23 ゼロへ
夏の太陽が寂しさをにじませる。別れ、会えたと思ったら、また別れ。
「あんまりだ」という嘆きの言葉が、脳内を埋め尽くしていた。
熱風が、世界を覆いつくしている。
「ただいま……」
避難するよう、公園から真っすぐ帰宅した藍に、今現在まともな思考回路は残っていない。胸にぽっかりと穴が空いたようだった。
呟いた帰宅宣言に答えてくれる少女はもういないのだ。
なんて、
自嘲ぎみに頬を歪ませ、彼はリビングに足を踏み入れる。なにも考えずにソファーに寝転んでいれば、ひと夏の妖怪のことだって忘れられるはずだろう。
「おかえりー」
「……は?」
思考停止。
飛びこんだ視界状況に脳の情報処理が間に合わない。
つけっぱなしにされたテレビ画面には、主婦に人気の昼ドラが放映されている。
「なんだかマンネリで飽きてきたのう。どうせまた八重子が康夫にモーションかけるんじゃろ?」
【邦子のことなんか、忘れさせてあげる】
【八重子……】
「ほらやっぱり」
せんべいを食べながらテレビと会話する少女は、確かに先ほど別れたばかりのリコに他ならなかった。
光に包まれて成仏したはずの、リコが今目の前にいる。
「なんでじゃぁー!」
「うぉ、びっくりした」
気づけば雄叫びをあげていた。
「な、なんじゃ藍、驚かせんでくれ。心臓止まるかと思ったわ!」
「心臓なんてないだろ!じゃなくて」
おいといて、とアクションを刻んで彼は怒鳴った。
「なんでお前がここにいるんじゃー!」
「え?なんでってさっき許可もらったじゃん。今度から無期限になったんじゃろ?」
「あ、いや、確かに、そう言ったけど、よ」
公園でした下手なプロポーズみたいな告白を思いだし、藍の顔は耳まで真っ赤になった。
「そうじゃなくて、お前成仏したんじゃないのかよ!?」
「成仏?ああ、あの光?座敷童流妖術、テレポートじゃぞ。フリーザ倒したあとヤードラット星人に教えてもらったんじゃ」
「雰囲気的にあれは二度とあえない感じだっただろう!それにお前座敷童じゃなかったってアヤメから聞いたぞ!」
「む、なにを言うておる。我は座敷童じゃぞ。最近やっとオーラを抑えられるようになったから勘違いしとるのかもしれんが」
「は?」
「リコー!きいてー超うけるんですけどぉー」
彼が疑問符を浮かべた瞬間、玄関から楽しそうな声をあげ、アヤメが飛びこんできた。
「豚ったらテキトーぶっこいたら顔真っ青にして家飛びだしたのよー。もうほんっと面白くて笑いこらえるの大変だったんだから」
「むふふ、アヤメ、ぐっじょぶじゃぞ。ぐっじょぶ」
「いえー」
もの凄く良い笑顔で居間でやってくると、テンション高めにリコとハイタッチを交わす。その後、呆然と立ち尽くす藍を見て「あら、いたの?」と涼しい顔で呟いた。
「なんだと、てめぇ!どういうことだ!」
「まあいいじゃない過ぎたこと、とやかく言っても意味ないわよ」
アヤメはやれやれと肩をすくめた。
「その通りだのう。む、う、うぉ!そんなまさか!このタイミングで孝文が邦子に迫るとは!予想外じゃ!」
「お前は黙ってろ!」
ワンパターンな昼ドラを楽しそうに視聴するリコを一喝してからアヤメに説明を求める。
普段と変わらぬ表情で彼女は口を開いた。
「私たちのような存在は契約を交わさなくちゃ家に入ることができないの。だからあのままじゃ1ヶ月の期限でリコはほんとにどこかに行っちゃうところだったのよ」
「俺が聞きたいのはテキトーぶっこいたってところだ」
「あなたがリコを最初から止めてれば、私が嘘つくこともなかったのよ」
「どういうことだ?」
「あなたの不甲斐なさに頭きて、私はそれっぽいことを無表情で告げただけ。勝手に勘違いしたのはそっちでしょ?」
「ぐっ」
たしかに一人シリアスな気持ちに浸ってたのは俺だった。
「いやぁ、アヤメにも見せてやりたかったのう。我を抱きしめる藍の力強さ、思わずホロリとしてしまったよ。ぷふ」
「笑ってんじゃねぇ!」
ドラマを見終わったらしいリコはニヤニヤと会話に参加してきた。
「まあ藍よ。安心せい。おぬしの真剣な顔、我は惚れ直したから」
「うるせーー!」
つまり、かつがれたのか?
「そ、それにお前、あれはどういうことだよ?」
「あれとは?」
認めたくない現実を忘れようともがく彼は、押し入れにあった箱を思い出した。
「押し入れのドラえもんが印刷された箱だよ。俺がプレゼントとしたもんが入ってた」
「ああ、あれ。ターミネータじゃよ」
「は?」
あまりにも有名な映画タイトルが彼女の口から告げられる。筋肉ムキムキのシュワルツェネッガーが彼の脳内を埋めつくす。
「ドラえもんもターミネーターも未来からロボットが救いにくるじゃろ」
「おいちょっとまて。カリフォルニア州知事がなんの関係がある」
「じゃから『さよならは言わない。また会おう』とおぬしからのプレゼントを箱にいれておいただけじゃ」
「んぐ」
恥ずかしい中学生の時の卒業文集を読まれ彼は耳まで赤くなった。隣でアヤメが「なにそれ」とクエスチョンマークを飛ばしているが、シカトだ。
「意味がわからん」
「だから、アイルビーバック」
「……」
必ず戻る。
あまりのくだらなさに反吐が出そうだった。
「に、人形坂は?」
「我の名字じゃが」
「ああ、そう」
まあ普通に考えたらそうだよな。
「つまりに五匹の橘藍が喧嘩をしてもすぐに仲良くなるよチャールストンというわけね」
アヤメは横でわけのわからないことを言ってるし。
「リコ、そういえば聞いてよ!」
「なんじゃ?」
「このゴキブリったら、いきなりリコは座敷童かどうか私に聞いてきたのよ?意味がわかんなかったからテキトーに返事したけど」
「ああ、藍は我が浮遊霊じゃないかと疑っておるんよ。妖怪だろうと幽霊だろうと、そない些末なことどうでもいいのにのう」
「まったくね。橘藍がウジ虫だろうとゴミ虫だろうと、気にするやつはいないのにね」
「まったくじゃ」
「うるせぇーーー!」
青筋浮かべて彼は怒鳴った。
「お前らなんか、だいっきらいだぁーっ!」
藍はそう叫んで、自分の部屋に走って逃げる。
「藍ー、夕飯なにがいい?」
座敷童の問いかけに「冷や奴!」と返事をしてから、藍は真っ赤になった顔を枕うずめてバタバタともがいた。
「ちきしょう」
だけど、彼は笑っていた。
なんだかんだで、これで良かったのだと思う。
非日常が日常になったって別にいいじゃないか。
これから先、どれだけリコといっしょにいられるかわからないが、そんなこと気にする高校生はいない。
「腹、へったな」
彼は呟いて、夕飯までの一時、惰眠をむさぼることにした。