⑮
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図書館を出たアンジェラは、寮へ帰る道を歩いていた。
まだまだ寒い日が続いている。吐く息も白い。
寒いけれど、アンジェラは冬という季節が好きだった。
「姉上」
寮に続く道で待っていたのは、ヴァージルだった。
相変わらず睨むような目つきだが、いきなりこちらを罵倒する気はないようだった。
「ヴァージル、どこかのお店にでも、と言いたいところだけど、事と場合によってはお店に迷惑をかけてしまうわね。そこの公園でいいかしら?ベンチもあるし」
「……はい」
弟を待つことなく公園の方に歩いて行くと、後ろからヴァージルが歩いてくる気配がした。
一応、騎士になるために剣を習っているはずなのだが、王都の騎士たちとは動きが全く違う。
こういうところは、まだまだ子供で、経験を積んだ大人の騎士とは全く違うのだなと思う。
実家にいた時は、自分の剣技についてよく自慢していたけれど、本当の手練れの動きを見てしまうと弟の剣技はそれほどでもないのは分かる。
さすがに王国の、それも王都を守る騎士たちの動きとただ剣術を磨いているだけの弟と比べるのは酷というものだ。
「それで、ヴァージル、私に何か用があるの?」
ベンチに隣りあって座ると、アンジェラはヴァージルが何か言う前にそう切り出した。
「……兄上から、話を聞いて……」
ヴァージルは、辛うじて聞き取れる程度の声でぼそぼそとしゃべった。
「どんな話を聞いたの?」
「姉上じゃない、って。でも信じられなくて。それで、姉上が男といたのを見たから……」
祖国から出てくる時、兄だけはようやく真実に気が付いた。
アンジェラの名前を使って好き勝手やっていた人物たち。
そんな人たちを信じていた家族と婚約者。
全てアンジェラが置いてきたものだ。
目の前の弟も祖国に捨ててきたはずの存在なのに、何故かこうして話をしている。
「私のことはもういいのよ。だって、今更だから」
「あ、姉上……」
「でも、ジェラール様に対する暴言はだめよ。きちんと謝りなさい。彼はクラスメイトであり私の親友の婚約者でもあるの。この国に来て友人がたくさん出来たわ。不思議よね、私は物心ついた時にはすでにいらない子供だった。あなたたちがぞんざいに扱うから、誰もが私をぞんざいに扱ってもいい存在だと認識していた。父も母もずっと私を疎んじていたけれど、ねぇ、ヴァージル、私があなたたちに何かしたかしら?」
「それは……」
ヴァージルが物心ついた時には、すでにアンジェラの扱いは悪かった。
だから、ヴァージルもアンジェラはそういう扱いでいいと思っていた。
罵詈雑言を浴びせようが無視していようが、誰も咎めなかった。
だけど、学園に転入してようやくその状況が異様だったのだと気が付いた。
ヴァージルがアンジェラのことを悪く言うと、誰かしらが反論してきた。
実家でのアンジェラの扱いについて思わず口に出して言った時は、軽蔑の目を向けられた。
そして、誰もがこぞってヴァージルがおかしいと指摘した。
よく考えろ、知人友人の家族を思い浮かべろ。
アンジェラ嬢が君たちに何をしたのか。そして、君たちがアンジェラ嬢に何をしたのか。
自分の身に置き換えて考えてみろ。
そこまで言われてようやくヴァージルは、アンジェラが何もしていないことに気が付いた。
罵詈雑言も無視も誰も咎めなかったけれど、アンジェラ自身が一番何も言わなかった。
反論のはの字もなかった。
ただ、静かな瞳で一瞥するだけだった。
「……姉上は、何もしていない」
「そう言っても誰も信じてくれなかっただろうけれど、私は何もしていないわ」
「あぁ」
ようやく理解した。
姉は、家族全てを見限っていたのだ。
逆に自分たちは、姉に執着していた。
いちいちその姿を探して、嫌みを言った。
無視するくせに、その姿を探した。
アンジェラがいなくなったことに真っ先に気が付いたのは、母だった。
夜会の翌日、いつものようにアンジェラに嫌みを言おうと探して、どこにもいなくて。
帰って来たらしばらくの間はご飯を抜くとすごい勢いで怒っていた。
でも、アンジェラは全然帰って来なくて、母が引きつった顔で、誘拐でもされたのかしらね、と無理矢理笑っていた。
アンジェラがいなくなるという考えを、誰も持っていなかったのだ。
唯一知っていた兄は、ずっと黙ったままだった。
家の恥だからと探すこともせず、あれだけあった家族の会話はアンジェラがいなくなってから少なくなった。
この家は、アンジェラという存在で変な風に結ばれていたんだ。
兄がぽつりともらしたその言葉が、きっと全てだったのだ。
要であるアンジェラがいなくなって、糸がぷつりと切れた。
フレストール王国に留学に来たのは、そんな家の空気が嫌になったからだ。
逃げ出したのだ、自分は。
あの家から。
兄だけが苦笑しながら留学に賛成してくれて、こそっとアンジェラのことを教えてくれた。
信じられなくて、兄に嘘だと言ってしまった。
この国に来て、アンジェラが楽しそうに男としゃべっているのを見て、頭に血が上った。
自分たちはアンジェラがいなくなって苦しんでいたのに、何故そんな風に笑っていられるのかと思ったら、自分を止められなかった。
違うのに。
家族から離れたからこその笑顔だったのに。
「……すみません、すみません、姉上」
ヴァージルは、うなだれたまま謝ることしか出来なかった。