11リトルサマーウォーズ 前
まだ夏と呼ぶには気が早い7月の空の下、藍は後ろに白江藤吾と五十崎柚を引き連れて帰路につく。
生活しているアパート到着し、ドアを開けながら大きな声で「ただいまー」と帰宅を告げた。
静まり返った室内に、自身の声のみがむなしく響く。誰もいないのだろうか。
いちおう遊びに来たことになっている二人は玄関の敷居を跨ぐことなく、アパートの廊下に並んで藍の様子を目を皿のようにして見ていた。
「どうした、早く入れよ」
「あのさ、ひょっとして、……なんだけど」
五十崎が戸惑いを隠すことなく、おどおどを尋ねた。
「ど、同棲してるの?」
「あ?」
冷静になって考えてみれば、世間一般にはそうなるのか。
「うん、まあ一応」
衝撃のカミングアウトに二人は目を見開き、しばらく動けなくなった。
「す、進みすぎだろ」
「……まぁな」
白江の冷静なツッコミに藍は静かに同意した。たしかに高校生のうちからいきなりハードル高いことをやってるなぁ、と客観視したらそうなるけど、いかんせん同棲相手がアレではなにも感じんわ、と自らを無理やり納得させる。
「おかえりなさい」
「あ」
ずっと開けっ放しだったドアからひょっこりと見たくもない顔が現れた。
「てめぇまだ居たのか」
「あら、お客様?」
出てきたのは座敷童のリコではなく、遊びに来ていた彼女の友人のあやめである。
あやめは藍を押しのけるカタチで前に出ると冷ややかな視線を、アパート前でぽけっとする白江と五十崎の二人に向けてから社交辞令のように述べた。
「どうもこんにちは。藍さんのお友達ですか?」
「ちょー美人じゃん……」
「あら、あら!そんな、ありがとうございます。照れてしまいますわ」
思わず呟いた五十崎の言葉にいい意味で豹変し愛想よく振りまきながら、あやめは半分だけ開いていた扉を全開にし「どうぞ汚いところですけど」と二人を部屋に招きいれた。
「あ、お邪魔します」
ぺこぺこお辞儀しながら二人はたたきに上がる。
違和感なく目の前でくり広げられた茶番だが、一つだけ引っかかる場所があった。
「てめぇ足っ!」
今朝まで蛇の化身たるあやめの下半身は神話に出てくる化け物の如く蜷局をまいていたはずなのに、今はたしかに人間の二本の足がついている。
「足?」
もちろんそんなこと知らない白江と五十崎は首をひねった。
「足がどうかしたの?」
「あっそうだ聞いてくれ、このアマうまく化けてはいるが……ッ」
真実を打ち明けようと口を開いたが、続きが出ることはなかった。二人の後ろにいるあやめがもの凄い形相で藍を睨みつけていたからだ。昼間だというのに、真夜中の猫の瞳のように輝いている。
「あ、いや、その」
「うまく化けて、ってなんの話さ」
「あー、と、ほら足がね」
「ん?」
中途半端に言葉を濁している藍の舌を補うようにあやめがそっと言葉を開いた。
「藍さんは私の足を心配してくれているんですよ」
「え?足どうかされたんですか?」
五十崎が振り返ってあやめに尋ねる。
「えぇ、ついこの間、段差でつまづいてしまい、足首を捻挫してしまったんです。幸いそれほど重いものではなかったので、もう大丈夫なんですが、藍さんは心配性のようですね」
「うひょーい、橘、見かけによらず愛妻家じゃん」
はやし立てるような口調で五十崎がそう言った。どうやら彼女勘違いしているらしい。
「愛妻家って……、おめぇ何言ってんだ」
「だからラブラブってことー」
「少し間違ってるみたいだから言うけど、俺のカノジョはそいつじゃぁ――」
言葉を続けようとした彼にまた、先程感じた悪寒が全身を駆け巡った。何事かと思い、二人の背後を確認すると、あやめがギラギラと瞳を不気味に光らせている。
「いや、なんでもない」
しずしず彼は言葉を打ち切った。
