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道なりに進むと、階段についた。
見上げてみても、黒いヴェールに包まれていて、どれくらいの長さかよくわからない。土をそのまま切り出したような階段からは湿った土の匂いがした。
「のぼれってか?」
「そのようじゃのう」
顔を見合わて溜め息をつく。二人ともインドア派なのだ。体力には自信がない。
「しゃーね。いくぞ」
「む、看板があるのう」
「どうせ観光案内とかだろ。ほっとけ」
「『上りきるまで振り返ってはいけない』。なんじゃこれ」
リコがライトで照らした看板にはそう書かれていた。注意書きらしい。
「つまらん設定だな。いかにも五十崎が考えそうなものだ」
「いや、おそらく違うのう」
少しだけ険しい目つきでリコは夏の空気に言葉を溶かす。
「看板が新しいものではない。肝試し用の急拵えではなさそうよ」
「下を照らせ」
「下?地面?」
言われてリコはライトの頼りない光を看板が刺さっている地面に落とした。
「土を抉った跡が真新しい。看板は古くても、こいつを立てたのはつい最近だ」
棒の周囲だけ草が生えておらず、蟻の巣のようにこんもり丸く盛り上がっていた。
「おおっ、なにやら名探偵のようじゃな」
リコは嬉しそうに賞賛の声をあげる。
「けっ、俺らの相手は蛇女だぜ。注意深くするにこしたことはねぇ。おら、さっさと行くぞ」
階段に足をかけようとした藍の背後でリコが小さく呟いた。
「しかし看板が古いのはなぜじゃろう」
「なに?」
彼女の方を振り向く。『上りきるまで振り返ってはいけない』。ぎりぎり階段に足をかける前だ。
「だってそうじゃろ。看板が古いのは確かじゃ。だけど立てられたのつい最近っておかしくない?」
「む。いわれて見れば……」
「振り向くというのは過去を振り返るという意味を持ち、死者に魂を持っていかれると聞いたことがある」
「見てはいけないだったら、鶴の恩返しとかでよく聞くけど、振り返ってはならないなら鈴美さんとアーノルドしか俺は知らないぜ」
「大宰府天満宮の太鼓橋とか、参拝後渡月橋で振り返ると知恵を落とすと言われなかったか?」
「……さ、のぼるか」
彼は惚けるように階段に足をかけた。なんだか怖くなってきた。
階段といっても大したものではない。傾斜を切り崩してできた段差のようなものだ。それが延々と続いているだけ。しばらく登っていたが、いつまで経っても終わりが見えなかった。
「かあー、退屈だわ。つかれるな、こんな熱帯夜に運動なんて」
「あっ、ふぅ……んっ」
「……リコ?なんだよ急に変な声だして?」
後ろからなまめかしい少女の吐息が聞こえてきた。
「あっ、ダメぇ、そこは」
「おい!リコ大丈夫かっ!?」
慌てて振り向こうとして、看板の注意書きを思い出し、彼は躊躇った。もしかしたら俺を振り向かせるためにリコがワザとやっているのではないか、と疑いながらも、心配の声をかけるだけに留める。
「おい!どうなってるんだ!?大丈夫なのか」
「や、ん、見ないでぇ」
「状況を教えろ!」
「へんな触手……脱がさ、いやぁ」
「脱っ!?」
破廉恥な格好になっているリコを思い浮かべ、彼は赤らんだ。多少不謹慎な想像を膨らませ、彼は振り返るのをぐっとこらえた。
「やぁ、ひゃん」
「お、おい!まてとりあえず落ち着け!もうすぐ階段のぼりきるから!」
それは語りかけるというより、自分に言い聞かせている割合の方が高かった。
囲い込むように存在している木々のトンネルを抜け、ようやく階段をのぼりきる。それと同時に彼は慌ててふりかえった。
「大丈夫か、リコ!」
「む」
そこには至って涼しい顔をしたリコが、平然と立っているだけだった。
「なにがじゃ?」
「いや、お前、触手に脱がされるとか」
「大丈夫じゃないのはおぬしの頭ではないか。なにを気色悪い妄想を垂れ流しておる」
予想外な対応にポカンとしてしまう。
「え?いや、え?」
