夏の幻 後
降り注ぐ蝉時雨は静けさとは無縁なものだったが、境内は穏やかな空気に包まれていた。軽い登山のあと蛇籠神社にたどり着いた二人だが、彼らの目的はあくまでアヤメに会う、というものであり、件の神社に来た意味が藤吾にはいまいちわからなかった。
「なぁ、橘。なんだってこんなとこに来たんだよ。まさかホントに御払いでもする気?」
「アヤメん家がここだからよ」
「ふーん、巫女でもやってるの?」
「そうといえばそうだし、違うといえば違う」
ズカズカと拝殿に向かってあるいていく。真ん中は神様の通り道だから歩いちゃいけないよ、と祖母の声が藤吾の耳に蘇ったか、 言ったところで聞いてくれないだろう。
藍は賽銭箱の前で立ち止まり大きく息を吸って大声をあげた。
「やーい、お前んちーおっばっけやしきぃ」
やけにテンションが高く、なんて声をかけるべきか、藤吾にはわからなかった。 普通に考えれば、神社が住居なわけがない。
「まっくろくろすけでておいでー、でないと目玉をほじくるぞぉ!」
勘違いしているのだろうか、ここじゃなくて、たぶん近くに住居としてる場所があるはずだから捜そうよ、と声をかけようとしたところ、
「なによ?」
裏の本殿の方からひょっこりアヤメが現れた。
「来たな!ぶっ飛ばしてくれる」
「のっけから元気はつらつね、身の程をわきまえなさい。喧嘩腰の意味がわからないわ」
藤吾は混乱していた。まず一つとして、あの呼び掛けでアヤメが現れたのもそうだし、彼女はしゃっきりと立っていてとてもじゃないが橘に妄想症を植え付けた人物には思えない、からだ。
「あーはっはっ!手始めにテメーからあの世に送ってやる!」
誰がどうみても頭がおかしいのは橘の方だった。
「やれやれ、調教がたりなかったのかしら」
二人はどうやらアブノーマルな関係らしい、あまり突っ込まないでおこう。
「言わせておけば……。だがな、てめぇの天下も今のうちだ!お願いします、藤吾さん!」
いきなり話を降らても、曖昧に「あ、うん」とどもるだけだった。
「あら、お久しぶりです。白江藤吾さん」
そんな彼に今気づきましたといった風にしれっと頭をさげるアヤメ。普段はおおっぴろげにしている蛇の尻尾の下半身だが、事前に彼が訪れることを察知していた彼女の両脚部はしっかりとした二本の足でカモフラージュしていた。
その事に藍は気づいていない。
「白江、さぁ、そのいかんなき神通力でこの蛇女に正義の鉄槌をくらわせるのだ!」
「だから、僕にそんな力ないっての」
「あんの!」
要領の得ない言い合いを眺めていたアヤメは静かに息をはいた。
「またそんなこと言って……、黄色い救急車のお世話になりたいの?」
その言葉で、ああやっぱり、と白江は密かに納得がいったと頷く。カノジョもやっぱり橘の妄想に辟易してるんだな、と。
「はぁ?てめぇ、なに言ってやがる」
「もういいわ、ゆっくり休みなさい。橘あなた疲れてるのよ」
アヤメからかけられた初めての優しい言葉に藍はためらいがちに頬を赤らめた。
横で白江はゆっくりと手をあげる。
「ちょっといいですか」
「あらどうしたの?」
「橘、少しだけあやめさんと話をさせてくれ」
クルミ割り人形のようにぎこちない頷きを藍から受け取った白江は、こそこそとアヤメに近づき、囁くような声音で彼女に訊ねた。
「すみません、いきなりですが、橘は大丈夫なんですか?」
アヤメはほくそ笑んだ。思ったよりもうまい具合に話は転がっているらしい。
「正直に答えるなら少々マズイ状況ね」
「やっぱり」
「頭がともかく酷いわ。一生治らないかもしれないくらいイカれてる。顔も酷いし、目もあてられないわね」
「え?」
積もった鬱憤を吐き出しすぎたらしい。行きすぎた言葉は猜疑心をあおってしまう。咳払いをしてから、アヤメは続けた。
「……藤吾、突然あなたには霊能力があるとかほざいてなかった?」
「あぁ、言ってました!そんなこと」
「やっぱり……」
舌打ちとともに、「あの豚、調子こきやがって」と呟きそうになったが、どうにか押さえることができた。
「会う人会う人、誰にでも言うみたいだから、気を悪くしないでね」
「えぇ、大丈夫です。あり得ないですよ、僕が特殊能力もってるとか」
口角がにやりと上がる。
アヤメの作戦は、霊能力をもつ白江藤吾を、結局は橘の世迷い言ごとだと勘違いさせることだ。どうやら手を加えるまでもなく上手くいっていたらしい。
「でも、橘は一体どうしたんですか?夏休み前は普通だったのに」