五十崎と白江が靴を脱いでいる隙にあやめが今にも彼を殺さんとする表情で藍に寄ってきて耳元で囁いた。
「これはどういうことよ、豚?」
「そりゃこっちが聞きたいよ、てめぇ蛇足どこにやりやがった」
「これくらいのカムフラージュ私レベルなら容易に出来るわ。気配も人間のそれに限りなく近いようにしてあるし、まず私が人外とバレることはないでしょう。それより質問に答えなさい。耳管に詰まった耳クソが脳味噌にまで回ったのかしら」
「質問の意味がわからねぇから答えようがねぇつぅの」
めんどくさいのでいちいち彼女の暴言を気にするのはやめにした。
「リコをこの愚昧どもに今付き合ってるカノジョとして紹介する気なの?便所コオロギごときが?」
「色々と言いたいことがあるが、……まあそうだな」
彼の言葉にあやめは舌打ちをしてから続けた。
「やっかいなのをウチに入れてくれたわね」
「お?」
「あなたのような0能力者にはわからないだろうけど、そっちの男の方、なかなかのポテンシャルを秘めてるわ」
自分チに誰を招待しようがそれは家主の勝手だが、どうやら、思った以上にうまく事が運んでいるようだ。まさか本当に友人の白江藤吾が漫画の中にでてくるようの力を持っていただなんて。
「それマジか?」
「えぇ、詳しくは相対してみなくちゃわからないけど、かなりの潜在霊力を持ってるわ。まだ覚醒はしてないから危険はないとはいえ、何がトリガーになるかわからない」
高慢な態度のあやめが神妙な面もちで語るので、どうやら白江の力はよっぽどのものらしい。彼女が口にした危険というのは対象物が妖怪などの場合をさすのだろう。
それにしてもトリガーとはなにをどうすればいいのだろう。
メイドインエジプトの矢に射抜かれるとか、坊主頭の親友が宇宙人に目の前で爆発させられるとか、なにかわかりやすい例がほしい。
「ちなみに五十崎のほうは?」
「女の方も詳しく見てみないとわからないけど素質はゼロじゃないみたいね。鍛錬すればそれなりにはなると思うわ」
「なるほどなるほど」
よかったな五十崎!そのまま修行を続ければいつか霊能者として大成するかもしれないぜ。
「理解したならやつらをリコに近づけないで頂戴。ただでさえ彼女今弱ってるのに」
「あん?どうしたんだ?夏バテか?」
こいつは驚きだ。藍は眉をしかめた。座敷童も環境によって体調を崩すだなんて知らせようものなら五十崎は諸手を上げて奇妙な論文を書き上げることだろう。
「いえ、逆に涼しくさせすぎたみたい」
「?」
彼が借りてきたホラーフィルムが招いた悲劇をよく知らない。
「それでいまあいつどこにいるんだ?姿が見えないが」
「寝室で魂ぬけてるわ」
「ぬけてるもなにも、元から魂むき出しじゃねぇか」
座敷童がなんなのか、いまいちよくわからなくなった。
「まあなんにせよ、あの二匹を寝室には近づかせないことね。リコの身の安全の確保と、敵愾心を抱くかもしれない危険因子は少しでも接近させないほうがいい」
ため息をついてから彼女は続けた。完全にリコを弱らせた原因をつくったことを忘れているように、すっかり他人事だ。
「この状況で追いかえすのは不自然でしょうけど、どうにかしなさい。とにもかくにも絶対ヤツらを寝室には入れないでね」
「よしっ、それじゃ二人とも一旦寝室に行ってゴロゴロしながらボードゲームでもしようぜっ!」
「なっ!?」
しかし、藍の目的はあくまで不浄なるものの成仏だ。つまりあやめが止めてほしいと懇願したことが近道につながると判断した彼のとるべき行動は一つだ。
リコと白江の接触。
それすなわち支配からの解放を意味する。
(よっしゃぁぁ、頑張れ白江ぇ!)
厄介払いを望む、橘藍と
(なにを考えてるのっ!?)
リコを守ろうとする、あやめの
世界一小規模な戦いの火蓋が切って落とされた。