「触手って、気持ちわるいのう。おぬしがそんな偏執狂だとは思わなんだ」
知らぬ間にそう決めつけられていた。
「もう良いから行こうぞ。後でじっくり話合おうではないか」
「あ、お、おう」
彼女には有無を言わせぬ謎の眼力があった。
しばらく道なりに進むと、茂みから釣り竿でこんにゃくが垂れさがっていた。
「なんじゃこれ」
「さぼりだろ」
よく見ると脅かし役らしい高校男子が、星を見上げてボウとつっ立っている。凜とした立ち姿で、とても様になっていたが非常に面倒くさそうである。どうやら総括があまりうまくいっていないらしい、と藍はそう思った。
「あのっ」
なぜ話かける!?3歳児のように好奇心でキラキラ瞳を輝かせるリコの脇腹を肘でつつく。脅かし役の高校生はイケメンであり、座敷わらしのミーハーさが発揮されたのだろうか。
「なんだ?」
「我らを脅かさなくてよいのか」
「脅かしてほしいのか?」
クールな調子でそう返される。接客としては最悪な態度だ。
「肝だめしなんだから、当たり前じゃろう」
「しょうがないな」
「調子狂うのう。おかしなやつじゃ」
「そうだな。ちょっとまて」
リコに注意を受けた青年はぼんやり物思いにふけるように、上目遣いになった。
そして脈絡もなく語りだした。
「俺の友達にAってのがいるんだが」
「ふむ。怖い話かのう。よかろう。続けよ」
なんでやねん。突っ込みをぐっとこらえて彼の話に耳を傾ける。
「めでたく初カノとの初デートをすることになったって喜んでたんだ。そんでプレゼントでもあげようって話になって」
全く怖い話をする語り口ではない。淡々とした彼の言葉に、リコだけはふんふんと相槌を打って熱心に話を聞いていた。
「女友達に相談したんだと。ただ相談した女が変わり者でさ。珍しくてインパクトがあるものが良いって言って」
「う、うむ」
リコが唾をごくりと飲む音がした。
「大仏のゴムマスクを買わされたんだって。東急ハンズで」
「……」
「なにそれ怖い」
心底どうでもいいッ!
藍は突っ込みの言葉をグッとこらえた。代わりに平静を装いリコの肩にぽんと手をおく。
「……もういいから行こうぜ」
「まあ、まてもう少しじゃ。それで?」
続きを促され彼はキョトンとした。
「いや、これで終わりだけど」
「えぇー、なんじゃそれー」
「でも二人の初めての思い出の品が大仏のゴムマスクって怖くないか?」
「それはそうじゃが……。もうちょっとちゃんとしたオチがほしいのう」
「そうだな、強いて言えば、変わり者の女の方は自分で馬のゴムマスク買ってたな」
入り口にいたアイツかー。
「なんだか箸にも棒にもかからん話じゃな」
「まあ、この話で俺が一番言いたかったことは」
キリッと真剣な目つきで彼は続けた。
「一番怖いのは妖怪や幽霊じゃなく、人間だ、ってこと」
「……」
「……」
「……」
言った本人すら無言になった。どうやらよくあるフレーズでごまかそうとしているらしい。
「……さ、行くか」
「そうじゃのう」
本物の妖怪もどん引きだったという。
彼は少しだけ恥ずかしそうに二人を見送った。
ゴールである神社が見えたのはそれからすぐだった。
「あれじゃねぇか」
「おぉ、違いないのう。我々の旅はついに終点を迎えたわけじゃ。思えば半年くらいさ迷った気がするのう」
「気のせいじゃね?」
気のせいであろう。
「とにもかくにもこれでやっと家に帰れるな」
「うむ。熱帯夜は蒸し暑くて好きになれん。藪蚊に喰われるしのう」
「いやちょっとまて色々おかしいだろ。何で血がないお前が蚊に喰われるんだ」
「酷いのう藍。血も涙もないと言いたいのか?それとも冷血だとか」
「いやもうなんでもいいや」
「ばぁー!」
「……」
「……」
あまりにもタイミング悪く現れたお化け役を二人は無視することにした。
そのままスタスタと先を急ぐ。
「それで結局藍はなにを言いたいのじゃ」
「だから座敷わらしには血も骨もないだろ」
「待ってくださいー」
