雨の日の座敷童 後
室内に響く雨音のラプソディ。電流が駆けめぐるかのように脳内を座敷童という非現実的少女の言葉が埋め尽くす。
「死んだ後、霊になる前のことじゃ、神の声が聞こえたんよ」
「神様とか、いるわけないじゃん」
「無神論者か?まあなんとでもいうがよい。座敷童がおるんじゃ、神も、なまはげも、サンタクロースも存在しとると我は考えとる」
「どちらにせよ自称じゃねぇか。死んだならそのまま天国でも地獄でも好きなところ行けよ。あれば、の話だが」
「まあ黙って聞いてくんろ。神が言うには我は座敷童になるんじゃと」
「ふぅんそりゃよかったな。俺はお前の正体はただの浮遊霊だと思うけど。…まあ幽霊がいるだけ奇跡かな」
「信じる信じないは自由だからの。幽霊にしてもそうでないにせよ、成仏せず妖怪化してしまったんは、きっと心残りがあるからかの」
少しだけ悲しそうに呟いた座敷童の言葉は、彼の耳には届かなかった。
彼が今、必死になって考えているのはどうしたらこの災厄、座敷童から離れられるかということと、先ほどの言葉の真意だ。
「そんなことよりさっきのサプライズなんだよ。心臓に悪いだろうが。もし止まったりしたら俺も晴れてお前の仲間入りだよ」
「でもビックリしたじゃろ?」
誇らしげに彼女は言った。
「ノーカンだ。妖怪なら妖怪らしい方法でびびらせろってんだ。そもそもありゃなんだ…」
「ほら、一度も恋をせずに死んだから。気がついたら口をついていたというか…」
知るか。
「これが心残りみたいな」
心残りッ!?
ピクリと少年の耳が座敷童の言葉に反応する。
なにかを思いついたらしく、温まった油が注ぎこまれるようにだんだん明るい表情になっていく。
「きっとこういうのが思い残したことになるのだろうな」
その言葉で少年の表情は光が立ち込めるように明るくなった。
「でも、確かにお主の言う通りじゃな。驚かすのにこのような仕方はしょうもないというものよ。いくら我が恋愛をしてみたいからと言って――」
「OKですッ!」
「え!?」
一瞬、座敷童が驚きで目を丸くしたが少しも気にせず彼はさらにはっきり告げた。
「付き合いましょう!」
「まじかの!?」
親指をビッと立てかっこよく言い放つ。即断即決だ。
今、彼の脳内にはある一つの話が浮かんでいた。
幽霊というのは未練があるからあの世にいかず、現世に留まっている…。座敷童がこれと同じかはさておき、彼女曰く元は生きた人間だったのだから採用される確率は高いと踏んだのだ。
彼が彼女の申し出を受けたのにはそんな裏があった。
「本当に付き合ってくれるの?」
「イエス」
「でも、あれ、半分冗談みたいな告白、じゃよ…」
「お前の気持ちが偽りなら話を流してくれて構わねーよ」
「あっ、いや、ほ、本気よ!気持ち自体は偽りというわけじゃ、ない、けど……。本当に我みたいな不透明な存在でもいいのかの?」
「ああ、俺は構わねー。お前さえよければな」
それで未練が無くなってこの世からいなくなってくれるならっ!いくらでもっ!
心の声はどこまでも貪欲だった。
「座敷童の我のことを、ほ、骨まで愛してくれるのか?」
「イエス」
骨ねぇだろ。
そう思ったが声に出さない。雰囲気を崩すことは得策でないと判断したのだ。
「ほん、とに。ほんと、付き合って…」
「しつこいヤツだな。いいじゃねぇか、1ヶ月しかないってのは寂しいが、恋愛くらい誰だってしてみたい事だろ」
「……」
相変わらず長い黒髪が顔を隠しているため表情は見えないが、頬がぼんやりと赤く染まっていることが彼にはなんとなくわかった。
「初恋…、そして初カレシ!すごいのじゃ」
夢見心地のように言葉を続ける座敷童を見て、少年はいいことをした、と一人うんうんと頷いている。
「夢か幻か、とにもかくにも我が誰かから愛されるなぞ、絶対にないことだと思っておった」
ぴょんぴょんと楽しそうに飛び跳ねている座敷童は今まで話をしてきた中で一番子供らしい姿だった。
「……あれ?」
本来ならば微笑ましい光景なのだろうが、少年とっては元気に飛び跳ねている彼女の様子は計算外に他ならない。
成仏しないのか?
