小さな棘が刺さる。
「……やめとけよ、トゥレン」
「冗談だって!」
だがそのとき、
空を横切った白い光が一瞬、地面を照らした。
雷――ではなかった。
ただの陽光の反射。
それでもライルは思わず胸を押さえた。
どくん。
心臓の奥が熱を持つ。
(なに、だ……?)
彼の中で、微かに“何か”が目を覚まそうとしていた。
だが、その意味を知る者は、まだこの村にはいなかった。