そんな二人の後をシーツを羽織ったお化けが可愛らしい声を上げて追いかけてきた。藍は声質で女と判断し振り返る。
「なんだ?」
「ああ、やっぱり部長さんが言ってた人ですね。光るリングがその証拠です」
自分の腕にとめられた腕輪を見る。今の今まで忘れていたが、そう言えばそんなものつけていた。
「それをつけてる人に手紙を読むように言われたんです」
「手紙、だと?」
キャピキャピと中の若い女は懐から手紙を取り出しライトで照らしながら、読み上げはじめた。
リコが隣で『ああ薔薇色の人生』のBGMを口ずさむ。だから何歳だよ、と彼は突っ込もうとする腕を抑えた。
『拝啓モルボル様』
「またそのくだりかよ……」
『歪んだ性癖とたぎる情欲を、リコの白い艶やかなる肢体に……』
シーツを羽織った少女の朗読はそこで途切れた。
何事かと覗きこむと、かすかに震えている。心配になって声をかけてみた。
「あのぅ、大丈夫っすか?なんか体調悪そうですけど」
「はははい。大丈夫ですよー。そ、それより暑いんで脱いでもいいですかね」
「脱っ!?」
一瞬階段でのおかしなリコの発言を思い出し藍は顔を赤くした。
「シーツのことです!シーツ!」
彼女はそう言って羽織っていたシーツを取り払った。中から現れたのは端正な顔立ちの小柄な少女。藍のボルテージが急上昇する。
うぉぉぉおお!美少女ぉぉ!なにが良いって、童顔なのに巨乳なところぉぉ!
鼻の下が伸びていた藍の尻にリコの蹴りが炸裂する。
「あ、あの、それで、手紙にはなんて?」
「あっ、はい、えーと、く、黒光りし張り詰めた……い、以下省略!」
「省略?ちゃんと続き読んでくださいよ」
「うぅ……」
彼女の朗読がまた途切れたことで藍は確信した。蛇女グッジョブ!
アヤメの性格から考えるにいじりがいがある人材と判断し、官能的な手紙を朗読するように言いつけたのだろう。
「チンパンジーにすら欲情し、土偶にすらぶちまけたいと考えているあなたがこの手紙を読んでいるということは、階段のところで振り返らなかった、ということですね。驚きです」
ちょっとしたフランス書院文庫はもう終了したらしい。藍はがっかりした。
「とにもかくにも、少しだけ見直しました。もっともゾウリムシがワラジムシに判断基準が進化したくらいのことなのであまり気にしないでください」
「ああ、やっぱりあいつは俺を罵倒したいだけなのか」
「まったくアヤメらしいのう」座敷わらしのけらけらとした言葉に彼は頭を痛くした。
「ゴールはもうすぐそこです。適当に頑張ってください。ぶちのめしますから」
藍はめまいを覚えたが、朗読の声のかわいさだけを支えになんとか立っていた。
「そうそう、もし階段のところで振り向いていたら、お客様相談センターにポリンキー三角形の秘密はなに、と電話をかけさせたあと、あなたの股間の貧相な排尿専用器を」
鈴を転がしたような朗読はそこでまた止まった。
「どうかしました?」
エロシーンにはいったな、とほくそ笑む彼とは違い顔を赤くした彼女は慌てた様子のまま、
「ちょ、ちょっとまってください」
しばらく無言になって手紙を読んでいた。彼女の表情は照れたように赤くなったり、幽霊を見たように青ざめたりし、最後には涙目になって藍を見た。
「あ、あの」
「はい?」
「モルボルさん」
涙の滲む瞳に、藍は勘違いされたままの名前を訂正する気にはなれなかった。
「強く、生きてくださいね!」
「あ、え?なに?」
「これから先、きっと辛いことがたくさん起こると思います。だけど、心を強く、強く保つんですよ!」
「ち、ちょっと手紙になんて書いて……」
「だめです!」
アヤメからの手紙を手にとろうとしたら、先に胸に抱かれ、ふるふると首を横にふられる。
「希望だけは失ってはだめですよ!」
彼女はそう言い残すと、涙を脱ぐって茂みに帰っていった。残された藍は何も言えずに口を結ぶ。
「……」
「頑張っていきましょう、ってことかのう」
「……」
見知らぬ女子高生に心配された彼の前途は多難だった。