9モーニング
短編だったのか、思ったより早く見終わった恐怖映画は、それでも怖がりのリコをビビらせるのに充分な効果を上げていた。
「やっと見終わった……」
おどろおどろしい始まりとは打ってかわった爽やかなエンディングロール。
物語の完結にホッと息を吐きながら隣で、ハッピーエンドが気にいらなそうな仏頂面のあやめに話かけた。
「あやめー、外に行こうー。爽やかな初夏の風吹く、麗らかな日差しの下へ」
短時間で達観した見方ができるようになった穏やかな心で親友にそう提案する。
「なに寝ぼけたこと言ってるの?」
あやめは冷ややかな視線を手元の袋に移し、ジッパーをツツっと引きながら続けた。
「まだこんなにあるのに」
袋の中には藍が借りてきた大量のホラームービーがその出番を待っていた。
「……」
まだ映画を観てもいないのに、リコの表情は真冬に氷の張った湖で寒中水泳を行ったみたいに真っ青になった。
脳内で緊迫感を引き出させるゴ ゴ ゴ…という効果音が響く。
一方学校では、
藍の「彼女がいる」発言が波紋を呼んでいた。当の彼女が死に神に文字通り、魂を狩られそうになっているのを知らずにした発言だが、まさかここまで驚愕の嵐を呼ぶとは予想だにしていなかった。
藍の発言を受け止めたのは二人、友人の白江藤吾とクラスメートの女子である五十崎柚。
それを聞いて白江は呆然とし、隣の五十崎はわなわな震える唇で「嘘でしょ?」と呪文のように唱えるだけだった。
「嘘言ってどうすんだよ。ほんとだよ」
一応な、と付け加える前に、五十崎はガタンと大きな音をたて椅子をひきぶつぶつと呟く。
「そんなまさか。橘に彼女が出来るなんて、ワンピースが打ち切られることより、こち亀が最終回を迎えることより、サザエさんが大団円を迎えることよりありえないわっ!私より先にっ!」
「おいなんだその酷い言われよう」
「橘がモテ気を迎えるだなんて、地球が2012年に滅びることより、地デジ化が2011年に行われることより、来年世界が一巡することよりありえない!私より先にっ!」
「お前にとって絶対最後が重要だろっ!」
藍に怒りとともに指さされて、はっと落ち着いた五十崎は口を開いた。
「わ、私だって、友達として祝福してあげたいとは思うんだけど……」
「なんだよ」
「ごめんなさい、こんな時どんな顔したらいいか分からないの」
よく分からないうちに妙にシリアスなシーンになっていた。
「笑えばいいと思うよ」
隣に座る白江がぼそりと囁いた。それを待ってましたと言わんばかりに、にやぁ、と口角を上げてから藍の方を向き直した五十崎は、わざと見下すように仰け反り、
「はっ」
いい音をたて鼻で笑った。正しく表記するなら「Ha!」と言った具合である。
「四択で決定したシチュエーションの話を現実世界に持ち出すのは止めてくれない」
「おいまて。なんで俺が寂しいやつみたいになってんだ」
「永遠に飛び出すことない幻想を追いかけて孤独死するのが関の山だわ」
「少なくとも現実だぞ、コレは」
と、自分では思っているが実際はどうなのだろうか。
座敷わらしだなんて突拍子もないこと、自分がいかれて想像している幻なのかもしれないと考えなかったわけではないが、少なくとも、あんな危険な蛇女を創り出すほど精神は磨耗してなかったはずだ。
「ぅぅ」
「おいなぜ涙目になる?」
気丈に振る舞っていた五十崎はまた落ち込みはじめてしまった。
「まさか橘が私より先に良い人を見つけるだなんて全く予想外だったわ。こんなのなにかの間違いよ、夢でも見てるんじゃないかしら、私じゃなくて橘が。ぅぅ、橘が付き合うなんてほんとに信じらんない、私より先に」
やっぱり自分より先に知り合いが恋人を見つけ出したのが気にくわないのだろう、この机にうなだれる女子は。
「大丈夫だよ、五十崎。君にもいつか良い人が見つかるからさ」
となりに座る白江がぽんぽんと泣き真似をする五十崎の肩を叩いた。
「ありがと白江。もし見つからなかったら、白江が運命の人になってくれる?」
「僕でよければいくらでも手伝うよ」
なにこの茶番。
「ふざけた演技やめろ」
ため息がこぼれた。
「し、しかしあんな短期間の休み中に彼女つくるなんて橘にしてはやるわね」
「家で寛ぎたかったんだけどな。まさかこんな目に合うとは」
「なんだか妙な言い回しね。よかったら馴れ初め聞かせてよ。興味あるわ」
「やだよ、ばーか。なんで他人にカノジョを紹介しなきゃなんねぇんだ」
それに座敷わらしなどという眉唾な存在をカノジョとして伝えるなど、まず信じてもらえないだろう。
「えー、別にいいじゃない。言っておくけどまだ半信半疑だからね。私が山で修行してる間に橘にカノジョができるだなんてありえないんだから」
修行?
一瞬ぽかんとする。なんだ修行って、と尋ねる前に隣の白江が口を開いた。
「修行ってなにするのさ。もしかしてあのわけわからない民族学部の活動?」
「ええそうよ」
偉そうに五十崎はふんぞり返った。忘れていたが彼女は廃部寸前の民族学部員なのだ。
「自然と一体になり、森羅万象を肌で感じるの。目覚めよ、ってね」
「うさんくさいなぁ」
「白江もどう?あなたなら妖怪を祓える才能があるはずだし」
ぴくっ、いやが上にも藍の耳が反応していた。
妖怪を祓う、だと?
クエスチョンが口をつくより先に白江が尋ね返していた。
「何を根拠に」
「白江の実家、神職でしょ?」
「なんで君が知ってるんだ……」
「だからきっと邪気を祓う才能が眠ってるはずなのよね。あとは私に任せてくれれば一瞬で二フラムが唱えられるようになるから」
白江がそんな家系とは初耳だったが、言われてみれば本人も、毎年夏には一族が集まり儀式めいたことをやるとかなんとか言っていたことを思い出した。
ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない!?
「だから、ねっ!ちょっと試してみたい術があるの。コドクの陣っていう、壷の中で毒虫を闘わせ生き残ったのが最強の霊能力を得るという、白江なら勝てると思うんだけど」
「そんなデスマッチしたくないよ!」
愉快な会話を弾ませる二人とは裏腹に、藍の脳裏は静かに、しかし確かな集中力である計画を練っていた。
不幸を呼ぶ座敷わらしと、不幸そのままである死に神から縁を切る、その方法を。
「今は君の宗教的な活動の話じゃないだろ。橘に恋人が出来たという話題だよ」
「でも恋愛論って宗教学に通じるものがあると思わない?恋は盲目っていうじゃん。誰かを信仰することはその人に恋焦がれてるとも言えるんじゃないかしら」
「だから今は橘のカノジョの話だってば」
自分の世界に浸ろうとする五十崎に息をついてから白江は視線を藍にやった。
「橘からもなんか言ってあげてよ」
「ん、あ、ああ」
こいつに、霊能力があるとするならば、
あいつらを祓う力もあるということか。
「俺のカノジョを紹介します!」
「「なんでっ!?」」
やっぱり突拍子もない発言になってしまった。