蛇な死神、来訪者 後
リコが用意した夕食を三人で囲み、寿命間近なブラウン管を見ながら藍はこの認めたくない現実に対して口を開いた。
「まさかお前に友達がいるとは……。それでなに、そいつも妖怪なの?」
「ちゃう。あやめは死に神じゃ」
予想を斜め上いくまさかの答えに箸を落としそうになる。
「……し、死に神?あ、あれじゃないんスか?歳とった蛇が妖怪化して蛇女ー、みたいな妖怪」
「えぇ、確かにそう言った存在に近いですね」
二人の会話にわって入るようにあやめが声をあげた。
「私の目的はヒトの魂を狩る死に神ですが、もともとは一介の蛇妖でしかありません。気がついたら死を司る眷属になっていたんです」
「……なに言ってんだかよくわからないや」
「もっと詳しく知りたいですか?知れば二度と戻れなくなりますよ。私としてはそれでもいいんですけどね」
「遠慮しときます……」
「あら、残念」
クスクスと不敵な笑みに藍はぞくりと鳥肌をたてた。
その目は確かに狩人のそれだった。その瞳にたじろぎながらも、明確な意思を持って自分の思いをぶちまける。
「俺としてはよ。おたくらが何しようとどうぞご自由にって考えてんだ。俺に関わらなければいくらでも好き勝手してくれて構わねぇよ」
煮魚の身をほぐり出し、口に運ぶ。ほんとリコは料理だけは上手いな、と思った。
「俺の視界の外で、ならな」
「もぉう、なに言うておるんじゃ藍?おぬしは我のカレシじゃろ」
「都合がいいときだけその設定出すなよ。俺の魂は最後まで俺のモンだ」
「設定、って……。なんだか妙に高尚な話になっておるのう」
ぽりぽりと頭を掻きながら彼女は呟いた。
「うるせぇ。兎にも角にもその蛇女を泊めるのは今日だけだから。それ以上は認めん」
「心の狭い人ね」
「お前こそ帰る家があるんだったらそこにいけ!」
柄にもなく熱くなった言葉が自然と口をつく。
「私に命令しないでくれません。不愉快です」
「宿を貸りる側とは思えんふてぶてしい発言だ」
「敬意は払ってますよ。だから敬語なんです。魂を狩る者としてどんな虫けらでも尊敬の念は持つことにしてるんです。あ、いえ!まさか藍さんが虫けらだとは言ってません!」
「……」
「そんなことしたら一生懸命生きてる虫に失礼ですもの」
「っだと思ったよ!」
オブラートに包まれた言葉は正味、口から火がでるほど激辛だった。
三人で囲む食卓は言葉が絶えることなく(主にあやめから藍への罵倒の言葉だが、リコは無邪気な様子でそれに気づいていないようだった)、終始賑やかではあったが、食事が終わる頃には藍のメンタルはボロボロになっていた。
「それじゃあやめの布団だしてくるのう!」
「なんで自分ちみたいに振る舞ってんだよ……」
藍の呟きを無視してリコは布団がある押し入れに向かった。それを待ってましたとばかりにオブラートがなくなった言葉のナイフが彼に襲いかかる。
「おい豚」
「ついに敬語でもなくなったよ!」
「私だってあなたを敬いたいとは思うんだけど、どこをどう取っても尊敬できる所がないんだから仕方ないじゃない」
「豚ってなんだよ!さっきまでちゃんと名前で呼んでたじゃねぇかよ!」
「あだ名よ。あなたの」
「俺と豚のどこをどうとればあだ名になるんだ!」
「あ、私としたことが身体的特徴をおおっぴらにしすぎたわね。それは失礼したわ。これからはあなたの精神面を考慮して毛ジラミと呼んであげる」
「お断りします!」
もう彼女の揶揄に反論する気がなくなってきていたが、かといって止めれば、それはそれで問題である。
「あなたとリコはほんとに付き合ってるの?」
肩にかかっていた長い黒髪を一回パサリと後ろに払って、彼女はどことなく真剣な表情で藍に尋ねた。
「ああ、らしいぞ」
「らしい、って……。なによ」
「なにと言われても。1ヶ月だけの関係だし、一応恋人とはいえ、そこまで深い関係ではない、というのが正直な話だな」
「調子に乗るなよ。愚図……!」
「っ」
罵倒の言葉が、凝り固まって一つの刃になったかのように、鋭く空気を切り裂いた。
今まで彼女が悪口を言う時、ここまで空気が張り詰めたことはない。
蛇に見こまれた蛙、
彼の脳裏にことわざが掠めた。
「恋人を幸せにする覚悟もない下郎があの子の隣に立つことが許されると思って?」
ビリビリと空気全体が静電気を帯びたみたいに彼の皮膚に突き刺さる。
「し、知るかよ。いきなり告白されて、間違ってOKしちまっただけの話だよ。お互い妙に勘違いして納得しちまったが、考えてみればおかしな話だ」
「ミカズキモ、それ以上口を開かないで。光合成も出来ない体にするわよ」
「ハナから出来ねぇよ!!」
「七歩いかぬ内に締め殺してあげようかしら」
あやめは藍の肩に手を回し至近距離で彼を睨みつけた。
つり目がちでとても魅力的な視線なのだが、今は恐怖しか感じられぬ冷たいものだ。
「ぉ、おい」
あやめは耳もとで蠱惑的に囁く。
「下らない劣情でリコを傷物にでもしてみなさい。あなたのつま先から順に輪切りにして額に入れて飾ってやるわ」
「だから出来ねぇって!」
あいつの下半身透けてるだろ!
