5怖い映画
日曜日というと一般的には休日とされており、心身を回復させる希望の曜日でもある。
だが、残念なことに藍にとってはテスト休み最終日という憂鬱な日でしかなかった。
休みとしての価値は同じだが、いかんせん、連休最後の日ともなるとその有り難みが薄れる。
また一週間ほど学校にいけば夏休みが待っているとはいえ、その間のカリキュラムがテストの返却というなんともやるせない予定になっているため、朝目が覚めたときから彼の気分は沈みこんでいた。
「気分転換に映画でも借りてくるわ。なんか観たいのあるか?」
レンタルショップのカードを財布に入れながら居間でごろごろする座敷童に話かけた。
昼間から良い身分だな、とは思ったが、彼女にご飯を作ってもらっているため文句は言えない。
彼女は聞くと同時に飛び上がり、彼に一気に詰め寄った。
「我も行く!」
「却下」
あまりの早さで提案が一蹴されたのが気に食わないのか唇を尖らせて、「なぜに」と問う。彼の答えは至ってシンプルだった。
「恥ずい」
「い、意味がわからん……」
口ではそう言いつつも、彼女はその言葉の真意を悟っていた。
「あの公園で俺は誓ったんだ。二度とお前とは外出しない、ってな」
「我は縛られるような生き方はしとうない!日本国民として自由を主張する!」
「そういうのは生きてしっかり納税してるやつのセリフだ!」
座敷童という妖怪がどこに分類されるかは定かではないが、認知されない限り“ヒト”のカテゴリーには入らないだろう。
断固として自分の要求を受け取らないとみた彼女は「ぐむぅ」と昼寝中の猫の腹を押した時のような唸り声をあげた。
「まぁ、あれは悪かったと思うておるし、自重することにしよう。少なくとも反省はしておるんよ」
「意外とものわかりがいいんだな」
「時に身を引くのは乙女の務め。強い包容力が女性には求められとる」
胸はないけどな
「何かいうたか?」
「いや、なんでも。それより何か観たいのはないのか?」
「うむ、我は俗世には疎いから…特にはないのう。藍に任せるよ」
「そうか。あ、ついでに買い物してくるけど欲しいものがあったら言ってみろ」
「そうじゃのー」
そのクエスチョンについての思考時間は一瞬だった。
「バーバリーのスカートやエルメスかアナスイのバック、ああ後ついでにコンビニか本屋寄ってキャスキッドソンのブランドムックを買ってきて」
「俗世にからみまくりじゃねぇか」
「ヴィヴィアンウェストウッドやサマンサタバサも捨てがたいのう」
「俺には不思議な呪文かジョジョ6部の話にしか聞こえねぇよ」
「とにかくブランドならなんでも良いというわけでなくぬしさんが我に似合うと思うものを所望する。数珠とかそう言った無粋なものは除いてのう。そしてそんなブランドよりも、今一番欲しいのは、藍からの愛かのう、なんつって、きゃぁぁ〜〜!!」
ばたん。彼女の叫び声と玄関扉が閉まるのはほぼ同時だった。
「……」
冷や水をぶっかけられたかのような心持ちになった。
15分後。
「で?」
「お清めの塩もらって来た」
「だからクリスチャンだって」
帰宅した彼を玄関口で出迎える。藍は夏の暑さで張りついた髪を払いながらサンダルから解放された足の裏をマットにグリグリと押し付けている。
「それで何を借りてきたんじゃ?」
下駄箱の上に置かれたレンタルショップの袋を指差しリコは尋ねた。
「セックスしようとしたらスプラッタにあう話」
「え?」
十三日の金曜日等、有名なホラー映画数本だった。
引ったくるように袋を鷲掴みにすると、彼は浮き足立つような駆け足で居間のテレビにむかった。呆然と立ちすくすリコの横をすり抜ける。
