電子の海へ
「チャンネル登録よろしくね!」
真夏のワンルーム、暑さに項垂れるリコの横で作り笑い浮かべたヴィオが呟いた。
鏡の前で演技の練習をしているらしい。
「独り言えげつないのう……」
暑さに脳細胞が死滅したか、と哀れみの視線を送るとヴィオは「チッチッチ」と舌を鳴らしながら振り向いた。
「いまのは登録者数を増やす笑顔の訓練ですわ。もう少し上目遣いをしたほうがよいでしょうか?」
そういって媚びるような目線を送ってきたがリコは無視した。
夏の昼下がり。
クーラーの効いた室内は平穏そのものだった。
「ゆーちゅばあ?」
「インターネットの動画配信サイトに動画を投稿するんです。視聴数が増えると投稿者に広告費が入ってくるという仕組みですわ」
ヴィオがにこにこしながら説明する。
「ほう面白い時代じゃのう。ヴィオもやっとるのか、それ」
「いえ、ワタクシはまだです。これからやろうと思いまして市場分析を行っていたところですわ。なにごとも冷静に判断をしてから取り組むタイプですので」
衝動でしか動いていないくせに、とリコは思った。
「この度分析が完了したのでこれから投稿の準備を始めるところなんです。これからワタクシはユーチューバーで食っていきます」
「そうか。がんばるのじゃぞ」
説明を聞いても機械に疎いリコにはいまいちよくわかっていなかった。
「暗黒堕天使ヴィオ様の爆誕です!」
「そうか。がんばるのじゃぞ」
藍は遊びに出掛けたので、突っ込みが誰もいなかった。
「おねぇさまも一緒にやりましょう」
「なにをじゃ?」
「ユーチューバーです。二人が組めば天下とれます」
「……よくわからんがインターネットに動画を投稿するんじゃろ? 危なくないか?」
「なにがですか?」
「爆発したり……」
「あ、顔バレのことですか? 大丈夫ですよ、マスクつければ!」
「そ、それならよいが」
リコはパソコンが苦手だった。レトロゲーム以外触れない。
「うっふふ、よかったですわ。ちょっとえっちぃ動画あげればすぐ再生回数一万はいきますよ! がんばりましょう!」
「え、えっちぃのをあげるのか!? よくないぞ、それは」
「少しだけですわ! 少しだけ、ちょっと谷間をみせるだけ数百万円ゲットです!」
「谷間……」
「……」
静寂に包まれる。二人ともそんなものは無かった。
「と、ともかくえっちぃのは良くない。仮にもワレはカレシもちじゃからのう!」
「でも兄ぃ様はねぇ様を穀潰しと仰ってましたわ」
「……」
「稼ぎもないくせに毎日毎日ゴロゴロしてばかり、くその役にもたちはしない、と」
言われたのはヴィオだった。リコに対しても同じ事を思っていたが。
「悔しくないんですか! いまこそ奮起すべきです! さあ、ワタクシとちょっとアブノーマルな動画を撮ってあげましょう!」
「むむむ、お主との動画は絶対に撮らんが、……そんなこと言われて黙っていられるほどワレはお人好しではないぞ。こうなれば、そのゆぅちゅうばぁとやらで一攫千金じゃあ!」
「さすがですわ。さぁ、おねぇさま、ワタクシととりあえずベロチュー動画とりましょう!」
「誰がするか!」
「ぎゃぼぉ!」
ドロップキックをくらい、押し入れにヴィオは突っ込んだ。
「うう、しかし、おねぇさま、ただの動画では視聴者は見てくれませんわ。えっちぃのでなくては」
「ええい。さっきお主が言っとったろう。谷間じゃ! 谷間があればよいのだろう!」
「そーですが、ワタクシたちにそんなものわ」
「ワレに考えがある」
「どういうことかしら」
呼び出されたアヤメは不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。もはや家主の許可なく勝手に上がり込むのは得意技である。
「谷間が必要らしいのじゃ」
「えーと、……意味がわからないのだけど 」
