骸舟
それは、時代から見放された木造の海賊船だった。
何百年も前に沈んだはずのその船が、夜の海に浮かび上がったという報告が、漁師たちの間で囁かれていた。
「月の出る晩、沖の黒潮に“骸船”が現れる。決して近づくな。あれは、死者の潮だ」
港町バルドでその話を聞いたのは、若き冒険家レンだった。金と名声を求め、世界の怪談や伝説を追う彼は、忠告を笑って聞き流した。
「死人船に金貨が眠ってるって噂、確かめてみるさ」
レンは仲間3人とともに小舟を出し、月の出る夜、噂の海域に向かった。
やがて、霧が立ち込める中、波間に黒い影が浮かび上がった。
それは確かに、沈没したはずの海賊船。マストは折れ、帆はぼろ布のように垂れていたが、水に浮かんでいる。
接舷し、甲板に上がると、そこには奇妙な濡れ跡が点々と続いていた。
まるで「誰か」が、あるいは「何か」が、濡れた足で歩き回ったように。
「おい、これ見ろ!」
一人が開けた船室の中、古い木箱に金貨がぎっしりと詰まっていた。
喜びの声が上がる。しかしその直後──船体が、軋んだ。
ギシ……ギシ……ギシ……
まるで、長く眠っていた船が息を吹き返したような、不気味な音。
潮が甲板に這い上がり、足元を濡らした瞬間、レンの背後から声がした。
「返せ……」
振り向いたが、誰もいない。
だが次の瞬間、船の隙間から濡れた白い腕がぬっと突き出た。
「うわあっ!」
仲間のひとりが叫び、腕に掴まれたまま海に引きずり込まれる。
他の仲間も叫びながら逃げ出そうとするが、霧の中から現れた顔のない海賊たちに囲まれていた。
彼らはすべて、肌がぶよぶよに膨れ、目や口の代わりに海水を垂らしていた。
剣を抜いた仲間が応戦するが、斬っても霧のように溶けてまた姿を取り戻す。
「潮が……呪われてる……!」
レンは金貨の詰まった袋を捨て、船から逃げようとした。
そのとき、かつての“船長”と思われる影が、甲板の奥からゆらりと現れた。
帽子の下からは長い髪と水草が垂れ、全身は黒く膨れ、目だけがギラリと光る。
「契約は……果たされねばならん……」
船長の声が頭の中に響いた。
レンは震えながら叫んだ。
「俺は……お前らとは契約なんてしていない!」
すると、船長は笑った。
「では新たに交わすがいい……“次の死者”としてな」
その言葉と同時に、船全体が波に飲み込まれるように傾いた。
水がどっと押し寄せ、レンの意識は真っ暗な深海へと引きずり込まれた。
──
朝。
港町の桟橋に、小舟がひとつ流れ着いた。
中にいたのは、泡を吹きながら目を開けたまま息絶えた男──レンだった。
彼の手には、びしょ濡れの海賊旗が握られていた。
その旗の下には、かすかにこう刻まれていた。
「次の月夜、また“骸船”は現れる。死者をひとり、迎えるために。」