残された彼女は顔を赤くして一人ごちた。
「なんて、ひ、卑猥な」
玄関口の彼女の囁きは、湿った夏の空気に一瞬にしてとけ、誰の耳に届くこともなかった。
「カノジョがおるのにそーゆーのみるかの、普通」
ぶつぶつとソファーに座る彼の後ろで頬を紅くしながら呟く。その問いかけにプレーヤーにディスクをセットしながら藍は面倒くさそうに応えた。
「うるせぇな。小さいころからずっと観たかったんだよ」
「小さなこ、ころから……」
ふらりと意識が朦朧とし後ろに倒れそうになりながらも彼女は「ま、ませておる……」と呟く。
「よしっ、とセットし終わったぞ。再生っと。……お前も観るか?」
「か、カノジョをそーゆーのに誘うのは、い、いささかいただけんのう」
「そうか。苦手ならあっちで漫画でも読んでな」
「けしからん。まったくけしからん」
口ではそう言いつつも頬を赤らめたまま彼の隣に腰をおろす。その勢いで顔を手で覆ったが、指の隙間からばっちりそのくりくりのビー玉のような瞳が覗いていた。
「結局観るんじゃん」
「い、いや!わ、我はアレじゃ!悶々とした気配に色情霊が寄り付かぬよう注意しとるだけじゃ!」
「あっそ」
彼女の言い訳をよそに映画鑑賞会が始まった。
開始直後、ドキドキと画面を食い入るように観るリコ。洋画とわかった瞬間躊躇いをみせるが特に気にしない。むしろ妙にわくわくと機嫌良さそうに見入っている。
「外人はやっぱり激しいのかのう」
「なんの話だ?」
その好奇心たっぷりの瞳が恐怖で潤むまでそう時間はかからなかった――
終了のエンドロールと同時に停止ボタンを押し、再生機から出てきたディスクをケースに戻す。
「まあまあだったな」
そう感想を述べながら、彼は鑑賞時間で凝り固まった各所の関節を伸ばした。隣には途中恐怖で気を失いかけ、その余韻を未だに引き摺る少女の姿がある。消え入りそうにホラーじゃん…」と呟いた彼女の声に、彼はあっけらかんとした口調で「あれ?言わなかったっけ」と応えた。
「言うておらん!な、なんじゃこのサプライズ!心臓に悪いではないか」
「お前に心臓あるのかよ」
「そんな言葉尻を捕まえるのはよせ。我は今怒っておるのだぞ」
「はあ、なんで」
怒りで恐怖を誤魔化そうとしているのだが上手く行かず未だに声は震えている。
「そ、それはその、お、おぬしが」
「俺がなんだよ」
「じゃ、じゃかのう。ほら、……な、なんでもないわ。ぼけぇ」
「はあ?意味わからん」
リコは叫ぶと、頭を抱えこんでソファーにうずくまった。
「うぅぅ、夢に出そうじゃ〜」
「なんだ。ホラーが苦手だったのか。そりゃ悪い事したな、って――」
「?」
潤んだ瞳で見上げた彼女に向かい藍は精一杯叫んだ。
「てめぇが怖がっちゃダメだろ!!!」
微妙に透けているからか、彼の声が彼女に届いたかどうかはわからない。
「どうしよう……」
「なんだよ」
未だ涙目のまま、この世の終焉を目の当たりにした表情のように彼女は藍に助けを求めた。
「トイレ」
「冷静になって考えてみろ。おかしいから」
そのストレートな物言いに心底を疑問を抱いたように跳ね返す。
「なんで幽体の座敷童がトイレに行きたがるんだよ!大体こないだ飯食ってる時に『お前の食ったモンはどこに行くんだ?』って聞いたら『アイドルと同じで、天使の羽根になるんよ』って応えたじゃねぇか!」
「……ほら、本屋さん行くと便意を催すじゃろ。それといっしょで心理的にホラーを観ると、のう」
「随分庶民的な妖怪さんだなぁ、おい!おまえ飯は栄養摂取じゃなくて味を楽しんでるだけで、質量は空中分解してるだあーだこーだわけわからん理屈を唱えてたじゃねぇかよ」
