7朝から
鳥の鳴き声とともに朝日が部屋に差し込んでいた。
テスト明けの成績会議は終わり、今日からはまた何時も通りの日常が始まる。
またすぐに夏期休暇に入るのでしばらくの辛抱であるが、関節に溜まった空気のようなストレスは抜けきっていない。
朝を迎えケータイのアラームを無意識のうちに止めた少年は、
「最悪な目覚めだ……」
まだ眠気が残る目をこすり、上半身を起こした。
身体を包みこんでいた毛布はベッドから落ちていて、
昨日の寝入る前の延長線が、瞼をあけた世界に広がっていた。
「なにしてらっしゃるんですか……?」
「去勢」
「……えーと、蛇女?」
どこから取り出したのか高枝切りばさみが入り口からヌッと伸びていた。藍の秘部にむけ、照準を合わせられている。
それを蹴り飛ばし、転げ落ちるようにベッドから飛び出した。
「なにすんじゃー、貴様ァッー!」
ドアを開け、遠くに転がった高枝切りばさみを引き寄せるあやめに叫ぶ。
近くでやる勇気がなかった彼女は先がハサミになっているそれを利用したのだ。
「だから去勢」
「朝っぱらから恐ろしいこと抜かしてんじゃねぇ!ふざけんな、ギャグになってないじゃないか」
「私はいつでも真面目よ」
「警察沙汰だ!」
「人ではないから法律には縛らない」
「常識には縛られろ!」
祈るような怒鳴り声を無視して、再び向けられた高枝切りばさみをまた蹴り飛ばす。
「なんでそんなことされなくちゃなんねぇんだ!
お前は俺をまるで犬みたいに扱うんだな!」
「そんなことないわ。私犬は好きだもの」
「……」
「出来るだけ楽に逝かせてあげようと寝込みを襲ったのに、目が覚めてしまうだなんて……。残念だわ。痛いけど我慢してね?」
「ナチュラルに殺そうとすんな!」
眠気はすでに彼方へ消えさった。代わりに倦怠感が訪れている。
「別に構わないじゃない。虫ケラ如きがなにゆえもがき生きるのかしら?」
「は?」
「滅びこそ我が喜び、死にゆく者こそ美しい!」
「……」
「さぁ、我が両腕で息絶えればいいわ!」
「まるで大魔王のような風格だ!!」
メドローアの構えを取るあやめに半ば泣きそうになりながら、懇願するように藍は怒鳴りちらした。
「勘弁してくれ!なんでそこまで嫌われなくちゃなんねぇんだ」
「あなたが下賎な人間の……あっ、豚のオスだからよ」
「言い直すな」
「家畜風情がリコと釣り合うはずがない」
至極キッパリと彼女は言い放つ。これにはさすがにカチンときた。
「うるせぇな。当人の勝手だろうが。あの座敷わらしの心を完全に知ってるわけじゃねぇだろ、てめぇも」
「当たり前のことをしたり顔で言うのは止めてくれない?アメリカシロヒトリ如き下等生物が高説たれるなんて、ヘソで茶がわくわ」
「蛇にヘソはないだろっ!」
アメリカシロヒトリとは桜の木などにつく蛾(の幼虫)である。外来種で帰化生物だ。害虫と認識されている。
「大体なんでそこまで俺とあいつに構うんだ?友達の情事を邪魔するなんて最悪じゃないか」
「じ、じょーじ…」
顔がカメレオンが擬態を開始したように一気に真っ赤に染まる。飄々としたあやめのイメージとはかけ離れた現象に、彼は驚き言葉をなくした。
「やっぱり身体目当てじゃない!」
限界まで赤くなりおえたらしい彼女は彼の股間をびしっと指差して叫んだ。
「まて言い方が悪かった!情事じなくて恋愛!超プラトニック!」
「黙れ!リコと生殖活動に励めなくなるようにしてやる!」
「だから出来ねぇって!」
何度も言うようだが、彼女は幽体であり通常下半身は透けている。
そのまま「しゃきーん、しゃきーん」と目を光らせるあやめと部屋の中をドタバタと追いかけっこが開始した。
「あやめぇー、藍は起きたかのう?」
キッチンから舌足らずな声が響いた。それにあやめはピタリと動きを止め返事をする。危険行動とる一歩手前だった彼女の瞳は少しだけ穏やかになった。
「ええ、今連れてくわー」
「うむ、もうすぐ完成じゃからー」
辺りに朝餉の良い香りが漂っていた。鼻を優しく刺激する匂いから察するに、今日の朝ご飯は和食らしい。
「……飯か」
呟く。藍と目を合わせずスタスタと食卓に向かいながら彼女は言った。
「リコに感謝して食べなさい」
「もちろんするさ。食材は俺持ちでも作るやつがいなきゃ腐らすだけだからな」
蛇女に対する怒りを空腹でごまかし、リコが用意する食卓についた。
「はい、完成!」
「うぉー、美味そうじゃねぇか」
「むふふ、そーじゃろ、そーじゃろ!料理の本を読むのが趣味じゃたからのう」
「変わった趣味をお持ちで。でも、まっ、腕は認めざるを得ないな」
リコの手料理を前に、手を合わせて「いただきます」と三人で声を合わせる。それからつやつや光るご飯を口に含み、2、3度頷く。
お米を炊けば誰でもご飯を作れると思っていたが、そうではないらしい。作り手によって味は微妙に変わる。現に彼が作ったときは、水分が少なかったのか、固くなってしまった。
調理の際の調整は、素人が何も見ずに出来るものではない。
味に満足しながら、料理人にであるリコを誉めるように視線をチラリとよこした。
「はい、あやめ」
「わぁー、ありがとー」
ん?
あやめはリコから何か白いものを受け取っている。
あれは、卵、……ゆで卵か?
よくよく食卓を見れば料理は藍の丸々一人分とリコの分である料理が少しだけ乗せられた小皿しかない。
妖怪は少食なのか、知らないがあやめは茹で卵だけな、の……
「なっ!?」
あやめは手に持った卵の殻を剥かずにそのまま丸呑みしていた。連続三個。
「なん……だと……」
「ん、どうしたんじゃ?」
「いや、なんでもない、俺は何も見ていない」
「?」
生卵、……蛇だもんなー。
彼は泣きそうになりながらも、芳しい香り漂う味噌汁をすすった。
「そんじゃ学校行ってくる」
「うむ、いってらっしゃい」
手をふる二人に見送られ、登校への一歩を踏み出す。
このまま遠くに行きたい……
朝から続くメランコリックな気分に変化は訪れなかった。