汗が一筋流れる。それを拭うことなく彼女を観察し続けた。座敷童は部屋中をさながら子供のようにきゃきゃと笑いながら走りまわっている。
俺の計画ではそろそろヤツの身体に迎えの光が射すハズなのに…
「天にも昇る気持ちじゃ〜」
「早く昇れ!」
「え!すみません!」
たまらず怒鳴っていた。
反射で謝罪を口にした座敷童だったが、しばらくすると少しだけ不服そうに唇を尖らせて少年に食ってかかった。
「なぜキレとるのだ?」
「それはお前がさっさと未練を断ち切って天に、……ってちょっとまて」
「どうしたのじゃ?」
「お前なんか姿が変わってないか?」
唇を尖らている様子が見えたのだ。
彼女の表情を隠していた長い黒髪はいつの間にか短髪に変わっており、座敷童のイメージ通りのおかっぱ頭になっていた。顔立ちはそれこそ人形のように整っているが、不思議と生気を帯びたふっくらとしたほっぺをしており、彼女がこの世ならざる存在というのを忘れさせる。赤みがかった唇やほっぺたはとても可愛らしく、着物によく映えていた。
髪には花をあしらったかんざしが差しており、髪型によいアクセントを加えている。
「ああ、これな」
彼女はそういうと手にもったカツラを掲げて見せた。
「ウィッグ、というやつじゃ」
「はあ?」
「簡単に言えば付け毛。ようはカツラのことじゃ」
「……ちょっとまて、なんでお前がそんなもの持ってるんだ?」
「そりゃ……お洒落したいお年頃じゃからの」
ごにょごにょと後半部分は消え入るような声で彼女はそう言った。
「セミロングにして何がしたいんだよっ!俺を脅かすためだけにかっ!?」
「憧れだったんじゃ。長髪が」
「自称座敷童がなにほざいてんだ。つうかそのカツラどこで手に入れやがった!」
「……企業秘密」
「なんの企業だよ」
彼の突っ込みは窓を叩きつける雨音に飲まれ、煙のようにたち消えた。
多少気落ちした視線を少女にぶつけ憂鬱な溜め息を殺しながら、再び彼女と向き合う。
「いつのまにか髪留めまでつけてるし……。むしろなんでこのタイミングでカツラを取ったんだ」
「カレシぃ(語尾上がる)にはありのままを受け止めてほしいと思うのが乙女心じゃ」
妖怪は乙女に入らないし、そんな妄言を信じてやってるだけでも相当懐深いだろ、おい。
「それにある人と被っちゃてるってのもあるかのぅ」
自覚あったのかよ。
「やはり人してのアイデンティティは保たないといけんと思ったのじゃ」
「…すでに人じゃないがな」
「それって“人”に対してもの凄く失礼な言い方じゃ」
座敷童はぷくぅ、と自らの怒りを表すかのように頬を膨らませたが、その表情からはハムスターを連想させるだけで特に意味はなかった。
「まあ、」
なんだかドッと疲れた。
非現実的要素を許容する自らのキャパシティに感心しつつも、本来はそんなホラー要素をもとめていないことを思いだし、彼は静かに言葉を続けた。
「俺はお前の心残りを取り除いてやってこの世の未練を断ち切ってやろう、と仮作していたわけだけど」
「ほぅ。なかなか味なことをするではないか」
「お前が天に召されないというなら、意味がない話だったというわけだ。残念だが今回は縁がなかったというわけで」
「むぅ!なんじゃそれ!」
もっとはっきり座敷童なんざについていけないといってやろう。メリハリをつけなくては。
彼の心の中の言葉はいつしかはっきりと表に現れはじめていた。
「前言撤回とは卑怯な男がすることじゃ!なんと脆弱な精神。そんなことしてみろ、一生つきまとってやるからのう!」
なんでこんな一途なやつになってるんだよ!めんどくさいな!
「それは“人”として卑怯だろっ!」
「我はもう人ではない!」
「さっきと言ってることが違う!」
「人の意見とは刻々と流転するものなのよ」
「もうなにがなんだか……」
磨耗しきった良識という名のライフラインは、この瞬間に擦り切れてどこかに行ってしまったようだった。
もう何を言おうと、確定事項は動くことはない。
彼の、彼女いない歴はこうして途絶えたのだった。
それが喜ばしいことなのか、誰にもわからない。