「谷間があれば、数百万円ゲットできるらしいのじゃ」
「……そうなの?」
うつむいて自身の胸部に目線を落とす。目の前のリコよりは豊満だ。
「アヤメねぇさまぁ!」
「きゃあ!」
「あー! 肉肉肉ふわふわふわ! むにむにむにサンドウィッチ! アヤメねぇさまの匂い! んー、さいこー!」
「な、なっ、山田! あんた、なんでここにいるの!?」
「リコねぇー様に呼び出されました。都合のよい女として呼び出されたのです。甘美な日々を過ごしてまいりましたが、ワタクシ、もちろんアヤメねぇ様のことも片時も忘れておりませんわ、ベロベロさせてくださいましっ、あー、さいこぉー」
「ちょっ、汚っ……」
鼻水を垂らして抱きついてくるヴィオを心底うざったそうにアヤメは振りほどいた。
「あんた嫌いって何回言ったらわかるの。ひっつかないで。暑苦しい」
「んんー、キュンとしました。アヤメねー様の氷のような視線たまりませんわぁ! ワタクシはMですからねぇ様と相性が大変よろしいのです!」
「少し黙ってて。口閉じてて」
「かしこまりましたぁ!」
「リコ……?」
なんでこいつ呼び出したのよ、と困ったような視線をアヤメは送った。
「説明して」
「うむ。マスクすれば爆発しなくて、谷間はえっちぃくないが、数百万もらえるらしいぞ!」
「……はい?」
アヤメの混乱はここに来て限界点を突破した。
「つまり動画配信で広告費を稼ぐために少し際どい動画をあげようって考えてるわけね」
「つまりそういうことじゃな」
現状がようやく飲み込めたのは十数分経ってからだった。
「なにをする動画をあげるつもりなの?」
「谷間を見せる動画じゃ!」
「そんなのすぐ削除されるわよ、ジャンルがなきゃ」
「ジャンル?」
「商品レビューだったり、チャレンジ動画だったり、ゲーム実況だったり。女の子だったら化粧のやり方とか、なにかしらの長所を生かした配信をして、視聴者を増やしていくの。そういうものじゃないの? ユーチューバーって」
「く、詳しいのう、おぬし……」
「神社って暇なのよ……」
「にしても、ジャンルか……うぅむ、難しいのう」
アヤメにさとされたリコが首を捻ると、
「まさしくアヤメねぇさまの言うとおりですわぁ」
縄に縛られ床に転がされたヴィオは喜色満面で返事をした。
「だったらゲーム実況とやらをするかのう。マリオパーティーなら得意じゃぞ!」
小さな力こぶを作ってリコは白い歯を見せて笑った。
「ゲーム実況ねぇ。私は好きじゃないわ。面白いのはゲームなのに偉そうに自分がコンテンツを製作した側みたいな面して上から目線で批評するんでしょ?」
「アヤメねぇさまそれは偏見ですわ! 実況放送でゲームにスポットがあたり売上が伸びた例だったらくさるほど……」
「口答えしないで。腹立つから」
「かしこまりましたぁ!」
床に転がされたヴィオが嬉しそうに返事をした。
「たしかに言われてみればゲーム実況は著作権? が難しそうじゃのう」
うむうむ、と頷いてからリコはポンと手のひらを打ち付けて続けた。
「ならば商品レビューじゃ、こう見えてもワレはお菓子の味にはうるさいぞ!」
「そう。それはいいんじゃないかしら」
鼻をスンスンと鳴らし、押し入れの天袋を開けると、そこにあったビニール袋を床に下ろす。
「リハーサルということで藍のストック使ってレビューしてみてちょうだい」
それは藍が大食漢のリコとヴィオに食べられないために隠していたお菓子類だった。
「おぉ、藍め、よもやそのようなとこに隠しておったとは。よいじゃろう。さっそくいただくのじゃ」
「じゃあ、チョコレートから、はい」
「うむ。いただきます」
銀紙をぺりぺりと剥がして、パキリと板チョコを割り、一欠片を口に放り込む。
「うむうむ甘くて美味しいのじゃ」
「……それじゃあ、ポテトチップス」