アヤメはしっくりくる言い訳を考えてみたが、何も思い浮かばなかった、ので、テキトーぶっこくことにした。
「ドラクエ6のセーブデータが消えたらしいの」
「はぁ!?嘘だぁ。いくら橘でも、そんな」
「まぁ、あまり突っ込まないであげて、トラウマになってるみたいだから」
数秒で嘘が見破られたことに若干驚きながらの発言だった。
「おい、まだかよ。なにこそこそしてんだ。白江!敵と馴れ合うなよ!」
痺れを切らしたらしい藍が境内に響き渡るかのような大声で叫んだ。
「あぁ、悪い。話ならすんだよ」
「たくっ、それじゃ悪霊退散お願いしますよ、白江さん!」
まだそんなこと言ってんのかよ。
ため息ついて、橘の肩にそっと手をのせる。
首を小さくふりながら、白江はそっと呟いた。
「帰ろう、橘。お前疲れてるんだよ」
「いや、体力ならありあまってるけど」
「違うよ。精神力の話」
「まぁ、確かに座敷わらしが現れてから疲れることばっかだけどな」
白江は優しい瞳で彼を見つめ、ぽんぽんと彼の肩を叩いた。
「帰って休もう、ゆっくり体を休ませれば、座敷わらしも蛇女も悪魔もきっといなくなるよ」
「いやいやいや、目の前にいるから!蛇女が!」
子供のような声音で叫ばれて無視するわけにもいかず、白江は後ろをちらりと振り向いた。
「違うよ、橘あれは神社だよ」
「その前に立ってるじゃねーか」
「あれは狛犬だよ」
「その横だよ!」
「その人はあやめさんだよ」
「そうそれ!そいつだよ!蛇女!」
「違うよ、坊や、柳の木だよ」
「何で突然『魔王』になるんだよ!」
このままでは家に着いたとき橘は冷たくなってしまうだろう(言ってみただけ)。
「おいこら!シカトしてんじゃねーぞ!白江ー!頼むから成仏させてやってくれよ!」
ズルズル引きずられながら神社を後にする藍。そんな二人を見ながらアヤメは小さく、
「バカばっかりね」
と呟いた。
帰宅。家。
いつもは居間でゴロゴロしている座敷わらしの姿はない。どこかに出掛けたのだろうか、半引きこもりのくせに珍しいことがあるもんだ、と一人ごちた藍を白江はすこしだけ悲しい瞳でソファーに座るように促した。
「いいか、橘。座敷わらしなんて、この世には存在しない」
本気でカウンセル(の真似事)をしよう、密かに白江は決意を固めていた。友情に厚いタイプではないが、それ相応の分別は持っているつもりだ。
仮に座敷わらしという妖怪がこの世にいたとして、あくまでも非化学的ジャンルに分類されるのは間違いない。それなら最初からないものとして考えた方が幾分楽になるだろう。
「いや、いるって」
「どこにもいないじゃん」
「いまはたまたま席をはずして、……そうだな、あいつ妙に勘がよかったりするから、お前から逃げてんのかもな」
余談だが、白江とリコはニアミスこそはあるものの、バッティングは一度もない。それゆえ、四方山話を手放しで受け入れることができないのだ。
「よぅく、胸にてをあてて考えてみてよ」
語気のある静かな言葉で、白江は真っ直ぐに藍を見つめた。
「その座敷わらしが他人に認知されたことがある?」
「たしか五十崎と仲がよかったはずだぞ」
「いや、まぁ、ほら、五十崎はアレだから」
アレに当てはまるのは妖怪好き、というパラメーターである。多くを語ってはいけない。めんどくさいから。
「ほかにいないの?」
「ほかね……あ、おめーの妹とも仲がいいはずだ」
「桃ちゃんと?」
白江は呟きながら、首を軽くひねった。白江桃里とリコはたしか駅前のファンシーショップでお互いに顔合わせしていたはずだ。
「そんなばかな」
「マジだって。滅茶苦茶意気投合してたから」
「うちの子を巻き込まないでくれ」
きっぱりと言い放つ藤吾の瞳は強い意志の炎が灯っていた。
「……ほかは、いないかな。とくに思い付かん」
「そんじゃ、座敷わらしがいたという証拠みたいものはないの?」
白江は責める口調にならぬよう注意しながら質問をした。
「証拠?」
「そう、証拠」
二三度頷く。
「疑ってかかってるわけじゃないけど、絶対に痕跡というものは残ると思うんだ。ここで暮らしていたのなら」
「……」
冷静になって考えてみれば、リコは極端に私物の少ない居候だった。いつか押し入れに入っていたドラえもん型の缶ケースはいつのまにかどこかにいってしまったし、恐らくたが、白江の言う痕跡がこの部屋残されている確率は極端に低いだろう。
「たぶん、ないと思う」
