21 少年は最初、自由にむかって溜め息をつく
神社の境内に、暇を持て余した神々のような、なんともいえない表情のアヤメが立っていた。
「やっと来たわね。ほんとはカッコ良くスモークたいて、イカすセリフとともに登場しようと思ってたんだけど、そんな気力も失ってしまったわ」
「そりゃ悪いことしたな」
平然と謝った藍を心底憎そうに、アヤメは怒鳴った。
「待ちくたびれたわ!何してたのよっ!?何もしないで立ってるだけの私がスイミングスクールの帰り道みたいにへとへとよっ!」
「藍がサブイベント進めたがるんだもん」
サブイベント=ほかの話。
「しかし、時間軸的にはおぬしが朝ソーメンをすすってから1日も経っておらんよ」
「え、嘘?3ヶ月くらいここで待ちぼうけしてた気がするんだけど、気のせいだって言うの?」
「気のせいじゃ」
「気のせいだろ」
気のせいであろう。
「ま、まあいいわ。世の中には知らなくてもいい世界はあるものですものね。それよりテヅルモヅル!」
キッとあやめは藍を睨みつけた。その鋭い視線に、多少怖じ気づきながら彼は、悪口を訂正するのも面倒だと
「なんだよ」
とぶっきらぼうに返事した。つうかテヅルモヅルって何?
「今日は、あなたにぃ、言いたいことがありますー」
屋上から呼びかけるみたいな言い方に、隣のリコがノリノリで「なぁにー?」と返事をした。
古い上にわかりづらいが、いやぁ、ともかく怒りが鎮まったみたいでよかっ、
「死ねぇーーー!」
「鎮まってないっ!?」
いきなりアヤメが襲いかかってきた。
「なな、なにをするんだ、てめぇ!」
「もう下らない前口上はいいわ!私がどれだけ一人で退屈だったと思うの?」
「ぎゃあああー!」
「ほんとは段階ふんでしっかり殺してやろうと思ってたんだけど、ぜぇんぶ面倒になったの」
先制攻撃を避けて安心していた藍の首に、伸びたあやめの細手が絡みついていた。
首筋の血管を通して彼女の手の冷たさが伝わってくる。
「相変わらず二人は仲がよいのう」
お尻の肉を朗らかな嫉妬を口にするリコにつままれる。状況を冷静に見てほしい。
「お、おいまじで締まって」
「許してほしければ、ここで『いきも○がかり』の『じょ○ふる』を熱唱しなさい」
「っう、くっ、誰がうたうか!」
「さぁ、はやくしないと、シェフの気まぐれサラダ、血塗れた冥府風の出来上がりよ」
気まぐれで殺されては堪らない。
「く、苦しい、り、リコ、やばい助けてくれ」
リコは「歌えばよいではないか」と首をひねらせている。確かにその通りだがなんだかプライドが許さなかった。
「ウダウダうるさいわね。早くぱぴぷぺぽバブーしないと、蜂蜜塗りたくって放置するわよ?明日には、虫たちのメインディシュになっちゃうんだから。ほら、歌いなさいよ」
「……う、くっ、キミノコエヲキカセテー、」
プライドより、命をとるのは当然である。
締まっていた首が多少緩まった。
「それじゃ次ね」
「おい、ふざけんなよ。肝試しで命を危険にさらすとは思わなかったぞ!」
「死は常に隣合わせよ」
気管がキュッと圧迫される。彼の小さな呻き声を無視して、あやめは耳もとで濃艶に囁いた。
「ここで一人ショートコント」
「はあ、意味わかんねぇよ!なんで俺がそんなことしなくちゃならねぇんだ!お前は暇を持て余したガキ大将か!?」
「あなた一番最初に五十崎柚にビビったでしょ?いわばその罰。肝試しだからこれくらい当然よね」
首に回された手を必死でどかし、なんとか気道を確保した藍は、苦しまぎれに怒鳴りつけた。
「ビビってねぇよ!つうか見てたのかよ!どんだけ視力いいんだよ!」
「私の名字を教えてなかったわね。日向アヤメよ」
「まさかの血継限界!?きさま白眼の使い手だったのか!?」
「嘘に決まってるでしょ。信じたの?あんたバカでしょ」
「んなこたぁわかってんだよ!」