アヤメは袋を開けて一枚をリコに手渡した。
「うむうむ。コンソメ味で美味しいのじゃ」
ごくりと飲み込んでから満足そうに一息ついて、「あ、それベルマークついてるから、取るの忘れないようにのう」とポテトチップスの袋を指差した。
「……あなたは商品レビューに向いてないわ」
「ワタクシもそう思いますわ」
「ええええ、なんでじゃあ」
二人から言われてリコはガックリ項垂れた。
「あとは、やってみた系の動画、かのう……」
顎の先に人差し指を当てて、リコは考えた。
「なにをやればよいのじゃ?」
「そこが難しいところなのよね」
アヤメが物憂げにため息をつく。
「簡単にできることだと誰も見てくれないし、かといって過激なことをやると犯罪すれすれになるし、塩梅が難しいのよ」
「人ができなくて、犯罪じゃないこと、これをやればいいんじゃな」
「そういうことになるわね」
「ううむ……」
腕を組んで考える。思考が重くなるのに反比例し、リコはプカプカと浮き始めた。座敷わらしは深いことを考えるのが苦手なのだ。
「人にできぬこと……」
「特別なことでもあればいいのだけど……」
呟きながらアヤメは二本の足を蛇に戻した。これが元来の彼女の姿である。
「やはりえっちぃ動画をあげるのが手っ取り早いですわ!」
「きゃあ、あんた、全身の間接を外して縄脱けしたわね!」
「大変よろしい緊縛でした! それはともかく普通のワタクシたちが動画再生数を稼ぐにはやはりえっちぃのしかないのですよ!」
アヤメに覆い被さりながらヴィオが叫んだ。
どいつもこいつも人外だった。
結局、意見は平行線で、最終的にアルプス一万尺を高速でやるというどの層に需要があるのかわからない動画の撮影を開始しているところで、「ただいまぁー」と藍が帰って来た。
「うおっ、蛇女、なんでいんだよ」
座してリコと手を叩きあっていたアヤメは不機嫌そうに藍を見た。
「カットぉ! 生放送なら親乱入は格好な燃料ですが、編集動画においてはただの邪魔者以外に他なりません!」
「ここはオレんチだよ!」
「藍にーさまはカメラの外にいてください。女の子の動画に男は不要なのです!」
口角泡を飛ばさんばかりに怒鳴られた。勢いに気圧されて壁際に移動する。
「……なんの話だ?」
「いいから黙って監督の言うとおりにするのじゃ」
「監督?」
げっそりとした顔でリコに言われた。現状は飲み込めない。
take35にてついに動画が完成した。リコとヴィオとアヤメの三人がアイドルさながらの「チャンネル登録よろしくね!」とノートパソコンのカメラに向かって微笑む。
「こ、これで終わりじゃな」
肩で息をしながらリコがヴィオに訊ねる。
完成するまで長い道のりだった。
凝り性のヴィオがなかなかオーケーを出さないので何度も取り直しをするはめになったのだ。
「ええ、編集作業はお任せください。妖怪オンエアの記念すべき第一作目は明日公開予……はっ!」
「どうしたんじゃ?」
ノーパソの前でマウスをカチカチと動画編集ソフトをいじっていたヴィオの顔が青くなった。
「わ、ワタクシたちの姿が、まったくカメラに収まっていませんわ!」
「えっ、はっ!」
人ならざる者は気合いをいれなければ動画や写真には映らない。
それを失念していた。
「じゃ、私帰るから!」
そそくさと立ち上がり、出ていくアヤメ。
「お、おねぇさま方! もう一度取り直しをっ!」
「い、いやじゃ、もう動画編集はコリゴリじゃあー」
汗を滴ながら一昔前のアニメのオチみたいなことを叫びながらヴィオから逃げるリコを見て、藍は「なにこの茶番」と呟いた。
ちなみに録画撮影された動画はもったいないからとヴィオの手によって投稿され、しばらくポルターガイストやラップ音などの心霊動画として再生されたが、やがて忘れられた。
四年ぶりの更新って斬新ですね