「な、なにしておる!」
緊迫した空気をほぐしたのは布団を敷き終わったらしい座敷童の少女だった。
「人のカレシに手をつけるなぞ、いくらあやめでも、許されることではない!藍も藍じゃ!女となれば見境もなく手を出すなんて!」
「出してねぇし、出せねぇよ!」
こいつ下半身が蛇だろうが!
「落ち着いて話を聞いて、リコ」
体を藍から離し、先ほどまでとは打ってかわった優しい口調で、あやめはリコにうそぶいた。
「フォークダンスの練習よ」
「え?」
「私がこんなチンケな貧乏面を狙うハズないじゃない。死神界夏の大運動会に備えて訓練してるの」
「藍はチンケでも貧乏でもないぞ」
「あら失礼。言い過ぎたわね。私の趣味は少なくとも平均より上の顔立ちだから、はっきり言って藍さんは好みじゃないの」
その発言はどんなストレートな物言いより地味に彼の心臓を抉った。
「なるほど、それは確かにそうじゃのー」
「そうでしょ」
ウフフと再び声を揃えて笑いだした二人に、藍はさらに傷つけられる。
もう勘弁してくれ……
彼のライフポイントはゼロを突き抜けマイナスに向かおうとしていた。
「と、いうわけでおやすみ」
「おやすみなさい」
「一生目覚めないくらい深い眠りについてください」
「……」
二匹の妖怪と分かれ、肩をぐりぐり回しながら床につく。
ベッドは聖域だ。いかなる不浄のものを寄せ付かない。万年床の免罪符を得た夜船は、下界のアヤカシとの世界に明確な線引きをしてくれる。
少年は瞳を閉じる前、明日の日程を思い出す。休み明けの「起きれるかな」という不安と5日ぶりの友人との再会の期待が胸を包みこんでいる。最後に携帯のアラームが入っているかを確認しなおし、微睡みの世界に足を突っ込むことにした。
「……」
眠れない。寝返りをうつついでにベッドの端に視線をやる。目を開けたのはたまたまだったが、その偶然に彼の眠気は完全に吹き飛ぶことになった。
「……!」
目を見開く。リコとあやめの顔が、ベッドに顎をのせ並んでいた。
「なっ、なんなんだテメーらっ!」
「あ、バレた」
「撤収ッ!」
毛布をはねのけ、上半身をガバッとあげる。リコとあやめの二人は、部屋から出ていこうと彼に背中を見せていた。
「おいリコ!」
「な、なんじゃ」
慌てて呼びとめる。振り向きはしないが、足は止めてくれた。
「テメーが手に持ってるマジックペンはなんだ?」
「ま、マジック…なんのことかのう」
「とぼけんな」
見えてはいないだろうが、彼女の右手を指差して、背中に向かい声をあげた。
「しっかりペンを握ってんじゃないか」
「こ、これは、その、ま」
まごまご、と呟く。
「ジマッククッジママックジマジック〜」
「なんだそれ。そんな変なこと言っとけばごまかせると思うなよ」
「……」
「テメー落書きしようとしてただろ?」
「…………」
しばしの沈黙の後、リコは堰を切ったように喋りだした。
「け、けっしてそのようなことはない!友達が泊まりに来て修学旅行のようなテンションになり、つい寝ている人にイタズラしよ〜、なんて気持ちになぞなっとりゃせんぞ!」
「ふざけんなよ。俺明日から学校が再開すんだ……もしその顔で登校したらどうするつもりだよ」
「うっ。まあ、ご愛嬌、かのう」
「はぁ。まあ気づいたから良かったけどよ。ちなみに何を書こうとしてたんだ?」
「なぁに大した事はせん。瞼の上に目でも書いて、寝ているけど起きてるよ状態にしようとしただけじゃ」
「まったくなんてベタな……」
頭を軽く抱える。
本当に気づけてよかった。
「うう、すまない。世界まるみえ風に言うと、もう二度とこんなことはしないよー、ってやつだぜ」
「なあんか白々しいなぁー」
「まぁ、ごめんなさいーなのじゃー」
反省の言葉をくるりと振り返りかわいらしく述べたリコにため息は止まらない。
「そっちの人はどうなんだよ」
未だに振り返りらない蛇女こと、あやめに呼びかける。
「私はほっぺに『童貞』と書くつもりでした」
「違う。そんなん聞いてない。謝罪の言葉を寄越せ」
つうかそれ地味にダメージでかいな!
「未然に防止したんだからそれでいいじゃない。心の狭い人ね」
「……もうなんでもいいよ。寝させてくれ」
しっしっ、と追い出すよう手首をぷらぷらさせる。「はーい」と元気に声をあげリコは駆けていった。
「おやすみなさい。藍さん。よい眠りを」
「ッ」
あやめもそれに続く。
手にもった刃物をちらつかせ、部屋から出ていった。光源もないのにキラリと光ったサバイバルナイフに冷や汗が走るよう全身から噴き出す。
「洒落になんねぇよ……」
小さくぼやいて、恐怖を包みこむよう毛布を頭から被る。
あした
すこし早く家をでよう……
今なら目覚ましより早く起きれるだろう、彼はぼんやりそう考えて、微睡みの世界の扉を叩いた。