右足でくりだした蹴りをいとも容易く片手でいなされ、合気道のように地面に転がされる。
「ふん、他愛もないわね。喧嘩のやり方も知らないイトコンニャクが、百戦錬磨の死に神に勝てると思ってるの?あなた頭脳がマヌケ?」
頭痛が痛い、みたいにバカにされて黙っていられるほど、彼は腑抜けではない。怒りのパワーを右腕にチャーグルして殴りかかる。
「貧弱ゥ!貧弱ゥ!あなたは私にとってモンキーなのよ」
「てめぇこのやろう!ぜってぇ泣かす!」
それすらも止められ、もう一度足蹴りを心みるが、やっぱり地面に転がされるだけだった。
「あなたの首肉シュートは完璧じゃないわ。お手本みせてあげ、って私には足がないんだった、ヨホホホホ」
「……」
「笑え」
「は、はは」
少なくとも笑える状況ではない。悔しいが、アヤメはまちがいなく人外である。
「って誰が諦めるかぁっ!」
藍は必殺技、蟹バサミ(寝転んだ状態で立っている敵の腿を両足で挟んで後方に倒す、柔道では禁止技、アライグマくんもよく使う)を発動しようとしたが、
「なっ!」
彼女の両脚部は蛇のようになっていて、足がなかった。
「なによ?」
「いや、なんでもねぇよ」
砂だらけになった彼は、溜め息とともに勝利を諦めた。
「まあ、でもあなたのガッツだけは認めてあげるわ。蝋燭の炎に飛び込む羽虫くらいは根性があるじゃない」
「は、光栄だね」
誉められてるのかよくわからない言葉を背中で受けて、神社にあるというお札を取りにいく。たしか肝試しはお札を取ってくるのが目的だったはずだ。
「ちょっとどこに行くのよ」
「どこって、お札取ってくんだよ。肝試しだろ?忘れんなや」
「そこから先は私を倒してからにしなさい。ふん、めんどうよ。全員相手にしてやるわ」
手についた砂をパンパンと払い落としながら、藍と欠伸をかみ殺しているリコに、アヤメはそう言った。
「なんでラスボスちっくなセリフをはくんだよ!?全員って俺とこいつの二人しかいないわ!」
「ふっふっふ、その傲慢、後悔させてやるのじゃ!」
「お前は乗り気なんだな!?」
横から元気いっぱいのリコが飛び出してアヤメに掴みかかった。
「実力、衰えてはいないようね」
「当たり前じゃ!」
「なんで長年のライバルみたいになってるんだよ!」
もうわけがわからなかった。
夜中に上げるべきではない女性の声が響き渡る。藍は下手したら誤解されてしまうのではないかと頭を悩ませていた。
「ぐははは、ついに追い詰めたぞ勇者!貴様を蝋人形にしてやろうかぁー」
「ふっ、出来るものならやってみるがよい!くらえ、【絡みつく納豆】ッ!」
なんだその絶妙にダサい技名は。
「ちょこざいな!地に臥せよ【カシワ・レイソル!】」
「むぅ、効かぬわ!【黄金の鯱ッ!】」
「あの、」
藍はたまらず声をあげた。
二人の視線が彼を射抜く。
「もう帰ってもいいか?」
「だめじゃ、そこにおれ」
「あなたの始末はあとでするから、ちょっと待ってなさい。……【サガントスッ】」
早く帰って寝たかった。
「今のはメラではない、メラゾーマじゃ!」
「逆よ」
つうか帰らせて欲しかった。
「だあああー!もう耐えきれん。なにが肝試しだ。てめぇらでやってやがれ。俺はもう帰る!」
我慢の限界を迎えた藍は立ち上がり、意味不明な技名を叫びあう二人にそう叫んだ。
アヤメは冷ややかな視線を彼に投げかけ、溜め息とともに呟く。
「やだやだ『待て』も出来ないなんて、ペット失格ね」
「誰が、てめぇのペットだ蛇女!爬虫類のお前の方が飼われる側の立場じゃねぇか!」
「やだ、気持ちわるい……、私をそういう目で見てたの。リコ、悪いことは言わないわ。こんな男、即刻別れなさい。調教する気よ」
「俺はそんなアブノーマルじゃねぇよ!」
彼の叫びはやっぱり無視され、リコとアヤメは二人だけの井戸端会議に花を咲かせている。
