1雨の日の座敷童 前
春という季節が過ぎ、夏へと向けて暑くなるジメジメとした梅雨のある日。
雨が降っていた。
外は日本を水浸しにするのが目的だと言わんばかりのバケツをひっくり返したようなどしゃ降りの雨。
そんな日に外に出るのは自殺行為だと判断しているのか一人の少年が気だるそうにアパートの自室で昼寝をしていた。
欠伸を小さくし、微睡みの世界に足を踏み入れようとするその刹那。
ぶぉん
彼の部屋の置物に成り下がっている古ぼけたブラウン管のテレビがスイッチをいじってもいないのに一人でに稼働した。
「?」
古くなってるからかな。
疑問に思いつつも、体を包み込むだるさには勝てそうもない。彼の手はテーブルに置かれたリモコンに伸びることなく、だらんとソファーの上でセイウチのように横たわる体に添えられるだけだった。
ザー ザー
雨の音とともに、テレビから砂嵐が室内に響き渡っていた。
「……」
音はやまない。雨音を伴って不快なオーケストラを奏でている。
だが、彼の意識はお構いなしに深層へと沈殿していった。
そういえば、こういうアナログテレビの砂嵐をずっと眺めていると、発狂するとか、未来の恋人が映るとか、…そういうくだらない噂もデジタル化でなくなるんだなぁ。
どういい事で思考を埋没させていれば自然と瞼は重くなる。彼の寝る前の儀式は、そういう手順になっている、ハズ、だった。
ぬっ
思考は分断される。代わりの訪れたのは驚愕。テレビから、長い髪の女がところてんのように飛び出てきたのだ。現れたのは未来の恋人ではなく、ホラー映画のワンシーンであった。
「……」
夢の中の出来事としか思えない摩訶不思議な世界が薄ぼんやりとした視界に広がっているが、彼はまだ完全には寝ていない。
テレビから某ホラー映画の幽霊みたいに半身を出した女は、そのままズルズルと虫が這うように進み出て、スクッと立ち上がった。
「……」
「……」
二人(?)は見つめ合う。やがてソファーに寝っ転がったままの少年が口を開いた。
「テレビからはもう古いぞ」
「なんじゃとこの野郎」
雨は降り止むことなく、世界を濡らし続ける……。
「あんた誰?」
目は覚めていた。強烈なインパクトを与えた登場シーンは眠気と恐怖を奪い、代わりに冷静さを彼に与えていた。
「おかしなことをいうやつよ。もうちょっと普通の反応があるだろうに」
「うるせぇな。質問に答えろ。あんたは誰だよ?警察呼ぶぞ?不法進入だ」
「だから、そういうのとは完っ全規格外じゃろうが。なんで国家権力に頼ろうとするんよ。せめてゴーストバスターズせぃ」
「あっそ」
彼は無言でポケットの携帯を取り出した。電波状況は良好だ。
「あ、嘘、嘘。謝るからそれだけは勘弁してくれんかの?お上は苦手なんよ」
「んじゃ電気屋に電話する」
「我は確かに存在しとる。3Dの飛び出す映像とちゃうわ」
少年はそれに玄関を指差し答えた。
「どうでもいいがついでに外まで出てってくれないか。今なら不問にするからよ」
「そ、そんなこと言って後で後悔しても遅い。なんてったって私は幸福を呼ぶ座敷童じゃからの」
「……」
少年は訝しい瞳で人外の技で登場した彼女を見た。確かに古風な着物を着てはいるが、顔は前に垂らされた長い黒髪に覆われていて見えない。身長は子どもといっちゃそうだが、成人した女性にもそれくらいの高さの人はいる。
「胡散臭え。幸せなんていらないから悪霊退散」
「な、なにを!?我は悪霊と違い幸福を呼ぶ素晴らしき存在ぞ。だ、大体おぬしはおかしい!普通は我を見たら驚くもんじゃろ!」
「……例えば?」
「うわぁ〜、幽霊だぁ!ぎゃ〜、助けてぇ!とか」
「自分で幽霊って言ってんじゃねぇか」
「我は座敷童じゃ」
目の前には確かにテレビから出てきた謎の女が立っている。それは確かな現実だが、一つ解せないことがあった。
「なんでウチ来たんだよ」
「あー、ほら」
自称座敷童は窓をチラリと見てから、少年の方に向き直り続けた。
「外、雨が降っておるじゃろ。雨宿りさせてくれんかの。ついでにしばらく住まわせてくれろ」
「死ね。出てけ」
「酷い言いようだのう。何もしてないというに」
「驚かせようとテレビから出てきたんだから有罪だ」
携帯に指をかける。
「あ、ちょっとタンマ!高貴なる座敷童は電波を媒体にするしか移動が出来んのよ!うん、そういうこと!つまりサプライズは副作用なの」
「意味わかんねぇし、だからどうした。さっさと帰れ。塩まくぞ」
そう言い彼は体を起こし台所に行こうと立ち上がった。
「ちょ、止まれ。止まってくれ!客人に塩まくのは失礼だとおもわんのか!?」
彼の手を必死につかむ。さわりと感じた手のひらに温もりなぞ存在せず氷のように冷たかったが、彼はそんなことより塩を取ることに夢中だった。