だろ?と言わんばかりの短い息をつかれる。
「だからさ、橘。残りちょっとの夏休み、煩わしいことは考えずに、ゆっくり体を休ませようよ」
「いや、でも、あいつは確かにいるんだよ!」
何回も自問自答してきたのだ。いまさら回答を覆されてたまるか。
「へんな昼ドラに夢中になったり、一緒に出掛けたりもしたんだ!そうだ!こないだは蛇女と64でゴールデンアイをやってたはずだ!」
それを指し示すように、テレビに接続されたままの ゲーム機器を指差す。
「肝だめしだって、参加したんだぞ!」
「座敷わらしが肝だめしに参加するわけないだろ」
「うっ」
冷静なつっこみに藍は言葉を失った。妖怪が妖怪相手に度胸だめしなんて、おかしな話、あるはずがない。
「ゲームだって久しぶりにやりたくなってひっぱりだしただけ、橘がね」
「いや、別にやりたいとは」
「にしても懐かしい。マリオパーティーで盛り上がったよね。ふぃにーしゅ!ってさ」
「あぁ!なんか覚えてるわ、あの雪だま転がすやつとか」
「そうそう。って脱線してたね。話を戻すと、だね、誰だって昔のゲーム懐かしんで起動させることはあるってこと」
「むむ、確かに」
頷く、というより頷かされる。
「つまり座敷わらしな橘が勝手に作り上げたイメージなんだよ」
「えー」
納得がいかない、と唇を尖らせる藍。
「おれがあんなキャラクター作り出すとは思えないぞ」
「なんでだよ」
「だって俺、年上のが好きだもん」
リコがこの場にいたなら、藍のけつは蹴りあげられていたことだろう。
白江はその発言を受けとめ、静かに息をはいた。彼の好みこと、アダルトグッズに振り回された夏休みのトラウマが軽くよみがえる。
「ほんとにそうか?」
「む、どういう意味だ」
「昨日は悪魔があらわれたんだっけ?」
「あぁ、金髪碧眼のちんまいのな。裏表が激しそうで怖いんだ」
「仮に悪魔がいた、と仮定してだよ」
人差し指を一本たてて、それを指揮棒のようにふるいながら白江は言葉を続けた。
「悪魔はその人が望む姿で現れると、昔、五十崎に借りた本で読んだことがある」
「は?」
「つまりだよ、橘。悪魔が金髪幼女の姿をしていたのなら、君がそれを無意識のうちに望んでいた、というわけになるんだ。ほんとに悪魔がいたならの話だけど」
「そんなばかな!」
たまらずに叫んだ。
「じゃ、ここで質問。橘は絶対に年上のボンキュボンのおねぇさんの方が好みなのかな」
聞きながら、先程あったばかりのアヤメの均整の取れた、出るとこ出ている可憐な立ち姿を思い浮かべる。スレンダー、性格を無視するならば、アヤメが一番好みの体型だ。
「当たり前だ!」
切実だった。
「だったら悪魔は君が造り上げた想像上の人物になるわけだ」
「む、むむぅ」
首を捻りすぎて一回転しそうな勢いだった。
「そうか、そうなるのか」
「そう。んじゃちゃんと宣言して」
「宣言?」
「年上好きを全世界の人にアピールする感じで」
グッと親指をたてて「おう!」と応じてから、彼は、
「俺はぼいんがだいすきなんだ!!!」
と叫んだ。それはつまり、座敷わらしや悪魔はイメージを造り上げた紛い物ということになる。決別であった。
「そうか、座敷わらしはいないのか」
なんとか納得のいく道に導けたと満足がいったように帰宅のとについた白江の背中を見送ってから、残された橘藍は静かになった部屋で一人立ち尽くしていた。
「座敷わらしはいない……」
そう、この物語はすべて俺の想像上の話であり、実在する人物団体等はいっさい関係なく、
と、モノローグでストーリーの閉めにかかっていた彼の鼓膜が、玄関扉が開かれる音に刺激された。
「だぁぁ、つかれたぁ!」
舌足らずの幼子の声。続けて甘ったるしい少女の、
「おみ足をお揉みしましょうか!?お代やお礼は結構てす、代わりに芳醇な香り嗅がせていただければ、ワタクシはそれでもう!あぁ!」
「でぇぇい、気持ち悪いわ!誰のせいで疲れておると思うとる!?」
金髪パンクの少女とおかっぱ和服の少女は、ふらふらと居間に入ると、
「……」
無言でポカンとする藍に、
「おお、藍。おかえりなさい、帰っておったのか。ちょっと夕飯の買い出しにのう。今日はすき焼きじゃぞ」
ナチュラルな動作でビニール袋を掲げるリコ。
「ねー様と同じ鍋を箸でつつけるなんて感激ですわ!」
「お主……そういえば、いつ帰るんじゃ」
藍は一回深呼吸してから、全世界の人にアピールする感じで叫んだ。
「いるじゃねーーーか!!」