耳に痛い指摘を拒絶するように腕をぶんぶん振って彼女は大きな声で喚いた。
「うぅぅ、そんな理論をこねくり回すより、今は尿意をどうにかするほうが先よ!だ、だけどここから廊下までの道のりが長く険しく感じるんじゃがっ…」
「たかだか10メートルもねぇだろうが、ガキか?」
「その油断で何人命を落としたと思う。恐怖じゃ。トイレまでの間に化け物が現れそうで……」
「本物の化けモンが何言ってやがる」
「心なしか薄暗く感じる」
「日当たりの問題だ」
彼の言っている事は確かだ。ちょうどトイレが日陰になるような間取りになっているのである。
「……ついてきて」
「はぁ?」
小さく消え入りそうな声で彼女はボソボソと呟いた。
その音の振動をうまくキャッチできなかったらしく、彼は首を傾げながら彼女を見た。
「ついてきて!」
「やだよ」
「後生だから!」
「お前の後生ってなんだよ!?」
突っ込みを無視してリコは続ける。
「ちょっとの間だけ!ドア前でいいから、ねぇ。一生のお願い!」
「一生って……。なぜ俺がそんなガキのお守りみたいなことしなきゃなんねぇんだよ。そもそも妖怪のてめぇがなんでお仲間を怖がるんだって……」
「ついてこい!!!」
□■□■□■□■□■□■□■
「ぅ、あ……ぅ、」
彼ははじめて自分の声にならない声というのを聞いた。
藍はWCとかかれた扉の横で、少女が用をたすのをぼんやり壁によりかかりながら待っていた。
力に屈したわけじゃないっ!これは言わば未来への布石!恐怖で俺を支配できると誤った認識をあの化け物に与え、油断しきったヤツの喉元にくらいつくための、下準備!
ようはヘタレだった。
自分を励ますように甘い言葉を分泌するのはいいが、これでは肝心の主導権が向こうに握られっぱなしである。
カカア天下ってやつか?いや、尻に敷かれているだけか。
それが彼の悩みだった。
(それにしても、……あいつが用をたす、って……。何を)
「お花を摘みに行ってくる」
「なぜ今更隠語をつかう?」
鼻歌混じりに便所に入る前、こちらをふりかえったリコの「覗くなよ?」と念を押され、「覗かねぇよ!!」と怒鳴り返したはいいが、妖怪座敷童の生理現象が果たしてどのようになっているのか、興味がわかないわけではない。
彼女と過ごしたこの五日、リコは雀のような飲み食いをするものの、尿意を訴え便所に足を踏み入れたのはこれがはじめてである。
「……」
のぞくか?
いや、
それをしたら本格的な変態ではないか。
不埒な考えを振り払うように頭をぶんぶん回して、別のことに思考を埋没させることにした。
ホラー映画、
を怖がっていた、座敷童の少女、リコ。
「……ちっ」
癪なことに、肩をガタガタと小動物のように震える彼女を可愛いと思ってしまった自分が少し許せない。
「だいたい怖がるのがおかしいだろ。ホラー映画の題材はあいつら、だってのに」
げすな思いを吹き飛ばすよう、わざわざ呟いた。
「でもまぁ、妖怪の中には誰彼かまわず脅かそうとする無鉄砲なバカがいんのかもしれないなぁ」
おぉ!物事を多角的に見れる俺って大っ人ー!
と、自画自賛した時、
ぬっ、
ドアを開け閉めすることなく投影された光の筋みたいに用を済ませたらしいリコが現れた。
「……」
「おまたせ」
そのイリュージョニストを超えた壁ぬけという超常現象に、
「お前のことだ」と彼はコメントするだけだった。
「何が?」
「なんでもねーよ」
再認識させられた妖怪と人間の狭間に、吐き捨てるようイライラをぶちまけた。