「だからぁ、無駄な事はやめるんじゃ!」
「うるせぇ、んなこと言って実は塩が怖いだけなんだろうがよ!てめぇ散々座敷童だなんだ言ってて結局ただの浮遊霊なんじゃねぇの?」
「あほな事ぬかすな!我は座敷童じゃし、それに、ほらっ、クリスチャンよっ!だから塩は効かんのじゃ!」
一瞬ポカンとする。
「な、なにがクリスチャンだばか!座敷童の時代にんなもんあるか!」
「おぬしに我の何がわかるっ!座敷童は奥が深い生き物なんよっ!」
「なんも知らねーよ!そもそも生き物じゃねーし」
振り向くと、髪をビロードのように垂らした女の顔がある。しかし深い井戸の底のように表情は伺い知れない。
「全くどうしたら追い出そうとしなくなるんよ…」
「この状況でお前を許容する奴がいたら世界で一番頭のネジが緩んでるやつだよ」
「酷い言い草じゃがせめて言い分くらい聞いてくれんかの?」
「あ?」
「あれはそう我という存在が生まれて一年といった時のこと…」
「消えろ!」
彼が放った問答無用の蹴りは、煙を揺らめかすように彼女の体をすり抜け、文字通り空を切った状態になった。
何事もなかったかのように座敷童は続ける。ホログラムのようだが、先ほど少年の歩みを止めるために伸ばした手には確かに実体があった。
「座敷童は幸せを呼ぶけど去れば不幸が訪れる。この法則が私を縛ってることに気づいたんよ」
「がぁぁ!攻撃が通じねぇ!誰か俺にシルフスコープをっ!」
「初めて訪れた佐藤さんちはそうして没落していった…」
「佐藤がどうなろうと知るかっ!」
「次のお宅も栄えたのも一瞬で没落……」
「だったら家を出てかなきゃいいだけの話じゃねぇか!」
「それは出来ん」
「はあ?」
「風が、私を呼ぶのよ…」
彼はいつの間にか座敷童の話に耳を傾けていることに気がついていない。
「意味わからん!お前が一生根無し草でいりゃ不幸なんて起きないだろうが!」
「人肌が、恋しくなるんよ…」
「とんだエゴイストじゃん」
彼は小さく息をついた。
「そんな私は気づいた!そう!1ヶ月くらいなら座敷童オーラは発動されず、幸も不幸もないんですよ!」
「ああ?つまりぃ?」
「1ヶ月ほど、泊まらせてくれんか?」
彼の決断は早かった。
「無理」
「……せめてもう少し考えてくれても」
風と共に雨が窓をたたきつける。その様子をそっと指差して彼女は不服そうに続けた。
「ほら雨も降ってるし。こんな中に女の子を放りだそうだなんてとんだ鬼畜じゃ」
「お前は自称妖怪だろうが。そもそもてめぇリアルにひさしを貸して母屋を奪いそうで怖いんだよ」
「おおっ!なんだかんだで私に恐怖しとるんだな!これでこそ妖怪の本分よ!」
「誰が弱小妖怪にビビるか!さっさと帰れ!雨宿りだけが目的なんじゃないのかよ!」
「我は根無しの渡り鳥、止まり木があれば足を休める…」
「足ねぇだろっ!」
「だから幽霊じゃなくて座敷童だってば!それにほらっ、見て!」
そう言って座敷童は着物の裾を捲りゼリーのように半透明な二本の足を彼に見えるようにアピールする。
彼は照れたように目を逸らした。半透明とはいえ好みの美脚だったのだ。
「?急に黙ってどうした?」
「……いいからさっさと消えろ」
「顔が赤いが……」
誰にも言ったことないが、少年は足フェチだった。
「うるさい!いい加減にしないと大槻教授呼ぶぞ!お前なんてキチガイ扱いだ!」
「う〜む、これだけ頭を下げてもダメだとは、頑固なやつじゃ」
「ナマいってんじゃねぇ。一回も下げてないだろ」
「ほら、最初土下座しながら現れたじゃないか」
「あれは土下座だったのかっ!?」
「正確にはワンランク上の土下寝じゃな。這って進むのが大変なんじゃ」
「……」
俺の常識が通じないのは仕方ない、生きている世界が違うんだから、と少年は自らに言い聞かせた。そもそも生きてないし。
「よし、そうじゃ」
ポンと手を叩くと座敷童は朗らかに言い放った。
「我がお主を驚かせたら、1ヶ月だけ泊まられせてくれろ」
「……どこをどういったらそうなるんだよ」
「お化けルールじゃ。なぁに追い出すわけじゃない。共生!若い男女の共同生活!ぬふふ!かわいいあの娘晴れ姿、スイカの名産地ぃ〜♪」
「お前何歳だよ…」
「やるの、やらないの?逃げるの?逃げちゃダメでしょ!」
座敷童は質問をスルーした!
「うっせーな、やってみろよ。言っておくがチャチな手品じゃ俺は驚かないぜ」
「その心意気やよし!ゆくぞ!」
「は」
どうせまた、テレビからひょっこりとか、壁をすり抜けるとかそんな大したことないイリュージョンなんだろう、と高をくくって、少年は鼻で笑った。
一方、部屋の中央で座敷童は何も言わずもじもじと身体をくねらせている。
「おい、お前、なにがした――」
「好きですっ!付き合って下さい!」
「え」
超衝撃だった。