第10節:午後の光
あの日の嵐から、二度の季節の巡りが過ぎた。
森を焼いた雷火の跡は今では柔らかな若木に覆われ、かつて黒く焦げた幹の根元には、苔が淡く光を返している。
午後の陽は傾きかけ、空を流れる薄雲の下で、ライルはゆっくりと呼吸を整えた。
指先に集まる雷素が、皮膚の下をかすかに走る。痛みではなく、熱でもない。ただ、内にある何かが脈を打つ感覚。
「……っ」
息を吐くと、小さな放電が指の間を走り、空気の匂いを変えた。焦げた草の香りが混じる。
まだ完璧ではない。だが、以前のように暴走することはなくなっていた。
木の陰で見守っていたエルシュが、静かにうなずく。
「だいぶ安定してきたね。雷素の流れが滞らなくなってる」
「……たぶん、ようやくだよ。あの日から、ずっとこの感覚を掴もうとしてた」
ライルは掌を見つめた。掌の中には、かつて雷石を受け取ったあの夜の光が、微かに宿っているような気がした。
エルシュは少し笑って肩をすくめた。
「焦らなかったのがよかった。制御っていうのは“抑える”ことじゃない。
流れを知って、“委ねながら導く”ことだって、もう気づいてるだろう?」
「……ああ。力は戦うためじゃなく、繋ぐためにある、って……君が言ってた」
「ふふ、それ、私が言ったんだっけ?」
「忘れたふりするなよ」
ふたりの間に、穏やかな沈黙が降りた。
森を渡る風が、葉の間をくぐり抜ける。その音に、ライルはほんの少しの懐かしさを覚える。
──あの嵐の夜。
村の人々は、空を裂いた雷鳴を「神々の怒り」と呼び、星の門の近くに誰かが立ち入ったのではないかと怯えた。
火事の後、森の一部は禁域に指定され、誰も近づかなくなった。
ライルもその一人だった。けれど、時間が経つにつれ、誰もがその出来事を語らなくなっていった。
ただ、父のカイロスだけは、何も言わずにライルを見守り続けていた。
今では、家の仕事を手伝いながら、日中はこうして森で修練を積む日々だ。
村の人々も、ライルが時折不思議な力を扱うことを知っている。だが、それを誰も口に出しては言わない。
“火を受け継ぐ者”として生まれたはずの少年が、なぜ雷を纏うのか。
答えのないその問いを、村人たちはいつしか「天の巡り」として受け入れていた。
「ねえ、エルシュ。……“門”のこと、最近どうなってる?」
ふと口を開いたライルに、エルシュの瞳が揺れた。
「感じるんだ。時々、森の奥が……呼んでる気がする」
「呼んでる?」
「うん。以前はただ静かに光っていたはずなのに、最近は――鼓動みたいに、脈を打つ。
それがこの島だけの現象なのか、他の門でも同じなのか……わからない」
エルシュの声には、かすかな不安が混じっていた。
雷素の波動が微かに乱れ、風の流れが変わる。
ライルは額の汗を拭いながら、空を見上げた。
雲が、ゆっくりと渦を描いていた。
「星の門って……やっぱり、ただの古い遺跡じゃないんだね」
「ええ。あれは、“世界を渡るための道”だった。神話の中ではそう語られてる。
でも今は封じられている。開けば、何が起こるか分からない。
だからこの島の人たちは、“門が動く時代”を恐れているのよ」
ライルはその言葉を聞きながら、ゆっくり拳を握った。
自分の力の出どころ――それが門に関係しているのではないか、という予感が、いつからか心に巣くっていた。
エルシュはその様子を見て、静かに続けた。
「でも、ライル。……君は“雷”を宿す子。
雷は、空と大地を繋ぐもの。破壊でもあり、再生の象徴でもある。
もし門が再び目を覚ますなら、君がその“境”に立つことになるかもしれない」
「……そんなの、俺にできるのかな」
「できるよ」
即答だった。エルシュは微笑み、そっと彼の頭に手を置いた。
その掌から流れる力は、いつものように柔らかく、しかし深い波動を持っていた。
「君がこの二年、力を恐れずに向き合ってきたのを、私はずっと見てた。
大地は焦げても、芽吹く。雷もまた、命を導く光になる。
――だから、きっと大丈夫」
その言葉に、ライルは目を閉じて息を吐いた。
頬をかすめた風が、微かに湿っている。
遠くで、雷のような低い音が鳴った気がした。
「……ありがとう、エルシュ」
「ううん。礼を言うのはまだ早い。これから、もっと大きな選択が君を待ってる」
「選択?」
エルシュは少し視線を遠くに向けた。
「この島だけじゃない。星の門は世界に十二あり、それぞれが“異なる素”を抱いている。
もし脈動が連鎖しているのだとしたら――君の力が、その中心に触れるかもしれない」
ライルは息を呑んだ。
胸の奥で、再び雷素が静かに震えた。
何かが、遠い場所で目を覚まそうとしている。
それが希望か、災いかは分からない。
だが、確かに“世界”が動き始めている。
それを肌で感じながら、ライルは夕暮れの空を見上げた。
赤く染まる雲の端で、一筋の光がゆっくりと走った。
それはまるで、天と地を繋ぐ細い導線のように――
新しい旅の始まりを、静かに告げているかのようだった。