「でもたまに良いとこあるんよ」
「騙されてるのよ。むぅー、しょうがないわね。リコが毒牙にかかる前に私があのブタを調教してやるわ。プライドも男性機能もズタズタにしてやれば手をだせなくなるはずだもんね」
「なななな、なにを言うておるアヤメ!藍を調教するのは、我の仕事ぞ」
「私だってほんとはやりたくないわよ。あんな朽ち果てる前の巨神兵、殴ったこっちの手が汚れちゃう」
ブチンと血管が切れる音が耳の奥でしたような気がする。藍は罵詈雑言の嵐に背を向け、お札を手に取り、早々にその場を後にしようとした。
もう全てを背中に置いてけぼりにして、布団にくるまっていびきをかきたい。
「待ちなさいよ。ストップ」
「うるせーばーか」
「もう、わかったわよ。聞き分けのないプーギーね。仕方ないわ、譲歩してあげる」
「あん?どういう意味だ?」
歎息ぎみの呟きに思わず足を止めてアヤメを見てしまう。
「生きてこっから出たければ『ちょっと面白い話』をしなさい」
「ちょっと面白い話?」
なんとも言いようのない提案に彼は首を傾げる。切れ長の目を少しだけ楽しそうにアヤメが声をあげた。
「そうよ。なにもスベらない話を求めてるんじゃないの。適度に私たちが、『はぁ。面白いねぇ』と思える話をしてくれたら合格」
「む、なんだか楽しそうじゃのう。藍よ、ここは一つおぬしの話術のみせどころじゃぞ」
座敷わらしまでキラキラした瞳を藍によこす。
血を流さずに解放されるなら、それに乗らない手はないだろう。
藍は頭をポリポリかいて、なんか良い小咄がないか考えてみたが、ロクなものが浮かばなかった。
最近あった面白い話といえば、親友・白江藤吾に秘蔵のエログッツを託した時のことだ。しかしこれを話せば、俺は人間としての地位を失ってしまうだろう。リコにもぼこられるだろうし。
どうしたものか……
と首をひねらせていた彼に二人分の沈黙が責め立ててくる。とうとうこらえきれなくなり考えながら口を開いた。
「こないだの、……保険体育の授業で」
「ふむふむ」
「椅子に座ったまま視線を正面に首を上下に回す運動が紹介されてわけだ。えーと、こう頭で円を描く感じでな。そんで実際にやってみようって話になって、みんなでグルグルやってたわけよ」
「シュールな画じゃのう」
「だんだんとテンション上がってきた俺たちは、列を作り動きをズラして、首を動かしはじめたんだ」
「?」
「EXILE、っぽかったよね……」
「……」
「……」
沈黙が再び夏の夜静けさとともに彼らを包み込んだ。なんとも言えぬモヤモヤ感、滑った、というべきだろう。
「……もう一度チャンスをあげるわ」
アヤメが哀れみの視線を持って、三点リーダーの応酬に終止符を打った。お言葉に甘えることにする。
「えーと、しょ、小学校の時の話なんだけど」
「お、おー。なんだか楽しくなりそうな雰囲気じゃのう」
「保険体育で、男子女子で分かれて授業が行われるわけよ。男子はサッカー、女子は座学みたいな感じでな」
「……」
リコはジト目になっていた。
「当時の俺は証拠もないけど、女子はお菓子を貰ってるもんだと思っていた。つうか今でも疑問だ、彼女たちがなんの授業を受けていたのか」
「で?」
「……永遠の謎だよな。あ、似たような感じだけど、健康そうだった女子が、プールの授業はなぜか見学してんの。あれなんなんだよなー」
「だから?」
「多い日でも安心ってどーゆー意味なんだろうなー」
「おぬし、いいかげんにせいよ」
「……ごめん」
みじんも面白くなる気配がしなかった。
「変態キモブタ野郎、ラストチャンスよ」
アヤメの評価も未だかつてないくらい最低のものになっていた。
「えーと、おれ、」
「む?」
「保険体育は100点以外とったことない」
「「もういい帰れ」」
こうして彼の、人生初の肝試しは、なんともいえない微妙な感じで幕をおろした。